落語・講談・浪曲 日本演芸なんでもござれ

自称・演芸ブロガーが語る日本演芸(落語・講談・浪曲)ブログ!

伝説の年明け 天歌一品~2018年12月31日から2019年1月1日 神田連雀亭~

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 お客様が先細りしていくかと思っていたんですが、

 

おおっー!

 

ここで拍手ですか

 

皆さま、明けましておめでとうございます!

 

 餅の円、縁、宴

実家から逃げるようにして東京に帰る道中、私には何の後悔も無かった。

晴天の朝、久方ぶりに実家に帰り両親の顔を見、兄弟の顔を見、親戚一同の顔を見、亡き祖父の姿をぼんやりと想像しながら、餅と雑煮を食した。

餅つきはもう何十年と続く我が故郷の恒例行事(年寄りの多い行事ではない)で、すりおろした大根に醤油をかけた【カラミ】と呼ばれるものや、【こしあん】、【納豆】、【きなこ】等の具材が大皿に入れられ、出来立ての餅がそこに放り込まれる。年々皺の増えた母の手は痩せ細ってきたが未だ力強く、餅を食べやすいようにちぎっては皿に入れ「さぁ、食え」とばかりに笑みを浮かべる。母の手の僅かな赤みを見ながら食す餅は、味以外の柔らかさがあるように思えてならない。

これを食べなければ、一年が締まらないような気がする。一年が過ぎて、それぞれがそれぞれに逞しくなって一堂に会する。今年は誰それが結婚しただの、誰それが就職しただの、誰それの稼ぎが良い、誰それの職場の誰々が変、などと口の休まる時が無い。それでも、餅を食えば誰もが僅かの間だけ、餅の甘みと、柔らかな歯応えと、優しさに包まれる。

餅という字は食を并せる、と書く。并という字には【合わせる、並ぶ】という意味や【そして】とか【一つにする】という意味が込められている。餅米を合わせたり、色んな味と合わせたりする。また、それを食する人間もその場で出会い、一つの時間を共にする。さらに餅という字は、【望】から来ているとも言われている。【願う】という意味や【満月】を意味する【望】。となれば、餅を食する人間は、餅米と餅米、人と人の【合い】の中にあり、そして未来を望む思いの中にあり、【合い】は【愛】でもあるのではないか、そして【望】は【満月】、すなわち【円】であり【縁】であるのではないかと思った。だからこそ、私は何十年と続く餅つきが大好きだ。これを食さねば一年が締まらないと強く思うのである。

私は家の縁側で餅を食しながら、ぼんやりと一族の姿と話を見たり聞いたりし、そんなことを考えていた。そして、今あるこの光景を忘れまいとした。そこに肉体として存在しない祖父の姿も霞んで見えるような気がする。青々として雲一つ無い空に、眩いばかりの太陽が輝いている。あまりにも綺麗に輝いているので、庭先の犬柘植の葉から透かして太陽を撮ってみた。

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このくらいが太陽の輝きを受け取るには丁度良いと思った。ここにもまた、丸く輝く太陽がある。円形の太陽が人の円と縁と宴を見ている。【えん】という文字から私は一つの短歌を思い出す。

 えーえんとくちから えーえんとくちから 永遠解く力を下さい

笹井宏之氏の短歌だ。私はこの短歌が好きで堪らない。永遠解く力をどうして求めるんだろうとか、なぜ最初は平仮名なんだろうとか、その意味はまたいずれ考えてみたいと思う。

餅を食べ終えると、睡魔に襲われて来たので、京山幸枝若師匠の【竹の水仙】を聴きながら眠りについた。目が覚めて、とろんっと甘い空気に包まれながら、母の運転する車に乗り込む。いっそ餅になってしまえば良かった、と馬鹿なことを考えながら、餅になることが出来なかった私は、電話で「もちもち?もちですが」と言うことも無く、両親の家に帰った。

