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自称・演芸ブロガーが語る日本演芸(落語・講談・浪曲)ブログ!

ONLY TRUST YOUR HEART~ある不動産販売の話と結婚についての所感~ 2019年7月8日

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自分の心だけを信じている

 

あなたの常識が、

僕の常識に必ずしも当てはまるとは限らないんじゃないですか?

 

答えたくないですね 

  

 それは哀しい二時間の始まり

森野さんって、何のために生きてるんですか?

人の少ないファミレスの一角に座り、目の前にいる名の知らない女が私に向かってそう言った。私は水を飲みながら、しばし考えるフリをした。

なぜこんな質問をされなければならないんだ?

私の心に沸き起こってきた苛立ちを前に、私はそもそもの事の始まりについて、思いを巡らせていた。

 

出会いは三週間前に遡る。たまたま友人のパーティで知り合った男性に声をかけられ、その男と落語を見に行き、その後でバーに行った時のことである。

「森野さんにね、是非紹介したい物件があるんですよ。僕の話を聞くだけ。聞くだけでいいんで、ね?時間空いてませんか。来週の木曜日とか」

その男は、見るからに胡散臭い雰囲気を放っていた。仮にバブルという名にしよう。バブルは言うことがやたら大きく、話題を振っても広がって行かず、勿体ぶった言い回しで「聞けば分かりますから」と言ってはぐらかす。渋谷界隈で土日は飲み明かし、ナンパをして女を誘っているのだが、なかなかどうして、つれない女が多くて困っているという、どうでもいい話をされながら、私は酒を飲んでいた。

不動産営業でバリバリやっているのだとバブルは言った。言動からどうにも信用ならないな、と思いながらも、私は酔うと「分かった」と言ってしまう癖があり、渋々、その男の話とやらを聞くことになったのである。

これが良くなかったと今では反省している。自分でも書かねばどうにも気持ちが収まらないので書くことにするが、読みたくない人はもう読まない方が良いであろう。

 

バブルが指定してきたファミレスに行くと、そこにはバブルとは別に女性がいた。

仮名でバイショーとしよう。

さっそくテーブルに付いて、私は趣味の話でもしようと思った。

日頃から落語、講談、浪曲を聞いているため、その辺りの知識は深いが、見ず知らずの相手と、直接話をする時には相手の理解度を知ることから始めるようにしている。どちらかと言えば、自分が話すよりも人の話を聞くことが好きであるため、私は簡単に趣味の話をした後で、バイショーに話題を振った。

ところが、さほど興味深い話を聞くことは出来なかった。幾つか話題を振っても、すぐに会話が途切れ、逆に私への質問に変わってしまう。結構、それが苦痛だった。というのも、一方的に自分だけが情報を開示しているような気分になったのだ。相手のことは何も知らないまま、自分のことをベラベラと喋るのはあまり好きではない。これはきっと、伊集院光さんが神田松之丞さんに質問された時に抱いた気持ちと一緒なのではないだろうか、と思った。あくまでも推測だが、自らの考えというのは、相手の考えを知ったうえで述べなければ、先に自らの考えを提供した方が損になる、と私は思ったのである。見ず知らずの人間に、自分の武器や弱点を曝け出すほど私はお人よしではない。こと対面して会話をする場合は、相手との会話によってお互いに情報の駆け引きをしながら話すことも、相手との信頼関係を築く上では重要なことだと私は思うからだ。あまり私が多くの人と会うことを避けているのも、この辺りに起因する。自分のことをベラベラと喋った後で、相手のことを何も知らないという状態は、私には結構怖いことである。無論、とてもパーソナルなことはネットには書いていないつもりであるが。

結局、バイショーとはほんの僅かしか演芸の話は出来なかった。歌舞伎を見たけれど、何の演目だったか覚えていない。オペラを見たけれど、何の話だったか全く分からない。と言うので、あまり内容に関しては重要視していないのだな、ということが分かった。私もあまり歌舞伎やオペラには詳しく無かったから、落語には歌舞伎をパロディ化したものや、オペラをパロディ化したものもありますよ、ということを言うだけに留めていた。

話題は、結婚の話になった。どこに行くにも一人である私の話を聞いて、バイショーは「それって、凄く寂しくないですか?」と言った。

この辺りで若干、カチンッと来た。というのも、押しつけがましいバイショーの言い方と表情のせいである。まるで孤独な一人の男を憐れむような物言いだったので、私は静かに「全然寂しくないですね」と答えた。バイショーは少し拍子抜けした様子で「どうしてですか?」と聞いてきた。逆に「なぜ寂しいと感じるんですか?」と言ってやりたかったのだが、ぐっと堪えて「一人の方が気楽ですよ。どこに行くにも、何をするにも」と言った。バイショーは「へえ~、そうなんですね~」と相槌を打った。

