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自称・演芸ブロガーが語る日本演芸(落語・講談・浪曲)ブログ!

爆笑と凄惨の高低差~2019年1月15日 渋谷らくご 20時回~

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マコーレー・カルキン

 

(トイレ流すの、紐なんだな・・・)

 

待ちかねましたよぉ!グビグビグビ くぁあああああ!

 

慶安太平記が全然抜けない

犬のように冬が好き

冬が訪れると、自分が犬だということを否が応でも思い知らされる。犬は喜び庭駆け回り、猫はこたつで丸くなるという歌にもあるように、私は冬が来ると、それこそシベリアンハスキー並みに雪道を滑走する勢いで、街へ繰り出している。涎を垂らし、血眼になって、ハァハァ言いながら街を歩く訳ではなく、そこは獲物を狙う狩人のように静かに、ただただ自分の吐く白い息が薔薇にならずに消えていくことの悲しみを覚えながら、ぬくもりを求めて彷徨い歩いている。

街の寒さが厳しくなるほど、私は色んな服を着ることの出来る喜びを感じる。昔は熊の皮とか狐の皮とかを着ていた時代もあったのかも知れない。仮面を被って藁で作った羽織を着て、「アーノルド・シュワルツェネッガー」ではなく、「わりぃごはいねぇが~」と人の家の子供を泣かせるために服を着た時代があったのかも知れない。その時代に比べれば、私は何かしらの化学物質だか、カシミヤだかキンミヤだか知らないが、しょっちゅう焼酎そういうもので出来たコートを着ていて、寒さを凌ぎつつも、お洒落をする喜びを感じている。と言っても浅はかな知識で作り上げられたハリボテのファッションセンスであるから、原宿を闊歩するファッションセンスの極致、THE コシノジュンコ、THE にこるん、みたいな人達に比べれば、バカボンのパパくらいの、安定したスタイル。唯一無二のハラマキスタイル、程度のファッションセンスである。だから、私と同じくらいのファッションセンスの男性の隣に、白鳥のように眩い美人がいたりすると、具合が悪くなることが日常茶飯事左談次である。(失礼な使い方!)

 

渋谷らくごへ行くシュペット・ラガーフェルド

そんな劣等感に苛まれている私だから、冬の渋谷らくごに行くのは非常に億劫である。先ほどまでシベリアンハスキーだった男が、急にシュペット・ラガーフェルドになってしまうくらいの億劫さを発揮してしまうのである。黙っていてもコスプレやら、洋服のアイコンやら、そういうシンボル的な存在になってしまうのである(意味不明)

ホテルへと消えて行くカール・ラガーフェルドばりのセレブを見つめながら、シュペット・ラガーフェルドになった私は、ユーロライブに到着する。渋谷駅からユーロライブの途中でイキイキとしたカップルと擦れ違う度に、臓腑がマグニチュード0.1ぐらいの震度で揺れているかと思うほどの吐き気がやってくる。もはやチャオチュールが無ければ満足できない体になってしまうのである。最もシュペット・ラガーフェルドはチャオチュールなど絶対に口にしないだろうが。

チケットを切ってもらって、開場時刻までの間、しばらく周りの様子を見ていた。やはりかなりの人である。当日券などは行列で、よくぞ耐え忍ばれているなぁ、と思ってしまう。もっとも、当日券の並びには忍耐力と同時に、どうやって時間を潰すか、ということも問われてくる。さらっと見る感じでは音楽や本を読むか、友人と会話をする人が多い様子だ。こういう時間つぶしに私のブログ記事が役立ってくれたら良いな、と勝手に思う。

さて、開場して着座。比較的女性が多い様子である。前列はさすがの常連の布陣。どんな場所でも常連というものは一定数存在するので、初めて来て落語の魅力にはまり、仲良くなりたいなぁ。と思う人は、ご常連の方に声をかけてみるのも良いかも知れない。ま、私は絶対に話しかけてほしくないが。

 

立川談吉『千早ふる』

前回の記事でも書いたかも知れないが、私の中では『メロディアス談吉』の異名を持つ、ハイトーンと流麗な口跡を持った気持ちの良い落語家さんである。談志師匠の口調と、左談次師匠のさらりと流れる水のような美しい口調を混合させた、唯一無二の口調を持った落語家さんだと思っている。9フレット2弦A♭の音に近いハイトーンで耳に水を注がれるように入ってくる言葉。にこやかな笑顔の奥に強烈なこだわりを秘めながらも、その香りだけを客席に届けてふわっと江戸の風を吹かせてくれる。

演目の『千早ふる』は「知ったかぶりの隠居が、歌の意味を聞いてきた男に嘘を教える』というような内容の話である。『ちはやふる 神代もきかず 竜田川 からくれなゐに 水くくるとは』という意味がどういう意味であるか、その謎を解き明かしていく。

