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自称・演芸ブロガーが語る日本演芸(落語・講談・浪曲)ブログ!

カエスガエス・ヒンスドンス~5月14日 隅田川馬石・古今亭文菊 二人会 古典でござる~

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返す返すも貧す鈍す

 

扇子巻子が好かん酔漢

 

 萬子筒子に索子信ず

 

金糸銀糸に近視禁止

  タレソカレソノタソガレガシー

 綻びたとて傷にもならぬ、そんな約束を破られて一人。ぽつりぽつりと街角に、隠れるように歩きながら、何から身を隠そうとしているのかも知らずに、伊賀も甲賀も分け隔てなく、心は破られた約束に対する腹立たしさを耐え忍びながら、歩を進めよと身体に告げている。

 小手先三寸で待ち望んでいた約束を相手に破られると、どうにも相手に対して自分が軽んじられていると思う。相手のために取った時間も、相手と会おうという思いも、相手と会ってどんな話をしようかという夢想も、全てが軽く扱われているような気がしてくる。そんな生半可な思いで、私は相手のことを思ってなどいないし、約束はしていないのだ。叶わぬ約束ならば、最初からしない方がマシなのである。振らない竹刀は持たない方が良いのである。

 折角、朝から私が未発見だった世界の扉を、幾つも幾つも開かせる情報を教えてくれる素敵な方からとても嬉しい情報を頂き、何とか手を伸ばして掴んだ芽を、咲くかどうかも分からないが、咲くことを待ち望み、ただ信じたいと願う幸福な気持ちであったのに、前々から約束していた素敵な芽を踏みにじられると、もう何とも言えない憤怒の念に駆られ、激しい憎悪とともに憤懣遣る方ない気持ちになり、どうにか解消して霧散させたいという衝動のまま、演芸会に行きたくなる。どうにも、一人では消し切ることの出来ない怒りの炎は、優しくて温かい演芸のぬくもりが、ゆっくりとゆっくりと、火力を弱めてくれる。そして最終的には弱火でコトコト、黒豆茶を煮ることになるのである(何の話ぞ)

 素敵な二人会があって、今日はこれに行こうと決めていた。

 隅田川馬石師匠は、私にとって『まっつぐに外れて行く人』という印象がある。少々矛盾した言葉かも知れないが、詳細に語るとしよう。

 本人は至ってまっつぐに、誰よりもキラキラとした瞳を輝かせながら、まっつぐにまっつぐに進んでいるのだけれど、それが客席から見ていると、徐々に徐々に曲がっていくような感じ。アハ体験のように、気づかないうちに景色が変わっているまっつぐさと言えば良いだろうか。野球で言えば、最初は直線なのだけれど、キャッチャーのミットに辿り着くまでに、殆どミットに収まるまで気が付かない角度で曲がって行っている感じ。その僅かな曲がり具合に、客席はどっと沸いているように思える。でも、まだ馬石師匠の言葉を上手く表現できているかは分からない。それでも、私のささやかな馬石師匠の落語体験から言わせてもらうと、そんな感じである。

 古今亭文菊師匠は、『まっつぐが輝いている人』という印象がある。もう何度も見ているので、様々に言い表す言葉が見つかってはいるのだが、敢えて馬石師匠の印象に近い言葉から文菊師匠を表すと、そんな言葉が生まれてくる。

 本人の意識無意識に関わらず、まっつぐをただまっつぐ歩いているだけで、客席は魅了されてしまう。それは持って生まれた品格もそうかも知れないが、何よりもその品格に胡坐をかくことなく、一切淀みの無い語り口で物語を語る様こそが、文菊師匠のまっつぐが輝く大きな要因になっていると思う。

 アハ体験というよりも、ライブ・ペインティングでどんどん絵が荘厳になっていく様を見ているような感じ。野球で言えば投球フォームからキャッチャーのミットにボールが収まるまでの弾道の全てが、金色の輝きを放ち、十回に七回はキャッチャーを球場の外まで吹っ飛ばしてしまうような、そんな素晴らしい落語をされる。

 そんな二人のコントラストが楽しめる会なのだから、楽しくない訳ないじゃない。

 

 柳家小はだ たらちね

 前座さんの中では結構会う確率が多い小はださん。色んな会で重宝されているのか、漫画に出てきそうな素朴な佇まいと、飾り気のない独特の雰囲気を持つ前座さん。鉄板の『妻の旅行』で寄席の爆笑をかっさらう柳家はん治師匠門下の二番弟子。一番弟子はふんわりとした雰囲気が妖精のような柳家小はぜさん。柳家のどっしりとした土着的な雰囲気はそのまま、目の前のことに一所懸命な小はださんの姿が好印象。