両親の家に着いても、結局寝るか食うかしていた。地元の親しい友人は一人か二人で、どちらも忙しいから会うことは難しい。小学校と中学校にはあまり良い思い出が誰に対しても無く、未だにそれを引きずっているから別段書くことは無いが、あの頃の自分の『とんがり坊や』具合に比べれば、今は『黄身』である。実るほど頭が下がる稲穂かな、である。

翌朝、目が覚めて家族の用事のついでに最寄り駅に降ろしてもらい、帰京。

 

 神田連雀亭へ

基本的に行き当たりばったりの行動を常としているため、帰京先の我が家に到着しても、ぼんやりと本を読むか、ギターを弾くか、ラジオを聴くかして過ごしていた。Twitterを眺めていると、神田連雀亭で『年末カウントダウン』の文字、そして『クリアファイルがもらえる』とのこと。これは貰いに行かなければならないと思った。正直、クリアファイル目当てで連雀亭に行った。つまらなかったら帰ろうとさえ思っていた。出る演者も分からないというところが、面白そうだと思った。ミステリーツアーみたいで、興味をそそられた。

いそいそと着替えを済ませ、家を出た。時刻は16時を過ぎていただろうか。ぼんやりと散歩がてらに連雀亭のある付近に到着。藪蕎麦の前にかなりの行列が出来ていて驚いた。ゲン担ぎやら風情を大事にする人々が列に並んでいるのだろう。私はなるべく省エネでゲンを担ぎたい性分で、困った時の神頼みがしょっちゅうの人間である。

連雀亭には既に数十名のお客様が入っており、受付には三遊亭天歌さんがいらっしゃった。優しくて小柄な伊藤英明という見た目の落語家さんで、早朝寄席の時に何度か高座を見たことがある。確か『手紙無筆』をやっていた記憶があって、ご出身の宮崎の話をされていた記憶がある。朝は寝ぼけていてあまり覚えていないが、勢いがあって面白かった記憶がある。三遊亭歌之介師匠のお弟子さんで、新作もやられる方だというのは最後に判明した。

これも後で感じたことだが、何と17時30分から年明けの0時まで居続けて、たったの1500円で入場。幾ら何でも安すぎる、と終わってから思った。まさに落語の福袋状態だと思った。

 

着座、会場の雰囲気

落語で年越しをしようというのだから、並大抵の落語好きは集まらないだろうと思った。全国の落語好きのうち、上位3%くらいが来ているような感覚である。それも非常に温かい客。ご常連となると真打の芸やお気に入りの芸人の会へ行く。特に同時開催されていた横浜にぎわい座がそれに当てはまるだろう。二つ目の落語家さんの芸に惚れ、未来を楽しみに待ち望む生粋の落語好きが集まったような雰囲気である。後はそれほど家族の行事に縛られていない方々が集まってきた様子。

天歌さんが諸注意を述べ、若干客席を心配しつつ開幕。開口一番は乙で色気のある声を持つこの方。

 

柳家小もん『湯屋番』

2018年の3月に二つ目昇進の小もんさん。この人は『乙で粋な兄さん』というような落語家さんである。柳家小里ん師匠のお弟子さんで、声がとにかく良い。TOKYO FMの『JET STREAM』のMCをやってもおかしくない美声。高級マッサージ店で耳元で囁かれたら、秒で気持ち良くなれるくらいの美声の持ち主。僅かにあどけなさのある微笑みと、乙な眼差しはご婦人には堪らないと思う。時代が時代なら『吉原荒らし』とあだ名がついてもおかしくないくらいの、色男であることは間違いない。

そんな乙な小もんさんの、低音冴えわたる美声で繰り広げられる『湯屋番』。若旦那の女好き感が小もんさんらしくて、色気が際立っている感じがする。唯一無二の低音ボイスが若旦那の魅力に拍車をかけているように思えた。誰にも真似できない美声の落語。是非一度聞いて、うっとり酔いしれてほしい。出来れば小もんさんの声で癒し系の音声が収録されたCDが欲しい。

そこかしこに小里ん師匠の間、ワードが感じられて、これも痺れる。お弟子さんに師匠の面影が見えると痺れませんか。芸を受け継いで自分の物にしようとしている美しさを感じて、私は好きだ。

 

