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自称・演芸ブロガーが語る日本演芸(落語・講談・浪曲)ブログ!

爆笑のロックンロール・フェスティバル~2019年6月5日 鈴本演芸場 夜席~

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ロックンロールってまだ音楽のジャンルとしてあるんですか?

 

今日人類が初めて

 

Good Night 数え切れぬ Good Night 夜を越えて

 

Everything that’s small has to grow.

 

寄席のロック・フェスを君は体験したか?

何か始めようと

誰にも相手にされなくて、何か行動を起こせば浮いて、周りに溶け込もうとしても、自分自身の濃度が信じられなくて、このまま薄い人生を過ごして、無色透明の水になって消えてしまえば、誰にでもどこにでも溶け込めるはずなのに、そうしなかったのは、否、そう出来なかったのは、僕が生まれつき不器用だったからなんだろうか。だとしたら、僕はどうして僕を、他の誰とも溶け込むことの出来ない僕を、今の今まで、こうやって生かして来たんだろう。途中、何度も僕は僕自身を諦めようとしたけれど、諦めることが出来なかったのは、きっと、いや、絶対にロックンロールに出会ったからだ。

誰とも違う自分自身を信じることができて、そのままを受け入れるために、僕にはロックンロールが必要だった。間違いなく、14歳の僕には必要だった。

白いキャンパスを与えられて、「さあ、絵を描いてごらん。他の人と同じように、筆を持って、12色の絵具を使って」と言われても、僕は筆を持つことも絵具を使うことも出来ないような人間だった。自分の皮膚を切って、流れてきた赤い血を指先に付けて、それで絵を描くような人間だった。周りの人は奇妙なものを見る目で見たし、「馬鹿じゃねぇの、絵具使えよ」というようなことを言われたし、そもそも筆を使わない時点で異端者だ、という風に思われていた。

それでも、お前は正しいぜ。お前は何一つ間違ってないぜ。と言ったのは、イギー・ポップだったっけ。ステージ上で上半身裸になって、ガラスの破片が散らばった床を転げまわり、自らの体から血を流したのは、イギー・ポップじゃなかったっけ。『探し出してぶっ壊す(Search And Destroy)』と歌ったのは、イギー・ポップじゃなかったけ。

間違いなく、中学生の頃に僕はロックンロールと友達になった。僕とロックンロールは濃度が一緒だった。誰にどう思われていようとも、僕は今の僕を信じる。そこから全ては始まるんだって、本気で信じていたし、もちろん、今も僕は信じている。白いキャンパスが目の前にあったら、それを思いっきりぶっ壊してしまえばいいんだ。本当に作りたい物を、お前は作ればいいんだ。そう教えてくれたのは全部、ロックンロールだったんだ。

そんな思いを抱きつつ、中学生の頃は色んなバンドのライブに行った。ただ、サマーソニックThe Strokesを見た時以来、僕はロックフェスというお祭りには参加してない。確か2011年の夏だったから、かれこれ8年は行ってない。途中、ロックンロール以外の音楽に随分と浮気したけれど、結局、最後に戻ってくるというか、一番落ち着くのはロックンロールただ一つ。

鈴本の演芸場に入って、会が始まるまでは、まさかこの会がロックフェスになるだなんて想像もしていなかった。僕にとってまさにロックフェスな一夜が、この夜、僕の身に起こった。

そんな体験をして、今は久しぶりにロックフェスに行きたい気持ちでいっぱいだ。音に身を任せて、無我夢中で手を振って、汗まみれになって、ぐちゃぐちゃになって、自分の体の境目がどこにあるのかも分からなくなるくらいに、音楽に浸って、ワーワーキャーキャー騒ぎたい。まるで自分がどろどろの液体になったみたいに、全身全霊で音のシャワーを浴びてみたい。そこに集まった何万人という人々にもみくちゃにされて、僕は生きているんだって、思い切り叫んでみたい。

鈴本演芸場の夜を終えて、僕はそんなことを思ったんだ。

 

 

橘家文吾 やかん

面白さのスレッショルド閾値)を間違いなく超えて、粋なトーンで畳み掛けられる言葉と、自在に動く目と表情。まるでカートゥーンな調べに乗せて放たれた一席に度肝を抜かれる。凄い。序盤から会場を盛り上げて、急停止、急加速を繰り返す文吾さんのリズム。その緩急のユーモアに酔いそうなくらいに絶妙な間。文吾さん、前座の頃はあんまり見なかったし、ちょっと太っているように感じられたけれど、スマートで快活な語り口の中に豊潤なユーモアが含まれていて、さながらコールマン・ホーキンスの『ジェリコの戦い』のような軽快さ。文吾さんの持ち味を存分に生かした『やかん』が素晴らしかった。この話は簡単に言えば『物の名前の由来を隠居が様々に語って聞かせる』という内容である。絶品の眼、声、間。ググっと会場を盛り上げて去って行く様は、とてもカッコ良かった。

