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自称・演芸ブロガーが語る日本演芸(落語・講談・浪曲)ブログ!

森羅万象を爆笑変換してShow You~2018年11月10日 お江戸上野広小路亭 三遊亭笑遊独演会~

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良いとこ住んでるねぇ。

 

白湯を飲めぇええ!!!!!!!

 

麩を入れろぉおおお~

私の内心(これ、饅頭怖いにどう繋がるんだろ・・・)

 

食欲はありますか?

はい、おかずによりますが

土曜日の朝は基本的に読書と洗濯物をごいんごいん(かなり気に入っている)することに決めている。相変わらず降るんだか降らないんだかはっきりしない雨。生粋の晴れ男である私にとっては、例え雨だろうが晴れであるという良く分からない理屈を無理やり押し通し、ぼんやりと午前中を過ごす。Amazon(密林の僻地ではない)で注文していた中国(飲み物ではない)からの配達物(尻から出るものではない)を受けとる。眼鏡をしていなかったので、ちゃんとサインが書けたか確認できなかったが、とりあえず配達員さんが渡してくれた。透明なプラスチック製のカバーで、10月初旬に発売されたウォークマンを守るためのカバーである。ウォークマンには基本的に落語・民謡・その他世界の音楽を入れている。高音質で聴くラジオで放送していた文菊師匠の落語は、痺れる、エレキテル。

今日は一日ぼんやりしようかと考えていた。何せ2時くらいまで昨日の渋谷らくごの記事を書いており、凄すぎた文菊師匠の『心眼』の余韻に浸りたかったのだ。ぼんやり心の中で『心眼』と言葉を唱えてみると、『真贋』という言葉が出てきてハッとした。心の眼で見るということの、その真と贋を人はどうやって見分けているのだろうか。自分の心の眼は一体、何を真とし、贋としているのか。巡り巡って頭の中でぐるぐると考え続けていると、どうにも迷宮に迷い込んでしまうような気がした。

眠りから覚めた後で、私は文菊師匠の表情が怖かったのだとはっきり認めた。普段、それほどまじまじと目の不自由な方を見ることは無い。目の不自由な方が接する世界、お竹の言葉「目が見えないままでいいのかい?」という言葉を受けて、もう千にも万にも変化する微妙な表情が、私は怖かったのだと思う。それは己の理解の範疇を超えた、全ての感情を網羅している表情だと私が感じたからだ。言葉では理解できない、いわば理性の壁を突き破って、本能を揺すぶられた表情だったのだ。

私の敬愛する作家、ヘルマン・ヘッセの著作『シッダールタ』の言葉を借りるとすれば、千態方様の深層を見た気がしたのだ。

そんなド真面目なまま午後に突入したので、これはいかん!と思い立ち、東京かわら版を捲っていると、『三遊亭笑遊独演会』の文字。見た瞬間、

 

しょうゆうことかぁっっっ!

 

と思い立ち、しょうゆうことかぁっっっ!。と思ったので、ぷらぷら散歩をしながら、お江戸上野広小路亭に到着。渋いスーツ姿の笑遊師匠とご常連の方々が談笑されている。申し訳なく「当日券ありますか?」というと、受付のアキヤさん?に券を頂き、春風亭橋蔵さんにパンフを渡される。階段を上がろうとすると、「お名前なんでしたっけ?」と笑遊師匠に聴かれ、「あ、はい、森野です」と答えると、「森野さんね、名前書いてくれた?」と聴かれたので、私は何を勘違いしたのか、「あ、以前サインは頂きました」と言うと、「違う違う、ノートに、住所!」と笑遊師匠が言うので、「それはまだ書いてないです」と返事をし、私はノートに住所を書いた。ついに笑遊師匠に身バレのうえ、住所バレである。電話番号までバレた。やばいぜ。

再び階段を上がろうとすると、笑遊師匠が「いいとこ住んでるね!」と言い、私の住まいを見て橋蔵さんが驚いた様子で「~!?」と言ったので、謙遜する。笑遊師匠が「俺の演目は何が好き?」と聞いてきたので、「去年浅草演芸ホールで聞いた、祇園祭が大好きです」と答えると、「いいねぇ。俺もああいうごちゃごちゃしたの好きなんだよぉ」と言って頂けたので、ファンとしてこんなに嬉しいことはない。ここまで書いて、これを読んだら笑遊師匠は私だと気づく筈である(笑)