翔丸『家見舞』

お次は恰幅の良い桂幸丸師匠門下の翔丸さん。お初の高座。

桂幸丸師匠と言えば、去年の新宿末廣亭で神田松之丞さんの後に出て、見事な話芸で客席を盛り上げた落語家さんである。その話芸を見事に受け継いで、満面の笑みと元気いっぱいの姿で『家見舞』。ちょっと汚いお話なのだけれど、明るさが汚らしさよりも滑稽さに寄っていて気持ちが良い。

この話は簡単に言うと『汚い瓶をプレゼントしたが、その汚い瓶で酷い目に合う』話である。滑稽さが面白いし、何よりも食事をする動作が強烈に上手だった。汚い瓶で炊きあがったお米を食べる場面があるのだが、是非見て頂きたい。思わず茶碗に米をよそって食べたくなるくらいの所作。

長丁場の会のため、一度どこかで飯を食べに行こうかという気持ちになるくらいの一席だった。

 

桂紋四郎『三十石』

お初の上方落語家さん。三代目桂春蝶師匠門下で飄々とした佇まい。出だしはさすがの掴みで、ミステリーチックな問いかけから、お客を一気に引き込む。聞き慣れた『前座・二つ目・真打・ご臨終』に見事にオチを付けたマクラから演目へ。

語りのリズムと声のトーンがとても心地が良い。からっとした声と、トントンと進んでいくリズム。随所に挟まれる粋なフレーズ。そして春蝶師匠にも感じられる品。

この話は簡単に言えば『船の上バージョンの浮世床』みたいな感じで、船の上で色々な人々が様々な出来事に出くわす話である。わいわいと陽気な話で、特に美女が乗り込んでくる時の語りが面白かった。すらすらと物語に引き込む語りもさることながら、笑える場面やフレーズが心地よい。一聴して「あ、凄い」と思える落語家さんである。今度は滑稽噺や大ネタも聞いてみたいと思う。上方の落語家さんが東京で聴けるというのも幸福なことだと思う。

 

トーク『将来有望な前座さん』等

内容は書きませんが、最高に笑えるトークでした。もしも客席に尋ねられていたら、高座を見る限りでは『春風亭朝七』さんと答えていた。楽屋風景を見ることが出来ないので、落語家さんから見た前座さんの姿というのは、とても興味深いトークだった。某前座さんの名前を出すときの、翔丸さんの小声と表情が可愛らしくて印象に残った。やっぱり良いですね、こういう楽屋の話が聞けるというのは。これはあの会場にいた人だけの秘密。

 

第一部総括 東西の風

東京と上方の風が吹いた第一部だと私は思った。小もんさんの色気、翔丸さんの明るさ、そして紋四郎さんの上方の空気。最高の出だしと構成だと思った。もはや1500円分は笑った。これからさらに四部まであるというのだから、もう興奮で眠れない。

徐々に高まっていく熱と、会場もぞろぞろと人が入ってきて演者側も驚いている様子。興奮冷めやらぬままに第二部。

 

 立川笑二『棒鱈』

色んな不運を強烈なフラと佇まいで抑え込む笑二さんを私は知っている。立川談笑師匠の独演会で笑二さんの一面を知って以来、大好きな落語家さんである。

沖縄出身で立川談笑師匠門下の二番弟子。一番弟子は立川吉笑さん、三番弟子は立川談洲さん。結婚ホヤホヤの吉笑さんと、イケメンの談洲さんに挟まれて、沖縄の優しさとハイサーとメンソーレを合体させたような笑二さん。自らの心の平静を保つために悪い奴が出てくる『居残り佐平次』をやった笑二さん。

人は見た目によらないが、その優しさ溢れる表情で全てを落語に活かす姿は凄まじいものがある。

余談。どの落語家さんにも共通して言えることだが、落語家さんの新しい一面を知ると、それまで気にもしていなかった落語家さんが、一気に好きになって興味を持つということがある。伸べえさんや文菊師匠は高座から滲み出る良さがあるが、高座以外の姿を知って好きになる落語家さんもたくさんいる。だから、どんな二つ目さんも高座姿だけで判断するのは時期尚早だと私は思う。自分のお財布と時間と相談しながら、色んな落語家さんを様々な角度から見て知る。これはとても大切なことだと思う。これは実生活でも同じことだと思うが、それはまた別の機会に記す。

