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イッパチ/怒りの投擲~5月19日 三遊亭笑遊独演会~

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上がった 上がった 上がったぁ ◎◎が上がったぁ~

 

 地獄はあいつにとって故郷です

 

奴は大金を得られるなら地獄にだって行きますよ、武器も持たずにね

  -Apache- Incredible Bongo Band

 大佐から手紙が届いた。大佐の命令は絶対である。否、命令などでは決して無いし、強制参加でも無ければ、むしろ自由参加の会だが、私は大佐からの手紙を見た時、即座に「行きまっさー」と心に決めた。ここからの記事は上記の中タイトルの楽曲を聞きながら読むことをオススメする。

 大佐のコードネームは”SHOW YOU"、日本では笑って遊ぶと書いて"笑遊"である。寄席にロケットランチャーと拡声器を持ち込むことなく、大爆笑のロケットを放ち、大音量で叫び声をあげ、寄席の客席を一瞬にして笑いの焼け野原と化す男。人呼んで『落語界のマッドマックス』であるが、この度、私は新たなる呼び名を考えた。

 それは『落語芸術協会のジョン・ランボー』である。

 ただ飯を食うためだけに店に入ったにも関わらず、偏見の塊のような警察官にケチを付けられ、警察署へと連行されたジョン・ランボーは、保安官が向けた髭剃りを見てかつての戦争体験を思い返し、保安官を次々と殴り倒して山へと逃げ込む。

 ただ寄席で爆笑を巻き起こすために高座に上がったにも関わらず、客席の静まり具合に納得が行かずにマイクを握り、自らの両足をバシバシと叩きあげながら、「盛り上がってるかぁああ!!!お前らぁああ!!!」とばかりに絶叫の雄たけびを上げ、落語の演目をその都度思い返し、観客を次々と笑わせた後で袖に消えて行く。

 二人は同じである。ジョン・ランボー三遊亭笑遊と言っても過言ではない。

 ランボーは「この山では俺が法律」と言っているが、笑遊師匠は「この会では俺が法律」と言っていないが、殆どそんな空気なのである。

 そんなアパッチ(ならず者)な笑遊師匠から独演会の手紙が届き、上方から名人候補の桂福丸さんまで出演されるというのだから、行かない訳が無い。ランボー、すなわち笑遊師匠がどんな怒りの脱出を決め、怒りの阿保銃(アホガン)をぶっ放し、爆笑の戦場で、誰が最初の血を流すのか、必見である。

 

 三遊亭あんぱん 英会話

 開口一番は急遽、四番弟子になったあんぱんさん。詳細は書かないが、とりあえず笑遊大佐の四番弟子で、戦場だったら鉄砲玉の位置だが、奇跡的な幸運の連続で生き延びそうな風体。前回の独演会で見た時は、『戦場に出たら真っ先にお陀仏』だろうと思っていたのだが、凄まじい進化を遂げ、二等兵並みの実力を身に付けていた。その裏にはコードネーム"Z S"、日本では寿に車甫と書いて”寿輔"の存在があり、寿輔大佐の入れ知恵もあって、会場は大盛り上がりの大爆笑に包まれた。照れくさそうに微笑みながら勝利を噛み締めるあんぱんさんの、何とも言えない嬉しそうな表情を見ていると、『表情は鏡』という言葉通り、こちらまで笑顔になる素敵な高座だった。あんぱんさんもランボー予備軍で、ただ道を歩いているだけで保安官にケチを付けられそうではあるが、そんな保安官を蹴散らすほどの爆笑の一席を見せつけた。これはひょっとすると、ひょっとするかも知れない。笑遊大佐と寿輔大佐のエロスと情熱を受け継いで、戦場にピンクの大砲をぶっ放す日が、いつか来るかも知れない。その時は心して打たれて欲しい。あんぱんだけに、安心して欲しい。(・・・)

 

