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自称・演芸ブロガーが語る日本演芸(落語・講談・浪曲)ブログ!

4月神席 池袋演芸場に行け! 2019年3月25日

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年度末ですぜ。粘土待つとは訳が違いますぜ。門松とも違いますぜ。

 

年度末とマラソンは、ゴールが見えても忙しない 。

 

時間が無いなんて言い訳さ。

本当に人生を楽しんでいる人は、時間を無理やり作るもんだよ。

 

さあ、何もかも忘れて演芸を楽しもう

 

ゴールの見えたギリギリの

年度末ともなると、私のような棒っ切れには些か心苦しい時期である。世間一般がどんな忙しなさに時を割かれているかは分からぬが、私とて例外ではなく、あらゆるものごとを清算しなければならず、きっちり気合を入れて一瞬一瞬を過ごさなければならなくなる。感覚的には脱皮寸前の蝶に近いのだが、年度が明けたからと言って脱皮できるとは限らない。限られた日数の中で、いかに全てを丸く収めるか。ここに手腕が問われるわけである。

私は元来、物事は悲観的に見るが、心の内では楽観主義者である。だから出世しないのだと言われても、私に出世欲は無い。あらゆるしがらみから解き放たれて、時に鼻垂れて、ただ自分の好きな時間を、好きなように楽しむことが出来れば、これ以上は何も望まない。龍安寺の教えにもあるように『吾唯足知』の心境である。人間というのは、求めている時ほど渇いており、求めていない時ほど潤っている。世間はとにかく『求めろ!さすれば与えられん!』という風潮であるが、もうそのような妄言には付き合ってはいられないのである。年度末を迎えたからといって、慌てふためいていてはどうにもならない。私は全てを諦めて、時間がただ過ぎることだけを望むばかりである。誰それは一所懸命に帳尻を合わせようと、躍起になって周囲の人間を鼓舞しているが、年度末ともなればそれは悪あがきであって、一年のツケの全てを年度末に払わなければならない。非常に抽象的な言い方になるのは、あまり仕事について詳しく語りたくないからである。とにかく、人は年度末には人を蹴落としてでも一歩先を行こうとするものであるらしい。

思えば学校教育などでは皆平等を謳っているが、社会に出れば嫌でも比べられる。誰それは劣っており、誰それは優れているなどと言われることは目に見えていたので、私はそういう類の競争精神からは逸脱し、せっせと自分だけが楽しめるレールを引き、自分だけが美味しいと感じる井戸を掘り、自分だけが美しいと感じる者達と付き合うことに決めている。だから他人を見てもあまり羨ましいとは感じないが、大変だろうなとは思う。私のやりたくないことをやっている人を見ると尊敬の念すら覚える。

これは決して自慢では無いが、私は人の顔と目を見れば、その人が私にとって精神的に危険な人物であるか否かを判断することが出来る。そのおかげで、幸いにも未だに私にとって精神的におかしな人物と関わったことが無い。反面、お前の方がおかしいと言われると、言葉に窮するのだが。

戯言はこの辺にして、年度末ももうすぐ終わりである。些かハードであっという間の一か月であったが、迎えて見ればそれほど大したことは無かった。さて、演芸について語ろう。

 

戯言の雫

忙しないなと思う時ほど、私はくだらぬ冗談を言うことにしている。体が極限まで疲れていると、本当にくだらないことを周囲に言い放つという癖がある。この癖は私の自覚している癖の中で最も質が悪く、酔った時などは尚更で、愚にも付かぬ戯言ばかりをただ延々と言い続ける。例を挙げるとすれば、寺の坊主が頷いて「そうそう」、大工の歌う歌は第九、仮名で奏でる仮名手本、かくも悲しき物語かな。などと、意味の無い戯言で気を紛らわせるようにしている。文章を書く時も読む時もそうだが、自分の精神状態が良くないと、文字を読んだり言葉を発したりするのは億劫である。自分の体の限界を超えて努力しないこと。これが私は大切だと思っている。

スポーツなどでは、限界の先に見えるものがあると言うが、私はそもそもスポーツが苦手である。体を使うものは殆ど駄目で、むしろ家でじっと読書をしながら、誰かと語り合っている方が性根に合っている。自分でも不健康かも知れないと思うが、それは肉体的なことに対してそう思うのであって、こと精神に関して言えば、これ以上の健康は無いように思われる。世間一般では肉体の健康が精神の健康を保つ、すなわち肉体と精神は比例関係にあると思われているし、確かにそういった面もあると思う。だが、精神が拒むような肉体的労働はご免こうむりたい。精神と肉体が合致したとき、初めて両者は向上できると私は思っている。だから、精神が「もっとマッチョになりたい」と望むのならば、精神に無理のない範囲で努力をすれば良いと思う。はて、演芸を語る筈がなぜ私はこんなことを語っているのだろう。話の本題のマクラであると思って頂ければ幸いである。