この話は簡単に言えば『隣の座敷で楽しんでいる田舎侍が気に入らない二人の町人が、田舎侍といざこざを起こす』話である。笑二さんの『棒鱈』は登場人物の性格が言葉の一つ一つに滲み出ていて素晴らしい。特に田舎侍の傲慢なワードには、不細工で面倒臭い男だけれど、遊ぶだけの金はたくさん持っているんだ!という感じが現れているし、取り巻く女中が何とか金づるの田舎侍の機嫌を取ろうとする様子に説得力がある。脇で聞いていた男が怒りだす部分も、非常に人間臭い。どこか人間の情が流れていて、単に憎み合うという感じではなくて、優しさを土台にして喧嘩をするというような感じ。笑二さん独自のものだとしたら、よっぽど人生経験豊富なのかも知れないと思った。あの笑顔の奥底に潜む、高座には表れて来ない人生にも興味を引かれてしまう。そんな奥深い一席だった。

 

柳家吉緑『置き泥』

お次は背が高くて華やかな柳家花緑師匠門下、柳家吉緑さん。花緑師匠のお弟子さんは皆さん品があって華やかなイメージが強い。太い眉毛とパンパンの両頬。何かに似ているんだけど、思い出せない表情。そして張りのある低音ボイス。見た目から明るくて朗らかな雰囲気を醸し出しており、今回は飛び入り参加とのこと。

この話は簡単に言えば『泥棒が家に入るが、家の主にお金を渡して出て行く』話である。会場の雰囲気がとても温かくなっていたし、ちょっと怖い「殺せ!」というワードも入るのだが、泥棒の優しさが滑稽で、緊張と緩和が見事な演目である。とても丁寧で基本に忠実な演じ方で、特に奇を衒ったフレーズも無いが、明るい表情と声が面白い一席だった。見事な飛び入り参加。その心意気にも拍手の一席。

 

 桂鷹治『身投げ屋』

お次は桂文治師匠門下の鷹治さん。くりくりっとした目と恰幅の良い体。個人的には小三治師匠ばりの長いマクラに定評のある落語家さんだと思っている。

この話は簡単に言えば『死ぬフリをして人から金を騙す』という酷い噺である。けれど、オチが間抜けでシリアスにならない。ここに来てようやく暮れの話。

鷹治さんはアマチュア時代に落語の大会で優勝し、大学卒業前に広告代理店の内定をもらっていたが、それを蹴って落語界に入ったという異色の経歴がある。芸協らくご祭りにて、松鯉先生の見世物小屋で集金係をしている姿を見たことがある。

恐らく師匠から習った『平林』や、深夜寄席で『宿屋の仇討ち』を見たことがある。落ち着いた優しい語り口が魅力の落語家さんである。食べ物の話になると、熱を込めて喋る落語家さんだと私は思っている。

重たくて酷い噺になりがちなお話を、さらっと流れる素麺のような語り口で語った一席。

 

桂竹千代『こじき

お次は桂竹丸師匠門下の竹千代さん。お名前は伺っていたが高座は初めて。これがとにかく面白いのと、衝撃の共通点を発見して驚愕した落語家さんである。

この話は『古事記に纏わる話に挿話を入れて行く』という内容である。これが竹千代さんの溌溂としたリズムと、気持ちの良い張りのある声。歴史を学んだという教養に裏打ちされた見事なお話。落語で言えば『源平盛衰記』や『紀州』の系譜に連なる『古事記』のお話。

客席をグイグイと引き込みながら、随所に挟まれる挿話でドカドカと笑いを巻き起こす姿は圧巻。トップセールスマンのような怒涛の口跡と抑揚の効いた声。笑えてタメになる落語。

