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私はあなたの親指になりたい 倒錯の変身願望~渋谷らくご 2019年1月13日 14時回~

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なんていうかー 和風?

 

あおう!えぎやおうあ!

 

なんで寝るんだよー!

 

ゴクッゴクッ

 

あなたはわたしだったからです 

  

誰でも一度は何かになって

子供の頃、私は女の子になりたかった。とびきり美人で、性格が良くて、誰もが羨む肉体を持った女の子になりたかった。子供心に、美人な女であれば得が多いだろうと考えていた。胸が大きければグラビアアイドルになって、ただ写真を撮られて写真集やDVDを出せば、何万部と売れてがっぽりお金が入ってくるだろうと考えたし、血の滲むような努力をして会社を立ち上げ、毎月何億円も稼ぐ男と結婚すれば、一生安泰。さらには美人だから、男達は私の気を引こうと「一杯ごちそうしますよ」とか、「今度食事でもどうですか?」と誘ってきて、食事代にも困らなくなるだろう。つまり、美人であることのメリットは人生を生きて行く上でかなりある。だから、私は女の子になりたかった。

クラスの女子達を見ていてもそうだった。比較的器量の良い女性は徒党を組んだ軍隊かのように群れて、同じく器量の良い男達の中から自分にふさわしい男が誰であるかを相談しあっていたし、そのお眼鏡に叶わなかった私を含む多くの豚どもは、器量の良い女性達に特攻よろしく告白し、予想通り撃沈して豚バラにされて生姜焼きにされる運命を辿った。器量の悪い女性達が慰めに「森野っち、大丈夫ぅ?」と愚にも付かない同情の眼差しで差し伸べた手に噛みつき、「俺と付き合え!」と、女なら誰でもいいという悲しすぎる理屈によって、結局器量の悪い女と付き合って、僅かばかりの優越感を満たし、横目で美男美女のカップルを眺めながら「あいつら二人とも、絶対性格悪い」と、イソップ寓話の【酸っぱい葡萄】ばりの精神を発揮し、結局器量の悪い女に「私が森野っちを駄目にしちゃってる」という訳の分からない理由、むしろ「お前なんぞ俺の人生に一ミリも影響を及ぼしてないわ!」と反論したくなる思いを抱いたが別れ、結局、美人に生まれていれば最初から人生イージーモードだと再認識した。

そんな私のような浅はかな変身願望を抱く男のほかにも、実際に女性になった元男や、自らをアニメのキャラクターだと名乗っている男女も数多く存在する。誰にでも何かになりたいという気持ちは、程度の差こそあれ、確実に心のどこかに生まれているようである。

今日の渋谷らくごの四人の落語家もまた、そんな浅はかな変身願望を抱く私にとって、最高の四人だった。では、私は何になりたかったのか。もう答えをタイトルに書いてしまっているが、書いていこう。

 

 三遊亭粋歌『銀座なまはげ娘』

久しぶりの高座だという粋歌さん。美人である。夫は柳家小八師匠。美男である。落語界の美男美女カップルというだけで、私は若干羨ましい。子供の頃は「あいつら絶対性格悪い」と思っていたが、大人になると許容できるようになってくる。嬉しい進化だ、と思う。

この話の簡単な内容は「ジュエリーショップを辞めた女性が、なまはげになってジュエリーショップに戻ってくる」というお話である。

物語の登場人物である女性は、周りの友人に「パリ留学中」と嘘を付きながら、実際はナマハゲになって、秋田のPR活動をすることになる。普通の人間からナマハゲになる過程が描かれ、ナマハゲの基礎講座なるDVDを鑑賞し、ばっちりナマハゲに成る態勢を整える。ナマハゲと言えば寄席通いの常連には『三遊亭たん丈』という人がいるが、これは初心者の方には覚えの無い落語家さんである。ナマハゲ小噺に定評があるので、是非どこかで名前を見つけたら、体験して欲しい。

周囲に振り回されながらも、ナマハゲになって精いっぱい頑張っている主人公の女性を見ていると、なぜだかうるっときた。転職してナマハゲになり、子供たちに殴られ、上司に無理難題を押し付けながらも頑張る姿に心打たれる。どれだけ涙腺が緩く、心の琴線の防御壁が弱いのだ!と思われるかも知れないが、周囲に嘘を付きながらも自らの使命を全うしようとする女性の姿は感動してしまう。粋歌さんは美人だが、きっと物語の登場人物の器量は可も不可も無くて、きっと何かを頼まれたらノーと断れない性格で、家族にも相談できずに一人で何かを処理してしまうような、そういう健気な女性なんだろうなぁ。と思ってしまって、私は最後の場面もちょっと感動した気持ちで見ていた。ナマハゲへの突然の変身から、最後はその変身が解けて元の自分の姿が周囲の目にさらされる。あ、可哀そうだなぁ。と思って見ていた。なんだか笑って泣けるお話で、あっという間だったのだけれども、それはどうやら実際にちょっと早く終わったらしいことが、次に出てくる圓太郎師匠の話から推察された。