 

柳亭こみち 締め込み

ニッコニコの表情で登場のこみちさん。寄席に出るのがとても好きなんだろうなぁ、という雰囲気がこっちにまで伝わってくる。楽屋も絶対楽しいだろうなぁ。と思いつつ、演目へ。この話は『泥棒の些細な失敗が、夫婦の仲を深める』というような内容で、いつも女将さんが旦那に向かって言葉を言い続ける場面で泣きそうになる。こみちさんの場合はそこまで深刻な感じにならず、さらりと笑いを起こす。素敵で楽しそうな表情を見ているだけでも楽しいし、何よりも登場人物が活き活きとして可愛らしい。アレサ・フランクリンの『リスペクト』みたいな感じで、女将さんの気持ちがグッとくるし、本当に仲のいい夫婦なんだなぁ。ということが伝わってくる最高の一席。

もう二つ書いているけれど、文吾さんはジャズで、こみちさんはソウル歌手って、ロックフェスから遠い気もするけど、まぁ、良し。

 

 春風亭百栄 ホームランの約束

独特の挨拶「ふぅやぁんわ~」みたいな言葉でまず会場が爆笑。出てきていきなり面白い人。百栄師匠は僕の中では完全に『たま』で、イカ天バンドで五週連続勝ち抜きどころか、もはや殿堂入りの面白さ。ピテカントロプスもびっくりの、未だ謎の解明できない面白さにただただ笑ってしまう。この演目は簡単に言えば『野球選手と子供とお爺ちゃんが語り合う』内容なのだけれど、冒頭から野球選手のキャラが濃いのと、子供がそれを裏切るくらい大人な性格なのと、お爺ちゃんなのに一番こどもっぽい性格なのが面白い。最後のオチって、他でも一緒なのかと思ってしまうほどキレッキレの一席。

袖から出てきた時は『突然段ボール』な挨拶に『凍結』しそうになり、演目が始まれば『BLANKEY JET CITY』な雰囲気になって『猫が死んだ』ような本性剥き出しの言葉の応酬の後で、『たま』のように颯爽と袖に去って『さよなら人類』な感じが、めちゃくちゃカッコイイ。って、喩え過ぎて意味がいまいち伝わらないかも知れないけれど、百栄師匠、奥が深いっす。

 

 古今亭文菊 権助提灯

最近は病が進行していて、スーパーのビール売り場などで

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上の画像を見るだけで「あっ!緑のお着物の時の文菊師匠だ!」と思ってしまうくらいに、文菊師匠が頭から離れないのだけれど(重症)、この日も文菊師匠は登場する旦那も奥さんも妾も、そして客席も寝かせないぞっ☆とばかりに爆笑を巻き起こした。特に冒頭のマクラに捻りを加えてきたのは、番組の流れ、寄席の妙かも知れない。実に珍しいものを見たなぁ。と思っていたら、ますますパワーアップした権助提灯。この話は簡単に言えば『旦那がゆっくり寝れない』話なのだが、美しい女性に振り回される旦那を見ていると、思わず権助の気持ちになってしまう。一席が終わると、私の頭の中にはTHE YELLOW MONKEYの『JAM』が流れてきて、『Good Night~』の旋律に思わず笑ってしまう。素晴らしい一席で、文菊師匠は何度見ても文菊師匠で、それがどれだけ素晴らしいかってことを、再確認した夜。

 

 桃月庵白酒 付き馬

丁度、寄席に入る前に『付き馬』が聞きたいなぁ。と思っていたところで、白酒師匠が『付き馬』のくだりに入ったので、思わず歓喜。こういう偶然の出会いって、勝手に運命だ!と思ってしまう魔力。