 

さて、お江戸上野広小路亭に入る。二階に下駄箱があるのでうっかり見過ごすと三階の会場まで靴を持っていく羽目になる。下駄箱に靴を入れ鍵を閉め、三階に上がる。基本的にはお江戸日本橋亭と同じ構造になっているが、上野広小路亭の方がやや作りがこじんまりとしていて、若干の浅草感がある(私が勝手にそう思っているだけだが)。

こじんまりとした箱のような舞台の中央には緋毛氈が敷かれ、紫色の座布団が置かれたいつもの高座セット。中央やや上部には額に入れられた『日々是好日』の文字。最近は映画でも有名になっている言葉で、私も一度見たいと思っている。

キャパは100名ほど、前列三列目くらいまでが畳式になっている。常連さんが非常に多く、殆どが笑遊師匠と顔見知りやゴルフ仲間という、非常に和気藹々としたホームグラウンド感。ちょっとした町の寄合所の雰囲気があって、みんな色んな遊びごとを楽しんでいるThe 遊び人という顔の人たちが多い。人生を色んな趣味で彩っている粋な人達が客席に揃っているという感じで、文菊師匠の独演会のような品の良いご婦人というよりも、商店街で物を売りさばく元気なおばちゃん連中が多いという様子。なんとなく商店街っぽさを纏った空気感と言えば良いだろうか。私のような新参者はド緊張なのだが、温かく迎えてくれる笑遊師匠の懐の深さが素晴らしい。

会場は80名ほどは入っていたんじゃないだろうか。ほぼ満員の中で開口一番。

 

三遊亭あんぱん『道灌』

登場するやいなや、見た目にはそぐわない少し高めの声。見るからに狸の生まれ変わりというような風貌。くりくりっとした純粋な目と、餡子でも詰まっているのではないかというほどパンパンの頬。文菊師匠もびっくりの太筆書きで一を書いたかのような眉毛。風貌からして落語の世界の住人。物凄いフラだなぁと思って聴いていたのだが、そこはやはり前座さん。まだまだ修行途中という感じである。でも、見た目とキャラクターは強烈な個性を放っているし、これからもっと研鑽を積んだらどんな風に化けるのか(狸だけに)楽しみな落語家さんである。Twitterを見ていても、その強烈なキャラクターは林家やまびこさんに引けを取らない。まだ落語そのものはやまびこさんに軍配が上がるが、あんぱんさんにしか出せない味を期待したいと思う。

 

春風亭橋蔵「犬の目」

風貌は前回書いた通りで、刑務所に入り立ての若造の風貌。マクラであんぱんさんにツッコミを入れつつ、もはや橋蔵さん独自の間とトーンなのだなと思う語り口で『犬の目』に入る。この物語の肝はどこにあるんだろうと、若干不思議な噺であるだけに難しい噺だと思っている。目玉を洗ったり、目玉を入れたりする間が無言になるし、その所作は地味だし、笑いどころと言ってもそれほど多いわけではない。喬太郎師匠の「犬の目」のような狂気っぽさは特に無く、ただ淡々と進んでいく。寄席でもなかなか掛けずらい噺ではないかと思うし、何より目の不自由な人の演技が、昨日の文菊師匠とくらべものにならなかったので、そういう意味で、いかに文菊師匠の目の不自由な方の演じ方が凄かったかを再認識した一席。橋蔵さんの目の不自由な人は、完全に目を閉じていました。この辺りはやっぱり演じるのは難しいと思う。

 

三遊亭笑遊「饅頭怖い」

大ベテランの真打がネタ出しで前座噺、さらにはやるのが笑遊師匠とあって、これは普通の『饅頭怖い』になる筈がない。全てをマッドマックスばりに爆笑変換してしまうのが笑遊師匠である。マクラで三越で行われた落語会に参加したこと、笑遊師匠以外のメンバーが雲助師匠(調べたら小せん師匠)、一朝師匠、志ん輔師匠、権太楼師匠。完全に浮いてるっ!!!笑遊師匠(笑)自虐ネタと愚痴と不貞腐れ満載のマクラで会場がどっかんどっかん爆笑。ここには書けない凄いことの連続でした。書きたいけど、書けない!(笑)

