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自称・演芸ブロガーが語る日本演芸(落語・講談・浪曲)ブログ!

大海、そして流れの方向について~2019年5月5日 なかの芸能小劇場 古今亭文菊独演会~旅と恋と川と

 

どんとこい

  

風が騒ぐ夜は

4月27日の朝から5月4日の夜まで、私は旅に出て、そして、恋をした。

恋をすると、言葉が混み合って纏まらず、記事を書こうにも上手く『流れ』が掴めない。それまで当たり前のように演芸について語ることが出来ていたのに、目の前の輝きに心を奪われてしまうと、頭を過るのは常に恋した相手の笑顔ばかり。

毎夜、胸で煎じた薬が増える。

心で飲ませたい相手の前で、ただ茫然と視線を散らして、言葉は解れた糸のようにうじゃじゃけて、寝ぐせのようにだらしがない。瓶詰の薬は棚に収まる。溜息は壁に溶ける。胸に棲む薬剤師は今日も、潤んだ瞳ですりこぎ棒を回す。

ならば、と。この思いを書きながら、私は再び演芸について語るための準備をする。旅の最中に書き留めた文字を見返しながら、小さな鰻の這った後のような文字を眺めながら、私ははっきりと思い返す。そうだ、旅をして、恋をしたのだ、と。

旅と恋は似ている。見たい景色や場所を目指して移動している最中の心持ちは、きっといつか出会えるであろう最愛の人との対面を待ち望む心持ちに等しい。それは、岸から岸へと渡る船に乗る気持ちにも等しい。

月の光に照らされて、静かに波打つ川面を船と、一つの影が移動していく。船を漕ぎ対岸へと渡り切ると、私はまた何かを見たいと望みながら、歩みを進める。旅には、前向きな意志がある。前向きな意志と、小さな不安と、大きな期待、そして体力。それらを燃料として私は前に進んでいく。漕ぎださなければ川に挟まれた陸と陸を渡ることは出来ない。前に進もうと思わなければ、前に進むことは出来ない。私は自ら後ろに進みたいと思うような人間ではない。そんな時も必要かも知れないが、少なくとも、移動しなければ何かに出会うことは出来ない。

ならば、動こう。

風が騒ぐ夜は、家へ帰りたくなんかないのだ。どんと。

 

演芸記事の原点へ

令和になって、誰の落語が見たいか。答えはすぐに出る。

古今亭文菊

旅を終えた5月4日の翌朝、5月5日。導かれるように文菊師匠の独演会があった。

いつもの服に着替えて、いつもの鞄と、いつもの眼鏡をかけて、いつものように家を出る。8日ぶりの景色が旅に出る前と違って映る。そこに何の作用があるかは分からない。私の文章も、心持ちも、きっと旅に出る前と後では異なっている。否、文章のテンションは、常に私の心身の状態と気分に左右されているから一括りに断言することは出来ない。それでも、確実に、私の心持ちは角度が変わっているような気がする。色ではなくて、角度が。立体的な角度が。

最寄り駅を降りて、確かめるように改札口を出て、独演会の会場へと向かう。黄金週間も後半に差し掛かっている。人の通りは相変わらず多い。誰もが移動し続けているのだと気づく。

ふいに、旅のことを思い出す。

旅の醍醐味は、『移動』にこそある。と書くと『観光名所じゃないのか』とお叱りを受けそうだが、こと私に限って言わせてもらえば、目的地へと移動している時ほど、胸の高鳴りを自覚するのである。変な話かも知れないが、目的地に辿り着いた時の感動はもちろん大きいのだが、それよりも移動している時に目的地でやりたいこと、見たいことを想像している時の方が、実際に辿り着いた時の感動を越えているのだ。

下世話な話だが、私は精子の頃からそんなことを考えていたのではないか。0.06mmの小さな精子だった頃から、私は他の3億9999万9999の精子の誰よりも、「移動ってたのしいなぁ!」と思っていたのではないか。その思いが強かったからこそ、今の私がいるのではないか。とすれば、私は今、どこへ向かって移動しているのか。

 

