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自称・演芸ブロガーが語る日本演芸(落語・講談・浪曲)ブログ!

落語が生まれた日~2019年1月29日 ニーヌ Spooncast.net~

 「さよならテレビ」と落語

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落語はドキュメンタリーなのかどうか

 

 ただあたくしは、そのお取次ぎをするだけのことでございます

 

存在音痴

  

何億年も先の事でも

人生は一度きり、肉体は一つ。出会える人の数、話し合える人の数、仲良くなれる人の数、心許せる人の数、それらは有限。もしも地球上のあらゆる人達と仲良くなることが出来たら、その人それぞれの悩みを知って、一緒に解決のための力になることが出来たら、どんなに幸せなことだろうと思うのだけど、パソコンの前で私は、文字を打って、誰かが読むだろうと思って、文章を紡ぐことしか出来ない。否、私には文字を打って、文章を紡ぐことが、名の知れない誰かと繋がるために出来る唯一の手段なのだ。誰かと顔を合わせて話すことが苦手だから、何かを考え始めると、いつも言いそびれてしまうから、言いそびれないように、言い残しの無いように、そして、意味の伝わらないことを言ってしまわないように、こうやって私は文章を紡いでいる。

もしも遥か数億年先に、誰かが私の文章を発見して喜んでくれたら、それを私が知ることは無いけれど嬉しい。絶対に嬉しい。間違いなく私は、今を生きている。誰にも邪魔されることなく、私自身の考えを、誰かに向かって、名の知れない、読んでくれる人達に向かって書いている。それが、たとえ肉体が朽ち果てたとしても、読んでくれる人がいるのだとしたら、私は何度でも、その人の中で生まれるだろうし、朽ち果てないだろうし、生き続けていくだろうと思うのだ。だから、私の文章を読んだ人の中には、既に私は生きているのだと思うことにしている。本当に本当に小さな影響を私は読んでくれた人に与えているのではないかと、そんなことをおこがましくも思ってしまうのだ。

文章には、そして、物語には、数億年先に生きる人々にも影響を与えることの出来る、とてつもない力を持ったものが存在する。それは、古典、と呼ばれる。日本で言えば、夏目漱石芥川龍之介菊池寛森鴎外など、日本の純文学を端正な文章で築き上げた偉人たちの存在がある。海外に目を向ければ、ドイツ文学ではトーマス・マンヘルマン・ヘッセ、フランス文学ではバルザックサガンラテンアメリカ文学ではガルシア・マルケスが、未だに強烈な光を放って存在し続けている。

物語の多くはフィクション、つまり虚構の世界が主である。なぜ虚構の世界が生まれるのかと言えば、これは想像することしか出来ないが、私は日常生活の中における理想が大きな影響を及ぼしているのではないかと思うのだ。

例えば、こんな話がある。

 

 桂文楽 『心眼』に纏わる話

落語には心眼という演目がある。三遊亭圓朝の末弟子、三遊亭圓丸のために圓朝がこさえた話だと桂文楽は言っている。圓朝は目の不自由な圓丸から「師匠!こんな悔しいことがあったんですよ!」と言う話を聞き、作り上げたのが心眼だという。

この話を聞いた時に、私は三遊亭圓朝の表情を見た。狭い畳敷きの部屋で、背の低い机に紙を置き、蝋燭の灯の中で、眼をカッと見開いて筆を走らせる圓朝の姿を私は見た。その表情の奥底には、自分の大切な弟子を傷つけられたことに対する思い、そして、大切な弟子を傷つけた者達に対する、言いようの無い炎のような感情が籠っているように思えた。

だから、心眼という演目に対して、私は三遊亭圓朝の並々ならぬ意志を感じてしまうのだ。「眼が見えるから何だってんだ。眼が見えていたって、何も見えていないような奴等ばかりじゃねぇか!」という思いを感じてしまうのである。

なぜそう感じてしまうのかと言うと、それは『心眼』という物語に原因がある。目の不自由な主人公が、目が不自由であることを弟に罵られ、悲しみから薬師様にお参りに行き、目が見えるようになるが実は夢であったという内容なのだが、最後のオチに対して、私は目の不自由な人を罵った者達に向けた、強烈な皮肉の言葉だと思ったのだ。

三遊亭圓朝という人に会ったことはない。どんな人かも分からない。それでも、想像することは出来る。私は、物語を作ることによって、人々の本当の気持ちを浮き彫りにするような、物語という彫刻刀で人間を彫る彫り師のような人物なのではないかと想像した。

