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古典・新作サンドウィッチ 低酸素と夢添え~2018年12月14日 渋谷らくご 20時回~

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私はそうは思わない

 

やります

 

不眠症なんです

 

落語家ちゃん

自分の理解できる範囲でしか物事を楽しめないでいるのは、少し勿体ないぞと思ったことが私には何度かあった。音楽を聴き始めた時にロックンロールに出会って、ロックンロールこそが音楽で、HIPHOPやらテクノやらは音楽じゃないと思った頃や、太宰治は『人間失格』以外は全て駄作だと思った頃や、靴はアディダス以外はみんな一緒だと思っていた頃に、時々自分に対して「あ、勿体ねぇ」と思った。

ロックンロール以外を聴き始めてみたら、意外とHIPHOPやテクノが凝った音楽なのだと分かったし、『斜陽』とか『津軽』を読んで太宰の魅力を再発見したし、アシックスを履いてみたら足への負担がアディダスを履いていた頃に比べて軽減したということがあった。

その時に私は「物事はいろんな角度から見た方が良いらしい」ということに気づいた。どうにも一方からしか見ていないと、思考が凝り固まってしまうというか、広がっていかない。独りよがりの偏見になってしまいがちだ。

なぜこんなことを書いたかというと、とある方のツイートを見て、初心者のレベルが相当高くて悲しくなった。みたいなものを発見して、「あ、勿体ない」と思ってしまったのである。だから、20時回を語る前に少しだけ、それについて語りたい。

 

駒治師匠の『鉄道戦国絵巻』に代表されるように、鉄道を全く知らない人は一切笑うことが出来ない落語の演目がある。これは『初心者向け』と言えるか。私は言える。なぜならば、『自分には理解できないものに出会う』ことが初心者が必ず通る道だからである。

考えてほしいのは、自転車に最初から乗れる人はいるだろうか。私はよほどの天才的な身体感覚の持ち主でない限り、ほぼいないと思う。同じように、最初からあらゆる物事を理解できる人間など、神か余程の天才以外ありえない。誰でも最初は自分の理解できないもの、自分には行うことが出来ないことに出会う。そして、それは決して悪いことではない。むしろ、とんでもない幸運なのだ。

「みんなが笑っていることに、自分は笑えない。この会は初心者向けだって言ったのに、ちっとも笑えない。面白くない。初心者のレベルが高すぎるよ」

そう思っているとしたら、実に勿体ないことだ。私は言いたい。みんなが笑っていることに、笑えなくてもいいんです。面白くないと感じてもいいんです。その心が第一歩。大事なことは、なぜ笑えなかったのか、なぜ周りのみんなは笑えるのか。その謎を一つ一つ解決するかしないか。それはあなた次第。その謎を解決したいと思ったら、こちらの世界へようこそ。解決したいと思わなかったら、それもまた良し。またどこかでお会いしましょう。ということになる。

だから、難しいのだけれど、誰にでも理解できることは私にとって、飲みやすいお粥みたいなものなんですよ。するする食べられるけど、後には残らない。でも、難しくて理解しづらいものを何とか理解できたときは、私にとって料理人の工夫が詰まった料理を頂いた時のような、そういう至福の時間を過ごすことが出来る。

決してどちらが良い悪いという話ではなく、あくまでも私はそう思うという話である。私は基本的に難しい話を好む人間だから、自分の理解できないことに出会うと嬉しくなる性質がある。そんな私も最初の頃は難しすぎて匙を投げた事柄もたくさんあった。根気強く、耐えて耐えて、そのうち分かるようになるのも、初心者のうちの楽しみの一つなのだ。だから決してレベルは高くないし、悲しまなくてもいいんです。演芸がお好きでしたら、またどこかで会いましょう。

 

さてさて、そんな訳で、初心者のレベルは高くないよー。というお話の後で、本日のシブラクでございます。

文菊師匠の独演会ではお馴染みの方もちらほら。やっぱり圧倒的に女性率は高いですね。前列はTwitterではお馴染みの集団がズラリ。

正直、本当に今回は行く気は無かった。暇を持て余し、天命に従った結果、行ったまでのことである。お恥ずかしゅうございます。

 

