落語・講談・浪曲 日本演芸なんでもござれ

自称・演芸ブロガーが語る日本演芸(落語・講談・浪曲)ブログ!

演者と演目、その一期一会について 2018年10月3日

レストランに入ってメニュー表を眺めていると、美味しそうな料理の写真が幾つも載っている。別のテーブルにいた家族が嬉しそうな表情でメニューを指さし、料理の名前をウエイターに告げる。およそ満足できると想像される料理が運ばれてくるのを楽しみにしながら、その家族は楽しそうに会話をしていた。おそらく会社員であろう眼鏡をかけた男性、子育てに忙しくて少し太り気味の女性、わんぱくな男の子、まだ恥ずかしがり屋の店を閉めない女の子。

待ち望んだ料理がやってくると、家族は会話を楽しみながら料理を食べ始めた。明るい団欒の家庭を横目で見ながら、私は一人ペペロンチーノを食していた。

人と人との出会いは、不思議だ。何の前触れもなく人は人と出会う。出会ってしまったら最後、もう二度とお互いに出会う前には戻れないのだ。こんな詩がある。

 

あなたがその気で 云うのなら
思い切ります 別れます
もとの娘の 十八に
返してくれたら 別れます

 

同じ場所にいて、目と目が合って、言葉を交わしてしまったら、或いは、言葉を交わさなくても、ふとした時に見かけたというだけでも、それは出会いなのだと思う。もう出会ってしまったら仕方が無いのだ。望むと望まざるとに関わらずやってくる出会いに、人は互いに抗うことはできない。

人生における人との出会いは、レストランのメニュー表のそれとは大きく異なる。相手がどんな人間かということを、互いに知らないまま出会うのだ。メニューを選んで満足できる出会いがある場所もあるにはある。そういうシステムの場に行けば良いだけの話だが、往々にして人生はそう都合良くは進まないものだ。少し互いに時間を過ごしてみて、何となく互いの氏素性が分かってきて、初めて安心して互いに友好な関係を築くことができる。出会いには、そういう側面がある。

 

さて、落語はどうだろう。落語に関わらず日本演芸は全て、レストランでメニュー表を選んで、自分が好きな物を好きなだけ食べるといったことは難しいのだ。少なくとも、自分がレストランのオーナーにならない限り、自分の望むもの全て食すことはできないと私は思っている。

特に寄席がそうだ。演者の顔はその日によって変わることもある。さらには、演者が何の演目をやるか、こちらが指示することは出来ない。出てきた落語家に向かって「文七元結をやれ!」とか、「狸札をやれ!」などと強制することは出来ないのだ。演者は舞台に出て、その場の客席の様子を伺って演目を決める。中にはネタ出しと言って演者と演目があらかじめ決まっていることもあるが、それで満足できるかは聞き手にも演者にも分からないのだ。全ては一期一会、その場の空気が形作るものだと私は思っている。

自分が指示することが出来ない環境というものを許容できなければ、演芸を楽しむことは少し難しくなるだろう。例えば、好きな演者が寄席でトリを取っている、まだ自分の好きな噺を聞いたことがない、今日それをやってくれないだろうか、ああ、今日は違う演目だ、うーん、残念だ。という事態になることだってあるのだ。というか、そういう期待はせずに行く方が演芸を楽しむことが出来ると思う。

演者が生きている間に、自分はどれだけその演者に接することが出来るのか、どれだけその演者の演目を楽しむことが出来るのか、これはもう全く自分にも演者にもコントロールすることが出来ない代物であって、本当にコントロールしたければ演者とは客と演者ではなく、主催者と演者になるしかないし、主催者になったからと言って演者が応えてくれるかどうかはまた別の問題である。

だから私は、一期一会を大事にして寄席に接するようにしている。変な期待をすることなく寄席に行く。確かに私の好きな噺をやってくれないかな、と思うことはある。でも、それが叶わなくても私が好きな演者は皆、私の最初の期待を遥かに超えたものを返してくれるのだ。その体験が嬉しくて寄席に通っている。もしも、私の好きな噺をやってくれたら、それこそ感涙して聞くだろう。

人の時間は有限である。その有限の中で出会うことのできる話もあれば、出会うことのなかった話があるのは当然である。そうだ、立川左談次師匠の話をしよう。

 

