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ユーコン川を走る硬い箱のつながり~第12回 どんぶらこっこ ゑ彦印~2019年3月29日

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この延長線上に

 

好きなことを好きなだけ語る人が好きな人

 突然バーン

私の周りには好きな事を好きなだけ語ることの出来る友人がいる。友人の話は、いつも新鮮で、時々かなり偏っているのだけれど、その不器用さが好きで、いつも微笑みながら聞いている。能力の全体的なバランスが良い友人は一人もいない。誰もが何かしら突出した能力を持っていて、それ故に社会で様々な困難に出くわし、同時に憤ったり噴煙を巻き上げているのだけれど、その生き方が私は羨ましくて仕方がない。何か一つのことに熱狂的なまでに情熱を捧げられる友人を見ていると、自分もそうありたいと思いながら、自分の心の中にそれほど強い情熱が無いことを知る。私は色んなことを知りたい欲求が強く、それ故に一つのことに熱中できない。唯一熱中し、今日まで継続出来ていることと言えば、こうやって文字を書くことくらいであろうか。

ふと思い立って柳家小ゑん師匠と林家彦いち師匠の会に行った。自分でもなぜ行こうと思ったかは分からない。家でぼんやり本を読んでも良いかなと思っていたのだが、きっと、好きなことを好きなだけ語る二人の落語家の姿が見たかったのだと思う。

私は、前記事にも書いたけれど、いつも私の周りには、私以上に物事に熱中している人がいる。そういう人達の言葉は、宝石のようにキラキラと輝いている。私はそれらを見て、ほんの少しでも成分を分けて欲しいなと思いながら、記事を書いている。火を眺めながら、火について語るときに、火の本当の熱さは火そのものにしか分からないみたいに。私は火の強さや火そのものが、如何に素晴らしく燃えているか、ということを火の温かさを体に感じながら、書いていると思っている。

結論から先に言うとすれば、ずっと笑いっぱなしの、最高の会でした。この二人なんだもん。そりゃ間違いないよね。

 

オフィスねこにゃさんのこと

素敵な会場で、素敵な落語会を開かれているのはオフィスねこにゃさん。とても一所懸命な方で、舞台のことや演者さんのことなど、走り回ったり、色んな人の協力を得ながら開催されている姿を見ると、落語会を開くことの大変さもさることながら、落語会を継続していく大変さもあるだろうと思う。とても素敵な笑顔を受付で見せてくれるのだけれど、私には少し疲れていらっしゃるように見えて心配になってしまう。私は単なる一人の観客であるけれど、私の想像以上に、落語会を開かれている方達には苦労があるのだろうと思う。確か、初めて参加した時は、一人で大変なオフィスねこにゃさんを、お客様が助けている光景を見た。ばたばたと会場作りに走り回るねこにゃさんのために、お客さんがチラシを折り込んだり、整理券を配ったりしている光景を見た時に、「この会は間違いなく素敵な会だ」と思った。あまり落語の主催者さんについて普段気にしていなかった分、私はその一所懸命さに心打たれた。本当にあたたかいお客様がこの場所には集まっている。そして、そんなあたたかいお客様が集まってくるのは、間違いなくオフィスねこにゃさんのおかげだと思う。柳家小ゑん師匠と林家彦いち師匠のお二人が舞台に上がられ、楽しそうに、嬉しそうに、ワクワクしながらお話されている姿を見ると、寄席では普段見ることの出来ない、その空間だけに生まれる最高の雰囲気があると確信できる。いつも素敵な微笑みの傍で、こんなにもたくさんの笑顔が生まれている。こんな素敵な会が長く続くことを、誰が読んでいるか分かりませんが、記しておきたい。オフィスねこにゃさん、いつもありがとうございます。

 

 林家きよひこ 鮑のし

開口一番は林家彦いち師匠の二番弟子、きよひこさん。詳しくは第10回の記事を参照して頂きたいが、今回は古典。夫婦の会話が独特で、温かい会場にすっと馴染むような語り口。受付でも、オフィスねこにゃさんのお手伝いをされており、そうしたお姿を見ていると、なんだかとても心が穏やかになってくる。素敵な笑顔の一席。

 