 三遊亭金かん 道具屋

 三遊亭金遊師匠の二番弟子で、歌舞伎俳優のような端正な顔立ちと、痺れるくらいに落ち着きのある声の金かんさん。こちらはランボーとは打って変わって、スマートな顔立ちは正にライアン・ゴズリング並みのルックス。『きみに読む物語』の意味が変わって来てしまうほどの、落語の語りによってお風呂場で頭をごしごしされているかのような、心地の良い語り口。きっと女性だったら思わず『シャンプーされたい。頭ごしごしされたい!』と思ってしまうこと間違いなし。

 そんなライアン・金かんさんは『正義を売った日』ではなく、『道具を売った日』を演じられる。一度落語の世界に入ると、表情は正に『ドライヴ』のライアン・ゴズリング。思わず頬杖を付いてしまうほどの色っぽい間抜けさ。

 一体この道具屋の『幸せの行方・・・』はどうなってしまうのか。笑遊大佐の下でどんな変化を遂げるのか、見果てぬ『ラ・ラ・ランドへの道へ。乞うご期待。

 

 三遊亭笑遊『たがや』

 正直、ネタ出しを確認していなかったので、『たがや』をやると笑遊大佐が言った時は血が滾った。落語好きにはお馴染みだが、そうでない方のためにご説明すると、この話は簡単に言えば『たがやが侍三人の首を刎ねる』という話である。これは下剋上のような物語であって、花火に掛けて首を刎ね上げる最後の場面が秀逸である。私は最後の首を刎ねるシーンに辿り着くと、どうしても第一作『キングスマン』のある場面を思い出してしまうのだが、そんなファンタジックで爽快な場面の連続する話である。

 もしも容易に『たがや』を想像したい場合、それに近い場面と言えば第一作キングスマンの教会でハリー・ハートが暴れまくる場面を見れば良い。

 私の頭の中には、はっきりとたがや無双の場面が染みついていたので、笑遊大佐のネタ卸しでも、痛快な気分を味わうことが出来た。むしろ、素晴らしいのは、あれだけの齢を重ねてもネタ卸しに挑戦する意気込みである。まだ未完成ではあるけれど、今後口馴染み、あの爽快なぶった切りの場面が流暢な語りで再現されたら、そう思うと、ゾクゾクが止まらないのである。どうか長生きして欲しいし、一度でいいから笑遊大佐の本域の『たがや』を見てみたいと思う。

 笑遊大佐の素晴らしさは、ネタ卸しの完成度など抜きにして、独演会という場における観客全員の熱気で演目が作り上げられるところである。観客にとってみれば、ネタの完成度などもはやどうでも良くて、笑遊大佐が一所懸命に覚えた話を、何とかして苦労しながらも語る姿に心惹かれ、魅せられているのである。それは、決して観客からの押しつけがましい『凄いもん見せてくれるんだろう?』という気持ちではない。それとはまったく異なる位置で、そこに立っているだけで士気が高まる、そんな雰囲気を持っているのである。

 どんなに劣勢の状況にあっても、その人がいるだけで状況が盛り返すということが戦場では多々ある(行ったことないけど)。ガンダムで言えばヘルベルト・フォン・カスペンであり、もちろんナポレオン・ボナパルトでもあるのだ。たとえ島流しにあっても、その偉大なる功績と佇まいは観客の心をくすぐり、笑いを巻き起こすのである。嘘だと思うならば一度出会って見ると良い。独演会に行けば、その偉大さが分かる筈である。

 杖を付きながらも、必死になって高野山を登り、周りの大勢の人々に支えながら頂上に到達するかのような一席だった。

 

 桂福丸 寝床

 お初の落語家さん。風貌はいかにも秀才と思えるが、どこかほんわりと、柔らかな語り口。それでも、端正に積み重ねていく言葉と間。客席からの声にも怯むことなく、自らのリズムを崩さない芯の太さ。そこから演目へと流れる。