今年の3月に亡くなられた立川左談次師匠。67歳の生涯で私は二席だけ聴くことが出来た。いずれも渋谷らくごで、演目は『厩火事』と『妾馬』の二席。

「この日のために一所懸命に覚えたんだ」

そんなことを言って『厩火事』をやった左談次師匠の後で、文菊師匠は『死神』

「迷惑をかけてませんかね」

そんなことを言って、『妾馬』をやった左談次師匠の後で、小八師匠は『らくだ』

どちらも流れるようなリズムと声調、そして何より嬉しそうな笑顔が素敵だった。少し暗い筈の照明の中で、輝くような左談次師匠が印象的だった。

初めて左談次師匠に出会った時に見た『厩火事』の前、やけに会場の拍手が大きいのと、客席の温かさに驚いたのだが、後で癌を患っていたのだと知って驚いた。あんなに笑顔が素敵でさっぱりとしていて、江戸の風を吹かせる粋な落語家が癌を患っているなんて信じられなかった。どうしてももう一席見たくて『妾馬』を見た時、感動というよりも、そのさっぱりと冷たい蕎麦を食べているような感覚がとても気持ちが良かったのだ。ガツンっとくるというよりは、むしろ後を引いて癖になっていく感じに近かった。その『妾馬』の後で、まるで柳家喜多八師匠が乗り移ったかのような小八師匠の『らくだ』に鳥肌が立ったことは今でも覚えている。ああ、凄いリレーを見てしまったというのが、今でも私の脳裏に残っている。

このような出会いは、本当に奇跡としか言いようがない。たまたまチケットが取れて、その場所に行くための時間が出来て、席に座る。そういう体験がまるで何かに突き動かされていたのかも知れないと思うほどに、人と人との出会いというものは不思議なものだと思うのだ。

左談次師匠の声が出なくなり、晩年はサイレント落語をやっていたのだが、残念ながらそれを見ることは叶わなかった。それでも、あの美しい調べで話される落語には確かに左談次師匠が生きていたように私は思う。

左談次師匠の話をしたならば、歌丸師匠の噺もしなければならないだろう。笑点で司会を務めていた緑色の着物の落語家と言えば誰でもわかる筈だ。

そんな歌丸師匠が亡くなる前、新宿末廣亭のトリに顔付けされていた。楽しみだなと思って末廣亭に向かうと、体調不良で欠席とのことで会うことは叶わなかった。笑点メンバーで見ることが出来なかったのは、歌丸師匠だけになった。

出会わなかったことも運命であるとするならば、時にその運命を恨むこともある。私は古今亭志ん駒師匠も、三遊亭圓歌師匠も生の高座を拝見することが出来なかった。もっと言えば、古今亭志ん生三遊亭圓生だって見ることが出来ていない。この運命をどう捉えたら良いのだろうと思った時に、神田松之丞さんの言葉がよみがえる。

 

芸ってのは今なんだよ

 

松之丞さんの『中村仲蔵』に出てくる登場人物の言葉。一期一会の結論はそこに行きつくのだと思う。どんなに時代が過ぎても、どれだけ名人と言われる人が過去にたくさんいたとしても、今、この現代を生きている演者の芸こそが至高なのだ。音源で聞いても、DVDで映像を見ても、やはり生で、その場で、自分の目と耳と全身で味わった演芸には、何も敵わないのだ。だからこそ、限られた時間の中で自分の時間を演芸に触れることに費やし、良き芸と演者を体験することが、日本演芸を好む私にとって必要なことなのではないかと思った。

後悔しても遅い。演者は日に日に成長していく。その今をしっかりと見届けることが大切なのだ。それが自分にとって何が良いかと言えば、それは人それぞれに答えがあるる。

一つの演者の、一つの演目を見ても、一人の人間が考えることは、他の誰かが考えることとは必ずしも同じではなく、聞いたものの数だけ、演芸に対する思いは生まれるのだ。そしてその思いを言葉にしていくことを、私はこのブログで続けていきたいと考えている。

明日はどんな素晴らしい演芸に出会うことが出来るのかとても楽しみだ。演者と演目、その一期一会について、今日は記した。

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