落語・講談・浪曲 日本演芸なんでもござれ

自称・演芸ブロガーが語る日本演芸(落語・講談・浪曲)ブログ!

東の意地と西の度量~2019年7月14日 東西交流会in天満天神繁昌亭~

 

f:id:tomutomukun:20190720083955j:plain

f:id:tomutomukun:20190720083930j:plain

えっ

 

子供が生まれたんですよ

 

こっちー

 

 転失気問題

 

すみれの花が~

 

ちんぴはちんぴ

 

 一心寺から繁昌亭へ

一心寺を出て繁昌亭まで歩く。およそ1時間ほどで到着した。

会場前にはゾロゾロと人が集まっている。チケットを切ってもらい、中に入ると、そこには何と桂紋四郎さんがいた。軽く挨拶をして指定の位置に着座。

会場は物凄い数の人、人、人。見れば若い人も大勢いる。落語は老若男女問わない演芸だと心底思う。落語は年配の方々が見るものというイメージを抱いている方が多いように感じられるが、流れはむしろ若い人達にあるような気がする。

もちろん、綺麗なご婦人も多い。客席に耳をそば立てていると、 どうやら初めての人が多い様子。

東の落語家さん達が、西のホームでどんな風に受け入れられるのか。そして西の落語家さんは、どんな風に受け入れられているのか。そんな単純な疑問を抱きながら、活気のある会場で、いよいよ東西交流会が始まった。

 

笑福亭鉄瓶 天災

Twitterで何度か目にしたことのある鉄瓶さん。読み方は『てっぺい』。見た目からキレッキレの、炎のように燃える、熱い雰囲気を感じるお姿。マクラから怒涛の勢いで激情をぶちまけながら、会場を盛り上げる。勝手に頭の中で浮かんできたあだ名は『怒りのポンポコリン』という感じで、何となく『平成狸合戦ぽんぽこ』の鷹ヶ森の権太を想起させる。

怒ってはいるのだけど、それが全然嫌味に聞こえない語り口。共感してしまう可哀想な状況。「許せない!」という思いよりも「おかしくないですか?」と問いかけてストレスを発散する姿勢が素晴らしいと思う。相手を傷つけずに正しく言い返す術は見習いたい。

天災という話は、簡単に言えば『いい教えを聞いた男が、それを試して失敗する』という内容である。初めに出てくる短気な男に不思議な愛嬌がある。日常生活では絶対に出会いたくは無いのだけれど、少し間の抜けた考えの持ち主なんだなぁと思うと、なんだか可愛らしくも感じられる。男が妻と母親を叩くなど、やっていることは信じられないほど理不尽なのだけれど、それが全く嫌味に感じられない鉄瓶さんの語りと所作。恐らく肚に何も無い、短気の中の短気っぽさを感じるから、肚でどうのこうのと考えるよりも先に手が出てしまう男の、その単純さが嫌味にならないのかもしれない。短期な男に清々しさを感じたほどである。もちろん、一にも二にも「人を叩くなんて許せない!!!」と過敏になる人には、短気な男は受け入れられないかも知れないが、そこは自分に影響が無いフィクションと捉えて、楽しんで頂ければと思う。

そんな短気な男が心学の先生に出会う。この部分のやりとりも上方らしさがあって面白く、冒頭のマクラが混ざり合って、会場は爆笑の嵐。ひょっとすると、鉄瓶さん自身も短気で根に持つタイプなのかなと思ってしまうほど真に迫っている。また、短気な男が友人に教えを試して失敗する場面は、最高潮の盛り上がりを見せた。

お初だったけれど、怒りを上手に芸に落とし込んで、笑いに変え、天災という話の面白さをブーストさせていたように思う。マクラから演目への流れも最高で、さっぱりさわやかなストレス発散のような、お見事な一席だった。

 

三遊亭朝橘 茄子娘

東京でもあまりお目にする機会の無い朝橘さん、お初。読み方は『ちょうきつ』。2017年の4月に真打に昇進している円楽一門の落語家さんである。

風貌は、霊長類の動物に似ており、若干強面ではありながら、たっぷりのマクラで生まれたばかりの赤ん坊について語る。赤ん坊に対する愛が高座から溢れていて、客席も大盛り上がり。その流れで演目へ。

茄子娘という話は、簡単に言えば『茄子と結婚して子が生まれる』という、ファンタジックなお話。初めて聞くと「なんじゃこりゃ」と思うかも知れないが、聞いてみると面白いお話である。一体どんな想像力を駆使すれば、こんな話を思いつくことが出来るのか。きっと作者自身も茄子が大好物であったに違いないと思う。

