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哀しいくらいに騙されても、なお~2019年6月2日 拝鈍亭 古今亭文菊~

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あの~、あれですよね。ははっ、ねぇ、大将?

 

言わせてもらいますよ、こっちゃぁ、金払ってんだから

 

 死んでも来ないよ、こんなところ!

 

済し崩し

信じられぬと嘆くよりも 人を信じて傷つくほうがいい』と歌ったのは、海援隊であったと思う。幼い頃、歌詞が何となく気に入って、父に「良い歌詞だよね」と言ったら、父は「騙されないように用心する方がよっぽどいい」と言った。私は夢の無い父だな、情も何も無いな、と思って残念に思ったのだが、後で母から父が人を信じて裏切られたことがあると聞いて、それ以来、未だにどちらが良いか私にはとんと分からない。

幸いと呼ぶべきか、私は人に騙されたという経験があまりない。無論、恋愛に関しては常に騙されているし、時にはショックを受けすぎて何も信じられないという状態、『もう恋なんてしない状態』の後、『なんて言わないよ絶対状態』という幼虫槇原→蛹槇原という、変態を繰り返しているのだが、何度幼虫に戻れば成虫になれるか検討も付かない。が、そんなことはどうでも良い。

何度騙されても恋をしてしまうのは、そこにまだ見ぬ幸福を見出してしまうから。と書けば聞こえは良いかも知れないが、本当のところは良く分からない。イソップ童話の『キツネとブドウ』よろしく、仲良くなれなかった相手に対して思うのは、「きっとあの人は性格が悪い」という負け惜しみである。では、相手に愛されるために努力をしているのかと言えば、何とも言葉に窮する。果たして自分が人から好意を持たれる人物であるかどうかなど分からない。少ない人生経験から言えば、女性より男性から好かれることだけは確かである。特に年配の紳士にウケが良いことを体感しているので、私がその気だったら、そういうことになると思う(どういう気だよ・・・)

 

 拝鈍亭 再び

少し曇り空であったと思う。拝鈍亭に来るのは三三師匠の会で来て以来であるから、かなり前ではあるのだが、不思議とそんなに遠い気がしない。その場所に行けばその場所の思い出が蘇ってくるし、思い出との距離が短いと感じるから、さほど昔であったような感覚が無い。

音響面も良いし、何よりも『木戸銭:おこころざし』という言葉に、観客の『おこころざし』が問われている気がして、何とも高貴な気分になる。私ももちろん、『おこころざし』をお渡しして入場した。

拝鈍亭での会というのは、文菊師匠は年に一回だそうである。貴重な拝鈍亭での会、寄席の出番を断っての出演であるから、文菊師匠の気合が入っていることは間違いないだろう。

 

古今亭文菊 鰻の幇間

いだてん』のマクラから、演目は幇間の話。これぞ十八番とも言えるハリのある美声が冴え渡る素晴らしい一席であると思った。私は『鰻の幇間』を文菊師匠で聴くのは初めてである。以前に幇間腹の演目を聞いた時に、文菊師匠の幇間が大好きになった。と言うのも、物凄くリアリティがあると感じるからだ。

鰻の幇間という話は、簡単に言えば『幇間が騙される話』である。幇間腹は『幇間が旦那の実験台になって怪我をする話』である。幇間腹の肉体的ダメージに対して、鰻の幇間は金銭的なダメージを幇間である主人公、一八が負うことになる。

当時の幇間の状況もさらりと冒頭に語られ、いわゆる『野良』である幇間が、自らの勘を頼りに人を信じ、その人を信じ切ったが故に騙される話である。

誰にでも、一度は騙された経験というものがある。先述したが人に騙された経験の少ない私でも、様々な人から『こうして私は騙された!』という話を耳にする。

身近な例では『振り込め詐欺』などの話を聞く。ある日電話がかかってきて、「あなたは違法な動画を見ました」と電話主が言う。身に覚えのあった友人は電話主に言われるがまま、違法な動画を見たことの罰金と言われ、多額の金をコンビニ決済で支払ったのだという。

なぜそんなことに騙されるのか、と思う人もいるかも知れない。だが、人というのは案外、どこで騙されるか分からない。最近ではAmazonを名乗ったメールが届き、個人情報やクレジットカード情報を盗もうとする者もいれば、少額の時計を販売し、その販売によって得たカード情報等を元に金銭を盗むものまでいる。

これは全て、相手を信じてしまう手口が巧妙に形作られていることに起因するからであろう。自分にはまったく身に覚えの無いことであっても、知らぬ間に自分から「あれのことかな」、「もしかして、以前に見た、あの動画かな・・・」と勝手に理由付けをしていってしまうと、詐欺を働く相手の言うがままになってしまうと思う。

現に私の熱心な読者(そんなものがいるかどうかわからないが)だって、私が本当はどんな人物かということを、まるで知らないのである。読者は私の文章から勝手に私の像を想像し、きっとこんな人だという理想を描き始めているかも知れない。そうなったら、それは少し危険なことである、と敢えて忠告しておこう。人というのは、与えられた情報から自分に都合よく解釈してしまう生き物なのである。