竹丸師匠の高座をまだ拝見したことは無いが、お弟子さんの笹丸さんや竹千代さんはいずれも新作派。個性が際立っていて、しかも勉強になるという一石二鳥ならぬ一席三得というような演目。是非とも知的好奇心旺盛な人に聴いていただきたい一席。

 

トーク『モノマネ』

これも最高でしたねぇ。竹千代さんの哀川翔、吉緑さんの玉置浩二、鷹治さんの名前忘れちゃったけどお三味線の人の真似。どれも大笑いでした。

 

第二部総括 古典・新作 実力派揃い

古典のオリジナリティを発揮した笑二さん、基本に忠実な吉緑さんと鷹治さん、歴史ものの新作で客席を爆笑の渦に巻き込んだ竹千代さん。落語の幅を実力派が見せた第二部だと私は思った。東西の風を感じた後で、落語の幅の広さを知る素敵な構成。番頭の三遊亭天歌さんが構成をしているらしく、もう第四部まで見終えて『完璧な構成』としか言いようがない。素晴らしい構成だ。

第三部の開幕前、番頭の天歌さんが出てきて、「お次は刺激的な部門です」というようなことを言ってから第三部が開幕。

 

柳家花飛『ちょう災難』

うおおー、確かに刺激的だ!と思った花飛さんの登場。ダンディな表情とお声で、シュールな落語を展開する落語家さん。柳家花緑師匠門下で前座名が「フラワー」だったという、かなりハピネスな落語家さんである。早朝寄席で同じ演目を見たことがあった。

この話は簡単に言えば『不器用な男がレストランで災難に巻き込まれる』という話で、実はマクラから伏線が仕込まれているというお話。

ちょっとシュールで、独特の間と低音ボイスが癖になる話。オチは体の動きと合わせて見ても圧巻。是非一度体験して、自らの想像力を試してほしい一席。

 

立川三四楼『鮫ラップ―金の斧・銀の斧―』

刺激が強い!と思う二人目は立川談四楼師匠門下の三四楼さん。以前、客席に二人しかいなかった時も、お馴染みのコール&レスポンスのマクラに巻き込まれ、微妙な空気の中、演目を聴いた記憶がある。なぜか笑ってしまう独特の間と佇まいがあり、一体どこまで計算しているのか、素なのか分からない未知の落語家さんで、この人こそ『ワンダーボーイ』という名がふさわしいんじゃないかと思うほどに、ワンダーな落語家さんである。

この話は簡単に言えないので割愛。一度味わったら、もしかしたら羞恥心に体が麻痺し、もしかしたら癖になってしまうかも知れない落語家さんである。こういうワンダーな落語家さんがいるところが、落語界の素晴らしさだと思う。

 

らく兵『親子酒』

第一部・二部と、飛び入り参加が無い限りは三人構成らしく、三部のトリはらく兵さん。亭号が無い理由はお調べ頂くとして、超絶爆笑の『金明竹』を聞いて以来気になっている落語家さん。独特の語り口は談志師匠っぽく、コミカルでありながらも緻密な工夫が発揮された落語が魅力だと私は思っている。

この話は簡単に言えば『禁酒を約束した親子が、互いに約束を破る』という話である。特に親側の酒を飲むまでの描写が丁寧で、酒好きなんだろうなぁ。という感じが如実に伝わってくる。あの手この手で酒を飲む理由を作る父親と、それに仕方なくお酒を出してしまう奥さんの性格が良い。立川流の落語家さんは、話に説得力をもたせる工夫を自分なりに考案しているような印象がある。らく兵さんの『親子酒』は、親の目線で見ると非常に面白くて、約束を破る大人がどういう状態になるのかを見るのも面白い。個人的には禁酒の約束を破ってしまう話をする息子の話は、心意気にうるっと来る部分がある。コミカルで緻密な一席だった。

 

神田松之丞『狼退治』

これで終わりかと思いきや、舞台袖から高座へと置かれる釈台。ん?梅湯さんか?と思いきや、舞台袖からのそっと出てきたのは黒い着物を身に纏い、張り扇を持ち、若干猫背気味で飄々とした表情の男。会場から思わず、

 

 おおっー!

