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自称・演芸ブロガーが語る日本演芸(落語・講談・浪曲)ブログ!

兵どもの夢の跡、後~2018年11月30日 新宿末廣亭 夜席~

いいんです!話芸ですから!

 

6席目になるとね

 

松之丞さまさま

 

皆様に「待ってました!」と言われる。これは非常に嬉しいことです。

私の『生きがい』ですな 

 

手っ取り早く飯を食って末広亭。昼席から聞き続けて体力と集中力を失ったご高齢の方々が帰るのを見計らって入場。相変わらず寿輔師匠は派手な着物で、人情噺。浅草演芸ホールに出た時とか、やたら客席をいじる芸に定評がある。人情味のある人は何をやっても上手いな。と途中から聞きつつ着座。

着座して耳を傾けていると、Twitter界隈でお知り合いになった方同士の交流がある様子。よし、私はまだバレていないぞ、と思いつつ高座を待つ。大入り満員で会場は温かい空気。凄いな、去年では考えられなかった熱気である。

全員を評していると膨大になるので、今回は私的ダイジェストで。

 

神田松麿呂『井伊直人

坊主頭で目元がキリリ。眉はびしっと。声質はまだ出来上がっていない感じ。初めて見たが、物凄い良い。活き活きとしているし、勢いがあって伸び伸びとしていて、見るからに気持ちがいい印象。張り扇の威勢、表情の機微も、まるで役者のような振る舞い。語りを聴かせるというよりも、今はまだ勢いで勝負している感じ。でも、全然悪くない。むしろ良い。ちょっと語りは巻き舌っぽいところはあったし、どちらかと言えば『勢いのある落語感』はあったけれど、まだまだこれから。可能性に満ち溢れた一席。これからどんな講談師になっていくのか、めちゃくちゃ楽しみ。

 

桂伸べえ『熊の皮』

安心安定の伸べえさん。でも、寄席になるとやっぱり緊張しているんだなぁ。というのが伝わってくる。おそらくちょっとアクシデントはあったけれど、そこは天性の語り口で爆笑を誘っていたから良し。

そうそう、松麿呂さんの演目中、「そういえば、この後、伸べえさんが出るのかぁ」とちょっと緊張。この元気溌剌、勢いマシマシの後で、どんな風に空気を変えるんだろうと思っていたのだが、そこはもう抜群の間と声のトーン、一瞬で会場を引き込む。普通にやってもあれだけウケる滑稽話が出来るのだから、唯一無二の才能を持っていると私は思う。会場、大爆笑だったし。

 

神田鯉栄『任侠流山動物園』

舞台袖からちらっと見えたのだが、鯉栄先生が松麿呂さんにそっと触れ「開口良かったよ!」と声を掛けていて、凄く嬉しそうな表情をした松麿呂さんの姿が見えた。多分に私の想像補正もあるかも知れないが、そんな場面を見た時に物凄く嬉しいというか、気持ちが高ぶった。そうだ、講談界も若き担い手たちを鼓舞しているのだ。というのが、舞台袖から見えた。見えたということは、私はそのくらいの位置に座っていたのだが、あそこはやっぱり良い席だと思う。舞台袖の様子が見える位置って、見えない位置よりは得じゃないかな。

さて、そんな鯉栄先生。もう怒涛の勢いで会場を爆笑の渦に巻き込む。新山真理さんの漫談の後で、畳み掛けるような三遊亭白鳥師匠作・『任侠流山動物園』の一席。疾風怒濤という言葉がぴったりの、勢いと確かな技術に支えられた、ランボルギーニに乗ってルート66を爆走するような、熱くてスピード感のある高座。あと何分、あと何分と随所で残り時間を言うのは、海外ドラマ『24』ばりの緊張感。物語が最高潮に高まったところで「お時間が来たようです!」との鮮やかな幕引き。

阿久鯉先生とはまた違った、高級車のスピード感。つくづく恐ろしい神田松鯉一門。阿久鯉先生は戦車、鯉栄先生はランボルギーニ、松之丞さんはハーレー・ダビッドソン。松鯉先生はインパラ、と勝手に車に例える訳だが、物凄い一席。笑いをむしり取っていくかのような迫力の一席を堪能。

 

仲入りに入って、ぞろぞろとお客席も埋まる。二階席もびっしり。松之丞さんの登場を前に、期待感と緊張感で高まっていく客席。

 

神田松之丞『和田平助 鉄砲斬り』

舞台袖でぐっと飲み物を飲む松之丞さん。気合い入ったなぁ。と思いながら見ていた。

登場と同時に、4人以上からの「待ってました!」はあったんじゃないかと思う。聴き慣れた松之嬢様の「待ってました!」も、もちろんございました。

ところがどっこい、いろいろとペースが乱れる客席のハプニングもありつつ、松之丞さんは一列目を味方に付け、話題は故・国本武春先生と沢村豊子師匠。7人のインド人から演目は『和田平助』。テレビではお馴染みの演目だが、今回は鉄砲斬りまで、とレアな一席。途中、客席の合いの手はあったが、まぁ、目を瞑ってあげましょう。ということで、若干、この後が心配になったけれども、圧巻の汗の量で熱演。

