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殺し屋のメロディ  春風亭朝七 ~江戸標準のスーパー前座~ 2018年8月22日

落語の世界にも身分制度というものがあります。

見習い、前座、二つ目、真打、ご臨終 

 

落語家の社会には前座というものがいる。

寄席に行くと開口一番で出てきて座布団に座り、話をするのが前座である。なぜ、最初に出てきて落語を披露するかと言うと、持ちネタが少ないという理由がある。寄席では前の人がやったネタをやることが出来ない。うっかり同じネタをやってしまうと、即座に前座が出てきて知らせてくれる。こういう光景を見ることが出来るとちょっとラッキーである。特に正月の顔見せ興業の時などは良く起こるので、観たいと思う方は見に行った方が良い。

前座の役目は寄席でとても重要な役割を果たしているのだが、そういう詳細は他に任せるとして、今、前座の中でも注目の存在がいる。

個人的に前座の枠を超え、ズバ抜けた才能をひっそりと輝かせていると思う前座、春風亭一朝師匠の弟子で春風亭朝七(しゅんぷうてい ちょうしち)さんという前座が、今回の主役である。

実は何度か鈴本演芸場に向かう朝七さんとすれ違ったことがある。シュッとしていてパッと見は全く落語家に見えない。中国のマフィアで若頭をしているといった風貌で、見た目が怖い。腰にジャックナイフでも差していそうな雰囲気を持ち、キレると首を後ろからスパッと切られて殺されるんだろうな、と思うくらいに微かな殺気を漂わせている。

余談だが、一朝師匠のお弟子さんは結構タイプが分かれる。一之輔師匠や春風一刀さんのような『独特のフラ派』と、一左さん、一蔵さん、朝七さんのような『マフィア派』と三朝さん、朝之助さん、一猿さんのような『変化球派』と、春風亭一花さんのような『親父殺し派』など、弟子の多さも含めて実に個性派揃いである。中でも最も売れっ子の一之輔師匠と言えば、掴みどころの無さNo.1ではないだろうか。

キレると何するか分からないという意味では、一之輔師匠、一蔵さん、朝七さんの三人は共通していると私は思う。

私の中では今のところ、一之輔師匠と言えば『笠碁』、一蔵師匠と言えば『猿後家』である。

さて、朝七さんについて語る今回の記事だ。前述したように『マフィア派』の朝七さんは、前座と言う身分でありながら、他の前座や二つ目と明らかに違うものを持っている。

まず、何よりも驚嘆するのは『口調』である。強面の風貌の裏に一体どんな人生を送って来たのだろうかと言うほど、落ち着いて淡々としながらも一定のリズムで繰り出される。まさに口の調べが他と段違いなのである。誇張せず、一定のトーンで繰り出される『掛け合い』などは前座でありながら一つの完成を見せている。朝七さんの落語に対する姿勢が如実に伝わってくるのである。例えば『寄合酒』や『のめる』などをやると、その口調と姿勢がありありと伝わってくる。『寄合酒』は二つ目や真打でも良くやるネタだが、朝七さんがやると『江戸標準』になると表現するとピタリと来るだろうか。掛け合いをする者達に個性を出す落語家がいる一方で、朝七さんの掛け合いには掛け合いをする者達に奇妙な差が全く無いのである。

例えば、キャッチボールをした時にずっと同じ高さでボールを投げあうという感じと言えば良いだろうか。普通の人間が投げると毎回高さが違うことがあったり、意図して高さを変えてみたりして投げあうものがいる中で、朝七さんはずっと同じ高さでボールを投げられる。

これは実は物凄く難しいことである。大体の落語家がちょっとずつ個性を追加したり、口調を変えたり、間を変えたりしてしまう。私が思うに、その変化によって江戸の風が失われているのだと思う。『寄合酒』の聴き比べは落語家の個性を判断するには良い行為だと思う。今のところ私が一番好きな『寄合酒』は朝七さんと橘家文蔵師匠がとんとんである。それくらいに朝七さんの『寄合酒』には上手いと感じさせるものがあるのだ。

『寄合酒』の大まかな筋は他に任せるとして、何と言っても与太郎が味噌を持ってきて、それを味噌かどうか他の男が確かめる場面である。ここが一番の腕の見せ所であると思う。味噌であることを確かめる所作、振る舞いが試される。過剰にやれば白けるし、あっさりやると地味である。その点、朝七さんや文蔵師匠は品があるし、文蔵師匠に至っては実際にやったことがありそうな感じが伝わってくる。朝七さんの場合は、確かめる男の側に品があるし、疑い方も変に脚色をしない。あくまでも『江戸標準』といった所作で味噌であることを確かめる。嘘くささが無いと言えば良いだろうか。

ネットで朝七さんのことを調べると、おおよその評価は『前座レベルじゃない』で一致している。ではどこレベルかと言えば二つ目の上と言ったところだろうか。しっかりと話を習得するために努力をされているのだと思うし、何より『誰かの物真似』じゃないのがとても良い。朝七さんのような落語家は殆どいないと言えば、朝七さんがいかに稀有な前座であるかが伝わるだろうか。

私としては、何より聴いていて心地が良いのである。口調、抑揚、リズム、どれもが心地よくて突飛なところが無い。シンプルイズベストという言葉もあるが、誰が聴いても『上手い』と思わせる個性がある。落語のネタの基礎を流暢な調べにのせて披露しているというか、登場人物の微妙な感情の起伏を実に繊細に描き出しているのだ。まさに聞く者を一瞬で虜にさせる、殺し屋のメロディを奏でている。

愛嬌があって可愛らしくって、天然でやわらかいという才能に恵まれた落語家の対極に朝七さんは位置する落語家であるような気がする。じっと落語と己に向き合ってネタの質を高めていく自己研鑽型というべきであろうか。三遊亭圓生とは言わないまでも、そうした風格を既に携えようとしている前座であると思う。

中には、二つ目から一度師匠を変えて再び前座として活躍されている方々もいる。どういう決意でそうなったのかは分からないが、その人たちもまた『前座レベルではない』という評価になるであろうと思う。個人的に今一番注目の純粋な前座は春風亭朝七さんのみである。純粋でない前座で注目なのは桂しん乃さんだろう。

また余談なのだが、つくづく桂伸治師匠門下の弟子は凄いと思う。桂宮治さんなんかはもう個性の塊みたいな人で、もはや『二つ目レベルじゃない』落語家である。そこに来て、しん乃さんと伸べえさんという強烈極まりないフラを持った弟子を抱えているのだから、もう恐ろしすぎる。

さて、再び話が桂伸治一門の話になってしまったところで、今日もこれにてお開き。