好きなものを言い合う出だしで饅頭怖いがスタート、最初に「饅頭怖いは誰でも知ってるからね、ウケなくてもいいの」と言いつつ、めちゃくちゃにウケる。途中で脱線して話をもとに戻した時に、「えっ!?これ饅頭怖いに戻れるの!?」という衝撃の展開。好きなものを言い合う会話から、なぜか酒飲みの話になって、白湯を飲んでから糸を付けた麩を食べると、何回でも白湯を味わえるという、書いていてさっぱり意味が分からない内容の話が三回続く。

白湯を飲むだろ?で、胃の中でぐつぐつ言って、これ以上もう飲めねぇってなったらな、糸を付けた麩を入れるの。そうすると、胃の中で麩が白湯をこう、シュウウウって吸い込んでパンパンに膨れ上がるだろ。そしたら、良し来たぞー!ってんで、糸をこう引っ張って、あぶぅっ!って口から出して、麩を絞るの。そしたら白湯を飲めぇ~!って、飲んでこれ以上飲めなくなったら、麩を入れろぉ~

という上記の繰り返しが、わけわからなさ過ぎて爆笑するのだが、一体ここからどうつながるんだろうと思っていると、突然やってきた金ちゃんに向かって「おう、金ちゃん。蛇嫌いなんだって?」という、物凄いアクロバティックな饅頭怖いへの接続(笑)

この自由闊達さが許される独演会の会場。寄席では絶対に見ることの出来ない、物凄いブーストがかかった笑遊師匠は誰も止めることが出来ない。伸べえさんの饅頭怖いがいかにオーソドックスなスタイルであったかを再確認する。

笑遊師匠の素晴らしさは、客席を完璧に味方に付けて既存の演目を何十倍も面白くするところだ。客席と芸人で演目は作られるということを見事に理解している落語家で、その辺りの破天荒さと自由さを許容することが出来れば、こんなに面白い物は他に存在しないと思えるほどに爆笑の高座になる。あらゆる物事を落語という演目の中で、お客さんを巻き込んで爆笑に変換する。そんな笑いの鍋奉行的な豪快な技と人柄こそ、笑遊師匠の魅力そのものなのではないかと思う。寄席に行っても、必ずと言っていいほど笑遊師匠はお客さんを意識した発言をするし、その辺りがもしかしたら好き嫌いの分かれるところかも知れないが、私はそんな笑遊師匠が大好きである。

考えてみれば、笑遊師匠も伸べえさんも共通しているのは客席を巻き込む吸引力があるということ。言ってしまえば『何を言っても許される空間』を作り上げる力。笑福亭福笑師匠や桂枝雀師匠もそうだ。この人が出てきて、何かを喋ったら、それが正解不正解などもはやどうでも良くて、ただただ面白いことに変換されたことだけを楽しめる。そんな落語家さんが笑遊師匠なのだ。

抱腹絶倒、腹筋崩壊、爆笑の渦に巻き込まれた、今までに見たことのない超絶アクロバティックな饅頭怖い。もうあの会場だけの特別な空気があって、その発言を一つ取り上げると変な誤解を抱かれかねないので、書きたくても書けないことをご承知いただきたい。

『饅頭怖い』という演目のラストシーン。扉を開けるシーンはもう、あの会場で拍手が沸き起こるほどの強烈な伏線、思い出すだけでも笑える(笑)

最後、饅頭をほうばるゲンちゃんの部屋に入ろうとして扉を開けようとするのだが、一瞬躊躇う仕草をする。そこで会場が割れんばかりの拍手。その理由が、もう可笑しくって可笑しくって、その所作は新しいなぁ。これぞ、会場が芸を作るという神髄だと私は思った。与太郎を地で行く笑遊師匠。最高の笑いの余韻で仲入り

 

