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人の心は市松模様~渋谷らくご 2018年9月14日 20時回~

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忠臣蔵は、『別れ』がテーマになっているんです 

 

渋谷らくごには何度か足を運んだことがある。毎回、あの卑猥なホテル街道を抜け、若者達の奇抜過ぎる渋谷O-WESTだかなんだか知らないが、逆マクドナルドみたいなロゴの建物を横目に見て、目的地であるユーロライブをちょっと過ぎると、いかがわしい薬でも売っていそうな甘ったるい匂いのする店があったりと、かなり辟易している。

若者の街、渋谷。と言われているが、駅前の喫煙スペースには煙草の吸殻が目立つし、なんだか小便臭いし、様々な恰好をした人々を中心に、様々な欲望が渦巻いている街であることには変わりないだろうと思う。

私はあまり渋谷という街が好きではない。人が多すぎるし、色んな匂いがし過ぎるし、品が無くて煩い。どこぞのアイドルの曲を垂れ流すトラックが走ったかと思えば、『バニラッ♪バニラッ♪高収入~♪』というような車が平気で道玄坂を下っていく。行き交う人々は暑いせいか露出度が高いし、一体何に対して色気を振りまいているんだというほど胸元の開いた服を着た女性が、ラブホテルに消えて行く。

そんな渋谷にユーロライブという小さな映画館はある。そこで、渋谷らくごは行われている。様々な欲望から隔離された、大人の秘密基地とも言うべきムーディな雰囲気と、そこに集う粋な落語家たち。入る前に見たラブホテルが一瞬で記憶の彼方へと飛んでいくほどに、渋谷らくごの会場は落ち着いていた。

ようやく渋谷にも落ち着いた場所があったのだなと思うのも束の間、かなりの大行列が会の始まりを待っていた。100人以上はいるかというほどの人が、渋谷らくご20時の会にいた。

開場して席に着くと、とにかく人の数に驚く。そして、圧倒的に女性が多い。常連とみられる方々も前の方の席に陣取り、落語家の登場を待っている。

キュレーターのサンキュータツオさんが出てきて、簡単な説明をする。私はさらっと聞き流す。携帯の電源を切って、演者に集中する。やることはそれだけだ。

渋谷らくごには、毎回、モニターの方の感想文が載せられている。でも、どれも良いことしか書いていなくて、あまり読みごたえはないというのが私の感想である。

以下は全て私の個人的感想なので、読者は参考にしてもしなくても良い。

 

三笑亭夢丸 『のめる』

この人は寄席で見るたびに思うのだが、マクラだけは面白いと思える落語家である。声は良いのだが、間とリズムが絶妙に笑えなさを演出してしまっていると感じる。とにかく、せかせかしているのだ。余韻が無いと言ったら良いのだろうか。せっかく耳馴染みの良い声を持っているのだから、もっと落ち着いて話した方が良いと思う。ちなみに今回の会はイケボがテーマとなっている。確かに声は良い。愛嬌もあるし、モンチッチを想起させるのだが、演目の『のめる』に入った途端にマクラで起こっていた笑いよりも少ない笑いしか起こらなくなる。じっと観察していたのだが、発言の一つ一つに心の籠っていなさ、が感じられるのである。当人は一所懸命にやっているのだろうが、非常にあっさりというか、聞いていて眠くなる落語家である。いつ、この人の本気が見れるのか少し楽しみではあるが、今のところ5席ほど聞いた印象では、間が良くないという感想である。

 

桂春蝶 『ちりとてちん

冒頭のマクラから徹頭徹尾上手い。笑える。そして知的。知性が溢れ出し、その流麗な美しい声で話を聞いていると、まるで「え?宝塚?」くらいの品を感じさせる春蝶師匠。夢丸師匠の間の良くない感じから、一気に絶妙な間で話を進めてくる。また、表情も声色も緩急自在。場数を踏んで鍛え上げてきたんだろうなぁ。という素晴らしい話芸だった。特に、ちりとてちんの名の由来をさらりと説明したり、何でも褒める竹さんと、何でも貶して知ったかぶりする虎さんの対比が良かった。ちりとてちんを虎さんに食べさせようとする旦那の心の機微を表情と動作で表現するところは圧巻だった。

話が前後するが、マクラも絶品。三代目桂春団治師匠とのお風呂のエピソードから、四代目桂春団治師匠の話まで、フリとオチが見事に完成された実話だった。特に笑福亭仁鶴師匠から桂ざこば師匠に行く話は実に華麗だった。

登場から品のある佇まいと、客席にいる観客と身近に会話をしているような距離感。おまけにチャゲアスの曲までアカペラで披露するというアドリブっぷり。本当にアドリブなのかはさておき、素敵だった。

 

柳亭市童 『湯屋番』

イケボ枠なの?という疑問があり、年齢は?という疑問があったが、そういう疑問をさらりと受け流して渋く演目に入った市童さん。うーん、正直微妙である。特に女形に違和感があるし、湯屋番で妄想に走る若旦那の感じも微妙である。聴いていて真に迫っていないと私は感じた。気の利いたセリフもあったし、渋いトーンでたんたんと流れるように話をするのだが、そこにはまだ十分に気持ちが入っていない。間やトーンなら他にたくさん好みの落語家がいるので、特に光るものを感じなければ凄いとは思わない。市童さんや小もんさんを渋谷らくごに出すのならば、我等が桂伸べえさんを出してほしいと思うし、彼にしかない独特の間は渋谷らくごで絶妙な力を発揮すると思うのだが、全てはサンキューさん次第なので何とも言えない。少なくとも、私はまだ市童さんには未来の大成を感じなかった。

 

神田松之丞『神崎与五郎の詫び証文』

登場と同時に会場から割れんばかりの拍手、「待ってました!」の掛け声。やはり渋谷らくごの客層はこの人を待っていたのだな、ということが分かる。

話し始めてすぐに私は違和感を感じた。あれ、調子悪いな。と思った。上の階からは若干うるさい音が定期的に鳴っていたし、咳払いが本当にうざかったから、そのせいなのかも知れないと思った。

この演目は前回見ていた。2017年11月11日にやった時に感じた印象とは、少し異なっていた。特にウシが神崎に詫びを入れさせるシーン。もっと惨い印象だったのだが、割とあっさりにやっていて、ん?という違和感を感じた。そこから、講談師が出てくるシーンも、前は自分が登場するというようなシーンを挟んでいたと思うのだが、今回はそれも無かった。もしかしたら、私自身のコンディションが微妙だったのかも知れない。だが、乳房榎で感じたような迫真さが薄まっていて、私は「どうしたんだろう、松之丞さん?」という気になった。

本当は渋谷らくごを見終えた後で記事を書こうと思っていたのだが、どうにもあまり印象に残らなくて、結局書くのはやめようかと思っていた。ところが、神田松之丞さんがパーソナリティを務める『問わず語りの松之丞』を聞いて、なるほど、と思い、書くことを決めた次第である。

 

演芸は一期一会。そして、人の心は市松模様。芸にはいろんなものが滲み出るのだなぁと思った。色々あるからこそ、演芸は面白い。今後の演者さん方の成長に期待である。

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