隠居も訪ねてきた男も、どっちもとぼけているような印象が面白い。さらにはお互いに物事を間違ったまま認識していくのが面白かった。本来であれば、上記の句は『百人一首』という歌の中で、『在原業平』という良い男が作った歌とされるのだが、メロディアス談吉さんは、そこを見事にズラし、ズラしたまま突き進む。考えてみれば、冒頭で微妙にズラしたり、間違えたまま突き進むことによって、結局何も答えの出ない『千早ふる』という物語が完成している。他の師匠で聞くと、色んな解釈で『千早ふる』が演じられていて、聞き比べも面白い一席だと思う。特に立川流の落語家さんは工夫が際立っているように私は思う。

冒頭のマクラから、最後のオチまで、談吉さんが一言発した途端に、ふんわりと談吉さんの世界に誘われていく感じが心地が良い。まるで、寒い冬の夜に犬となって、霜の出来た大地を踏みしめているような心地よさがあった。

 

柳家小はぜ『厄払い』

柳家はん治師匠門下の小はぜさん。はん治師匠門下の落語家さんは、皆さん総じて『優しい雰囲気』が全開に染み出している。前座の柳家小はださんも、真面目で朴訥とした優しい雰囲気のある落語家さんだ。

寄席で見る小はぜさんは、ふわふわとやわらかくて温かい雰囲気がある。まるで湯たんぽかと思うほどのぽかぽかとした雰囲気である。『黙黙派』という雷門音助さんとの二人会もやっておられる。どこかカラテカの矢部君のような、大家さんとぼくを読んでいるかのような、素朴な優しさを感じるのである。

舞台袖から出てきて、ちょこんと座って顔を上げると、それだけでゆったりとしたやわらかい空気に包まれる。可愛らしくて、ちょっと面倒を見てあげたくなってしまうような雰囲気がある。笑顔が素敵で、一つ一つの所作も可愛らしい。落語が好きで、自分なりに出来る精いっぱいを今やろうという印象を受ける。あまり表立って「どうだ!俺の落語はすげぇだろう!」という感じではなく、「こういう感じなんですが、どうでしょうか」という控えめな真面目さを感じて、ちょっと胸がキュンっとする。

それは仕草にも現れていたり、言葉のリズムに現れていたりする。トイレのマクラでトイレで用を足す仕草をしていたのだけれど、トイレットペーパーを回したり、水を流す時の所作が可愛らしかった。どんなお家に住んでいるのか、何となくわかった。

『厄払い』という演目は初めてで、正月の雰囲気に似合う良い演目だと思った。簡単に言えば『厄払いの文言を覚えたが、失敗して逃げる』という内容である。

一つ一つの言葉も面白いし、上記した『大家さんとぼく』を読んでいるかのような、不思議な魅力がある。最後のオチもふんわりと終わって、小はぜさんのやわらかい雰囲気にマッチした、ぼんやり縁起の良い話だった。

途中、声の枯れ具合や口調が柳家はん治師匠にそっくりで、嬉しく思った。師匠の芸を弟子が継承し、それを自分の中に落とし込もうとしている様子が感じられたからだ。師匠の芸を受け継ぎ、自分のものとして昇華していく落語家さんを見るのは楽しい。もちろん、それは渋谷らくごに通い続けていれば、日常茶飯事柳家はん治のことなのだけれども。(書きたいだけ)

 

 三遊亭遊雀『二番煎じ』

名人の名を欲しいままにしている遊雀師匠。変幻自在の声色と表情、そして旺盛なサービス精神。ヒザ前ということと、松之丞を待ってる感を感じたのか、名言「芸はお客様が作る、今、お客様は歴史の目撃者!」というようなことを言って、「どうですか、私を松之丞だと思って、掛け声の練習でもしましょうか!」というような、物凄いサービス精神を発揮した後で、「待ってました!」、「日本一!」という掛け声と万感の拍手で迎えられ、「気持ちいいねぇ!」みたいなことを満面の笑みで言ってから着座。徹頭徹尾、会場を盛り上げる遊雀師匠。会場を巻き込み怒涛の勢いで会場を温めてから、『二番煎じ』へと入った。

前記事で文菊師匠が演じられてから、短いスパンでの『二番煎じ』。遊雀師匠の爆笑アレンジが強烈に面白かった。特に一番の組の人達の可愛らしさや、酒が異常なまでに好きだという感じが物凄く面白かった。演者によってこんなにも面白い部分が違うのか!という驚きもあったし、とにかく笑わせてやろう!という情熱を感じ、その情熱に応えるかのように会場は爆笑の渦に巻き込まれていた。

遊雀師匠の登場人物は喜怒哀楽の表現がとても素敵である。クロカワ先生、ソウスケさん、三河屋の旦那、たっつぁん(確か違う名前)、全員がまるで男子高校生のような、和気藹々とした空気で酒を飲んだり、鍋をつついたりする。鍋を食べる場面もとにかく大笑いしてしまって、人間の感情がくっきりとしていてとても面白かった。