『心眼』、『真景累ヶ淵』、『牡丹灯籠』など、様々な角度から人間を描き、現代に至るまで語り継がれるほどの物語を作り上げた三遊亭圓朝は、きっと誰よりも人間の、時代の風潮を感じ取ることの出来る、鋭敏な感性を持った人だったのではないかと想像するのだ。

 

落語の祖 安楽庵 策伝

京都に行った折、立ち寄った店でたまたま見聞きしたのだが、落語の祖と呼ばれる策伝という人物の寺で、誓願寺という寺がある。最初に行ったときは「え?こんなところにあるの?」という不思議なところにあるお寺で、中に入ると策伝の絵が描かれた扇子を買うことが出来る。京都には他にも白扇堂などの有名なお店があるので、もしも近くをお通りの際には、是非立ち寄って頂きたい。

さて、落語の祖として知られる安楽庵 策伝は、自らの説法に笑いの要素を取り入れたことで有名になったという。今で言えば瀬戸内寂聴のようなものだろうか。笑いを取り入れ、『醒酔笑』という本も執筆した策伝が、落語の始まりだと言われている。

この『醒酔笑』という本には、現代の子ほめなどに由来すると言われる話が数多く含められているようである。私は実際に読んだことが無いので分からないが、お寺の人の話を聞く限りでは、どうやらそのようであるらしい。

そして、この『醒酔笑』という本は全てがオリジナルではないようである。色々な本から引用したり、策伝がどこかで聞いた話を面白可笑しくして一冊に纏めたのだという。

このようなことから鑑みるに、策伝が和尚という立場で、人に教え諭す説法を唱える人物であったことから、落語の基礎は、聞いた者に人生を楽しく生きるための教えを授けるものだったのではないか。と私は想像するのである。

もちろん、最初は『教え諭すもの』であった策伝の説法は、時代の流れによって形を変え、『教え諭すもの』から、『ただ何となく面白い話』に変わったのではないかと思うのである。話す方に「教え諭してやるぞ!」という強い意志が無くなり、「こんな面白い話があるんだけど、あなたはどう思う?」というふんわりとした意志になったと書けばご理解いただけるだろうか。

 

語り手の愛 『手紙無筆』

そして、これほどまでに物語が語り継がれるようになったのは、話す人間に愛があったからではないかと思うのである。例えば、話す人間が「字も書けない馬鹿いるんだぜ、信じられないだろ。この前、字の書けない阿保に出会ってさ。手紙も読めないんだぜ!阿保だよな!笑えるよな!その時思った話をこれから」という言葉を、悪意に満ちた軽蔑の表情で語った後に『手紙無筆』をやったとしたら、気持ちが悪くて聞けたものではない。

そこに愛があれば、「この前、文字を読むことが出来ない人に会いまして、大変苦労をしたのですが、実はあたくしも、最初は文字が読めなくて苦労しましたし、色んな人に迷惑をかけてしまったんですよ。そんなことを思い出しましてね。こんな話を作ってみました」と言い、その後に『手紙無筆』をやったとしたら、私は喜んで聞くだろうし、笑いながら涙してしまうだろう。

今でこそ、我々は普通に読み書きが出来るが、『手紙無筆』が生まれた時代は、多くの人々が字が読めなかったし、文字を書くことが出来なかっただろうと私は想像する。そんな人が『手紙無筆』を聴いたら、自分の心の中に共通する『字が書けない』という思いに対して、劣等感を抱くことなく、むしろ「そっか、読めなくてもいいんだ」という気持ちになるだろうと思うのだ。

落語は『人間の業の肯定』とも言われているし、『世情の粗』とも言われている。私はあらゆる人間の救済の物語だと思うのだ。どんな物語にも、誰かの心を救うだけの力がある。そして、その大きな原動力は笑いなのだ。

 

ブラック企業の社長?はたまた偉大な実業家?『化け物使い』と『かんしゃく』

落語の中には、非常に人使いの粗い人間が出てくる。古典の『化け物使い』では、自分の身の回りの世話を使用人に任せ、とにかく小言を連発する隠居が出てくる。しまいには化け物にまで事細かに注文をした挙げ句、最後は化け物に暇を出されてしまう。

この物語を聞くと、私は人を扱うことの大切さがぼんやりと分かるような気がするのだ。小言ばかり言って使用人をこき使う隠居にむかっ腹が立つし、「こんな人じゃ誰も寄り付かないよ・・・」という気持ちになるのである。現代で言えば、ブラック企業の社長のように、自分の利益や欲を最優先し、社員をとにかくこき使うというのが、『化け物使い』に出てくる隠居である。

