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【図解】私が思う落語の面白さ 2018年9月25日

ふとしたきっかけで松之丞さんと新宿末廣亭の席亭、北村幾夫会長の対談の記事を見る機会があった。北村会長のお言葉にがっつり共感したので、そういうところを書いて行きたいと思う。

さくっと北村会長についての私の感想はと言えば、深夜寄席に行くと必ず見る人である。優しいお声と丁寧にお客にご説明をしていらっしゃるお姿を見ていると、恐らく誰もが(あ、この人席亭さんだな・・・)と察することが出来る人物で、これと言ってオーラがあるわけではないのだが、落語家さんとの接し方、お客様との接し方を見ているだけで分かるような人である。

おそらく上野鈴本演芸場浅草演芸ホール池袋演芸場に行っても中々(あ、この人席亭さんだ!)と察することは難しいと思う。上野鈴本演芸場に関しては若旦那が謝楽祭に出ていたりするのでわかるとは思う。そういう意味では、お客さんに身近な席亭さんが北村会長だと思う。直接お話をしたことはなく、私のようなコワッパが話しかけてお仕事の邪魔をしてしまっても悪いと思って、深夜寄席に行くたびに、あ、今日もいらしゃるなぁ。と思うだけに留めている。

そんな北村会長のお言葉を聞いていると、とても含蓄があるというか、寄席に関わってきた人の言葉だなぁという感じがして、それを引き出している松之丞さんも凄いのだけど、やはり席亭は群を抜いて寄席の見方が違うのだなぁという感じである。

私のブログを見る以上に、北村会長との対談記事を読んでいただいて感じ取って頂けると良いとは思うのだが、上記に引用した言葉はまさしく私が思っていたことを見事に表現していた。

 

落語家には本当に様々な個性のある人がいて、その個性にフィットするかどうかは人それぞれである。以前、ブログに書いたとも思うのだが、落語に上手下手という概念は無いと思っている。その瞬間の、その芸こそがその人の最大限の表現なのであって、それは決して他者と比べられるものではない。だから、自分の思う素晴らしい落語家だけを追えば良く、それを他に強制する必要はない。常連のファンの中には一部の落語家に強烈な思いを寄せていて、それを他人に強要する人がいる。「私が〇〇さん好きなんだから、あなたも好きになりなさいよ」とか「あなた〇〇さん嫌いだもんねー、それじゃあ、仲良くなれないなー」という人もいる。そういう人達は完全に無視して頂いて、自分が好きなものを「好きだ!大好きだ!」と思っていれば良い。強要せずに、私のように「なぜ好きなのか?」ということをこうやってブログに書いていれば良いと思う。

 

さて、では私の例を出したいと思う。まずは古今亭文菊師匠。この人について語るのはまだまだ怖くて書けないのだが、私にとって『落語ド真ん中』の人が古今亭文菊師匠なのだ。私の思う理想、私の中での江戸落語の全てが古今亭文菊師匠がやる落語なのだ。他と比べてどうということではないし、そんなのありえない!という人もいるだろう。それでも、私にとって落語そのものというか、土台にある落語は文菊師匠なのである。だから、本当にもう文菊師匠の禁断症状が出るくらい、月に必ず1回は観ないと発狂しそうになるほど見たい!聞きたい!と思ってしまうことがあるのだ。

そして、鑑賞のあとで「ああ、やっぱり落語はこれだよねー」と一人ごちるのが、文菊師匠なのである。古典落語を正しく広げている師匠なのである。

この文菊師匠のベーシックを通して様々な落語家を見ることになる。そうなると、よほどの個性が無い限り、この丸を正しく広げようとしている人には興味が惹かれないのである。むしろ、この丸から飛び出して新しい挑戦をしている落語家に心惹かれてしまうのである。

 

そんな、新しい挑戦を続けている落語家の中で、桂伸べえさんは私にとって図のように捉えることが出来る。古典落語をベースとしながら、自分なりの言葉やくすぐりを挟み込んで爆笑を誘う。その姿勢に凄く感銘を受けるのだ。二つ目さんの中には文菊師匠のように丸を均等に、正しく広げようとしていると私が思っている人が多い。もしかすると伸べえさんもそうなのかも?と思ってしまうのだが、どうやっても伸べえさんがやると、私にとっては図のように感じられてしまうのだ。なんというか、普通の古典が刷新されていく感じがして気持ちがいい。その古典からはみ出してズレた部分が物凄い面白さを感じさせるのだ。以前、twitterで流行った2つのどことなく似ている感じの画像を並べると面白いというような、その差異が物凄い爆笑を生むのである。

あくまでも『古典落語の面白さ』とはその人にとってという意味であるから、私のように完全な円である必要も無い。この基準はたくさんの落語家の話を聴いていくうちに出来上がっていくものだと思うのだ。

 

そして、最後に新作落語。これは本当に個性にフィットするかどうかが鍵になっていると思う。全然自分の感性にフィットしないと面白く無いというか、「え?なんでここで笑えるの?」というような現象が起こる。新作落語はそこが難しい部分だと思う。全てが全て満点に面白いというわけでも無い(そういう落語もあるのかも知れないが)し、自分の感性が問われてくる。もちろん、安定した面白さを満たした新作を続けている落語家さんもいらっしゃるが、古典落語のように歴史があるわけではない。それでも、一つの笑いの形として時代に合わせて変化していく。新作落語には、そんな宝くじ的な当たれば超爆笑、外れれば超失笑という事態になることが良くある。

 

こんな風に図に書いてみると、自分がどう思っていたのかということが良く分かる。北村会長のお言葉によって、改めて自分の落語観というか、どういう気持ちで好きな落語家さんを追っていたのだろうと考えることが出来た。

あなたにとっての素敵な落語家さんは、どんな図になりますでしょうか。是非お聞かせくださいませ。

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