 

っと声が上がって登場したのは、何を隠そう、

 

神田松之丞

 

参上!の瞬間である。会場の温度が二度くらい上がったんじゃないかという熱気。私も正直、『出たぁあああ!』と思った。それくらいに衝撃的なサプライズ登場。人って、やっぱり予想外の出来事に驚く生き物なのだと改めて気づく。

男気溢れる松之丞さんの登場に歓喜していると、当の本人はちょっと残念な様子。それでも番頭として任を果たそうと、推参する辺りは義士伝で忠義を最もとする講談師の在るべき姿のような気がして、つくづくカッコイイなぁ。と思う。地位や名声は上がっても、義理と人情を欠かさない男、神田松之丞。約1年ぶりに連雀亭で松之丞さんを見ることが出来た。恐らく、今年も年末カウントダウンが開かれると思うが、そこで『2019年、二つ目としての神田松之丞』は見納めである。駆け付けるかは分からないが、是非来年は連雀亭で年を越してほしいと思う。あと、手ぬぐいも貰ってほしいと思う。

数多くのプレゼントを持参して登場の松之丞さん。白熱の狼退治は、僅か3分ほどだったけれど、凝縮されていたし、物凄い集中力と熱と迫真の高座だった。これよ、これこれ。私が見たい松之丞はこの勢いだよ!と心の中で思いつつ、かなり胸が熱くなった高座だった。

人と人との心意気、そして連雀亭への思い。全てが言葉にならずとも、高座に現れていた。あの瞬間は、また一つ私の中で記憶に残る一席になった。

この時の驚きは天歌さんも同じだったようで、是非そちらのブログも見てほしい。落語家さん側から見た連雀亭の姿がありありと克明に記されている。

いきなりフェラーリに乗ったかのような、強烈な一席で第三部終了。

 

 第三部総括 刺激的な一夜

落語界のワンダーを揃えた第三部。前半の二人は完全に異世界感はあったけれど、後半の二人で現実により戻されたと同時に、頂点に達したかと思うほどの強烈な構成だった。何よりも飛び入り参加の松之丞さんが全てをかっさらっていくという凄まじさ。このサプライズ感が堪りませんよ。色々なことを考えてしまいましたね。松之丞さんが来ようと思った心意気、それに戸惑いながらも嬉しさをどう表現していいか分からない天歌さん。いいねぇ。なんか言い表せないけど、いいねぇ。と後で思った。この時は、演者が刺激的過ぎて、ただただ「やべぇ、やべぇよ」と思っていたのだが、考えてみれば四部への非常に良い橋渡しだったと思う。

四部開始前に天歌さんが登場「もう逃げられませんからね!」みたいなことを言って、最後の四部が開幕。

 

 立川らく人『厩火事

四部は立川志らく師匠門下のらく人さん。見るからに品と優しさが溢れる美男子。女形は絶品の艶やかさ。語りの色気と相まって、ようこそBLの世界へ。というような、撫でられているかのような柔らかい語り口、絶対美人の女形。出てくる登場人物が全員イケメンで細身というような口跡。

さらには知性が滲み出ていて、山陰合同勉強会(立川らく人、瀧川鯉白、桂伸べえ、立川幸之進、山陰出身メンバーで構成される落語会)でもバランサーとしての能力を発揮している落語家さんだ。

決して力むことなく、扇を持って舞うかのようなしっとりとした間。目の艶やかさと愛おしいほどに優しい声、これは世が世なら男色全盛ですぞ、と盛り上がってくるような風貌。

この話は簡単に言えば『妻が旦那の愛を確かめるために、仲人から助言を貰い、実行する』という内容である。この奥さんの演じ方が絶品、絶品、絶品。誰もいないところで二人きりで、酔っていたら抱きついてしまうかも知れないほど色気がある。何を言っているんでしょう、私は。

オチに関しては、うーん、そこに愛はあるのか!というような感じのオチ。とにかく女性の演じ方が私好みなので、是非男性の方に聴いて欲しい。女性に聴かれると殴られるかも?

