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進化、未だ留まることを知らず~2018年10月28日 連雀亭 立川志のぽん 三遊亭愛九 神田こなぎ 桂伸べえ~

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見えないと思いますけどね、42歳なんですよ

 

 東京がやりだすとね

 

良かったよ

 

今日は得意のマクラは短めで

 

パンッ パンッ いはーちぃ~

  

秋なのだか冬なのだか分からないが、過ごしやすい空気感の中で目が覚める。昨晩は古くからの友人と馴染みのバーで酒を酌み交わした。日本酒ではなくカクテルやウイスキーを楽しんだ。大人だから二日酔いなど勿論しない。

私は癖の強い酒を好む。ぐわっと来てぶわぶわぶわっと広がっていくウイスキーが堪らなく好きで、以前に連れられて入ったバーでラフロイグに出会って以来、熱狂的とまでは言わないが、無性に飲みたくなる欲求が沸々と沸き起こってきて、ラフロイグを飲まずにはいられない状態になる。そして、ラフロイグを言葉で表現するためには、まず舌を鍛え、味覚を磨かなければならないと気づき、肝臓と相談をしながら水を飲み飲みラフロイグを飲んでいる。飲み方はストレートで、ラフロイグのような強烈な酒はロックにしたりハイボールにしたりすると、まるっきり味が違って味わうことが出来るから面白い。と通でもないのに言ってみる。

そんなラフロイグの余韻を残したまま目を覚ます。舌にはまだラフロイグの味が残っていて驚く。それほどに強烈な味なのだ。私は大好きなのだが、受け付けないという人も中にいるだろうと思う。強烈なウイスキーを飲んだ翌朝は、漲るような活力が湧くものなのだが、講談のレポート書いたりなどしてついつい遅くなってしまい、本来、行く予定をしていた朝練講談会に行くことが出来なかった。

そんな鬱憤を晴らすためという訳ではないが、今日は寄席に行こうかとも悩んだのだが、ラフロイグばりの強烈な個性を発揮する桂伸べえさんが連雀亭に出るという。しかも今回は代演ではない。もう一にも二にも伸べえさん激推しの私にとって、行かない理由が無い。早速着替えて連雀亭へと向かった。

行くたびに思うのだが、こじんまりとした辺鄙な場所にある。階段を上がって木戸に立つ伸べえさんに挨拶をしてから入場。

40人ほどのキャパにざっと10名程の客席。このくらいが私としては丁度いい。あまりぎゅうぎゅうになっても困ると思う。

三遊亭愛九さんが諸注意を言ったところで、出囃子が鳴って開口一番。

 

立川志のぽん『粗忽の釘

色が白く髭が少し濃いめ。立川流の人は皆さんお肌が白い。らく人さん、らく兵さん、結構白い方だと思う。口調はメロディアスでさすがに立川流お家芸を習得されている感じ。旦那の粗忽っぷりがあまり響いてこなかった。達者すぎて演じている感じが匂ってきて、あまり面白いとは感じられなかった。この辺りの表現のニュアンスというのは、難しいものがあると思う。ただ単純にテキストを朗読するだけでは、息の籠った落語にはならない。肚から喋るということの、曖昧な言葉の意味が何となくうっすらと分かる気がする。『粗忽の釘』は寄席でも良くかかり、多くの演者を見ているだけに、やはりどうしても際立ったものが無いと笑いには結びつかない。そういう意味では、『粗忽の釘』は演者の技量が試される演目なのかも知れない。粗忽な男の演じ方に落語家としての素質が試されるような気がする。いかにもそそっかしい男をわざと演じていますというようなやり方は、玄人には見破られるし、物語そのものの面白さは多少助けになったとしても、大きな笑いにはならない。

どちらかと言えば、志のぽんさんの『粗忽の釘』は後半で笑いを誘うような構成だった。随所に笑いを挟むような演じ方ではなく、釘を打ち込んでからの騒動に重点を置いていたように思う。

 