ひょんな勘違いから茄子が和尚のを訪ねるのだが、その時の茄子の語りも細部に茄子独特の訛り(?)があって面白い。茄子に絡めた小噺を幾つも聴いているような感じである。きっと赤ん坊が生まれて、より実感を伴って朝橘さん自身も語ることが出来るのだな、と思うほどに愛に溢れた語り。三遊亭円楽師匠譲りの懐の深い、見るものを愛でる眼差しと語りの温度。そして知性と人の心の温かさを感じさせる声と所作。殆ど見る機会は無いけれど、高座から発せられる父性が温かい。自分にもいつか、そんな日が来るのだろうか。私も出来ることなら玉ねぎと結婚して、毎日泣かされたい。と思うが、それはさておき、父になった朝橘さんの温かい一席だった。

 

桂二乗 天狗さし

お次はお初の桂二乗さん。見た目の雰囲気では優等生感のある知的な風貌。きっと飲み会とかでも会計係とか、酔った人を介抱したりとか、忘れ物が無いか最後に確認して帰るような人だろうな、という見た目。

声も真面目でまっつぐな印象を受ける。どこかの社長令嬢が見たら一目惚れしてしまうんじゃないかと思うほど、真面目さが高座から醸し出されているように私には感じられた。独演会に行ったら、きっと働き盛りのキャリアウーマンがわんさかいるに違いない、とそこまで妄想するほどに、端正で真面目な語り。

そんな二乗さんが東西交流会のメンバーをあだ名で呼んだりすると、思わずドキッとする(乙女かっ)。私が女性だったら、結婚するのはこういう人だろうな、と思う。文菊師匠は私には高嶺の花過ぎるし、一緒に居たらきっと文菊師匠を駄目にしてしまうと思うの。だからあたし、二乗さんならいいかなって、思うわ。(突然の乙女化)

演目の『天狗さし』は、初めて聞いたお話。上方でしか聞けない珍しい話を聞けるのは、本当にありがたい。もっとちょうだい!という気持ちになる。

この話は、簡単に言えば『金儲けのために天狗を刺そうとする男が、坊主を刺す』という内容で、冒頭から馬鹿馬鹿しくて最高に面白い。金儲けを持ちかける男の、単純かつズレにズレた奇想に振り回され、ほぼ狂人なのではないかと思うほどに、自らの欲望?のままに突っ走って行く。この辺り、春風亭昇々さんがやったら狂いっぷりが加算されて面白いのではないかと思う。

二乗さんの真面目な雰囲気とは裏腹に、金儲けを企む男の奇天烈っぷりがさく裂する滅茶苦茶な話で、真面目さと奇天烈さのバランスが絶妙にマッチした不思議に面白いネタだった。そもそも、この話がなぜ出来たのか気になるし、男がなぜ金儲けに天狗を選んだのかも気になる。また、天狗を保管しておく蔵で天狗が泣くところの描写があるのだが、妙にリアリティがあってゾッとした。

話の面白さを支える二乗さんの端正で癖の無い語りが素晴らしかった。出来ることならば、もっと他の話も聞いてみたい。文菊師匠とは異なる、上方の品格を感じた一席。凄い落語家さんが上方にはたくさんいるなぁ、と改めて思う。

 

柳亭小痴楽 大工調べ

仲入り前のトリは柳亭小痴楽さん。東京で頻繁に高座を見ているせいか、心の中で「頑張れ!」と応援してしまう。そんな応援なんてせずとも、小痴楽さんは小痴楽さんのままで最高の語りを始める。どこかの街のヤンチャな兄貴的風貌ながら、ちょっとお茶目なハプニングをしつつ高座に上がってきた小痴楽さん。全てを曝け出して笑いに変える姿がカッコイイ。私が女性だったら結婚相手は二乗さんだが、遊ぶならこっちーにする(何言ってるんだか)

東京では定番のマクラも、真打昇進に関するマクラも、とにかく会場がドカーンッとウケる。若い女性達も喜々として嬉しそうに笑っていた。飾らずにスタイリッシュで、ありのままでまっつぐ、そんな痛快、爽快な小痴楽さんの流暢な語りに流されるがまま、うっとりとしていると『棟梁』のワードが出てきて、思わず胸が高鳴る。

 

ここで大工調べか!!!

 

これはあくまでも私情だが、江戸落語の真髄を見せようという小痴楽さんの気概、そして真打に向けてより一層気合が入っているのだという、一つの証明として、西のホームで小痴楽さんは大工調べをやろうと決めていたのではないか。どれだけの人の胸が高鳴ったかは分からないが、私は小痴楽さんのネタ選択に、並々ならぬ強い意志を感じたのである。

冒頭の与太郎と棟梁が会話をする場面。棟梁の面倒見の良さが胸にジーンと来る。それを間に受けることなくぼーっとした与太郎がまた可愛らしい。大家の家に行って失敗する与太郎も、大家の家に行って大工の道具を返してくれと頼み込む棟梁も、温かい人の情がある。会場も物凄く温かくなっているように感じられた。小痴楽さんの、あの美しい流れを耳に感じる語りに、会場にいた誰もが虜になっていた。

そして、棟梁が大家に啖呵を言う場面。一切の淀みなく、凄まじい語りのテンポに思わず鳥肌が立つ。

 

うわぁ、うわぁ、うわぁ、うわぁ

 すげぇ、すげぇ、すげぇ、すげぇ!!!