白酒師匠の佇まいと語りのリズムは、まさに『レッド・ツェッペリン』のボンゾ(ジョン・ボーナム)のドラミングな感じ。『永遠の歌』やら『移民の歌』やら『When The Levee Breaks』が聞こえてくるような、大迫力のリズム。そこに来て、ジミー・ペイジの美しい旋律、ロバート・プラントの高音、ジョン・ポール・ジョーンズの卓越した技術力による粒のようなベース音を彷彿とさせる、圧倒的なまでのトーンの幅広さ。畳み掛けるように次々と繰り出される言葉は単音で弦を弾きリズムを形作りながら、決して暴れ過ぎず統制されたジミー・ペイジの演奏そのもので、大音量で「おじさーん」とか「拵えていただけますかー」というような声は後期に入って、喉を傷め高音が出なくなったが故に、歌唱法を変えて独自の持ち味を見せたロバート・プラントそのもの。バックで圧倒的なリズムとダイナミックな間で演奏をドライブさせるボンゾのリズムに合わせて、完璧なリズムで重なり合うジョンジーの音が組み合わさった語りの間。まさに『一人レッド・ツェッペリン』かと思うような、大迫力のステージ(高座)

付き馬という話は簡単に言えば『男が騙されて棺桶を背負わされる』話である。もう冒頭から悪い人が出てくるのだけれど、そこは洒落の世界。不思議と憎めない男の姿に魅了されながら、棺桶を担がされた男に「可哀想だな・・・」と思う気持ちも一切起こらない、わる~いお話である。『居残り佐平次』のような、最後の颯爽とした脱出とは違って、こっちは明らかに騙す気で騙しているし、語りの巧妙さも用意周到で、めちゃくちゃ悪い奴なのだが、不思議と面白いのは、それが洒落の世界だからだろう。

かの有名な立川左談次師匠だって、色々と「洒落だよ」の一言で片づけた物事もあったというのだから、落語の世界も、落語に関わる人も、悪い人だとしても憎めない。そんな優しい人間に私はなってしまった。

レッド・ツェッペリンだって、高級車を狙って物を投げつけ、怒った運転手にその場で現金を渡して和解したり、6人のストリッパー相手に夜のドラムロールを演奏したり、様々に破天荒なエピソードを持っているが、それでも世界中の人間に愛される音楽を生み出し、様々な影響を今もなお与え続けている。どこかで自分の枠を決めない限り、どこまでも無限に可能性は伸びて行くのではないか。そんな風に思えてしまうくらいに、人というのは悪くって、良いやつなのだと私は思う。

会場がまるで波を打つかのように笑う。爆笑に次ぐ爆笑で、思わず「いい波乗ってんねぇ~」とか言いそうになる。サーフーボードがあったら間違いなく乗りたい波だった。ライブで言えばモッシュやダイブが起こってもおかしくないが、そこは寄席である。誰もダイブもしないしモッシュもしない。それでも会場にいた全員が大きな声で何度も笑っていて、それはとても幸福な空間だった。

また体験したい。そんな素晴らしい『爆笑のロックンロール・フェスティバル』が幕を閉じた。

 

総括 たとえ世界が終ろうとも

久しぶりに全身が高揚して、湯上りのような気持ちで寄席を出た。笑った。とてもとても笑った。嫌なことも全部忘れた。忘れなくて良いことまで忘れた。ゆっくり思い出しながら、家に帰るまでの間、僕はずっと幸福だった。

毎日、あんな幸せな場所がどこかにあるのだとしたら、僕は知らず知らず、光に集まる虫みたいに、笑いに集まる陽気な人間になっていくだろう。でも、案外、光から離れて一人で飛んでいる時は、孤独なのかも知れない。あんまり笑っていないのかも知れない。それでも、僕には確かな意志があって、それはロックンロールを土台に天へと伸びている気がしている。

もしも読者の中に、不自由で、色々なことにストレスが溜まっている人がいたら、寄席に行ってほしいと思う。そして、音楽が大好きで、音を楽しみ体を揺らすことが好きな読者がいるならば、落語の世界で、言葉の味を噛み締める体験を提案したい。一つ一つ、丁寧に磨き上げられた、言葉だけの世界。言葉で作り上げた世界を、君の想像力で様々に色を付けることの出来る世界が、寄席にはある。君は、その想像力で、ギターだって弾けるし、ベースだって弾ける。松崎しげるもびっくりのハイトーンが出せたり、バディ・リッチも驚愕のドラミングが出来たり、ジミ・ヘンドリックスも尊敬するくらいの演奏ができる。全ては君の想像力次第。

僕は今日、ロックンロール・フェスティバルに行った。少なくとも僕の想像力は、今宵の寄席をロックンロール・フェスティバルに変えた。君の想像力は、一体寄席をどんなものに変えてしまうんだろう。

僕はそこに興味がある。ねぇ、聞かせてほしいな。君の想像力が見せる世界を。