 割とあっさり目の語り口ながら、爆笑をかっさらっていくスタイルは、笑福亭たまさんに雰囲気が近い感じがする。だが、まだ初見であるため詳しい判断は付かない。いずれにせよ、個性が滲み出る『寝床』の演目は、笑遊師匠のお客様にも見事に受け入れられていたように感じられた。

 笑遊師匠曰く次の名人候補とされる福丸さん。もっと他の演目を見ないと何とも言えないが、淀みの無い語り口と、カッと見開かれた眼が素敵な落語家さんだと思った。最期はお決まりのオチで仲入り

 

 鏡味 味千代 太神楽

 長らく私は太神楽を大神楽と誤って記載しており、正直、物書きとして大変申し訳ないと思った。同時に、同じような体験をしたことが一度だけある。

 皆さんもご存知かも知れないが、May J.という人がいる。私は今までずっとMay Jだと思っていたのだが、どうやらMay J.であるらしく、それを教えられた時は、鳥肌が立つほど驚愕し、なぜ今まで見えていなかったのか、愕然とした。

 お分かりで無い方のために、敢えて大文字で書くが、

 

 ×  May J

 〇 May J.

 

 お分かりいただけるであろうか。この小さな『.』これが付くと付かないとでは大違いなのである。May J.ファンに「May J」と書こうものならば、顰蹙を買ってしまいかねないので、May J.をお使いになる方は注意して欲しい。

 さて、反省はこの辺にして、お馴染みの太神楽である。もう幾千回も見たので、よほどの新技が出なければ興奮しない体になったが、今回は客席の美人の「おおおお!!!!」とか「え、どうやんの、どうやんの」とか「うっそぉおお、無理だよ~」みたいな掛け声もあって、ミラー効果とでも言おうか、別の意味で興奮した(キモッ)

 自分一人では興奮しなくても、他人によって興奮することは多々ある。素晴らしい新技の披露で、胸も高鳴る素晴らしい太神楽であった。

 

 三遊亭笑遊 愛宕山

 再び戦地に舞い戻ったランボー・笑遊大佐。まだ聞いたことの無い人の楽しみを奪いたくないので誇張して書くが、笑遊大佐の『愛宕山』は、『ランボーmeetsフォレスト・ガンプ』な内容である。はっきり言って読者は怪訝な表情をされているかと思う。だが、あまりにも多くの描写があるため、それを丁寧に解説していたら完全ネタバレになるので、徹頭徹尾、誇張して書くことにする。

 まずは、物語には金持ちの旦那、幇間の一八、シゲゾウが登場する。金持ちの道楽に付き合わされ、山登りをするシーンは、哀れみと感動が同時に押し寄せてくる名場面である。また、この時は客席の話へののめり込みっぷりも凄まじく、旦那の後を追う一八が険しい山を登る場面で手拍子が起こった。一八は『奴さん』を歌いながら山を苦しそうに登る。客席からは「頑張れー!もう少しだー!」という掛け声がある。

 この一体感。独演会でしか味わえない熱狂ぶりに私は感動してしまった。芸は演者と観客が作るというが、まさにその一つの到達点を、私は笑遊大佐の山登りの場面で感じたのである。

 私の脳内には、赤いキャップを被り、シャツをズボンにインしたガンプの走り出す場面が浮かび上がっていた。ちょっと横振り気味に両腕を振り、ただひたすらに走り続けるガンプ。ジャクソン・ブラウンの『Running On Empty』 が流れ始め、走る姿を見た者の誰もが魅了される。心の中で私は叫んでいた。

 

 Run!!! 笑遊!!!  Run!!!