柳家小ゑん 注文の多いラーメン屋

にこやかな笑顔と真っ赤な羽織で登場の小ゑん師匠。多様性についてのマクラ(と書くと高尚だけど)からネタへ。新作落語の台本を募集し、その中から選ばれたネタで、今回はネタ出しの一席。前半のラーメン注文のくだりから、後半は怒涛の勢いで小ゑん師匠の世界。私も電気屋の息子なので、小ゑん師匠の話にはところどころ分からない部分もあるけれど、電子回路や電子部品、Fケーブルの話はバッチリ絵が見える。私の友人にも小ゑん師匠のように、生粋の電子回路好きがおり、体の80パーセントは電子回路と音響技術で埋め尽くされているのではないかと思うほど、理解が難しいワードを連発してくる友人がいる。それはそれで面白いのだが、小ゑん師匠の落語は、たとえ専門用語が分からなくても面白いし、分かるともっと面白い。私は小ゑん師匠の噺の60パーセントくらいは理解できるし、後半の部分は腹を抱えて笑った。電子回路好きな友人にもオススメしたい最高の一席である。

何度も書いているけれど、自分の知らない分野のことを、楽しそうに語る人を見ているのが好きな人であれば、小ゑん師匠の鉄道ネタや電子回路ネタは楽しく聴けるのではないだろうか。もちろん、楽しく聴くために勉強が必要だと言いたいわけではない。小ゑん師匠に限らず、駒治師匠や竹千代さんなど、自分が知らないことでも、面白くて笑えるお話が出来る落語家はたくさんいる。むしろ、この知らないことを自分の知識として吸収出来たら、きっと日常生活でも使えるだろう。小ゑん師匠のおかげで、私は電子回路好きな友人とも会話をすることが出来る。「アキヅキ電子って知ってる?」と友人に言えば、友人は目を輝かせながら「めちゃくちゃ良く行くぞな!」と答えてくれる。そう、私の数少ない『ぞなもしの友人』は、物凄い電子回路好きで、今も大好きな電子回路を専門に仕事をしている。

落語を通じて、今まで自分が知ることの出来なかった世界を知ることが出来るなんて、こんな幸せなことは他には無いと思う。大好きなものについて語られるとき、大好きな人がそれを語るとき、私は自分でもびっくりするくらい、それらを身に付けようと耳を立てている。徹底的な博識に裏打ちされた、怒涛の後半。最高に面白い一席だった。

 

林家彦いち 臼親父

決して頭の薄い親父の話ではない。彦いち師匠は舞台袖から颯爽と現れ、パパっと裃を見てから頭を下げる。その挙動のメリハリの良さを見るだけで、「もう間違いない」と長井秀和ばりの気持ちになる(古っ)

日常の中に唐突に現れた小ゑん師匠の鉄道・電子回路ワールドから、彦いち師匠は日常から非日常へと見事に場面を転換されるお話をする。その豪快さもさることながら、意外なほど容易に想像することが出来るのは、彦いち師匠だからこそ生み出せる技だろう。境目もはっきりしているし、非日常の世界が描き出されると、何の疑いもなくスッと世界に溶け込むことが出来る。

彦いち師匠は、日常と非日常の描き方が物凄く上手だと思う。言葉遊びの巧みさも彦いち師匠印!とばかりに展開されていく。非日常の世界に一度入れば、頭の中を一瞬も現実的な要素が介入されなくなるのだが、それが急激に日常に戻る瞬間の、脳内で変換されていく映像の移り変わりが気持ち良い。小説で言えば『不思議の国のアリス』を読んでいる感覚に近い。映画で言えば『千と千尋の神隠し』に近い。

反対に、小ゑん師匠の落語はシュルレアリスムの感覚に近い。もちろん、これは私の中でであるが、小説で言えば『海辺のカフカ』、映画で言えば『イレイザー・ヘッド』に近い。普通の日常の中に、突如として深淵が現れる感じと言えば良いだろうか。

さて、『臼親父』の一席である。彦いち師匠の細かな所作も面白いし、それぞれのキャラクターも妙な説得力がある。元になった童話を知っていれば間違いなく楽しめるし、たとえ元になった童話を知らなくても楽しめる。落語の面白さの一つとして、『知らなくても面白い。知っていればもっと面白い』という点がある。以前にも書いたが、春風亭百栄師匠の新作落語で、『落語家の夢』も同じことが言えるであろう。

