落語・講談・浪曲 日本演芸なんでもござれ

自称・演芸ブロガーが語る日本演芸(落語・講談・浪曲)ブログ!

志だけもらっておきな~2018年12月22日 暮れの鈴本琴調六夜~

f:id:tomutomukun:20181223110119j:plain

つーーーーーーるーーーーー

 

おいら、清水の次郎長の子分になるんだ!

 

スッテンテンテンテレツクテンテン

 

よっ!日本一! 

  

貞橘会を終えて行くわ鈴本演芸場。もっと行列になっているのかな、と思いきやそれほど多くは無い。幾ら神田松之丞さんが人気と言えど、まだまだ講談界全体の人気とはいかない様子。それでも、松之丞さんによって講談の世界に招き入れられた大勢の人々が集まっている様子。みな一様に顔はキリリとして強くて美しい。

券を買って会場に入る。着座してざっと会場を見渡すとまずまずの入り。私としては「こりゃ今日は超満員だな」と覚悟していたのだが、それは昼席までだった様子。鈴本演芸場はとにかくお上品な方々がたくさんいて、設備も綺麗で舞台も風情がある、格調高く気品溢れる寄席、上野鈴本演芸場。久しぶりに入った。

お目当てはもちろん、宝井琴調先生の『中村仲蔵』。松之丞さんとの比較のためにも、これは聴いておかなければ!と思い楽しみにしていた。嬉しい出会いもあって、琴柳先生がとにかく素晴らしかったので、前半はざっと流して、琴柳先生に言葉を費やしたい。

 

前座 春風亭きいち『芋俵』

桃月庵ひしもちさんに続き、こちらも来年五月に二つ目が決まったきいちさん。どこで化けるやら。

 

宝井琴柑塚原卜伝 無手勝流』

貞橘会に引き続き、お綺麗な琴柑先生。張り扇を叩く所作が勇ましくて、かなり大振りで好感触。あれが鞭だったら(自重)。

お話は落語だったら『岸柳島』のようなお話。張りがあって勇ましく、タメになるお話が多い琴柑先生。知的な方には好感触かも。

 

桃月庵白酒『つる』

もうね、凄いことは分かり切っているので、敢えて書かない(笑)

 

柳家はん治『背なで老いてる唐獅子牡丹』

はん治ちゃん、おっと、はん治師匠には色々思うところがあるんだけど、寄席に通い続けて数十年、ようやく『妻の旅行』以外を聴くことが出来て感無量。さすが47,おっと、ベテラン師匠である。柵の中で、おっと、舞台の上で、独特のハスキーボイスで紡がれる物語。いぶし銀だねぇ。

 

宝井琴柳『清水次郎長外伝 小政の生い立ち』

舞台袖から座布団へと歩くまでの間、勇ましく伸びた背筋と、鋭い眼光で釈台を見据える琴柳師匠。座して張り扇で釈台を叩き、一礼をした後、顔を上げた時の表情が超カッコイイ。超カッコイイ。大事なことだから二回言う。

文菊師匠に感じるカッコ良さとは異なる、歴戦の兵どもの雄姿を語り継いで来た者だけが持つ眼。きりっと前を見据える慧眼たるや、琴柳先生の背後に宮本武蔵清水次郎長など、様々な英雄達の姿が見えてくるほどに鈍い青銅のような輝きを放っている。

一度言葉を発すれば物事は眼前にあるが如く、清水次郎長の子分となる小政の生い立ちが語られる。齢十四にして博打の手練を身に付け、不幸な身の上ながらも持ち前の知恵で立身出世を目指す小政の姿たるや、実に可愛らしくあり、また勇ましくもある(おや、語りが変わっているぞ)

会場はかなり冷めていたが、前方の常連集団はやはり聴きどころを逃さない。高い集中力で琴柳先生の言葉に耳を傾けていると、実に丁寧かつクスグリもあって面白いのだ。決してあからさまに「ここが笑いどころですよ」とやらずに、さらっとクスグリを入れてくるところが、琴柳先生の姿勢が感じられて超カッコイイ。

次郎長や石松、小政の表情の変化も見事。次郎長親分の勇ましい眼から、ちょっと間抜けな石松の眼、野心に溢れる小政の眼。どれも絶品。これは見て頂いて感じてほしい部分だ。

後半で、小政が両親のことを語る場面は胸に来る。父を亡くし、病気の母を思う小政の健気さ。決して苦労を人に見せず、明るく振る舞い、博打以外に金を稼ぐ方法を知らない小政。それが十四歳という年齢と相まって、胸に迫ってくる。石松はその辺りを汲み取らず、親分の次郎長が小政の志を汲み取る。何とも粋な物語で、琴柳先生のハスキーな高音で聴いていると、実に美しく清廉で、冬の寒空のぴんっと張り詰めた空気を感じさせる。

