落語・講談・浪曲 日本演芸なんでもござれ

自称・演芸ブロガーが語る日本演芸(落語・講談・浪曲)ブログ!

落語版 炎の鉄人~2018年11月25日 拝鈍亭 柳家三三~

f:id:tomutomukun:20181125212013j:plain

落語は会議室で起きているんじゃない。現場で起きているんだ!

 

ねぇ、凄く気が散ってるでしょ

 

茶菓子がひゅー

 

何!?義太夫!? 

 

三度寝による朝練講談会見逃しを悔やみながら、午後はたらたらと飯を食ったり、本を読んだり、絵の練習をしたり、寝たりしながら過ごす。今、末廣亭は空前の松之丞フィーバーが起こっている。Twitterを見ていても大勢のお客様が押しかけている様子。もはや半狂乱の事態、というわけでもなく、そこは寄席だから落ち着いている。どこに行こうかなと考えつつ、ぺらぺらと『東京かわら版」を捲る。貞橘先生と東家一太郎さんの会とか行ってみたいな、あ、黒門亭は百栄師匠がトリか、などと見ていると、拝鈍亭に柳家三三師匠の文字。今日はこれに決めた!と思い立ち、定刻までぶらぶらと過ごす。

拝鈍亭には以前、文菊師匠がご出演される時に行ったことがある。その時は『死神』と『宿屋の仇討ち』だった。厳かな雰囲気で、特に屏風が素晴らしい。見晴らしの良い山の上で落語を聞いているかのような、爽快な絵が描かれている。柱にはハイドンに似た絵が掛かっている。音楽会や浪曲をここでやったら良いんじゃないかと思うほど、とても素敵な会場である。縁があれば是非、講談と浪曲の夕べも聞かせて頂きたい。

会場に入ると、圧倒的なご婦人方の数。八割ほどが50代~60代の女性。83人ほどのキャパがこれでもかっ!とびっしり入って、壇上の端に三名ほどお客様が座る事態。人生、二度目の『壇上に客があがる』状況を目にすることが出来た。

常連の姿もちらほらと見える。全体的に客層に漂う三三師匠を待ちわびている空気が半端ではない。定刻の17時になると、割れんばかりの拍手に迎えられて、柳家三三師匠が登場。

 

柳家三三茶の湯

出てくるなり早速壇上脇のお客様に挨拶。これで会場爆笑。松之丞さんの時は「横にいるとね、修羅場とかで人を斬った時に、目が合っちゃうでしょ」みたいなことを仰られていて、三三師匠は何て言うのかと思っていると、「私ね、横顔に自信があるんですよ」、「特にね、ちょっと後頭部の辺りから見るとね、最高ですよ」と横にいるお客様に対するお言葉で笑いを誘う。横顔に自信があると言われると、ちょっと見て見たくなる。素敵なフォローで会場の様子を探りながらマクラを進める。

青いジャンパーを着たお子様の咳を拾って「お子さんの風邪も心配でね」と言いながら、ぐっとお客さんとの距離を縮めてくる辺りに、寄席IQの高さを感じさせる。初めての会場で、どういう場かも分からない場所で、登場からものの数分で会場全体をぐっと引き寄せて、笑いを起こす三三師匠。マクラの感じから私は会場の空気感が、温かくて笑いが起こりやすい環境だと思った。ご婦人方が多いせいか、笑いも大きくて持続する。後列には紳士もいたが、何よりもご婦人方の笑いの質が高い。こういう会場は爆笑必死だ、真剣なネタより笑いの多いネタが来るかな、と思っているところで『茶の湯』に入った。下手をすればダレがちな大ネタを、ぐいぐいと引き込んでいく三三師匠の語り口。情熱大陸で見た時はそれほど感じなかったのだが、低音が効いていて口跡が良い。柳家直系の泥臭さの中に温かみのある語りとテンポ。一瞬にして長屋のある世界へと連れて行く話芸。江戸の庶民の風をじんわりと吹かせながら、茶法のさの字も知らない隠居と、それに付き合わされる定吉の姿が面白可笑しい。随所に言葉の説明を挟んだり、時事ネタを挟みながら、会場の客の集中力を落とさずに話を進めて行く。『茶の湯』のようなネタになると、お客さんの集中力も試される。隠居と定吉の会話から、長屋のみんなに『茶の湯の会』の手紙を出すくだりがあって、今度は豆腐屋と鳶頭、手習いの先生へと話が繋がっていく。この辺りも同じ内容が繰り替えされて凡庸になりがちなところを、登場人物の声色と風景描写で見事に描き切っていく。この辺りのテンポ、そして間、声のトーン。どこかコミカルに描かれていながら、きちっ、きちっと話が展開していく感じが、表立って分かりやすい形での凄みではなく、静かに目立たない凄みがあって、会場の熱気をぐっぐっと上げて行く感じが三三師匠の凄さだと感じた。