立川寸志『片棒』

想定外のゆっくりめの語りからケチの話をし始めた瞬間に、「むむ、片棒か」と予測スイッチオン。お馴染みのマクラから予測通り『片棒』。ケチで倹約家のケチベエさんが、三人の息子(金、銀、鉄)に自分が亡くなった後の葬儀の話をするという演目。金の会話から銀の会話に移った辺りで、「あれ、なんかに似てるな」と思った。すぐにM-1ジャルジャルの漫才に対して、サンドウィッチマンの富澤さんが言い放った「マシーンを見てるみたい」という言葉が浮かんだ。最大の武器(と私が勝手に思っている)である流暢な中音域の口跡、畳み掛けるようなリズム、トントン拍子にスルスルッと耳馴染みの良い言葉の選択。どれをとってもスタンダードで機械的な印象を受けた。笑遊師匠の『片棒』が私は好みで、ケチベエや息子たちの人間性がより浮き彫りになっているように思えて好きなのだが、寸志さんは銀の語りがお見事。ただ親子の関係性みたいなものが私には感じることが出来なかった。笑遊師匠の場合はケチベエさんはどこか抜けているし、息子達の悪ふざけ感は嘘か本気か分からないギリギリのラインで、その冗談とも本気とも分からない部分が面白いのだが、寸志さんはあくまでも物語の調べを流しているように私には感じられた。これは登場人物の演じ分けが難しいのだろうなぁ。と思った一席。

それでも、後半に向けて徐々に盛り上がっていく感じは良かった。やっぱり銀のチャラチャラした感じが面白い。これからどんな風にキャラが浮き上がってくるか楽しみな演目。チェーン店の蕎麦を食べた後みたいな感覚。

 

立川志ら乃『低酸素長屋』

『剥き出し』という言葉が志ら乃師匠ほど似合う人はいないんじゃないか、と思うほどに『剥き出し』の志ら乃師匠。座布団に座ってからも、何かに追われているかのような目つきで言葉を絞り出す様子に、会場中が一気に『志ら乃師匠頑張れムード』になっていて、もう既に心地よい領域に入り込む。色々とマクラはあったけど敢えて書かない。

葛藤の後で振り切れたように「やります」と言い放つと、会場からは拍手。この拍手は完全に『志ら乃師匠ウェルカムムード』の拍手である。なんだよこの超あったけぇ空気。志ら乃師匠専用の病院かよ。と思っていると、再び葛藤の志ら乃師匠。まるで自分に暗示をかけるかのように「そうだよ!良いお客だよ!信じろよ俺!」みたいなことを自分に向かって自分で言っていて、ああ、なんか、いいなぁ。と思う。

中学校の頃に野球の準決勝で9回裏ツーアウト満塁、一打サヨナラ逆転のチャンスでバッターボックスに立つ友人を見ていたときと同じ気持ちになる。結局その試合は友人の三振で負けたけど悔いは無かった。あるいは、テスト前日に全く勉強をしてこなかった自分に対して、夜、布団の中で天井を見つめながら「大丈夫、俺は何でも思い出せる」と自己暗示をかけていた自分を見ているようだった。結局テストは酷い点数だったけど後悔はしていない。反省はしたけど。

要するに、高座で葛藤する志ら乃師匠が、そんな在りし日の私と重なって、めちゃくちゃ応援したくなった。どうやら会場もそういう空気だったようで、志ら乃師匠の葛藤と決断に万感の拍手で応えるという現象が起こる。はっきり言う、会場にいた110人全員大好き。

全てをさらけ出した結果、会場の全員を味方に付けるというウルトラCを成し遂げて『低酸素長屋』という演目に入る。

これがまた、冒頭から徹頭徹尾面白くて、何より会場が志ら乃師匠にがっつり心を持っていかれていたから、爆笑の嵐。普通の長屋での出来事に『低酸素』という一つの状態を付加するだけで、これほどまでに劇的に面白くなるという凄さ。彦いち師匠の着眼点もさることながら、志ら乃師匠にぴったりの『くだらなくて面白い』演目だった。

何度か志ら乃師匠は見たことがあって、ホームランを狙って大空振りした『死神』や、颯爽と笑いを取った『粗忽長屋』などなど、不思議な空間を作る落語家さんだと思う。なんというかやっぱり、『剥き出し』って言葉が私にはしっくりくるかなぁ。カッコいいなぁ。と思いつつインターバル。

 

古今亭文菊『夢の酒』

いっそのこと文七元結やっちゃえ。と心の中で思いつつも、そこはやっぱり文菊師匠。三番手としての役割を見事に引き受けての『夢の酒』。マクラは以前何度か聞いたことがある。が、まさか文菊師匠の口から出てくるとは思わなかった、とあるスマホゲームの話。文菊師匠がカタカナを発するだけで緊張するというか、ドキッとする自分がいる。絶対話すと分かっているのに「文菊師匠、カタカナご存知なんだ・・・」みたいな感覚になるのは何でだろうか。すっかり文菊師匠に惚れ込んでいる私。