ひたすら爆笑の一席。頬骨の伊丹十三を抱えながら仲入り。

 

 柳家小ゑん 鉄寝床

寝床という演目ほど、落語家の個性が現れる落語はないかも知れない。そんな風に思えるくらいに、めちゃくちゃ面白い一席だった。出来ることなら、9時間くらい小ゑん師匠の鉄寝床を延々聞き続けたい。物語の主人公は様々な人から自分の趣味を煙たがられるが、そんな落語を聞いている私の方は、薪が燃える映像を眺め続けているような心持ちで、9時間くらい小ゑん師匠の鉄寝床を聞きたいと思っている。なんだか妙な話だが、それくらいに小ゑん師匠の溢れ出る知性が滲み出た一席だった。

古典落語の寝床を元にしながら、怒涛の勢いで繰り広げられる鉄道の話は、分かる部分もあれば分からない部分もあったが、およそ60パーセントは理解でき、温かいお客様の笑顔もあって、物凄く面白かった。なんとかして言い訳をする人々の鉄道に関連した話題もさることながら、私が一番好きなのは『来々軒のワンさん』のくだりが最高である。寝床と言えば!この名言!という部分を、見事に来々軒風味に変換されていて、体をよじりながら笑ってしまった。延々と聞き続けられる鉄寝床。まるで延々と乗り続けられる山手線のような落語だった。

次から次へと繰り出されるディープな話を一度聞いてしまったら、もう笑うしかない。後で「あれはどういう意味だったんだろう」と気になって調べると、再び「ああ~鉄寝床が聞きたい!」と思ってしまうから不思議だ。それほどに、小ゑん師匠の博識ぶりは面白くてたまらない。小満ん師匠もそうだが、色んなことを知っている落語家さんの話は、まさに極上の金言なのだ。少しでも多く知りたい、少しでも多く理解したい。知的好奇心が旺盛な私にとって、博識な落語家さんは何にも増して追いたくなる。寄席で見ることの出来る『ぐつぐつ』も最高だ。おでんを知らなくても面白いのだから。

たっぷりの鉄寝床。お腹も痛いし頬骨も痛くなるくらい笑った。もうめちゃくちゃ面白くて、それはきっと記事で書く以上のもの。凄く面白い一席だった。

 

 林家彦いち 愛宕

再びワンフレーズで非日常へと聞く者を連れていく彦いち師匠。この凄さの秘密は一体どこにあるんだろうと気になってしまうくらい、先ほどまでの鉄道関連の世界から、舞台は一気にカナダのユーコン川へ。って、この場面転換の想像の距離が凄い。しかも、それが容易に想像できてしまうから不思議だ。さっきまで鉄寝床で旦那の鉄道趣味にどっぷり浸かっていたのに、ものの数秒でユーコン川で船を漕いでいる。改めて落語の無限の可能性を体感する。脳内にぱあっと開けたユーコン川、船を漕ぐ一八とシゲさん。陽気な歌を口ずさみながら山のてっぺんまでやってくる。怒涛の勢いで非日常の世界が繰り広げられる。これがとにかく面白い。そして、彦いち師匠の細かい所作も想像の手助けとなって、一気に愛宕川の世界に連れていかれる。凄すぎるんですよ。凄すぎて、凄すぎて、私はただ頭の中で繰り広げられる映像を見て笑うしかなかった。目で見ているもの以上に、多くのものを見ている私。最期は物凄い勢いで終了。

 

総括 ゑ彦印は間違いない爆笑印

額と両頬に『ゑ彦』と印を押されたのではないかと思うほど大爆笑の会だった。今きっと私の両頬は、お坊ちゃまくんのように赤くなっているだろう。久しぶりに大笑いした気がする。ようやく年度末も終わりを告げた。そんな年度末の終わりに、こんなに素敵で面白い会に行くことが出来て、本当に幸せである。

思えば、今日は朝からずっと幸せだった。今日もと言っても過言ではない。毎日が幸せである。

次は土曜日の開催である。私はもしかしたら行くかもしれない。いずれにせよ、この会には是非とも多くの人々に行って欲しい。『秘密倶楽部』のような、『池袋演芸場』のような雰囲気が漂っているから最高である。

私はユーコン川を走る硬い箱のつながりに乗り込み、一路、家路を目指した。