 前座さんのお話で会場の雰囲気が良く分かるのだが、比較的良くお笑いになるお客様が多い様子。客席の反応が良いとわかりやすく調子の良くなる小はださん。芸は演者と客席が作るものだと思いながらも、その素朴で真面目そうな雰囲気が落語に合っている小はださんの語り口。これは合う合わないの話だけれど、春風亭朝七さんという稀代のスーパー前座の陰に隠れてはいるが、確実に二つ目としての実力を備えつつある小はださん。これは予想だが、いずれ『柳家小はだ・春風亭朝七 二人会』が開催されてもおかしくない。もちろん、その時には名前も変わっているだろうと思う。

 前座さんの話題が続くが、女性では目を引くほどの美しさを持つ金原亭乃々香さんは、恐らく春風亭一花さんと同じような『親父殺し路線』を走るだろうと思われるし、林家やまびこさんや林家きよひこさんや三遊亭ごはんつぶさんは新作派でドカドカ行くだろうし、春風亭朝七さんと柳家小はださんは古典好きな太客に愛されるだろうし、春風亭枝次さんや春風亭一猿さんは独自の路線を突き進むだろうと勝手に予測している。

 いずれにせよ、今の前座界にも類稀なる未来の名人が潜んでいることには間違いない。一体、どこで化けるのか。とても楽しみである。

 

 古今亭文菊 千早ふる

 とっても温かい会場に登場の文菊師匠。客席を探りながらも、安心した様子で馬石師匠のことを語りながら、客席との距離をグッと縮めて演目へ。

 浪曲が差し挟まれる場面は絶品で、江戸資料館のホールのおかげもあり、心地よく胸に響いてくる文菊師匠の声。300人ほどの小劇場全体に、これでもかと艶やかなハリのある声が響くと、一瞬「オペラ?」と勘違いしてしまう。心奪われてしまう美しい声と、眩いばかりに輝く高座。落語じゃなくて歌と踊りでも十分満足できるほどの美声で会場の美しいご婦人方をうっとりさせ、最後は可愛らしくオチ。

 たとえ知ったかぶりをしていても、隠居の可愛らしさと八五郎の真面目さがとても面白い。段々と知ったかぶりの状況を勢いで抑え込もうとする隠居の調子が上がってくるところも素晴らしい。「いよーっ」とか、「千早ふるぅ」の言い方、声の強弱が会場に見事に合致しているように思えた。声の響きは会場によってもまるで違うのだな、と思った。

 同時に、お客様がとにかく笑う。これでもか、これでもか、というくらいに笑うので、久しぶりに良い会だなぁと思った。耳を立てていると初めてのお客様も多い様子である。

 素敵な美声に酔いしれた一席だった。

 

 隅田川馬石 品川心中

 ゆったりと登場して高座に座り、カッと目を見開いて客席を見る馬石師匠。たとえ遠くから見ていてもはっきりと分かる眼の開き。前列には馬石師匠と言えば!のご常連さんも座しており、馬石師匠の心境や如何に。

 マクラの内容は詳しくは書きませんが、文菊師匠のこと、義太夫のお話。おっと、寝床かな?と思いきや、吉原の話になって、まさか文菊師匠が『お直し』をリクエストか!?と思いきや、演目へ。

 さらりと場面説明を語りながら、スッと女郎のお染に焦点が当たる。落ちぶれて心中を企てるお染の姿が、まるで『夢見る少女』のような純粋さである。グッと客席が話に入り込んでいたのだが、思わぬところで携帯が鳴ってしまった。一気に会場の空気感が現実に戻ったのが如実に分かる。うーん、大事なところだったのだがぁ。と思うのだが、特に触れることなく話を続ける馬石師匠。携帯の電源をお切りくださいますよう、お願い申し上げます。

 夢見る少女の純粋さで心中を決意したお染さん。金蔵が心中を決意する場面は驚くほどあっさりとしている。「はい、言ったね。言いましたねー」というような、金魚掬いでもするかのように、鮮やかに金蔵の言葉を拾ったお染さんの、ヤバイ女感が漂い始める。どうにか雰囲気も持ち返して、カミソリを互いの首に当てるシーンは緊張と緩和があって面白い。本気とも冗談とも付かないお染の行動に振り回され、川へと突き落とされる金蔵の哀れさ。そして、お染の心変わりの速さが面白い。当人でないからこそ笑えるのだが、金蔵の立場だったら大変である。

 太宰治の言葉であったか、『貧すれば鈍す』という言葉にもあるように、落ちぶれた女郎が心中を考えるに至る過程には、盛りを過ぎた女の『貧』があるように思う。くしくも『貧』は『品』とも音が合う。貧すれば品を失する。鈍した思考は愚にも付かない男を心中相手にしようと思い至る。そこに悲壮感はない。以前に小満ん師匠で聴いて以来久しぶりの『品川心中』であり、実に七か月ぶりであるが、通底するのは死すらも粋と見做す人々の意志である。

 当時の人々にとって心中とは『粋で色っぽい』ことであったのかも知れない。愛し合った二人が冥途で添い遂げる。その行為自体を美徳化していた時代もあったのではないだろうか。だからこそ、心中という悲愴さを感じさせる言葉であっても、どこか羨望の眼差しで見てしまう明るさが、『品川心中』には表れているのではないか。

