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男気に零れる涙で咲く花よ~19回赤坂で浪曲 「玉川太福『天保水滸伝』連続読み」第二回~2018年9月10日

政、お前が笹川へ行ったら掃き溜めに鶴が降りたようなもんだろう。

 

上杉謙信は敵将、武田信玄に塩を送ってやったというが、

 

この謙信に劣らない、立派な心がけ

 

許してください、十一屋

それは夏も終わりに近づく、暑い日の午後だった。謝楽祭を終えて、溜池山王駅の12番出口を出てから、ローソンで飲み物を買い、坂道を上がってカルチャー・スペース嶋に辿り着くまでの間、私はきっと今日の日を忘れないだろうと思った。そういう不思議な空気が流れる中、私は椅子に座り、主役の登場を待った。

いつ見ても綺麗な玉川みね子師匠が登場し、椅子に座って三味線を鳴らす。続いて出てきたのは、今、浪曲界を担う若手として注目されている玉川太福。大きな黒縁の眼鏡と、浪曲で鍛えた声を持ち、一席目は新作『地べたの二人~配線ほどき~』、恐らく会場のお客様には耳馴染みだったのか、それほど大きな爆笑が起こったわけではない。どこか空気に、この後の侠客物を待ちわびている空気があって、それは決して笑いを求めているものではなかった。

客席の空気がじっと太福さんに伝わったのだろうか、いつもよりもくすぐりは少なく、変に茶化すことなく、淡々と物語が進んでいく。にじりよってくるように、客席から男と男の仁義を望んでいるような空気が流れ込んできた。全然涼しくならないエアコンのおかげもあってか、徐々に会場が見えない熱気に包まれていく。

残念ながら鹿島の棒祭りはあまり真剣に聴くことが出来なかった。謝楽祭の疲れがピークに達していたのであろう。太福さんには大変申し訳ないことをしてしまった。

 

私は天保水滸伝の中では断トツで笹川の花会が好きだ。若い政吉が飯岡の代わりに笹川の元へ行くのだが、行く前の政吉の気持ち、そしてある事実が起こってからの政吉の気持ち。その変化にも心を打たれる。さらには男として道理に恥じない国定忠治も良い。とにかく、出てくる登場人物が男気にあふれているのだ。

そして、今まで以上に素晴らしい熱演だった玉川太福さん。冒頭からありありと景色が浮かび、政吉にどっぷり感情移入してしまって、最後は涙がこぼれてくるほどだった。ああ、いいものを見ている。今、物凄いものを見ているんだという気持ちが沸き起こってきて、とても感動した。

玉川太福さんの目、そして節、そして啖呵。全てが義理と人情に生きるヤクザの姿を描き出していたように思う。この日はとにかく節が良かったし、声が出ていた。5月ごろに見た時は、だいぶ喉がお疲れの様子だったのだが、今は絶好調と言って良いほどの声の出である。節回しと迫力が今まで見た中で一番良かった。終演後のツイートでも太福さんがその旨を書いており、ああ、やっぱりそうだったんだ。と思って嬉しく思った。

どんな演芸でもそうだが、全ては一期一会である。演者は人間なのだから、その日のコンディションは当然ある。日々、追いかけることによって、様々な演者のコンディションを知ることが出来るし、その瞬間にこそ存在する芸に立ち会うことができる。これも一つ、演芸を楽しむ者の醍醐味だと思う。

そして、何よりも観客。この日の観客は浪曲をこよなく愛し、そして玉川太福さんを愛している人たちだった。そして、玉川太福さんに期待している人たちでもあったと私は思う。

人生で何度出会えるかは分からない。ただ終演後に、はっきりと『あれは自分にとって名演だった』と思える演芸はあるのだ。この日、それがまた一つ私の中に増えたことが、この上無く嬉しい。

そして、ますます玉川太福さんは凄くなっていくだろうと思う。玉川みね子師匠もいつも以上に気合が入っているように感じたし、何かノッているようにも見えた。

もしも、任侠物に興味がある人や、男気って何?六本木じゃなくて?と思っているかたがいたら、是非、浪曲天保水滸伝を聴いて欲しい。玉川のお家芸。その神髄に出会えた喜びを、ともに分かち合いましょう。

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