バイショーの隣に座っていたバブルが、「でも、老後とか一人だと寂しくないですか。孤独死とか、怖くないですか?」と言ってきた。私はだんだん苛々してきて、頭の中に『なぜ孤独死が怖いんだ?』、『一人でいることの何がそんなに寂しいんだ?』と疑問が浮かんできたのだが、尋ね返すのも徒労に終わることは目に見えていたから、「その時はその時ですね」と答えた。バブルは「それは寂しいですよ~、今考えなくちゃ~」と言って笑ったのだが、私には何が面白いのかさっぱり分からなかった。

話題は子供の話になった。聞けば、バイショーはシングルマザーだと言う。夫と別れて子を育て、自分と同じ価値観の存在が一緒に育っていく姿を見るのは楽しい、と言った。「夫とは別れたけれど、私の財産は子供です。今は子供と一緒に過ごすのが何よりも幸せなんです。でも、将来のことを考えたら『資産形成』はとっても大事だなって思うんです」というバイショーの表情を見ても、私はそこから強い幸福感を見出せなかった。むしろ、これから私に話すであろう『資産形成』とやらの方法を伝えたくてうずうずしている感じが見て取れた。

すっかり『捻くれスイッチ』がONになった私は、「子供が財産と仰ってましたけど、子供を得る方法は他にたくさんありますよね。本気で考えたら、それこそアンジェリーナとブラピみたいに養子を取るとか、体外受精を受け入れてくれる女性だって海外にいるみたいですし」と言うと、バイショーは「まぁ、そうですけど・・・」と言った。

「森野さんは、子供が欲しくないんですか?」

とバイショーが言うので、気持ちが萎え始めた私は「今は欲しくないですね」と答えた。本当は喉から手が出るほど欲しいけれど、それを言うのは何だか、今じゃない気がして、自分の考えとは裏腹にそう言った。

「子供って、色々考えていたら出来なくないですか?例えば、子供が大人になって犯罪を犯すかも知れない。何か障害を持って生まれてくるかも知れない。それって、怖くないですか?」と私が言うと、バイショーは「もちろん、大変なこともいっぱいありますよ。それでも、子供の幸せが自分の幸せになるんです」というようなことを言った。

気持ち悪いな、と思った。バイショーの言い方が、とても嘘っぽく聞こえたのである。これは私の主観なので、本当はバイショーは心の底からそう思っていたのかも知れない。だが、どうにも疲れ切った主婦が、自分に言い聞かせるかのような物言いに感じられて、私は辟易してしまった。それに、その話をするまでの間に、だいぶ私に対してバイショーは「悲しくならないですか?」とか「寂し過ぎません?」とか、「本当に楽しいんですか?」とか、感情面に対して否定的な、押しつけがましい感想を述べてきたので、すっかり私はバイショーに対する信頼感を失っていた。否、もともとそんなものは持っていなかった。

恐らく、私は自分の幸福に対する価値観を押し付けてくる人が好きではないのだと思う。バイショーもバブルも、「美味しい物を食べたり、良い服を着たい」という欲求そのものは素晴らしいと思う。だが、私には押し付けて来ないで欲しいと思った。「一人でいることは寂しいことだ」という考えも、「老後は孤独死ですよ」という考えも、「定年後は生きていけないですよ」という考えも、「子供がいた方が絶対良いですよ」という考えも、「結婚は幸福なことですよ」という考えも、「結婚したら、奥さんを夫が支えるのは当たり前ですよ」という考えも、さも一般的な人間を代表して物を言ってくる態度があって、それがどうにも受け入れることが出来なかった。それに、それらのバイショーの言葉が、私には実感を伴って言っているように聞こえなかった。むしろ、何かを信じ込んでいる怖さがあって、私は自分の心が引いていくのが分かった。

そして、それらの考えが、バイショーとバブルの言う『資産形成』のための『商品』を売るための単なる材料に過ぎなかったということが、1時間の世間話の後で本題に入った時に分かった。それが私をとてもガッカリさせた。薄っぺらい幸福な価値観のお話の後で、ノートと電卓を出して、私の人生設計に対して「寂しい」だの「生きる意味が分からない」だの「生きてて楽しいですか?」だの言って来たので、内心はかなり苛々したのだが、私は「さぁ?どうですかね」と他人事のように話を終わらせた。