出来ることならば、ソウスケさんくらいの立ち位置で仲間に加わりたい、酒を飲んだり鍋をつついたりするだけで、あれだけ皆が楽しそうにしているのだから、誰もが「仲間になりたい!」と思ったに違いない。お酒を飲む場面はイケナイ薬でも飲んでいるかのような、真の酒好きの禁断の震えを見ることが出来た。

お役人がやってきた時の「あちゃー!来ちゃった!」感も面白い。一番の組の連中が、まるで修学旅行の夜に、ふざけて枕投げをしていたら担任の教師が入ってきた、みたいな空気が流れたが、お役人が「良い煎じ薬だなぁ」みたいなことを言った時に、枕投げに担任の教師も混じったような、そんな人間の温かさを感じた。

最後にさらりと松之丞さんを引き立てる遊雀師匠。ベテランになっても若手二ツ目を持ち上げる、その懐の深さ。男の中の男、落語家の中の落語家、名人・遊雀師匠の渾身の一席でトリへ。

 

神田松之丞『慶安太平記 第十四話 鉄誠道人』

爆笑の渦に巻き込まれ、誰もが満面の笑みを浮かべているところで、「慶安太平記が抜けない」というようなことを言ってから、「今日はその第十四話を」と言った時に、私は心の中で(マジか・・・鉄誠道人じゃん・・・)とゾッとした。慶安太平記後の松之丞さんがどんな演目をやるか興味があり、見逃すわけにもいかない!と思って参じた私として、鉄誠道人の演目は嬉しいと同時に、「この雰囲気を、あそこに持っていくわけか・・・」と驚愕だった。

演目の内容に関しては、慶安太平記の【Day4】で語ることとして、短いスパンに同じ話を聞くことが出来たのは嬉しかった。やはり、連続読みで聴くのと、独立で聴くのとでは、若干の違いは見られたが、何よりも後半の場面転換の妙が素晴らしい。これはTwitterでも多くの方が話題にされていて、自分の罪を金と坊主の死によって解消しようとする人々の叫び、金を集めて幕府転覆の資金にしようと企てる由井正雪、棺の中で金を集めた後の幸福な人生を想像する鉄誠道人。そして燃え盛る焔、「狂え!狂え!」というカリスマの声。全てが言葉では言い表すことの難しい、様々な感情の入り混じった混沌とした場面がやってきた時、もはや先ほどまでの爆笑の渦はどこかへ消え去り、その渦の後で形を変えた焔が燃え盛り、全てを焼き尽くしていったかのような、衝撃に息をすることさえ忘れてしまうほどの一席だった。

改めて思うが、松之丞さんは真打の力を既に持っている。一挙手一投足から、発言から全て、人を魅了し、人の心を動かし、人を夢中にさせる力を持った講談師である。その両肩に講談界を背負い、あらゆる人々の支えを一心に受けて、今、高座で噴煙を巻き上げている。

慶安太平記の連続読みを終えて、とても自信が漲っている様子だった。真打の披露興行まで、想像以上のお客さんが詰めかけることは間違いない。もしかすると、披露興行の全てに通うお客様もいるかもしれない。否、確実にいるだろう。そのたびに、私は「待ってました!」を聴くことになると思う。

考えてみれば、これほど「待ってました!」の声がかかる講談師は珍しいのではないだろうか。それほど、多くの人が神田松之丞という講談師に魅せられている証拠だと思う。知らない人と知っている人の落差が、とてつもなく大きい人だ。

私は結構松之丞さんの高座を見ているし、その認知度はかなり高いと思われるが、まだまだ世間からすると、それほどではないようである。現に、私の友人は殆ど知らないか、テレビでちらっと見たことがある程度であろうと思う。

恐らく、真打昇進後は柳家喬太郎師匠や春風亭昇太師匠と肩を並べるほどの知名度を手にすることだろう。ますます小さな小屋で見れなくなるのが少し残念である。

 

総括 爆笑と凄惨の高低差 エベレストからマントル

前半の二人の心地よい雰囲気から、後半の爆笑と凄惨の高低差まで、どういう感情でユーロライブを出て行ったらいいんだろう。という気持ちになってしまうくらい、四人の演者さんのパフォーマンスが最高だった。

ロディアス談吉さん、やさしくふんわり小はぜさん、爆笑の嵐・遊雀師匠、惨たらしさのドーパミン・松之丞さん。終わった後のお客さんの表情を見てみたいくらいに、素晴らしい会だった。

寒い冬でも犬のように街を歩き回って、色んな物事に出会って、色んな感情を抱いて、色んな言葉を見つけていきたいと思う。

さてさて、やることは山済み。頑張って冬を乗り越えて行こう。

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