小政の個性が滲み出た珠玉の一席。大満足で仲入り。

 

古今亭菊之丞『片棒』

この人も言わずもがなの人ですから、敢えて書かない。ま、皆さん言わずもがなの人なんですが(笑)

 

林家二楽『シャンシャン』、『大晦日

会場から「おおっー」と声が上がるのを聴くだけでも楽しい。

 

宝井琴調中村仲蔵

恰幅の良いお姿と、紫色の布に入れた張り扇と扇子を携えて舞台袖から登場の琴調先生。座して釈台の前でくるくると布から張り扇と扇子を出し、すっと釈台を見据えてから張り扇を一つ。万感の拍手に迎えられて一礼の後、第一声を発する。

からっとしていながらも、温かみのある耳馴染み良いお声と、茶目っ気のある小噺の後で演目へ。

奥さんとの会話から始まる『中村仲蔵』。私の脳内にはまだ松之丞さんの演出しか残っておらず、どうしてもそれとの比較となる。どこに物語の視点を置くかという点で言えば、松之丞さんは中村仲蔵の視点から物事を見ていると思う。対して、琴調先生は仲蔵もさることながら、脇を固める人々の描写でさらりと物語を引き立てているように私には感じられた。

「自由に思い切りやってみたらどうだい」みたいなことを奥さんが仲蔵に言う。『芝浜』と共通して、奥さんの甲斐甲斐しさが美しい。夫婦の強い関係性があるからこそ、仲蔵は新しいこと、工夫に集中することが出来るのだと、さらりと言葉少なに説明している。

終演後にちらっと聞こえた声を聴くと、『中村仲蔵』は『お洒落な人に出会った』物語でもあるらしい。考えてみれば、五段目の工夫に大きな影響を及ぼす武士との出会いが、仲蔵を名題へと伸し上げていくきっかけとなる。今までチェック柄しか着たことが無かった工学部の学生が、MBやコシノ・ジュンコに出会い、お洒落に目覚めてカッコ良くなり、白Tに黒スキニーを履くようになり、女の子にモテモテになるというような、進研ゼミ顔負けのサクセス・ストーリーでもあるのだ(ちょっと違うかも)

琴調先生の『中村仲蔵』は、この出会いに重点が置かれているように思った。詳細な説明は無いが、仲蔵と武士の会話はどこか出来過ぎてもいる。妙見様への願掛けとも相まって、どこか幻想的な雰囲気を私は感じてしまう。武士の姿を見て驚きとともに、「これだ!この姿だ!」と感じる仲蔵の姿が良い。

出会いからすぐに実行に移す迅速さもさることながら、舞台で披露した時に観客の反応が得られず、「しくじった!」と思う仲蔵の姿も、聞いている客人は、「凄い芸を見ると、声も出ない」と説明されるから、仲蔵に対して「そうじゃないよ。観客にウケてるよ」という思いになる。仲蔵と観客の意思疎通が互いにズレる部分のもどかしさが、何とも仲蔵に心が寄り添いたくなる気持ちにさせるのだろう。

すっかり意気消沈して江戸を出ようとする仲蔵に、五段目の芝居を見ていた観客の話が聞こえてくる。松之丞さんはこの点にかなりの力を入れているように感じられたが、琴調先生は言葉少なに「飽きちまった」、とか「日本一!」というような言葉で表現する。松之丞さんの『中村仲蔵』を聞いているから、勝手に脳内で補正されているのだけれど、観客の言葉を聞いて涙する中村仲蔵の姿が、いつ何度聞いてもグッと来て泣きそうになる。

それから、歌舞伎のお偉方に呼ばれるシーンも、仲蔵は「しくじったかぁ」と思っているのだが、お偉い方たちは「やりやがったなぁ。良い工夫だ!」みたいなことを声にかける。その言葉で持って、ようやく自分の工夫が認められたことに歓喜する仲蔵の姿が微笑ましい。最後は支えてくれた妻への感謝を述べ、「虎は死して~」の言葉で締めくくられた。あっさりとしていながらも、聞かせどころの多い素晴らしい一席だった。

 

総括すると、私としては琴柳先生がとても素晴らしかった。終始心の中で「うわぁ、かっけぇえ~」と痺れていた。本当は貞橘会での貞橘先生や南湖先生のことも語りたいのだけれども、それはまた別の会で見かけた時に書きたいと思う。

素晴らしい落語に始まり、午後は講談で締めくくられた一日。あと足りない扇と言えば、皆さまならご存知でしょう。それでは、またいずれどこかで。

ブログ村ランキングに登録しています。

にほんブログ村 演劇・ダンスブログ 落語へ
にほんブログ村