新山真理「漫談」

笑遊師匠と仲が良いという新山真理さん。寄席ではお馴染みの刑務所での血液型の噺から、新曲『賞味期限ぎりぎり』を熱唱。私の血液型ですが、内緒です。

風貌は言われてみれば仲居さん風。橘家橘之助師匠とは違って芸者さんという感じではないが、ピンで漫談をされている。置物が素敵で、常に栓抜きを持っているという掴みバッチリの小ネタ。寄席通りの見事な漫談、熱唱の後で笑遊師匠にバトンを渡す。

 

三遊亭笑遊「呆けてたまるか」

出てくるなり、新山真理さんにツッコミを入れる笑遊師匠。怒った真理さんのお仕置きに合う姿が可愛らしい。いいですねぇ、二回ほど怒られていたんだけれど、お茶目な笑遊師匠のお姿が可愛らしいのと笑えるのとで素敵な出だし。

それから桂文枝師匠の作だという『呆けてたまるか』の解説。原作を聞いたことは無かったのだが、笑遊師匠の手にかかると爆音になるので、それが何とも面白い。ネタ卸しの危うさを辛うじて繋ぎつつ物語を進めて行く様は、めちゃくちゃ面白い。前回の独演会での火焔太鼓もそうだったのだが、真打の大ベテランが悪戦苦闘しながら大ネタに挑戦していく様は見ていて勇気を貰えるし、何より気取っていないのが良い。うろ覚えというかほぼ違う話になっていた饅頭怖いに比べれば、呆けてたまるかはどうやら基本に忠実にやっている様子。散々マクラで「この呆けてたまるかのマクラね、めちゃくちゃ面白いの」と自らハードルを上げつつ、見事に超えてくる素晴らしい話芸。老いすらも武器に変えて、生粋の張りのある声と勇ましさで会場は事あるごとに爆笑に包まれる。全員で爆笑の波をサーフィンしているくらいの気持ちよさがあって、笑遊師匠も観客の皆さんも、最高に幸福な時間を過ごしているなぁという感じ。

そして、何より笑遊師匠は正直なのだ。高座でネタが飛んだら「いけねぇ、脱線して話を忘れちまった」とか、「この続きがね、思い出せないのよ」、「今の話の持っていき方は、ちょっと違うんじゃねぇか?」というような、まさに目の前で苦戦しつつ、成長する笑遊師匠の姿を生で拝見することができる。伊集院光さん風に言えば、「◎◎剥き出し」の状態で落語をやっている。もうこれが、とにかく面白いのだ。

さらなる伸べえさんとの共通点は、自らの失敗すら笑いに変える力である。少し気取って落語をやって、上手くやろう上手くやろう、見せつけてやろうという芸じゃない。あくまでも自分に正直に、ありのままに落語をやる。その凄みは並大抵の落語家さんでは一生表現することが出来ないものなのだ。下手をすれば生涯、それに気が付くことの無いまま落語家人生を終える人だっている。自らの全てを受け入れ、全てをさらけ出し、全てを爆笑に変えてしまう。それが三遊亭笑遊という偉大なる落語家さんなのだ。そして、その影に隠れて、ひっそりと成長を続ける伸べえさんを私は見逃さずに見続けて行く。

 

総括すると、三遊亭笑遊師匠の面白さにつられたブログ記事になった。凄く温かくて、懐が深くて、また馬鹿やってらぁ。という客席のご常連様方の素敵な笑顔が印象に残った。どうやら打ち上げもあったようだが、新参者の若造は早々に退散することにするし、そもそも誘ってもらえないし、恥ずかしいので退散する。

一期一会の落語会。独演会って本当に演者と観客の相乗効果で、寄席のような会場とは全然違う、凄い空気感がある。これは自分にフィットする落語家を見つけて、まず独演会に行って、自分と同じような感性を持った人々に包まれることで分かる。きっと思うだろう、私は一人じゃないんだ。私は間違ってないんだ。私と似たような笑いのツボを持った人がたくさんいるんだ。そう思って笑う幸福感に是非とも包まれて欲しいと思う。あなたの好きな落語家さんの独演会で、あなたがたくさん幸福と笑いに包まれることを願っております。

少し肌寒い夜の街に消えていく。明日も素敵な演芸に出会えますように。願わくば、素敵な演芸友達が出来ますように。願いつつ、願いつつ、松之丞さん楽しみ(結局そこかい!)

 

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