 

三遊亭遊かり『女子会ん廻し』

最近、妙に色気が増してきたと思う遊かりさんが飛び入り枠。三遊亭遊雀師匠門下で、『紙入れ』が色っぽくていい。遊雀師匠の芸を受け継いだ明るく面白い落語家さんで、自虐的なマクラから演目へ。古典の『ん廻し』を女子会バージョンにした話で、「んの付くものを言い、んの数だけ饅頭がもらえる」という話を女子がやるお話だ。

ネタ卸しから数回目とのことだったけれど、随所に女子会っぽさが差し込まれていて面白かった。

 

快楽亭ブラ坊『よるのてんやもの』

お次は快楽亭ブラック師匠門下のブラ坊さん。お初の高座で、エロいことだけはTwitterで知っていたが、本当にエロかった人。ただエロいだけではなくて、そこは落語の艶笑いという部分に見事に昇華されている。

風貌は好男子で、器量も良い。いかにもマダムに好かれそうな風貌。ちょっと不幸があったそうだけれども、それすらも笑い飛ばす度量。何もかも未知数のまま演目へ。

この話は、刺激が強いので解説はしない。オチが見事だった。後で調べたところ、瀧川鯉朝師匠の作らしい。短い噺でありながらエロと笑いが混ざっていて面白かった。時間帯的にもそろそろエロが欲しいな、と思っていたので、丁度良かった。

 

 三遊亭楽大『時そば

恰幅の良さと満面の笑顔。楽大と聞いたら伊集院光さんの前座時代の名前を思い出すかも知れないが、現役はこちら。

六代目三遊亭円楽師匠門下。秋葉原での時間つぶしマクラから演目へ。この話は前記事にも書いたかも知れないが、『蕎麦の勘定を騙そうとして失敗する』話である。かなりお腹も減っていたので、蕎麦を啜るシーンでちょっと蕎麦を食べたくなる。絶品の語り口と時間帯も相まって、まさに時そばタイムというくらいの素晴らしいネタ選択。

蕎麦を啜る場面もさることながら、蕎麦屋と繰り広げられる会話のリズム、声の調子も面白くて、お初の高座だったけれど、大笑いしてしまった。恰幅の良い人が演じる時そばは多幸感があって気持ちが良い。

素敵な気分で一席が終わる。お次はいよいよ、トリである。

 

 三遊亭天歌『Who』

『年末カウントダウン』の一番の功労者は、何と言っても天歌さんだ。会場の運営から締めまで、初めての事だから不安もたくさんあっただろうと思う。それでも、「やってよかった」と思える会になったのは、天歌さんの頑張り、そしてあの場に集まったお客様、そして演者、全ての心意気のおかげだと思うのだ。

だから、私は天歌さんに拍手を送りたかった。時そばの後で、何をやっても大丈夫だと私は思ったし、天歌さんがありのままに落語をしてくれたら、それが一つのゴールというか、2018年を締めくくる結果になるだろうと、客席にいた誰もが思っていたに違いない。私は言いたい。

 

良く頑張ったよ!天歌さん!

 

あの時、誰もがそう思っていたに違いない。高座に上がって少し戸惑っている天歌さんを見て声をかけてあげたくなった。でも、きっと天歌さんは拍手から何かを感じ取ってくれるだろうし、お客さんの表情からもそれは伝わると信じた。結果、その思いが一つとなって、最高の演目『Who』が選ばれた。

この話は『人の肩書きが明かされていく』話である。詳しくは書かないけれど、私にはとても記憶に残る一席になった。

しばらく経ってから、あの日どうして私は『Who』という演目に出会ったのだろうかと思った。それは、2018年を含めて、それまでの人生の一つの啓示として出会ったのではないかと思ったのだ。

以下、しばらく思ったことを。

人は生まれてから色んな人に出会う。初めて誰かと出会う時、「あなたのお名前は?あなたは誰?」というような、『Who?』という問いかけが最初にある。今は親しき友人も最初は赤の他人である。人が人と出会う最初の扉、それが「あなたは誰?」という問いかけの扉だと思った。