三遊亭愛九『真田小僧

どこの弟子なんだろうと思って調べると、三遊亭愛楽師匠の弟子だという。独特の擦れた知識と語り口が若干怖い。目のギョロっとした感じから、博識に裏打ちされたマクラを聞いていると、地元のちょっとした危ない奴を思い出してしまった。印象的な黒縁眼鏡の奥の眼に狂気が潜んでいるようで怖い。何かキレッキレの爆弾発言でもするのではないかという危うさを持ちながらも、理路整然としていて正しく自分の考えをぶつけて笑いを誘う姿勢が他に無い個性を持っている。ひょっとしたら化けるかも知れないと思う。瀧川鯉白さんの性に振り切れた狂気とは対照的に、デモとかに参加している感じの狂気と言えば良いのだろうか。そんな印象を受けた。

演目の『真田小僧』も愛九さんの個性が発揮されていて、単なる親子の会話にはならない。どちらかと言えば、親子喧嘩を見ているような『真田小僧』に感じられた。強烈な思想を持った父親と、世間を斜に構えて見ているような子の掛け合いが独特で面白い。もっと振り切れて思想と思想のぶつかり合いにまで発展したら、愛九さんにしか出来ない『真田小僧』になるのではないかと思ったが、まだ愛九さんそのものの中で登場人物が戦っているような印象を受けた。もっとデフォルメというか、自らを客観的に見て、よりずる賢い子と頑固親父らしさを強調すると面白かったと思う。

恐らく、得た知識を自分なりに消化して自分はどう思うか、これって変じゃね?というのをぶつけていく性格なのかも知れないと思った。自分の中で確かな情報を揺るがずに持っていて、それを客席にぶつけて反応を見て行く感じ。演目が始まって眼鏡を外した後の眼光には、愛九さん自身の持つ世間への強い批評精神が宿っているように感じられた。これはちょっと今後が期待であるが、追うほどの魅力はこれからだと思う。楽しみ。

 

神田こなぎ『鉢かづき

ふくよかなお姿と、帯の中心に鎮座する白い猫が可愛らしい。恰幅の良さから包み込まれるような優しい雰囲気が滲み出ている。後光が射すほどの雰囲気は無いが、静かに講談という世界でたゆたっているような印象を受けた。やわらかくしっとりとした語り口が紡がれたのは『鉢かづき』。御伽草子の中の話で、主人公の鉢かづきの波乱万丈の人生が語られる。鉢を頭に乗せている娘という光景は滑稽であるけれども、周りを取り巻く者達に翻弄されながらも、一所懸命に努力する鉢かづきの姿が良い。漫画『月光条例』に登場する鉢かづきを思い浮かべながら物語を聴いていた。どんな色の鉢なんだろうかと思い浮かべたりしながら、御伽草子に耳を澄ませる。修羅場や見せ場のようなものはないのだが、滔々とした語り口は御伽草子を語るには持って来いであると思った。初めて講談で聞いたお話であるが、なかなかに朴訥としていて良いお話である。どちらかと言えばシンデレラに近いものがあるかも知れない。恵まれない境遇の中で、たくましく生きる女性というのは、どれだけ時代を経ても変わらない美しさがあるのだ。

 

桂伸べえ『宿屋の仇討ち』

妙にしんみりした会場の後で、そんなことはお構いなしにいつも通りに舞台に上がって、一気に場の空気を変える伸べえさん。この辺りのオーラは最初に見た頃よりも格段に凄くなっている気がする。座布団に座ってすぐに「今日は時間が押しているので、得意のマクラは短めで」というようなことを言って、ぱっぱと話に入る。

旅の話をした瞬間に、全身を電撃が走った。まさかまさかの『宿屋の仇討ち』である。深夜寄席以来の『宿屋の仇討ち』だったので、胸の奥がじんわりして「うわー、懐かしい」という気持ちとともに、少し涙腺が緩んだ。というのも、熱心なブログ購読者の方であればご存知かと思うのだが、伸べえさんを初めて見たのは深夜寄席での『宿屋の仇討ち』である。あの時に見て以来、私はもう伸べえさんという落語家の大ファンになったのだが、その演目が半年近い歳月を経て再び連雀亭で掛けられたのである。

筆舌に尽くしがたい郷愁にじんわりしていると、伸べえさんは間髪入れずに短い小噺を入れてくる。これはもはや伸べえさんの間を作るための重要な小噺だと思う。単に「おーい」とか「ありがとー」とか言うだけなのに、めちゃくちゃ面白いのである。これはもはや伸べえさんの客席を取り込み、伸べえゾーンに取り込むための一種の儀式みたいなものである(もしくは呪い?)