 

 人はなぜ走るのだろうか。

 人はなぜ山を登るのだろうか。そこに理由は無いのかも知れない。

 ただ走る姿を見るだけで、ただ山を登っている姿を見るだけで、涙が零れてしまいそうになるのは、そこに言葉にならない何かがあるからだろう。

 いじめられっ子のフォレストが、同級生の乗った車に追いかけられる場面が『フォレスト・ガンプ』という映画にはある。その場面もフラッシュバックしてきた。なぜだかは分からないけれど、人が一所懸命に走る姿に感動したことのある人ならば、きっと笑遊大佐の『愛宕山』の一八の山登り場面は印象に残るだろう。

 一八とシゲゾウが頂上に辿り着いたとき、会場は万雷の拍手に包まれた。こんな独演会、見た事ない。ここまで話に入り込ませてしまう笑遊大佐の人柄。これは話芸だとか技術云々の話ではない。この場に集まった誰もが笑遊大佐の話に夢中になっているからこそ起こる、一つの奇跡だと私は思った。これだから独演会は止められない。自分と同じように、一人の落語家に心を奪われた人間が何十人といる空間。

 私は思う。

 

 こんな幸せな空間は、世界中どこを探しても、今、この瞬間にしか無い。

 

 頂上へと辿り着くまで、完全に『フォレスト・ガンプ』を見せられていた私は、次に『愛宕山』と言えば、名場面の『かわらけ投げ』の場面である。

 この辺りのやり取りで、徐々にヒートアップしてくる旦那が面白い。最後に強烈な場面も描写されて、私はそこが一番好きなのだが、敢えて書かない。

 やがて銭を投げ始めた旦那を見て、一八は金に目が眩む。このどうしようもなく愛すべき存在、一八。金を得るために愛宕山の山頂から傘一本で飛び込もうとするがビビる姿が面白い。なんて哀れなんだろう。この愛すべき哀れみに涙が零れそうになりながら、愛宕山の頂上から落ちて行く一八。目当ての金に思考が奪われ、帰還することを一切考えない無鉄砲さ。それでも逞しく縄を作る場面になってようやく、ランボー・一八の登場である。幇間という稀有な商売に付きながら、心くじけることなく金に貪欲な一八。誰が言ったか忘れたが『どん底から見上げた空は青い』。たとえ気の合わない相手であっても、時間を割いて自らの私腹を肥やす幇間の心持ち。その雑草のような力強さに、私も時代が違えば幇間として身を終えたかったと切に思う。人に合わせ、人に尽くすことで生き残る姿には、哀れみの中で力強く生きる者の光がある。

 オオカミの恐怖に怯え、旦那とシゲゾウへの怒りに燃えた一八の怒りの投擲によって、撓る竹。そして勢いよく愛宕山の頂上へと飛んでいく一八。落語の中でこれほどダイナミックでおかしみのある場面が他にあるだろうか。

 そんな怒りの大跳躍の後で、まさかまさかの哀しみのオチ。近頃、「落語は哀しい」という有名な落語家の言葉を目にしたが、その哀しみが笑いへと昇華される瞬間の、何ものにも代えがたい幸福を味わいながら、大笑いによって熱くなった頬と、腹と、胸と心を感じ、私は笑遊大佐の一時間にも及ぶ大熱演を見終え、思った。

 

 最高だ。笑遊師匠!!!!

 

 お江戸上野広小路亭の階段を下りて行くとき、誰もが口をそろえて「とても面白かったです」と言っていた。私も同じ言葉を笑遊師匠に言った。

 最高だった。あんなに素晴らしく、ド派手で、爆音の『愛宕山』は初めて聞いた。私にとっては、三遊亭笑遊師匠は名人です。令和になっても、長生きしてください。

 熱狂の『愛宕山』を聞き終えて、私は京都の愛宕山を登ってみたいと思った。かわらけ投げもしてみたいと思ったが、調べたところ、京都の愛宕山ではかわらけ投げは出来ないらしい。ならば銭でも投げようかな(ジョーク)

 熱く、燃えるような三遊亭笑遊師匠の独演会。何度来ても、爆笑に包まれる会場。

 次は一体どんな落語を見せてくれるのだろう。楽しみでならない一夜だった。