丁度、人生設計の話をしていた時に、私は自分のミニマルな生き方を説明した。落語を聞き、飯を食い、好きな仕事をしていれば、それだけで充分だと言ったのだが、「それは森野さんが若いからですよ。もしも急に病気になったらどうするんですか?お子さんや奥さんがいれば、きっと助けてくれるでしょうけれど、今はお一人ですよ。そういう時って、凄く寂しいと思うんです。ですから、結婚をされた方がいいですし、将来の為に資産形成を・・・」とバイショーが言ったのだが、私は頭に血が上っていたから、完全に言葉をシャットアウトしていた。

「そんなにミニマルな生活では、全然楽しくないんじゃないですか」と言った後で、呆れたような表情でバイショーが「森野さんは不思議な感覚をお持ちですね。普通の人だったら、老後の話をすると、危機感を抱いて、何か資産形成をしなくちゃいけないね。お金を効率よく貯めなくちゃねって思うんですよ。でも、森野さんはそれが全然無いですよね。あの、聞きたいんですが・・・」とバイショーは言ったあと、少し間を置いて。

森野さんって、何のために生きてるんですか?」と言った。こんな失礼な人に答える義理も無いと思って、私は「さあ?何なんでしょうかねぇ」とはぐらかした。バイショーは「生きていたいですよね。死にたくはないんですよね?」と言うので、「まぁ、そりゃ、そうですね」と言うと、「じゃあ、将来のために、効率の良い資産形成を・・・」と言ったところで、埒があかないな、と思い、私は一度トイレに立った。

トイレで用を足して、鏡を見ると、私は随分と酷い顔をしていた。久しぶりに押しつけがましい人と話をしたな、お前。と鏡の向こうの私が言っているような気がした。「知るもんか」と思いつつ、私は再び席に戻った。

戻ってきた私に、バブルは「森野さんは生きててあまり喜びを感じていないんじゃないですか?きっと幼い頃に感受性を失うような、そんな体験をされたんじゃないんですか?」と言うので、もう喋るのも嫌になって、私は「さあ、どうですかね」と言った。するとバブルは「いや、どうですかじゃなくて、森野さんの人生じゃないですか。答えたくなかったら、答えたくないって言ってください」と言うので、私ははっきりと「答えたくないですね」と言った。

それからは、もう時刻も遅くなっていたので、私は「もう帰りたいです」と言った。すると、バイショーが「まだ、資産形成をする上での『なぜ』の部分しかご説明させて頂いて無いんですが・・・」と言ったが、「いえ、もう帰りたいので、すみませんが、失礼します」と言って、私は鞄を持って「ありがとうございました」と礼を言う必要も無いとは思ったが礼を言って店を出た。

 

非常に哀しい二時間だと思った。私は酷く苛立っていた。不動産関係の営業マンに話を持ち掛けられて、良かった思い出が一つも無い。それは私の若さ、知識不足があるのかも知れない。それでも、なんだか、バイショーとバブルの言い方、生き方の価値観が私のそれと全く合わなくて、凄く自分が惨めな気分になったのである。

普通の人は、良い服を着たり、美味しい物を食べたり、結婚したり、子供を育てたりして、生きることが最高の幸福なのだろうと思った。でも、私にはそんな欲が無いのだということが、全く理解されなかった。服は最低限で、着ていることが出来れば良い。美味しい物だって、特別な時以外は食べたくない。結婚だって、タイミングが合えばしたいし、子供だって、生まれたらきっと一所懸命に育てるだろうと思う。でも、私にはそれを求めるための土台が無い気がする。きっとまだ、理性と理屈で考えてしまって、本能で生きられない気がしているのだ。

結婚した周りの人の話を聞くと、我慢や妥協、苛立ちと満たされない思いなどなど、様々な障害があることが分かる。果たして、自分がそれに耐えられるかどうかも分からないし、そんなことに出会う資格があるかどうかも分からない。そう考えると、私は結婚については、何も考えなくて良いのだと思ってしまう。

 

バイショーとバブルの話が数日経っても忘れられなかったが、書くことで一つ区切りが付くだろうと思って書いた。

私は今でも十分に幸せだと思っているのだが、その幸せの形を変えていく必要があるのだろうか。今はただ悶々としながら、演芸を見つつ、答えを導き出していくしかない。

そんな葛藤の記事である。お目汚しを失礼いたしました。