反対に、『化け物使い』より新しい話で、三井財閥の一族で、実業家・劇作家の益田 太郎冠者という人が三遊亭 圓左という落語家のために作った『かんしゃく』という話がある。こちらは、冒頭はとにかく小言連発で癇癪持ちの嫌な男が出てて、若い妻がそれに耐えられず実家に逃げ込む。実家にいた妻の父親から助言され、その助言通りに妻は物事を実行する。すると、癇癪持ちの男は怒ることができず「これでは儂が怒ることが出来ぬではないか!」と満面の笑みで言うのである。

この話を聞くと、『化け物使い』とは正反対の、大事を成す人物の姿を私は感じるのである。何か大きな物事を成そうという人間ほど、物事に神経質で敏感で、些細なことが気に障る性格なのかも知れないと思うし、そういう小さな部分を一つ一つ見逃さない人間だかこそ、立派になるのだという説得力が『かんしゃく』という話にはあるような気がするのだ。

『化け物使い』では小言を言い過ぎて人間にも化け物にも逃げられた隠居、『かんしゃく』では、小言を言う男の言動に立ち向かう妻の姿が描かれる。どちらにも小言を言う男は登場するのだが、その人生観、性格はまるで違うように感じられるのだ。

両方の演目は、橘家圓太郎師匠がやっておられるので、機会があれば是非聞いて欲しいお話だ。

 

結局、落語はドキュメンタリーなのか 写実か理想か

なぜ、ここまでそんなことを書いてきたかというと、題目にあるニーヌさんという方のSpooncastの中で『「さよならテレビ」と落語』という内容の話題があるのだが、その中で『落語はドキュメンタリーかどうか』というニーヌさんの問いを聴いたからである。

私は、最初にこの言葉を聞いた時は、『落語はドキュメンタリーじゃない』と思っていた。というのは、冒頭に書いた『心眼』のように、誰かの実体験を元にしてフィクションとして作り上げられた物語が、落語だと思っていたからである。

そして、安楽庵策伝のことを書いている時も、落語は実体験を元にして作り上げた理想の世界なのだと思っていた。

ところが、書いていくうちに、その気持ちが揺らいだ。『手紙無筆』や『化け物使い』、『かんしゃく』を書いているうちに、「あれ?これ実体験もあるのかも」と思い始めたのである。

結局のところ、私は『落語はドキュメンタリーであり、ドキュメンタリーでない』という結論に至った。というのは、落語は膨大な数があるため、その全てを一括りには出来ないと思ったからである。要するに演目によってドキュメンタリーと、ドキュメンタリーで無い物が分けられると思ったのだ。

感覚としては、落語はドキュメンタリーで無いものの方が多いように思う。というのは、『心眼』や『手紙無筆』のように、何か心を傷つけられたり、コンプレックスを解消するようなものとして、物語が生まれたのではないかと思うからである。

他にも『天災』や『百年目』のような『教え諭す系』の物語には、どこか理想の人間の在り方を示すような、策伝のような説法に近い雰囲気を感じ、作り物感を抱くのである。反対に『猫と金魚』や『猫の皿』、『井戸の茶碗』には、どこかドキュメンタリーのような、現実の世界で起こったことのような雰囲気があり、写実感を抱く。だから、一概に言うことは難しくなってしまった(笑)

もっと『だし昆布』とか『安兵衛狐』とか『狸札』のような、分かりやすい虚構の物語で溢れていたら、ズバッと『落語はドキュメンタリーじゃない!』と言えるのだが、どうにも断定することが出来ない。むしろ、そうやって断定することが出来ないからこそ、分からないからこそ、落語は面白いのではないかと思う。人によって感じ方も違うだろうから、「私は『だし昆布』は実際の出来事だと思います!」という人がいても不思議じゃない。「儂はね、狸が札に化けたところを見たことがあるんじゃ」という人がいてもおかしくない。それは、それで良いのだと私は思う。(林家きく麿師匠の『だし昆布』を聴いたことが無かったらすみません)

落語がドキュメンタリーかどうか、自分で考えてみることはとても面白いことだったし、自分が何を虚構と思い、何を写実だと考えているかを知ることが出来てとても良かった。ここに書いたのは一例であるが、落語好きな方々と様々な演目について、『ドキュメンタリー仕分け』をしてみるのも面白いかも知れない。文七元結は実際の出来事か否か、紺屋高尾や紙入れは虚構か否か。落語好きにはたまらない噺のネタになるのではないか。話し合って思いをぶつけあうことで、また一つ落語の楽しみが増えるだろう。