この扉を開くと、その扉の先に存在するものに出会うことが出来る。その人の性格だったり、癖だったり、肩書きだったり、立場だったり、関係性だったり、色んなものが『Who』という問いかけの先に待ち構えている。

天歌さんの『Who』という物語は、『Who』という扉が次々に開かれていくお話で、その先に待っていたものに驚いたり、怒ったり、笑ったり、戸惑ったりする。本当はお互いのことを良く知っていたつもりでも、実は隠れていた事実がたくさんあったのだと気づく。

人との出会いも同じだ。笑二さんの項で私が書いたように、二つ目の落語家さんに出会う時に限らず、人生で対面する、ありとあらゆる人は、一つの角度から見ただけでは何も分からない。そういうことを『Who』という演目は教えてくれたような気がした。

同時に、『Who』は家族の物語でもある。血のつながった家族。互いにどういう訳か知り合って愛し合い、子宝にも恵まれた家族が、一夜にしてお互いのそれまで知らなかったことを知る。冒頭からそれとなく謎が伏線になっていて、次々とお互いがお互いの隠れていた一面を知っていく様は、面白くて笑えると同時に温かい。

お互いが誰であるかを知ると、また一つ絆が深まっていくように思った。『Who』という扉を開いた先に待っている幸も不幸も、全てが愛に包まれているような、そんな素敵な物語だと私は思った。

現実の社会でも、我々は様々な人に出会う。名刺を見れば、その人の肩書きが書かれている。Twitterのプロフィール欄を見れば、自己紹介が書かれている。そんな小さな扉から、「この人はどんな人なんだろう?」とか「一体誰なんだろう?」という問いが生まれ、その扉を開いた者だけが、扉の先に待っているものと仲良くなったり、喧嘩したり、様々な意志疎通が出来るようになる。そんな幸運、奇跡が怒涛のように日々、起こっているのだと思う。扉を開けるか否かはあなた次第だ。もしかしたら、予期せずあなたの扉も開かれてしまうかも知れない。人生は何が起こるか分からない。最後のオチの言葉も、私はとても良いと思った。常々思っているが、人類の墓を建てるとしよう。もしも数千年後に異星人がやってきて、その墓に刻まれた文字を見るとしよう。その時に刻む文字は何か。以下は森博嗣先生の受け売りだが、私は同感である。

 

『何もわかりませんでした』

 

さてさて、とても素敵で、私にとって伝説の一席になった。多くの人に出会ってほしい。素晴らしい演目である。

改めて、最高の演目に出会った、と私は思った。そして、2018年を最高の演目で納めることができた。と私は思った。

 

 2019年の幕開け そしてささやかな祈り

2019年まで残すところ僅かとなった。カウントダウンが始まり、楽大さんが「明けましておめでとうございます」と言って2019年が幕開き。

大抽選会が開かれ、色んなプレゼントが配られた。その後、ささやなか三本締めで幕。素晴らしく心地が良い中で、会場を後にした。

外は寒かったけれど、心は温かかった。家路に帰る道中。色んなことが頭を駆け巡った。今年は誰か素敵な人と一緒に年末を越せたらいいな、とか。良い記事が書けたらいいな、と思った。

目標を立てると、その目標を立てようと必死になって辛いし、目標が叶わなかったら悲しいから目標は立てない。それよりも、「そうなったらいいなぁ」くらいにいつも留めている。今年は素敵な人に出会えたらいいなぁ、と良い芸に出会って良い記事が書けたらいいなぁ。くらいである。

何もかも順風満帆なので、むしろ不幸になりたいくらいの贅沢な人生なのだが、それでも良いことの後は悪い、悪いことの後は良いなんて、『時そば』みたいなことを言うけれど、これも私の性格、商いなので、飽きずにやろうと、またしても『時そば』みたいなことを記す。

人生は山あり谷あり。それでも、演芸が人生を豊かにしてくれていることに間違いはない。2019年も皆様のご健勝と、自らの成長を祈りながら、日々精進していきたいと思う。

長くなりましたが、お読みいただきありがとう存じます。これからも、どうか御贔屓お願い申し上げます。

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