で、上記したような、人を信じ人に騙される構造が『鰻の幇間』という演目には表れていると思うのである。前に書いた記事のように、人間は『貧すれば鈍する』、そのことに無自覚なまま自分の勘を信じて突き進む幇間の一八。案内された鰻屋で出される品物を自分に都合よく解釈していく場面は、面白いと同時に「あ、あぶないぞ~」と思ってしまう。

自分が騙されていたことに一八が気づく場面も面白い。特に一八は自分を騙した相手のことをあまり悪く言わない印象を受けた。むしろ、騙された自分に対するやりきれない思いが、言葉となって表現される。なんというか、笑ってしまうのだけれど、それは決して蔑みの笑いではない。一八さん、あなたの気持ちは痛いほどわかる、という笑いである。

相手のことが生涯許せないくらいの裏切りを受けた経験は、落語という演目の外にあって、人によっては体験としてあるだろうと思う。そんなときに、一八は相手ではなく自分に対して言葉を向けるのである。「こっちは金を払ってんだから、言いたいことを言わせてもらいますよ!」というようなことを言う。実は一八はとても配慮のある男で、まずは自分の立場が金を払っているということで、上だということを主張する。一八には一本、筋の通ったお金に対する考え方があるのだと、文菊師匠の言葉を聞いていると分かる。文菊師匠の素晴らしさは、本当に短い言葉の端々に、登場人物の芯の通った強い意志を感じるところである。

例えば、お礼の言葉一つとっても「ありがとう」と言う人と「サンキューね」と言う人と、「ありがとう存じます」と言う人では、心の距離とか人柄が違って感じられるように、文菊師匠は落語の登場人物の個性を、僅かな言葉の言い回し、表情、トーンに全て詰め込んでいる。だから、凄いっ。好きっ。って思う。

特に一八は作り込まれているというか、誰しもに共通する心があるような気がして、私はたまらなく、文菊師匠の一八が大好きなのである。

そして、最後のオチの時に、会場からは悲鳴のように大きな

 

 えええ~~~!!!!

 

という声が上がった。とてもお話にのめり込んでいたお客様がいて、私はとても嬉しくなったし、印象深い。私はその気持ち、随分前に、どこかに置いてきてしまっていたから。本当にいいお客様に囲まれた一席だったと思う。

『鰻の幇間』って、一八にとっては凄く可哀想な話である。後半に行くにしたがって、一八の『相手を信じた心の清らかさ』が否定されていく感じが、哀しいくらいに可哀想に思えてくる。それでも、私は一八は幇間を続けていくと思うのである。映画『男はつらいよ』で、何度も美人との恋が叶わない車寅次郎のように。

哀しいくらいに騙されても、なお幇間であり続ける一八。いや、幇間という仕事を止めてしまうだろうか。それは正直、ちょっと分からない。けれど、私の希望としては幇間を続けてほしい。そして、本当に素敵な旦那と出会って、その時はもう、びっくりするくらい奢られて欲しい。そんなことを夢見てしまう一席である。

ちなみに、騙す方と騙される方はどちらが悪いのであろう。この言葉だけでは、私には答えを言うことが出来ない。なぜなら、騙す方にも、騙される方にも、それぞれに正しい理由というものがあると思うからだ。鰻の幇間では、なぜ男は一八を騙したのかは語られることはなく、騙された一八がただただやり切れなさを発散させて物語は終わる。何の結論も出ない。出ないからこそ、様々に聞く者は想像することが出来るのだ。

あなたにも、騙された経験、もしくは人を騙した経験があるだろうか。その時に自分はどんな風に感じたのだろう。そんなことを考えるきっかけになる『鰻の幇間』。あははと笑った後には、意外に後を引く疑問が私の中には残り続ける。

 

古今亭文菊 質屋蔵

完全に強化月間だな、と思う文菊師匠の質屋蔵。微妙に言い回しが変わっている感じがしたのは、会場のせいだろうか。短いスパンで聴いているので、何となく言葉の変化を感じる。同時に、どこで絶叫するかも微妙に変えている気がして、それはそれで面白い。また、会場にとても素敵な反応をするご婦人がいたので、それも相まって、とても素敵な一席になった。さすがの一席、磨いてますねぇ。

 

 総括 奉還

文菊師匠の幇間はとにかく絶品であると同時に、物語そのものに色々と考えさせられる体験だった。鰻の幇間については、一切前情報を頭に入れないようにしていたので、初めて文菊師匠で聴くことが出来て、とても嬉しかった。同時に、文菊師匠の満面の笑みの「はっはーーーー!!!」「はっはっはーーー!!!」というハリのある幇間の笑い方は、一度聴いたら真似したくなるくらいに病みつきです。

本当に文菊師匠は、素晴らしいですよ。6月も最初の落語は文菊師匠でした。