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挑戦と異空間の創造~第九回桂伸べえ落語会~

 親父の持つ独特な雰囲気、

あれあたくしのほうではフラ?っていうんですが、

ふっと笑いたくなるようなおかしみね、

それは勉強してできるもんじゃないんです

  仕事が早く終わる水曜日。西新宿ミュージックテイトにて『第九回 桂伸べえ落語会』に行ってきた。大久保駅から降りて約10分ほどだろうか。玉川太福さんの会で何度か来たことがあって、大体バーガーキングを目印にとぼとぼと歩くことにしている。

 丸亀製麺で軽い食事をしてから、開演時間になってミュージックテイトに入る。太福さんの時と違って椅子は少ない。私を含めて客席は六人ほどだろうか。稀有なフラを持った落語家、桂伸べえさんのお客が六人というのは、まだ世間にこの才能が知られていないのだなというのを実感して、少し嬉しくなる。

 他人から「何が面白いのか?」と聞かれて、説明が付かないと申し訳がないので、私は好きな落語家に何故惹かれているのか、という理屈はきちんと持つようにしている。例えば、文菊師匠ならば「品と声と演出の緻密さ」と答えるし、笑遊師匠ならば「粋な大声、血が騒ぐ爆音」と答えるし、太福さんならば「声と間と節」と答えるし、朝七さんならば「リズムとトーン」と答える。

 そして、伸べえさんの場合は「独特のフラと間」と答える。他の追随を許さない間と、自らに即座にツッコミを入れながらも挑戦を止めない姿勢。そして、伸べえさんがやると刷新されていく古典落語。その唯一無二さに惹かれているのだ。とにかく笑いたい時は伸べえさんが良いのだ。

 前にも書いたかも知れないが、落語の上手下手などあまり関係がない。その人がどう落語と向き合っているか、その人はどう落語の演目を演じるか、その独自性に自らの感性を照らし合わせることによって、好きな落語家というものを発見することが出来るのである。文菊師匠の良さを伸べえさんに求めないし、笑遊師匠の爆音を朝七さんに求めたりもしない。要は「みんな違って、みんないい」の精神なのだ。これを変に固定観念に縛られ、「この落語家が絶対に素晴らしい」というものは無い。自分で楽しめれば、他に押し付ける必要などないのだ。

 さて、まず開演。伸べえさんのご登場。連雀亭の時より若干活き活きとしているように感じられる。マクラも挑戦を続ける姿勢がある。そして何より面白い。間が本当に面白いと思う。これはあくまでも私の主観であって、万人に共通して面白いと思って頂ける間であるとは言わない。聞いてみて、合わないと思えばそれもまた良しである。少なくとも、落語会に集まった六人の観客の方々は、きっと伸べえさんの間に惹かれていると思いたい。

 一席目のネタは『あくび指南』。お、結構冗長になりがちな落語じゃないか。とちょっと思ったが、桂伸べえさんだと安心して聴ける。文菊師匠、柳亭小痴楽さん、柳家小燕枝師匠、春風亭一之輔師匠、柳家喜多八師匠の5人で聞いたことがある。喜多八師匠の型を文菊師匠は恐らく習ったと思うし、これがまた絶品。小燕枝師匠は渋みがあるし、一之輔師匠と小痴楽さんはちょっと勢いに頼っている感じかなという印象。

 伸べえさんの『あくび指南』に出てくるあくびの先生は、結構偽物感がある先生という感じ。ちょっと練習をすれば肩を並べられるくらいの熟練さ。文菊師匠の場合は『その道の達人』という感じなので、聞き比べてみるのも面白い。さらに伸べえさんの煙草を吸う所作も独特で面白い。え、そんな恰好で吸うんだ。あんまり吸いなれていないんだな、という感じ。でも、それが新しいというか、他で見たことが無くて斬新。おまけに独自の間が強烈な個性を発揮していて、これがまたなかなか面白い。

 続いてはお馴染みのマクラから『たらちね』、言葉遣いの荒い男と丁寧過ぎる言葉遣いの女の話。オーソドックスな古典も、伸べえさんの間とフラで絶妙な面白さである。やはり同じ演目をやっていても、そこにオリジナリティというか、面白さがあるので、これは是非聞き比べをして体感して頂きたい。

 そして休憩の後、ラストは『狸札』。タヌキのマクラを失敗した直後だったが、狸札やる宣言後、話に入った。すでに狸札をやる予告の時点で、これまでに聞いた狸札を思い返す。どれも冗長だったし、笑いどころが少ない印象だった。でも、伸べえさんの場合は不思議な安心感があった。例えるなら、同じコーラであっても、それを作るメーカーによって微妙に違うことがあるが、自分のお気に入りのメーカーから出たコーラの味を好んで飲むという感じに近い。端的に言えば演じる人間が面白ければ、どんなことを演じようとも面白いと感じることと同じである。これはある種盲目的と言えるかも知れないが、それは仕方の無いことではないだろうか。綺麗な人だな、と思った人はどんなことをしても綺麗だなと思う。そういうことと同じだと思う。

 だから、伸べえさんのやる『狸札』は面白かった。最後のオチまで抜け目なく面白い。それはやはり『伸べえさんがやるから』という結論に至る。言ってしまえば、桂伸べえという落語家そのものに、私が心を奪われているのだ。

 かなり絶賛の記事になったが、要するに落語が好きな方は、演者も好きなのだ。それはとても良いことだと思う。例えば苦労しているときに、「そういえば、あの時の文菊師匠はこんなことを強情灸の中で言っていたな」とか、「伸べえさんは、狸札のとき、狸をこんな感じでやっていたな」とか、演者の行為や発言が日常のふとした瞬間に思い出される時があって、それは自分の心を助ける。誰の演じ方で思い出せば自分にとって良いかは、その人自身に委ねられている。会社にいると大体、立川寸志さんの『幇間腹』を思い出すし、悪女に出会うと文菊師匠の『紙入れ』を思い出したりする。そういう思い出は凄く自分の人生に良いと思う。そういう体験が多い人は、人にやさしくなれると思うし、自分自身のメンタルを強くすることが出来ると思うのだ。

 落語評論は落語を語り落語家を語る。私が何に惹かれ、何を面白いと感じ、何に活かせるかを記す。桂伸べえさんの落語会に出て、改めてそんなことを思った。

 今後、大成する桂伸べえさん。何と9月1日~9月10日まで池袋演芸場の夜席に出る。是非、この記事を見た方には行って、体験してほしい。桂伸治門下桂伸べえ。師匠もさることながら、この逸材、今見逃すと大損する。

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