 

岩から染み出た雫のように

再び話題は年度末に戻るのだが、この忙しい状況で何としてでも落語が聞きたいと思う。それは、落語を聞いて笑いたいと思うからであろう。常に私の想像を超え続ける桂伸べえさんの落語は、疲れている時ほど無性に聞きたくなってしまう。そのうずうずを抑えきれない。今日はそんなに落語を聞きに行く気分ではないな。今日は駄目かも知れないな、という精神状態であっても、一度伸べえさんが高座に上がると、比類なき面白さで腹も心も揺さぶられてしまう。あの魔力は一体何なのであろうか。なぜあれほどまでに面白い空間を作り上げることが出来るのだろうか。伸べえさんの高座は、私がどんな精神状態であっても、常に面白い。そして、面白いを更新し続けている。計り知れない魅力の前で、私はその瞬間だけ、ただ笑うことしか出来ない。

連雀亭の記事は個人を特定されやすいので、日を置いて書くようにしているが、この前連雀亭で見た伸べえさんの『ちりとてちん』は最高の面白さであった。これまでのマクラの全てが爆発していたし、ワードの一つ一つが強烈であったし、何よりも生み出される間が尋常ではないほど面白いのである。なぜこの面白さを誰も発見しないのかと若干腹立たしく思ってしまったりもするのだが、今、着々と伸べえさんの面白さに気づき、もはや中毒になっている人々が増えているようである。嬉しい限りというか、得体の知れない面白さを公言したくなってしまうほどの魅力が、桂伸べえさんという落語家にはあるのだ。

そんな伸べえさんの落語と、文菊師匠の落語を、私は何としてでも月に一回は聴くようにしている。むしろ、月一回どころではないのが恐縮であるが、この二人の落語家の素晴らしさは、どれだけ語っても語りつくすことは出来ないだろう。なぜなら聴く度に、高座に出会う度に、進化していることが分かるからだ。「ああー、今日は駄目だった!」という日が一日として無い。一瞬一瞬が黄金の体験であり、伝説の体験であるのは、私が二人の魅せる芸に惚れ込んでいるからであろうか。

だから、何としてでも、それこそ岩から染み出すように、何とか忙しい合間を縫って、二人の落語を聞くようにしている。本当に面白いことは、ネットじゃ見つけられないのだ。そして、そこにしか無いものの素晴らしさに気づいてしまったら、もはやテレビを見る暇も、本を読む暇も無く、一にも二にも演芸を聴かなければならない。サンテグジュペリのオマージュとして言えば、『本当に面白いものはネットには無い』だ。むしろ、『面白そうなもので溢れている』のが、ネットだと思っている。本当に面白いかどうかは、実際に見て見なければ分からないことの方が多い。アイドルのグラビア写真だって、実物を見たらそれほど綺麗ではないかも知れない(ちょっと偏見)

ネットの定義にもよるし、何を面白いと感じるかは人それぞれであるから、今回の記事は些か過激な発言ではあるものの、やはり百聞は一見に如かずということにもあるように、こと演芸に関して言えば、生で、その場の空気の中で楽しむことの方が、音源を聴くよりも遥かに素晴らしい体験になるだろうと思う。だから皆さん、寄席に行きましょう。

 

オススメは4月上席 池袋演芸場

さて、早速『面白そう』な情報を一つ。来週に迫った4月上席は池袋演芸場が最も熱いだろう。昼の部では文菊師匠、白酒師匠、左橋師匠、さん喬師匠、扇遊師匠、そしてトリに菊之丞師匠。昼夜入れ替えが無いから、そのまま夜席に流れ、注目は小んぶさん、小平太師匠、小せん師匠、扇辰師匠、花緑師匠、左龍師匠、白鳥師匠、そしてトリは喬太郎師匠。

私は言いたい。

 

何この激ヤバの昼夜!?

  ええっ!!!!???

中原中也!???

ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

ゆあーん ゆよーん 

ゆあーん 

ゆーん

 

と、思わずサーカスな気分になってしまうほどの、番組構成である。代演無しの番組だったら、こんなに素晴らしい番組は無いと思う。この先、何度お目にかかれるか分からない、最高の番組がここに誕生している。出演されている演者さんはどれも私好みで、これをセンス無いという人はいないんじゃないだろうか(ちょっと自信あり)

もしも落語初心者の方や、落語をこれから知りたい!という人は、池袋演芸場に行って欲しい。絶好の機会であると思う。もう一度言っておく。こんなに素晴らしい番組は無い。もはや4月神席である。もちろん、私も昼夜通しで行く予定だ。

素敵な演芸に出会えるチャンスが、ここにある。

是非、皆さま、池袋演芸場で、この人が森野だろうな。と思いながら客席も眺めてみてくださいね(無駄な楽しみを最後に付す)

考えてみれば、新元号が発表されて最初の10日間になる。次の年号を期待して笑ってほしいと思います。