 

総括 全てはあなたの意のままに 

今回、ニーヌさんのラジオを聴いて、この記事を書いている時に、私は自分の思っていた着地点に着地せずに、結局曖昧になる方向に進んだことを嬉しく思った。落語は、簡単に言い切ることは出来ない。落語に限らず、私が面白いと感じる物事の何一つとして、言い切れるものはないのだと思った。文菊師匠だって、伸べえさんだって、松之丞さんだって、どんな人でも、言葉で言い切ることの出来る人間は、この世界に誰一人としていないんじゃないかと思う。

そして、言い切らなくていいのだと思った。人生に紋切り型無し。どんなに言葉を費やしても語りつくすことの出来ない魅力が、人間にはあるのだと私は思う。

結局、いつも通りの曖昧な考えに辿り着いてしまうので、私の記事を読んだ人は消化不良を起こすかも知れない。「ここまで苦労して読んだのに、結局、どっちとも言えないのかよ」とお嘆きかも知れない。それはどうかご容赦願いたい。

最後に、ニーヌさんの真っすぐな言葉にかなり感動してしまったことをお伝えしたい。私としては『存在音痴』という言葉に、かなり痺れてしまった。物凄い言語感覚だと思ったし、その後に語られたことも、ちょっと自分のように感じてしまって驚いてしまったのである。

ニーヌさんの仰られたような『存在音痴』であったことを、私が実感したのは中学の終わりまでである。小学校の時に圧倒的な場違い感。これは、前記事でも少し書いたのだが、私は『人が当たり前に出来ることが出来なかった人間』だった。もしかすると、自覚していないだけで、今もそうなのかも知れないが、当時の私は『人が当たり前に出来ることが出来ない自分』にかなり憤っていた。それを救ってくれたのは本だった。私は虚構に救われたのだ。もちろん、当時は虚構を読んでいるという気持ちで本を読んでいなかった。たとえ虚構であったとしても、それは実感を伴って私の胸に響いてきたのだ。今でも、たまにそんな読書体験をすることがある。その度に、私はまるで他人の人生を一度体験し終えたかのような、そんな気持ちになるのである。

中学校を卒業してからは、読んだ本の影響もあってか『私は私。それだけで良し』という考えに支配されていた。もっと言えば、かなり人を見下す傾向にあった。『私の考えこそが絶対であり、それ以外はみんな駄目』だと大学生の終わりくらいまで思っていた。丁度、大学生の終わり頃に「世の中には自分より優れた人間しかいない。なんて私はちっぽけなんだろう」と思い始めた。再び本を読み始めた結果、『生きている。それだけで何もかも素晴らしい』という考えに至り、今では『なんでもおっけー』な性格になった。それが良いか悪いかは分からないが、今のところ変わる気配はない。

そんな私が、ニーヌさんに何を言えるのか分からない。それでも、言葉は出てくる。ニーヌさんの日常生活も、性格も知らないのにこんなことを言うのは、かなりおこがましいのだけれど、人間、生きているから色んな恥もかけるし、色んな失敗も出来る。死んでしまったら何も味わえなくなってしまう。ただ存在していることが苦手だと思う気持ち、そんな自分を周囲に発見されたくないと思う気持ち。私はそれがとても人間らしくて素敵なことだと思う。自分を変えたいと思うならば、きっとどこかのタイミングでそれはやってくるだろうし、自分を変えたいと思っていなくても、いずれどこからか何かはやってくると私は思うのである。

なんだか説法臭くなってしまったのだけれど、要するに岡潔の言葉を借りるとすれば「すみれはすみれのように咲く」のである。小津安二郎の言葉を借りるとすれば「豆腐屋ですから、豆腐しか作れません」という姿勢で良いのだと思う。人にはそれぞれに任があって、そこから逸脱した行いというのは、不思議としないものであるというのが、私の実感としてある。

いずれにせよ、多くの演芸に触れ、多くの演芸に感動し、多くの演芸に笑ったり、泣いたりしている、そんなニーヌさんの心はとても清らかで美しいと思うのだ。

これは、そんな名の知れぬ一介の演芸ブロガーの、長い長い言葉による、思いである。読み飛ばしていただいても構わない。でも、一つだけ。あなたのラジオに感動したことだけはお伝えしたかった。

それでは、また。皆さんが素敵な演芸と出会えることを祈りつつ。次回。