とにもかくにも、何かに変身するということは、その変身が解ける瞬間もある。今思えば、これが最後の私の考えを生み出す、伏線になっていたのかも知れない。ナマハゲに変身したが、最後はバレてしまう女性の悲哀を感じた一席。

 

橘家圓太郎『唖の釣り』

圓太郎師匠を見ていると、その佇まいの緩やかさというか、醸し出す雰囲気の落ち着きが凄くて、高座に座った後で、まるで温かい大地に腰を落としているかのような、そんな土着の思いを私は抱く。粋歌さんの体内時計が狂った影響で、時間調節をしながら夫婦の小噺をされているときの、表情や声の調子が面白い。ただお茶を飲んで新聞を読むだけの話を、巧みな話術で面白可笑しくしている。浪曲でやっても面白い小噺だと思った。同時に、物語に大きな起伏が無くとも、聞く人を惹き付ける話芸というのは実に見事だと思った。

この話は簡単に言うと「釣りをして怒られる」という話である。釣りをしてはいけない場所で釣りをし、その場所を偉い人に見つけられて問い詰められる。問い詰められる際に舌がもつれ、言葉を上手く発することが出来ない男が登場する話だ。ボディランゲージで説明をする男の必死さが面白い。出来ることならば、私は縺れた舌になってあげたいと思った。ふいに、自分の舌は誰か他の舌になりたかった人が舌になっているのではないか、という想像がやってきた。舌だけではなく全身が、そう成りたいと望んでそう成っているのかも知れない。とすると、私の体は誰もが望んだ通りの体だということになる。目に成りたかったものが目に、耳になりたかったものが耳に、歯になりたかったものが歯になった。そう考えると、より一層自分の体を大切にしなければならない、と私は思った。目は見えなくなるし、耳は聞こえなくなるし、歯は抜けて行くし、なるべくならば、ずっと健康でありたいと思う。私の体になりたかった細胞達が、長く私であり続けられるように。私は『唖の釣り』を見てそんなことを思った。

 

春風亭昇々『初天神

鮮やかな着物姿の昇々さん。美男である。それも狂った美男である。ギョロリとした目の奥に狂気を湛えた落語家さんである。昇々さんの間は独特で、私は聴く度にスポンジボブを思い出してしまうのだが、アメリカのアニメのような間で始まった『初天神』。

この話は簡単に言えば「子供を祭りに連れて行くが駄々をこねて面倒が起きる」話である。休日の昼間にフードコートで言い争いながら子供と食事をするヤンキー夫婦みたいな、そんな感じの間とトーンで物語が進んでいく(どんなんやねん)

今の知識を持って子供になれたら幸せだろうなぁ、と、ふいに私は思った。『初天神』に出てくる子供は知恵のある子供である。時間もあれば、周りの人間が面倒を見てくれるという状況で、大人になった知識があったら、ありとあらゆる策を練って周囲の人間より抜きんでて、幸福な学校生活、学び舎生活を過ごすことが出来るだろうなぁと思う。残念ながら人生は逆行しない。巻き戻し不可の人生だからこそ、初天神に出てくる子供の姿を見ていると、「ああ、子供になりたいなぁ」と思ってしまうのである。

もしも今の知識で子供に戻れたら、間違いなくテストで良い点数を取れるだろうし、言葉巧みに器量の良い女性を騙して付き合うことが出来るだろうし、器量の良い男達に知識で勝って、「男は面より、ここよ、ここ」と人差し指でこめかみを差して、ナポレオンばりの優越感で勝ち誇ることが出来るだろうと思う。思う、思うのだが、それは叶わない。

昇々さんも、昔は太って女にモテなかったという。今の感じのまま、子供に戻れたらどんな風になるのだろう。そんな新作を見てみたいと勝手に思う。

 

古今亭文菊『二番煎じ』

ここで、私に事件が起こった。

小豆色の羽織に銀色のお着物を召した文菊師匠が、いつものようにちょっと腰を落として浮遊するような態勢から着座。丁寧な火の見回り役の状況を説明しながら話に入った。

登場人物が多く、全体を通して地味になりがちな話である。内容は『火の見回りを行う人達が、番小屋で酒を飲み、鍋をつつく』という話である。文菊師匠の良い声が、次々と登場する人物を見事に描き分けていて、寒い冬の乾燥した空気の中で、人と人とのふれあいが面白いお話だ。

普段は、それぞれに担うべき役があって、それを思い思いに全うする。その延長として火の見回り役に選ばれた人たちが、町内を回って「火の用心!」と声をかける。火事を起こさないように注意喚起を行うという、その温かさが気持ちが良い。

火の見回り役の人達も個性豊かで、教師であろうかクロカワ先生、もうすっかり隠居生活であろう伊勢屋の旦那、まだ若くて引っ込みがちなソウスケさん。勢い真っすぐ江戸っ子のたっつぁん。そしてそれを纏める月番さん。