決して気取った口調でもなければ、筋を追うだけの話をするわけでもない。マクラから連綿と続く、その場その場で適切な言葉と間を選択して、即興性のある雰囲気を醸し出す辺りが、また格別な力だと私は思った。同じ話をやっても、どこかに嘘くささや、覚えているものをやっている感が感じられる芸人もいるが、三三師匠にはそれが無い。テレビで最初に見た時は、妙に生真面目で知性が邪魔になる噺家さんかと思っていたけれど、寄席やホールで見ると全くそんなことはない。むしろ客と一緒に芸を作っていくために、客席の端から端まで神経を張り巡らせているような、実に繊細で大胆な落語家さんである。特に約80名ほどの会場であっても、一人一人のニーズをどこまでも探って、会場にいる全員で落語を作っていくような、とてつもないことに挑んでいるんじゃないかと思うほど、最初のマクラから話の終わりまで、徹頭徹尾、集中して演じられていた。あの集中力、本人は「気が散ってるでしょ」というようなことを言ったけれど、それだけ客席を見ているし、感じている人なのだ。凄まじすぎる。

いよいよ長屋の三人が茶会に行き、そこで茶を飲むのだが、これも冒頭の隠居と定吉の中でもあった光景なのに、見事に面白くて爆笑が起こる。三人が茶を飲むまでの経緯で盛り上げ、オチで酷い茶を飲むシーンまで、物語のテンポと口調が気持ち良くて面白い。言葉を排してお茶を飲むシーンも抜群の所作。酷いお茶に付き合わされた長屋の方々の可哀そうな様子が目に浮かんだ。

そこから、茶菓子を自前で作り隠居の知人を呼んで茶会。再び茶を飲むシーンで笑いを誘って、最後は映像的にも見事な茶菓子の飛んでいくシーンから、オチ。

会場の客席の集中力を途切れさせることなく、見事な大熱演で幕を閉じた『茶の湯』。マクラも実に面白かったけれど、内容は敢えて詳しくは書かないが、時事ネタだったり、師匠のことだったり、会場の空気であったりした。

 

柳家三三『転宅』

大熱演の後で、さらりとお膝の話と、とある病院の話、そして客席の様子から演目は『転宅』へ。間抜けな泥棒のお話。

先ほどの『茶の湯』でもそうだが、それほど大きな展開があるわけではない話を、語りと間とトーンの全てで話に惹き込む技が凄い。気が付けばぐいぐい引き込まれて行くし、登場人物の感情やら心の機微、ちょっと可笑しいけど妙に納得してしまうような言葉の数々。この辺りに物凄い配慮と研鑽があるのだろうなと思うのだが、それを全く感じさせない流麗な語り口。飄々としていながらも、どこかすっとぼけつつ、見事にオチまで繋げる。『転宅』に出てくるお菊の姿も色気と度胸があるし、お菊を嫁にして喜ぶ泥棒の姿も真面目だけど抜けていて面白い。お菊を信じて有頂天になった泥棒が騙されていたことに気づく場面も、かなり怒っているというよりも、情けなくなってきて怒る気にもならないという感じが出ていて面白い。いつの時代も女性の方が一枚上手なんだなぁ。と思いつつ終演。

 

総括すると、柳家三三師匠の語りっていうのは、本当に感動した!とか痺れた!というよりも、あの面白さは一体何だったんだろうか。というような、それほど後には残らない感じの面白さがある。その瞬間は最高に面白いのだけど、後を引かない感じ。さらっと流れていながら、じんわりと思い出される感じと言えば良いのだろうか。

柳家の落語家さんを聞いた時に感じるような、あの何とも言えないさらりとした感じと言えば良いのだろうか。家の中で炬燵に入りながら、おじいちゃんやおばあちゃんと話をしているかのような安堵さ、そんな感じなのである。

あれをどう言葉で表現していいか分からないし、言葉で表現できるものかどうかも分からない。それでも、五代目柳家小さん師匠から連綿と続く柳家の芸を、また一つ新たな形で開花させているのが三三師匠だと思う。特別な雰囲気だとか熱意みたいなものは無くても、地道に地道に修行をしているからこそ培われた話芸。いずれ、本域に達した時にどんな芸を見ることが出来るのか。とても楽しみである。

 

考えてみれば、今週は伸べえさんに始まり、貞橘先生、松之丞さん、松鯉先生、そして三三師匠と、豪華な三連休だった。

また来週も素敵な演芸との出会いがありますように。祈りつつ、それでは、またの機会に。

ブログ村ランキングに登録しています。

にほんブログ村 演劇・ダンスブログ 落語へ
にほんブログ村