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その名に富士を抱く男、松之丞の名札~2018年11月24日 新宿末廣亭~

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 きんとぅーん

 

えべりゃっばうううべ

 

枯れた人、二人目です。

 

ちょ、ちょ、ちょっと待ってくれ

 

貞橘会を終え、末廣亭へ行く。黒山の人だかり。マリモ製造工場。ここで一つ、先に大発見を記しておく。勝手に大発見と思っているのだが。

新宿末廣亭には演者の名札がある。その日の出演者の名がずらりと並んでいるのだが、その中で『松之丞』の看板を見ていて気が付いた。画像を見て頂けるとお分かりになるだろうか。『之』という字と、『丞』という字の間に。『Λ』の折り目がある。これ、何かに酷似していないだろうか。私が想像するに、この『Λ』は、『富士山』である。何と、松之丞さんの名札には、『富士の山』が描かれているのである。念のため、他の演者の名札を見たが、文字と文字の間には『=』みたいな折り目しかない。さすがは講談界を背負って立つ男である。その名に富士を抱く男、神田松之丞。ここで私は二度目の月影千草を発揮し、「恐ろしい子!」と思った。

さて、そんな松之丞さん。万感の拍手ともう聞き慣れた松之嬢様の『待ってました!』でご登場。

 

神田松之丞『違袖の音吉』

まず座って気づくのは体格の良さ。そして落ち着き払った風貌。ある種のふてぶてしさを感じさせながらも、絶対の自信と最高潮にまで高まったボルテージで、仲入り後の会場を一気に惹きつける。この風格、もはや矢沢の永吉ばり。つくづく思うのだが、松之丞さんの人気はもう申し分ないし、実力はそんじょそこらの二つ目より群を抜いて真打クラスだし、寄席の会場の空気を読んで掴むIQは200越えで即MENSA入りだし、声色を変えて人物を描く様なんて、もはや落語と講談を融合させたハイブリッド芸人なので、あの、ね、もう皆さんはご承知ですよね。

一度乗ったら振り落とさないようにガッチリロックを掛けて、縦横無尽に客を物語の世界に連れて行くのが松之丞さんの講談だと私は思っている。アトラクションならば富士Qもびっくりのドドンパ級のジェットコースター。あしたのジョーだったらホセ・メンドーサばりの『キングス・オブ・キングス』、『コンピュータ付きのファイティング講談師』である。子供でありながらも賢くて真っすぐな音吉。小さい頃から才気煥発。ギザギザハートの子守唄よろしくな怒涛の勢いで爆笑をかっさらっていく。まるでラジオのワンシーンを見ているかのような爺さんと婆さんの遺書のシーンで、デンプシーロールのような笑いのパンチを繰り出していく。周囲の大人も微妙に子供にやさしいのが面白いし、音吉の子供らしい可愛らしさに包まれて、会場がなんだかほっこりしている。何よりも声色がとにかく凄くて、あれだけの声色を自在に使い分けできる芸人を私は見たことが無い。落語の世界でも、あれだけはっきりと人物の声色を変えることの出来る人物はいないのではないだろうか。

ここでも、先に書いた記事の『河内山宗俊』に繋がってくる。どんな悪党も最初から極悪非道だったわけではないという説が繋がってきた。何とも不思議な縁が繋がった話である。

会場の客層は、常連一割。男性が七割、女性が二割と言った感じである。割と初めてのお客さんが多い様子。見事に空気を掴む辺り、さすが松之丞さんである。

根強い常連の方と、新規の方を巻き込んで、極上の笑いを生み出していたし、その緊張と緩和がくっきりと表れていて、その場その場で芸を生み出す講談師の、巧みな技術を垣間見た。もはや真打と言っても過言ではないだろう。さらなる理由付けとしては、松之丞さんの登場前と登場後で、みんな態度変えすぎだし、帰る人多すぎという点である。生粋の寄席マニアからすると、やれやれという感じだけれども。そういう楽しみ方も良し。

 

桂幸丸『漫談』

松之丞さんの後に上がった幸丸師匠。内容は書けないし、書かない。これはもはや今の寄席の番組でしか起こらない奇跡だと思っている。これは見なければならないだろうし、この位置で登場した幸丸さんがどうやって爆笑を起こし、会場の空気をまた違った面白い方向に変えたか。この辺りの歳を重ねた芸人にこそできる、強烈な話芸。これはね、体感した方が早いので、詳しく書きません。一つ言えることは、体験したら、幸丸師匠の凄さに驚愕するってことだけです。寄席というシステムの中で、松之丞さんの後に幸丸師匠が来る、この絶好の立ち位置。とくと感じて震えてきてください。

 

