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自称・演芸ブロガーが語る日本演芸(落語・講談・浪曲)ブログ!

2018年のGWの話 2019年4月26日

ゴールデンウィークの一人旅。

湖や滝や日本庭園など、自然の美しさ、日本の風景というものを強く体験することができた。

山について僕が感じたことを語ることにする。

山梨県にある母の白滝を見るため、僕はカメラを持って滝の写真を撮っていた。
丁度、そこに高校生くらいだろうか、インストラクターを引き連れて『三ツ峠』と呼ばれる登山道を登っていく様子の集団がいた。
それまで僕は三ツ峠があることを知らなかった。
興味本意で、僕は図々しくもその集団の後ろをついていくことにした。
途中、そのグループが山の説明か何かで立ち止まったので、僕は耐えきれず前に進んでいった。
すぐに頂上なのだろうと思ったが、これが大きな間違いだった。

登っても登っても頂上が見えてこない。挙げ句、クマ出没の看板まで出てきた。もう諦めよう。これは名誉の撤退だと思って引き返そうとした。
すると、後ろから山岳部らしき四人の青年が大きなバッグを背負って駈け登ってきた。どうせなら、クマに襲われても誰か一人食われれば助かるだろうと思ったし、これは何かの啓示なのだと勝手に思い、僕は再びその青年達の後ろをついていくことにした。

青年達はぐんぐん登っていき、あっという間に引き離されてしまった。まずいぞ、と思いながらも、僕は引き返せない気持ちでいっぱいだった。ここで戻ったら後悔するぞ、頂上に登ったと言えなくなるぞ。と心の声が聞こえた。
適当に登って、諦めた話をすれば笑い話にもなるだろう。でも、僕はどうしても登りきりたいと思った。
僕は何かに集中したら、なかなか他のことは出来ない性質があるらしいと思った。

酷く足が痛み、呼吸も苦しく、何度も転びながら、僕はゆっくりと頂上に近づいていた。
ああ、これだ。と思った。
どうして人間はわざわざ苦しい思いをしてまで山に登るのか。長い距離を走るのか。僕は発見した。
その言葉を心の中で呟いていた。

この苦しみを乗り越えた先に、僕はどんなことを考える人間になっているのだろう?

諦めてしまえ。引き返せ。どうせ無理だ。
そんな言葉を聞こえないフリしながら、僕はただ心の中で言葉を繰り返していた。
途中、下山してくる人々が口々に僕を見て「こんにちわ」と声をかけてくれた。とても嬉しかったし、勇気が出た。
今まさに僕は山の中にいて、確かに登っていて、諦めずに進んでいる。「こんにちわ」という何気ない挨拶の中に、言外の力がある。僕はそう思った。

一人で登るのは確かに孤独だった。でも、僕は山は一人で登りたいと思う人間だ。誰かと共有したくないのだ。山登りの苦しみを。山頂の景色の美しさは共有したいけれど、そこに辿り着くまでの自分の苦労はあまり人には見せたくないし、他人のもあまり見たくない。
命の責任を自分一人で抱えている。その責任感、緊張感が僕は山登りの魅力だと思う。

山登りは自分との対話なのだと思った。もう諦めるのか?ここがお前の限界か?と問われても、いいやまだ諦めない。まだ自分の限界じゃない。と返事をする。
そうやって登りきった山頂の景色は、何物にも代えがたい景色になるのだ。単なる美しさに自分の思考がプラスされる。その景色を見出だした事がある人にしか分からないかも知れないけれど、僕は是非、この記事を見ていただいている方にも感じてほしい。

山を登るときと山を降りるときでは、全く心持ちが変わっていることに僕は気づいた。
よくこの険しい道を登ってきたなぁ、と登っていた時の自分が無性にいとおしくなるのだ。

山登りを終えて、近くのレストランで食事をした。
これが美味いのなんの。実に絶品だった。

最後になるが、今回のGWは一昨年に比べるとそれほど活発に動いた訳ではなかった。けれど、三ツ峠を登りきって、何か大きな終止符が打たれた気がする。
得るものはとてつもなく大きかった。他にも実は見せられない手記があるのだけれどもね(笑)

とりあえず、旅のベストショットをスライドショーにしました。少しおすそわけです。(個人のラインのため、ここには未記載)
今は軽い筋肉痛を癒しながら、この後、落語でも聞きに行きます。
そうそう、孝行糖という落語を一席覚えました。

ではまた、いずれ日々の雑感を書こうと思います。