落語・講談・浪曲 日本演芸なんでもござれ

自称・演芸ブロガーが語る日本演芸(落語・講談・浪曲)ブログ!

自己紹介 2018年5月18日

私の友人の気象予報士に、「気象予報士はいつ天気を予想しているんだい?」って聞いたんだ。

そうしたら友人は「朝、起きたときだよ」と言った。

なるほど、起床(気象)ってことだ。

私は「気象予報士はどうやって天気を決めているんだい?」と聞くと、

友人は「下駄を投げて決める」と言った。

私は「それでも天気が当たらなかったら?」

友人「投げるものが一つだけあるよ」と言った。

気象予報士が下駄を投げても当たらなかったとき、それでも投げるもの、

匙を投げる。

 

 東京に住んでいると粋な出会いがたくさんある。ぶらりと街を歩けば建ち並ぶ建物の中に煌めく人々がいる。都会では誰もが暗い顔をしているというニュースを目にしたことがあるが、そんなことは無いと私は思う。

 かつてテレビが全盛だった時代に、綺羅星の如く笑顔と明るさを振りまいていた人達を私は知っている。芸に秀でた人々が話術と愛嬌でもって様々なことに挑戦をする。そこには多少の傲慢さや乱雑さもあっただろう。しかし、そこには人々を喜ばせたいという強い意志があったように思える。テレビを見終えて眠りにつき、翌日になって学校で友達とテレビ番組の話をして共に語り合った時代が今や幻のようだ。

 私ははっきりとテレビはつまらなくなったと思う。どうして、テレビを面白いと感じなくなったかと言えば、それはありきたりな、差し障りの無いものになってしまったからだと思う。インターネットやスマートフォンの普及により、テレビという媒体の力が薄まっているように私には感じられるのである。丁度良いところで割り込んでくるコマーシャル、やたらと答えを引っ張るクイズ番組、傲慢な司会者が子供のように騒ぐ昼の番組。どれも刺激的な魅力を感じるほどのものではなくなってしまった。次の日になって、誰かと話題を共有したいと思えるような番組はすっかり無くなってしまった。敢えて言うならば、『水曜日のダウンタウン』くらいが人と話題を共有したい唯一の番組だろう。それほどに、私にとってのテレビの重要性は落ちてしまったのだ。

 Youtubeで動画を見たり、AbemaTVやNetflixAmazon primeを見ている方がテレビを見るよりも確実に面白い。きっと今後その風潮は強くなっていくと思う。本当に面白いものならば、人はお金を出してでも見る生き物だ。今、テレビのような無料放送は無料であるが故に面白さを欠いているのではないか。そんなことを思ったりもする。

 

 このブログは、そんなテレビに飽きた人、Youtubeの動画やAbemaTVにも飽きてしまった人、TwitterFacebookInstagramにも飽きてしまった人に、最後の砦として残っている最高の演芸を紹介するブログにしたい。

 このブログを読んだ人が、明日の朝には数千円を握りしめて寄席に行くようになっていただければ良いと思う。

 まだ、卵ではあるが『自称 演芸ブロガー』として、このブログを書いていく。

 

 さて、私はテレビに飽きた。インターネットで動画を見ることにも飽きた。SNSに疲れ、毎日飛び込んでくるハム速やはちま速報の短い小ネタにも飽き飽きした。

 そんな私が出会ったのは、上野鈴本演芸場池袋演芸場新宿末廣亭浅草演芸ホール。すなわち『寄席』だ。

 寄席は365日、大勢の『落語家』が出てくる。持ち時間の中で着物を着た人が喋る。ただそれを聞く場所である。

 つまらな過ぎて寝てしまう落語家も、面白すぎて腹が捩れる落語家も出る。それが『寄席』である。全員が全員面白いとは限らない。限りなくそういうことに近い寄席もあるけれど、そんなことは殆どない。基本的に最初は「ああ、今日は寄席にきて失敗だったな」と思わされるが、後半になって「お、今日はやっぱり正解だった!」と思える。そういうことが『寄席』では良く起こる。

 私は特に常連という訳ではない。寄席には常連さんもたくさんいるし、落語家のおっかけをしている人もいる。そういう人は大体最前列にいたりする。

 寄席はテレビやインターネットや、ましてやSNSより面白いと私は思っている。それらに飽きてしまった私が思うのは、『今、この時間、この場所に存在する芸』に魅入ってしまったからである。

 テレビやインターネットの動画や芸は、どうしても遠くのものに感じられてしまう。映像として芸を見ると、どうしてもそぎ落とされてしまう何かがあると私は思うのだ。

それは演者の呼吸だろうか、場の空気だろうか。詳細に調べていけば答えはあるのかもしれない。けれど、私は五感を総動員して体験する生の芸こそ真の芸の受け方だと思う。どれだけ映像で体感しようとも、生の迫力には絶対に勝てないと思う。

 映画や映像は切り貼りができる。良い部分だけを取って形作ることができる。それはそれで完璧なものが作れるだろうと思う。それとは対極に生の演芸は存在している。演者の声、所作、全てが『その場で今まさに起こっている』のであり、それをすぐ間近で見て、間近で感じて、その場にいる客席の全員で形作っている。

 どれだけ私が文字に起こしたとしても、たった一度の体験で感じる芸には敵わないかも知れない。しかし、私が成すべきことは、私のブログを読み、少しでも演芸に興味を持ち、寄席に足を運び、お気に入りの芸人を見つけ、日本の演芸に狂ってもらう読者を作ることである。もう既に狂っている私が言うのもなんだけれど。

 きっと、虜になるに違いない。そんな演芸のすばらしさをこれから紹介していきます!

 さらっと私の自己紹介。60代、落語・講談・浪曲を主に鑑賞。土日は必ずどこかの寄席に出没する。お気に入りの落語家は古今亭文菊、講釈師は神田松之丞、浪曲師は玉川太福。現在、松之丞さんのサイン本と、太福さんのサイン入り手帳を持ち、日々スケジュールに演者の予定を書き込んでいる。好きな噺は『笠碁』、『甕割試合』、『石松三十石船道中』。特技は旅先で写真をお願いされること。話しかけやすいオーラが滝のように出ている老人です。