肝心の演目は表情の機微、男性と女性、年配の方からお若い方まで、巧みに声色を使い分けて演じる。以前見た時よりも格段に凄みが増していて、短い言葉で情景を浮かび上がらせるセンスに鳥肌。背中から紫色の煙でも出ているんじゃないかと思うほどに色っぽい。全盛期の藤圭子ばりの色っぽさ(言い過ぎ)である。

何と言っても表情と目線、そして間。どれもがゆったりとしたテンポでありながらも、きっちりと物語を浮き立たせている。まるで筆でじっくりと文字を書くような清廉さの中に色気が混じって、聞く方は恍惚の極み。

また若旦那とその女房のやりとりも面白い。「怒っちゃいけないよ」という若旦那の言葉に対して、話を聞いているうちにヒートアップし、しまいには泣き出す女房。これだけ嫉妬される若旦那も罪な奴だなぁと思っているところへ大旦那登場。この辺りの大旦那の表情の機微が絶妙。夢だと告げられる前と後での表情と声も、実に緻密というか、もう如実に凄さが伝わってきて、きく麿師匠的に言えば「ビビクリマンボ」である。

文菊師匠は本当に繊細に物語を際立たせているように私は思う。細筆と太筆を使い分けて絵を描いているような感じである。声色の高低で筆が波打ち、リズムで筆の走る速度を変え、鮮やかに物語を30分という枠の中で完成させる。ほんとすき。だいすき。

 

さて、この後でどんな話をしてくるのか。もう帰ってもいいかな(笑)とか思いつつ、満を持して登場の方。

 

春風亭百栄『落語家の夢』

全くいつも通りのお姿と間と佇まいで登場の百栄師匠。マクラも短めに演目は『落語家の夢』。お初の演目で、正直、どこまで書いていいのか分からない演目。

Twitterでも書いたが、寄席の常連になって、某落語家に出会い続けてきて、その落語家に対してある思いを抱いている人にとって、今日の百栄師匠の『落語家の夢』は超絶面白い話になるだろうと思った。事実、私はめちゃくちゃ大笑いした。

とにかく設定もさることながら、まず寄席にきた母親と娘が物凄い思想の持ち主で、それに応えるアツシさんも凄い思想の持ち主で、「こいつら・・・どうかしてるぜ!」と思った。間違いなく一番どうかしてるのは百栄師匠なのだが、敢えて語られることなく47,000円に設定された某師匠。言葉の裏を読みまくった結果、めちゃくちゃ爆笑してしまうという。恐ろしすぎる落語である。

また、冒頭にも書いたが、この『落語家の夢』の面白さが分からなかったからと言って、それは決して悪くない。これは『鉄道戦国絵巻』よりもさらにマニアックな部分にある話だと私は思っている。もちろん序盤はそれほどマニアックではなく、ある程度寄席に通っていれば面白いと感じられる。某師匠が出てくるくだりは、寄席の常連になるとさらに笑える。単純に絵を想像するだけでも笑えると思うが、ある特別な思いを抱いていると、それはさらに倍増すると思う。

言わば、この『落語家の夢』はこれから演芸を楽しもうという人にとって、一番の手引きになる。話に出てきた落語家さんってどんな人だろう?とか、新宿末廣亭や上野鈴本演芸場ってどんなところだろう?とか、様々なことに興味を持ち始めて、寄席の常連になった結果、某師匠のところで、超絶笑うことが出来るのである。絶対に勘違いしないで欲しいのは、笑えない自分を決して悲しんではいけない。むしろ、笑えるチャンスがあるのだと思って、寄席に是非通ってほしい。きっとあなたの気持ちは再び『落語家の夢』に出会った時に報われるだろう。

と、ここまで書いているが、あくまでも私が個人的に某師匠にある思いを抱いていたため、大笑いすることができただけである。万人が大笑いできるかどうかは分からない。少なくとも某師匠が大好きな人には笑えないかも知れないが。

まさかこんなに際どい演目を百栄師匠がやるとは思わなかった。普段の寄席だと肩の力を抜いてふわふわーっとやるイメージだったが、この演目を聴いて一気に大好きになった。面白い師匠である。何度か独演会に行ってみたくなった。

この話を聞くと、誰かと語り合いたい気持ちになるし、つい演目の詳細を語ってしまいたくなるのだが、これはちょっと野暮というものだ。全てを語ることが必ずしも良いとは限らないように、私もまた余白を残す書き方にした。

 

総括すると、やっぱりシブラク。何回来ても大丈夫、である。(イナバパロディ)

古典・新作・古典・新作という流れで、まさに落語のサンドウィッチを楽しめた。

正直、行く気は無かったのに、こんなに楽しめたのは幸運だった。

明日も明後日も演芸日和。さー!楽しむぞ~

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