 故に、あっさりと心中を止めてしまうお染の冷酷さが私は少し怖い。女心は秋の空とでも言おうか、心変わりの速さは面白いのだが、現実世界でやられたら困るな、と思う。同時に、この会に参加する前に約束を破られた私も、きっと秋の空の変わりように心を乱されただけなのかも知れないと思った。

 繰り返される貧によって鈍した金蔵の愚行。金蔵はお染に振り回され、お染は時の流れに振り回され、お染に振り回された金蔵は親方を振り回す。親方の周りにいた若い衆は金蔵に振り回される。色んな人々が、色んな貧を体験し、それぞれに鈍していく。その様の繰り返しの中に、人間の言いようの無いおかしみが籠っているように感じられる。たとえ貧して鈍したとしても、ほんの少しのおかしみで全ては乗り切っていけるのではないか。そう単純なことではないけれど、そんなことを感じた一席で仲入り。

 

 隅田川馬石 反対俥

 何が馬石師匠を駆り立てたのか、寄席で十八番の『反対俥』。この話も考えたら久しぶりに馬石師匠で聴く。馬石師匠の寄席話と言えば『元犬』と『反対俥』は是非見てほしい一席である。どちらも馬石師匠らしさ全開である。

 会場のセットも横断幕も舞台も全てマラソンの舞台そのもので、目の前には箱根の山が見えており、沿道に集まった人々の誰もがマラソンなのだろうな、と思っていたところ、肝心の走者が開始の合図と共に猛ダッシュで100mを走り切り、沿道に集まった聴衆に向かって「実は短距離走でした!」といって、そのまま「ですから!短距離走だったんで!100m走だったんで!」とひたすらに言い張るような反対俥だった。

 時間さえ許せば、マラソンの反対俥も見たかったのだが、恐らく時間も押していたのだろう。あっという間の反対俥だったが、そこは馬石師匠らしさで見事にカバーしていたし、ちゃんとドラム缶も飛んだし、上野の駅は通り過ぎたので安心の一席(何が安心なのだろうか)

 

 古今亭文菊 質屋蔵

 何よりも面白かったのは、馬石師匠の高座を見終えた文菊師匠の一言。これは敢えて書かないが、文菊師匠の一言に私も「確かに」と笑いながら頷いてしまった。爆笑に呑まれ温かい雰囲気はそのまま、菅原道真公の話から演目へ。

 シブラクで見た時よりも、会場の雰囲気もあってか僅かにテンポが早い気がした。時刻も21時の15分前だったので、恐らく時間も押していたのだろう。それでも、テンポの速さは淀みの無い語り口に支えられ、またホールに響き渡る心地の良い声とともに、何度聞いても面白い場面の応酬で、最期まで全く飽きることなく聴くことが出来る。

 これで文菊師匠の質屋蔵は三回目。もしかしたら質屋蔵の強化週間?なのだろうか。相変わらず幽霊にビビる番頭さんが話す『質屋に溜まる怨念話』は面白いし、ずる賢い定吉は冴えているし、勘違いする熊さんは憎めないし、自分の策にビビる番頭さんも情けないけど、まっつぐで面白い。

 質屋蔵の一席は面白い噺の短編集のようだと思う。オー・ヘンリーとか志賀直哉辺りが書きそうな、どこでお時間が来てもスパッと切れる一席だが、前半に仕込んだマクラが最後に効いてくるという趣向もあって、かなり練られた話だと思う。

 文菊師匠の絶叫も、広いホールだと美しく響く。静かで、どこかファンタジックで面白い一席で終演。

 

 古い時代に記された物語の、新しい二つの語り口

 馬石師匠のお餅のようにもちっとした柔らかい雰囲気と、文菊師匠の刀剣のようにスパッとした鋭い雰囲気が混じった不思議な会を堪能した。

 千早ふるの一席でスパッと胸を切られた後は、品川心中でがっつり柔らかくて太く弾力性のあるものを飲み込み、反対俥できび団子をスッと茶で飲み干した後、爽快にバッサリと質屋蔵で切られる。そんな『刀剣茶屋』みたいな異種?な雰囲気が心地よかった。どこか馬石師匠は甘味、文菊師匠は塩味のような感覚があるんですが、読者の皆様はどうなのでしょうか。

 たとえどんなに時代を経ても、色褪せることのない遠い過去の時代に作られた物語を、今、現代に生きる二人の、とびきり個性的な二人の落語家が語る。二人会の素晴らしさは、それぞれの微妙な差を感じられるところかも知れない。どちらが優れているとか劣っているということは一切ない。それぞれに、それぞれの持ち味を表現しているから、素晴らしいのだと思う。

 そんな二人会で、今大注目なのは『春風亭百栄師匠と柳家はん治師匠』の二人会なのだけれど、うーん、どうすっかなーーー。

 化学反応と言えば化学反応で、二人会によっては『混ぜるな危険!』も有り得ると言えば、有り得るのだけれどもね。

 二人会の楽しみにも目覚めてしまいそうな、そんな一夜だった。