桂伸治『あくび指南』

歌春師匠の代演ということで、正直、これは俺得だと思ったので末廣亭に行ったと言っても過言ではない。伸治師匠が舞台袖から出てくると、「待ってました!」の声が上がる。これですよ、寄席は。もう興奮してしまっているので、あれなんですけど、伸治師匠に「待ってました!」と声をかけるファンがいること。これが何とも言えないすばらしさだと私は思う。松之丞さんから伸治師匠までの流れの中には、普段の寄席で活躍する芸人達の、目に見えない確かなリレーがあったし、それを待ち望んでいるファンの姿があった。人気者に声がかかる一方で、それほど認知されていない落語家にも声がかかる。この両端が一つの場で起こるからこそ、寄席の素晴らしさがあると私は思う。人気者だけが偉いんじゃない。人気者だけが面白いんじゃない。確かな年月と、積み重ねてきた芸と、あたたかな心を持ちながら、それほど陽の目を浴びることはなかったが、それでも多くのファンに支えられてきた芸人がいるのである。まさに生き様の集大成。その全てを発揮しているのが桂伸治師匠だ。残念ながら私の隣の客人は爆睡だったが、伸治師匠らしい『あくび指南』だった。あの瞬間をどう言葉にしたら良いか分からないが、松之丞さんが出てきた時の『待ってました!』と伸治師匠が出てきた時の『待ってました!』では、私は全く違う印象を抱いたのである。伸治師匠が出てきたとき、客席の多くの方々は「誰だろう?この人」だった。松之丞さんの時は、常連の声は別として「お、噂の奴が出てきたぞ!」と食い気味の表情だった。これはあくまでも私の主観である。松之丞さんへは期待を込めた『待ってました!』に感じられるのだ。でも、伸治師匠への「待ってました!」には、「ずっとあなたのことを知っていますよ。あなたが頑張っている姿も、あなたが面白いことも、あなたが何よりも一所懸命に落語をやられていることも」というような、そんな思いが込められているように私には感じられたのだ。正直に言えば、私は伸治師匠への「待ってました!」の方が好きである。

これは否定でも批判でもなんでもない。ただ寄席に生きる芸人の生き様、その周囲の人々の温かさを感じて、何とも言い難い思いになったことは間違いない。100人いれば100人がスポットライトを浴びるわけではない世界で、ただ自らを信じて芸の世界に身を置いてきた芸人。もちろん私は松之丞さんも大好きだけれど、それと同じくらい伸治師匠も好きなのだ。一門会には行けないけど。

そんな伸治師匠。私が激推しする桂伸べえさんの師匠である。是非、色んな場所でお目にかかって頂きたい、素晴らしいお師匠さんである。

 

神田松鯉『神崎詫証文』

やってきましたトリは松鯉先生。深夜寄席の紹介をしてから演目へ。この話は松之丞さんで二度、松鯉先生で一度聞いている。前回聞いた時よりも、丑五郎の演じ方が真に迫っている感じに聞こえた。何よりもまず声とリズムが良い。ぐっと低音でありながらも張りがあってダイナミック。松之丞さんが荒々しく猛々しい大波だとすれば、松鯉先生は分厚い層のような、均整のある巨大な波のような語り口。縦横無尽に客を揺らすのが松之丞さんだとすれば、ずっしりずっしりと上から圧を掛けて物語に沈めこんでいくのが松鯉先生のように私には感じられた。何より、変なところで笑いが起こらない客層の佇まいも素敵である。無駄な言葉を省き、声色では聴かせずに、語りのリズムと声の調子、そして講談の語りに寄り添った形で物語を紡いでいく様は圧巻。ともすれば地味に感じられがちであるけれども、貞橘先生にも感じた鉄板の語り口を持つ松鯉先生の口跡は、実に鮮やかで心地が良い。

老齢なれど芸に劣りが見られないのは、松之丞さんの影響も確実にあって、より一層芸に磨きをかけているのではないかと思われる。多くの弟子を抱え、その身と芸で持って後進へと見せる姿は、伝統芸能に長く関わり、その芸を唯一無二とした一人の講談師の輝かしい姿そのものだと私は感じている。丑五郎が改心する様や、オチは見事としか言いようがない。講談そのものの神髄を見せた素晴らしい一席だったと思う。残念ながら私の隣の客人はトンビのような寝息を立てていたが、講談の未来は明るい。そう感じさせる一席だった。

 

総括すると、11月24日は講談デイになった。貞橘先生から松鯉先生まで。講談の流派の違いはあれど、その未来は龍が天に昇るが如く。

様々な人が講談と出会い、講談に魅せられ、講談の世界をより一層広めてくれることを祈るばかりである。芸は身を助ける。これからも是非、多くの講談に触れてほしいと願うばかりだ。そして、良き講談との出会いを私自身も望んでいる。

今日はこの辺で。それでは、あなたの素敵な演芸への出会いを願って。

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