この小噺で会場の笑いを誘いながら、流れるように本題に入っていく。マクラをしゃべらずにすらりと話に入ったところが、妙にカッコイイ。そして声の調子、テンポ、所作がどれも抜群に面白くて、堪えきれずに噴き出してしまう。もうとにかくジェットコースターに乗ったかのように面白いのだ。

そして何よりも感動したのは、深夜寄席の頃とはくらべものにならないほど、『宿屋の仇討ち』が進化していたことである。最初に見た『宿屋の仇討ち』は、どこかキョドキョドとしていたし、侍の拍手にも力が無く、ペチペチッとしていたのだが、今日はもう全然違う。侍の拍手には気合が入って「パンッ!パンッ!」と鳴っていたし、表情も険しい。この辺りでおじさんは笑いながら涙腺が緩んでしまっている。笑っているのになぜか涙が出るのは、あの深夜寄席以来の出会いを果たした『宿屋の仇討ち』の、その素晴らしき進化に感動していたからである。

流れるような調べと、間髪入れず切り替わる登場人物の会話。これぞ、桂伸べえさんの真骨頂とも呼ぶべき至高の芸。何よりも伊八の感情を一言で客席に伝える姿が凄い。パワーワード、「なんでこういう時は早いのー」や、「伊八さん、八番様がお呼びだよー」の後の「へぇ」の言い方。この辺りのトーンと間が実に素晴らしいのである。深夜寄席の『宿屋の仇討ち』では、登場人物の誰もがひょろひょろと頼りなく、挙動不審な印象を受けたのだが、今回の『宿屋の仇討ち』は登場人物が活き活きとしていて、とにかく鮮やかに表現されていたのである。これがもう、真似できない個性を放っていて、桂伸治師匠のそれとも大きく異なる、伸べえさんそのものの『宿屋の仇討ち』になっていた。もう私のかなりの贔屓が入ってしまっているのかも知れないが、それほどに今回の『宿屋の仇討ち』には物凄い進化を感じ取ることが出来たのである。

『宿屋の仇討ち』は伸べえさんの肚に正しく落ちている話だと私は思った。登場人物の心理を見事に声と間と態度で表現しているし、何よりも侍の手の打ち方に明確な意思を感じた。ああ、凄い。どんどん凄くなってるわぁ。と笑いと感動が押し寄せてきて、半年ぶりに涙を滲ませて笑ってしまった。凄いよ、凄いよ、伸べえさん。うるうる。

こういう凄い体験をしてしまうと、本当に私は落語が好きなんだなぁと思う。様々な落語家が色んな角度から落語の世界を表現してくれる。そのどれを自分は素晴らしいと感じるか。今は伸べえさんの凄まじい成長に大きな拍手を送りたい。もっと多くの人にこのすばらしさに気づいて欲しいと思う反面、人気が出過ぎてチケット取れなくなることだけは勘弁してほしいと思ったりする。まだ二つ目に成り立ての伸べえさんだが、私は他のどの二つ目よりも特別な個性を持っていると思う。その個性はきっと、寄席の中で大きく羽ばたいていくという確かな予感がする。

末廣亭で、顔付けされている伸べえさん。大ネタの宿屋の仇討ちはやらなくとも、珠玉の寄席ネタを持っているから、今後ますますファンは増えて行くだろうと思う。今はその素晴らしい才能の開花を全力で応援したいと思う。

一つ断言する。

 

連雀亭、桂伸べえトリ会に外れ無し。

 

その進化、未だ留まることを知らず。べえっと伸びるどころか、ぐいいいいんと伸びている伸べえさん。改名後は伸ぐいいいんになるやもしれぬ(絶対ならない)

とにかく、凄いので見てほしい。一撃爆笑の『宿屋の仇討ち』。感涙の一席でした!

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