 川と大海

それは死だ。などとつまらぬ事を思う気は無い。思うに、大海ではないだろうか。山が雨を吸収し、上流から下流へと流れる川を作るように、私は一つの『川』なのではないか。概念としての『川』である私は、下流へと流れてゆき、そして最後は一つの大きな海へと辿り着くのではないだろうか。と、そんなことを考える。

今の私は、大海へと辿り着こうとして流れ続ける川である。川には当然、石やら枝やら障害物がある。乱雑に置かれた石や枝は川の流れを堰き止めたり、流れる方向を変えたりする。思うに、演芸とは、人の生み出した芸術とは、川の流れを整えてくれるものではないかと考える。水の清濁は環境が変えると思うから、あくまでも芸術は『川の流れを整えるもの』と考えている。流れるべきところに流れ、正しい清浄度で川が流れて行けば、生き物は生まれ、石は丸みを帯び、枝は留まるべき場所に留まる。裏を返せば、濁った環境ではどれだけ流れが整えられようとも濁りは消えない。自らが清らかであるか、濁っているかはどう判断すればよいか。それは、他の川の流れを見て見なければ分からないだろう。そもそも清らかであることと濁っていることに、良い悪いなどということは無いから、自らが濁っていようとも、清らかであろうとも、正しい方向へと流れているのならば、最終的に大海へと辿り着くから安心してほしい。と、そんなことを考えたのは今になってのことであるが、文菊師匠の落語には、どこか清らかな流れへと続く作用を感じたのである。

 

文字が咲いたよ菊の花

菊の花言葉は『高貴』だという。私は物書きで、文章を書くのが好きで、もともと『文』という文字も好きである。鍬である。

文字と菊。文菊師匠の落語には、高貴な文学を読んでいるような、品格を感じるのである。それでも、だんだんと文菊師匠が近い存在になってきたような、そんなマクラを語られるようになった。寄席でお決まりのマクラではなく、独演会でしか聞くことの出来ないような、文菊師匠のという一人の人間の心持ち。それを、鮮やかに落語の演目へと繋げて行く文菊師匠の素晴らしさを目にし、私は「ああ、帰って来たんだな」と思った。

四段目』は何度か聞いたことがあったが、今までで一番面白かった。歌舞伎に興味が無いと冗長になりがちな話を、序盤に仕込みを入れ、定吉の個性がかなりくっきりとしてきているように感じられた。何よりも会場が完全にホームだから、文菊師匠もとてもやりやすそうだった。浅草演芸ホールで見る文菊師匠とは二味も三味も違うような、もっとフレンドリーな印象を受けた。独演会ならではの感じがあって、やっぱり文菊師匠の独演会を見るのが、私の旅の終わりに相応しいと思った。

次の『大山詣り』は話の筋は聴いたことがあったが、実際に聞いたのは初めてだった。まさか、旅の話が出て来るとは思わなかったので、とても嬉しかった。この話のオチは、まさに文菊師匠から言葉をかけてもらったような、そんな心持ちになって、改めて「そうか、私の10連休の旅における終着点は、ここにあったんだ」と思い、運命を感じた一席だった。

 

旅の後で

土産話がたくさん出来たので、この記事を書くまでの間に、随分と色んな人と旅の話を語り合った。本当に近しい人としか、私は旅の思い出を共有したくないから、記事として書くことは無いが、本当に素晴らしい旅だったことだけは間違いない。

前記事で、私は昨年の黄金週間の思い出を総括した。今回も、美術館や庭園など様々な場所に足を運んだ。印象深い場所も幾つかある。それは、この記事を読んでくれているあなたと私が、親しくなったらお話することとしよう。

旅の後で、リハビリのような記事になったが、少しずつ、いつもの調子、『流れ』を取り戻そうと思う。旅をすると色んな『流れの方向』が見えて目移りしてしまう。恋なぞすると、途端に川の流れが激しくなって困る。

今は怪我無く戻ってくることの出来た運命と、いつもと何も変わらない部屋にいることが、不思議と幸福に思えてならない。

さて、少しずつ、再び言葉を紡いで、自分の思いを語っていくことにしよう。