思えば、連雀亭の『甕割試合』の時も、とにかく一高座、一高座で尋常じゃない汗を流して熱演。会場もグイグイと引き込まれ、張り扇もパンパンっと鳴り、ド迫力の一席だった。最後はお決まりの「お時間でございます」というところで幕引き。

19時台からは客席の集中力と協調性が問われる会だなあ。と思いつつも、お次はこの方。

 

桂幸丸『漫談』

客席から「待ってました!」の声。ちょっと驚いた様子の幸丸師匠。うっかり隙を見せてお客から話しかけられたところで拍手。あの拍手にはどんな意味があったのだろうか。会場全体が幸丸師匠を歓迎するムード。前回見た時よりも気迫を感じた。もうすっかり幸丸師匠が好きになっている。鮮やかな松之丞フィーバーの後で、安定して空気を保ちながら、別の方向へと繋げる幸丸師匠。ブログも素晴らしいので、是非見て頂きたい。

 

桂歌春師匠、うめ吉さんの後で、いよいよ大トリ。

 

神田松鯉『荒川十太夫

登場してくるなり、万感の拍手。そして「待ってました!」の声。会場全体が松之丞の師匠であるということを知っている。講談師として、一人の人間として、言葉を噛み締めるように「生きがい」という言葉を口にされたとき、私は松鯉先生の心に込み上げる喜びのようなもの感じた。笑顔を零さずにはいられない様子。自らの弟子である鯉栄先生に触れながら、話題は赤穂義士。丁寧にご説明をされて、赤穂義士外伝・荒川十太夫へ。

前半は少しミステリー仕立て。後半は哀切極まる。特に白眉なのは堀部安兵衛が十太夫に名と役職を尋ねる場面と、そこで嘘をついてしまう十太夫の心。切腹介錯を務める十太夫の、英雄たちを慮ってついてしまった嘘。その嘘に苛まれながら、衣類を拵え身分を偽り泉岳寺へと行く十太夫。英雄の最後を見た者の哀切が心に染みる。

また、堀部安兵衛は十太夫のことをどう思っていたのだろうか。私は安兵衛は十太夫の言葉を信じたと思う。

というのは、死の間際、それを確かめる術は安兵衛には無い。けれど、安兵衛がそれを聞くということは、安兵衛にも何か考えがあったのだと思う。私が思うに、少しでも誇りを持ちたかったのではないか。真偽など関係なく、ただ高名な者に介錯をされたのだということを、言葉だけでも聞きたかったのではないだろうか。それが武士の最後の誇りの証明として、また黄泉での語り草として、手土産代わりの誇りとして。十太夫を信じ、自害したのではないだろうか。

無粋だとは思いながら、そんなことを書かせて頂く。本当に大事なことは語られないのが、講談の余白の魅力だと私は思うので、一つの意見としてお読み頂けると幸いです。

 

これまでの9日間。費やされてきた赤穂義士の面々への講談。まさしく兵(つわもの)どもの夢の跡を追ってきた講談の後、それから先に待っていた物語が千秋楽に来るということの運命。この時、この瞬間、この場所にしか存在しない奇跡を私ははっきりと見た。

神田松鯉先生の、一語一語を岩に刻み込むかのような語り口。そして、真剣そのものである眼。幾多の兵どもの夢の跡である物語を語り続け、忠義に厚い義士の面々を後世へと語り継いで来た者が見る今とは、一体どんなものなのであろうか。講談の未来を担う若手を後ろに見て、長きに渡って語り続けてきた赤穂義士の面々の生き様を語りながら、どのような思いが松鯉先生の胸に沸き起こっているのだろうか。そして、どんな光景が松鯉先生の先に広がっているのだろうか。

赤穂義士の面々が忠義の下、自害した後で、その後に残された者達が受け継いできたものは計り知れない。それほどに吉良邸への討ち入り。主君の忠義を果たすための仇討ちというのは、大儀だったのだろうと思う。

阿久鯉先生の気迫、鯉栄先生の気迫、松之丞さんの気迫、その源流に当たる神田松鯉先生の気迫。決して派手ではないが、静かに静かに染み渡るような口跡。最後の100日の謹慎の後、物頭役に取り立てられると聞かされ、涙を流して頭を垂れる荒川十太夫の姿。そして源左衛門の心意気に胸が締め付けられる。人の誇りと人情。その全てが見事に渾然一体となった素敵な一席。満面の笑みで高座を終えた松鯉先生に万感の拍手。10日間。本当に素晴らしい高座をありがとうございました。

 

さて、11月下旬の忠臣蔵ウィークも終わり、いよいよ12月。

私の12月初めの演芸はどうなることやら。

皆様の素敵な演芸との出会いを願って、私もより一層、良い記事を書けるように。

祈りながら、祈りながら。

それではまた次回。

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