考えてみれば、文菊師匠を含めて今回の四人は、かなり特異な組み合わせである。新作、古典、古典、古典という形であるが、それぞれに個性が際立っていて、ともすればごちゃごちゃ感もある。話の高低差というか、物語を語るテンポも変幻自在で、ちょっと食あたりを起こしかねない並びであったが、そのごちゃごちゃ感を全て見抜いて、『二番煎じ』を選択した文菊師匠のセンス。見事に纏め上げる渾身のネタ選びだと思う。

町内を一週し終え、番小屋に戻ってきた一行。月番さんが火を起こす所作の繊細さに震えた。文菊師匠は一体どれだけ人の所作を細かく見ているのだろう。火を起こした時に、僅かに舞い上がった灰が見えるかのように、小さく顔の辺りで灰を払うような所作をした。危うく見逃しがちな細かい動作に文菊師匠の緻密さが表れている。

クロカワ先生が酒を出す場面で交わされる言葉も粋である。月番さんの頭の良さを見事に表現している。特に表情が堪らない。酒を煎じ薬ですよと言った後で、緊張感がぐっと解れて、人間臭い気持ちの良い空間が生まれる。この辺りの表情の緩急が、言葉にならない部分を想像させる。

一所懸命仕事をした後は、酒を飲んで気持ち良くなりたい。誰かが言い出さないかなぁ、と周囲の顔色を窺っていたところで、教師であるクロカワ先生が酒を出してきた。きっと周りの連中は「良かった!酒が飲めるぞ!」と思ったに違いないのだが、月番さんがどう対処してくるかに注視する。火の見回り役を務める月番さんが認めれば、酒を飲んで鍋をつついて、静かに一日の疲れを癒そう。誰もがそう思った。それを見ている客席の人々もまた、表向きは一所懸命に仕事をする自分と、家に帰ってゆっくり美味しい物を食べる自分。その姿を見ているようで心が温まる。特に、都都逸や俳句など、文菊師匠の美声が冴え渡り、心の温度が心地よくなった。

まるで、仕事の後のささやかな宴会を見ているかのような場面が続き、最後は役人がやってくる。これは部署の宴会中に招いていない社長が来るような事態である。月番さんをはじめ、多くの人々は慌てふためくが、役人も同様に、一日の疲れを癒そうとする。人間、起きてから眠るまでずっと仕事をしている訳ではない(中には、そういう人もいるのかもしれない)。自らに与えられた使命を全うし、そのうえで酒を飲んだり、誰かと話をしたりして、心を癒す。人と人とのぬくもりを感じさせる一席だ。

さて、冒頭に書いた事件について説明しよう。それは、文菊師匠が酒を飲んでいた場面だ。じっと親指を見ていた時に、どこからともなく「あ、今、文菊師匠の親指になりたい」と思ったのだ。書いていて気づいたのだが、粋歌さんのナマハゲへの変身が作用していたのかも知れない。

もしも、あの時、その一瞬だけ文菊師匠の親指になっていたら。と思うと、私はあらぬことを想像した自分を戒めたい気持ちになった。

も、も、もちろん。じょ、ジョークですからね!?

 

総括 私は私のままで

冒頭に書いた「女の子になりたい」という気持ちは今はもう無い。むしろ、私は私のままで十分だと思うようになった。時々、ほんの一瞬だけ「三分くらい女の子になりたい」と思うことはあるけれど、変身したが最後、元の体には戻れないのだとしたら、それは勘弁してもらいたい。

『寄席芸人伝』という本の中で、とある話がある。人を殺して懲役二十年の判決を受けた男が、いよいよ出所するという時に有名な落語家が慰問にやってきて、面会する。人を殺した男は、二十年間、その落語家の記事をスクラップブックとして作成していた。そのスクラップブックを見て驚く落語家に向かって、懲役二十年の男はこう言うのである。

それは師匠の二十年です。そして私の二十年です。

 

あなたはわたしだったからです。

その男は、娑婆の世界で活躍する誰かだと思って二十年を暮らそうと考え、慰問に訪れた落語家を二十年間、自分だと思って過ごしてきた。

一体、その男は最後にどうなるのか。それは、是非『寄席芸人伝』を見て頂きたい。もしも手に入らないという方がいれば、TwitterのDMにご連絡いただければお貸し致します。

その話を聴いて、今回の四人の噺家に対して思うことは、自分の歩まなかった別の人生を生きているのだ、ということ。人の数だけ人生がある。誰もがふとしたタイミングで、その人生に触れて、ある者は共に生きる。ある者は何かを学ぶ。そんな人と人との巡り合いのぬくもりを、私は感じるのだった。

結局、文菊師匠の親指になれないまま、私は会場を去っていった。帰り際、ちゃお缶を販売している吉笑さんがいた。既に6缶持っていて、全缶聴いている。私は小満ん師匠のエピソードがお気に入りである。

冷たい風が吹く夜へと消え去るように渋谷の街を後にし、私は一路、池袋を目指して歩き始めた。

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