 

段々と啖呵が後半に行くにつれて、私の心の中で、小痴楽さんへの「すげぇ!」がヒートアップしてくる。

そして、啖呵を言い切った瞬間。会場からは割れんばかりの拍手。喝采

東京から来た私ですら感動で茫然としてしまうほどの絶品の、圧巻の、凄まじい啖呵。それが、大阪の人々にも受け入れられたのだなと思うと、なぜか感動してしまう。東京で普段見る高座には無い。上方ならではの空気感と迫力。正に前々記事で書いたような『そこにしか無いもの』に出会った瞬間だった。

素晴らしかった。あまりにも素晴らしかった。黄金の調べと言ってもよいほど、勢いと、激しさと、小痴楽さんの全てが凝縮されたような最高の啖呵だった。

さらに凄まじいのは、その啖呵の後で与太郎が毒を吐く場面。これも啖呵の勢いそのままに、会場がドッカンドッカンとウケる。さぞ小痴楽さんも気持ちいいだろうな、と思うほど、渦のように爆笑が巻き起こっていた。

最後のオチもお見事。仲入り前に会場は最高潮の盛り上がりを見せた。

圧巻、圧巻、圧巻。

 

凄いぞ!!!小痴楽さん!!!

 

春風亭昇也 長命

圧巻の『大工調べ』の後、客席は大いに盛り上がっていた。袖に下がる小痴楽さんが扇子を首後ろの着物に入れる部分を見た女性達がキャーキャー言っていた。物凄い狂喜の仲入りに、私も自分のことのように嬉しかった。江戸にも凄い落語家さんはたくさんいるよ。是非見においでよ。と思いながら、仲入りが終わった。

春風亭昇太師匠の結婚に絡めた話をするお弟子さんの中では、この人の語りを聞くのが面白いかも知れないと思えるほど、キャスターのような語りで、ウキウキしながら毒舌も加味していく昇也さん。会場を味方に付けながら、一緒になって自らの師匠の結婚について語る昇也さんは物凄く嬉しそうだった。

成金の話も出た。マクラから毒舌全開である。そんな流れで、ネタは長命(短命でも可)。江戸落語を親しむ私としては、昇也さんのネタ選択に思わず、

 

うおお!凄い!短命だ!!!

 

と心の中で唸った。先ほどの小痴楽さん然り、この二人のネタ選択には勢いを感じる。昇也さんも昇也さんで、時事に絡めてきたと思った。

これがもう、どう書いても、あの時の面白さを表現できないのがもどかしいのだが、昇太師匠の結婚が、普段の短命に思いっきり挟み込まれていて、それだけで会場が物凄い爆笑に包まれていた。会場が爆破されたのではないかと思うほど、とにかくウケていた。あんなにウケた短命を聞いたのは人生で初めてである。

何よりも、会場にいた人々が昇太師匠を知っているし、昇也さんの語りに愛があったからこそ、あそこまで最高潮に盛り上がる短命になったのだと思う。詳細は詳しく書かないが、もし機会があるのならば、なるべく昇太師匠の話題がホットな内(いつまでするか分からないが)に、短命の演目を聞いて頂きたいと思う。物凄く面白い。異常な面白さの短命。むしろ『短命(昇太師匠結婚ver)』とした方が良いくらいである。

とにかく、面白いのである。もう一度言う。

 

とにかく、面白い!!!

 

桂佐ん吉 浮かれの屑より

トリは桂佐ん吉さん。今月、桂紋四郎さんの会でお見かけし、丁寧で、上手い、絶品の語りを披露した佐ん吉さん。話に引き込む話芸ももちろんのこと、鳴り物に合わせて動く所作が凄まじい。

東京では『紙屑屋』と呼べるお話である。私は初音家左橋師匠と林家たい平師匠でしか聞いたことが無い。上方では音曲噺の最高峰として知られる演目であるそうだ。

最後を飾るにふさわしい鳴り物が連続するお話で、それに合わせて佐ん吉さんが動く、動く、動く。よくあれだけ動いても息切れしないなと感心してしまうほど、きめ細かい動きは圧巻だった。

この話は、簡単に言えば『親に勘当された若旦那が、紙屑屋を始める』という内容で、紙屑などを取り分ける蔵の近くに、三味線の稽古屋があるという設定。若旦那は様々に紙屑を取り分けながらも、三味線のせいだったり、手紙や本のせいで色々と気が散って、集中力がない。どこか愛らしく、根っからの道楽者なのだなぁ、という雰囲気と、その道楽に心底熱中しているのだろうなぁ、ということが、三味線の音色にあわせて踊る仕草から見受けられた。

前日に桂吉坊さんの『七段目』で音曲噺を聞き、ここで佐ん吉さんの音曲噺の最高峰に出会えるとは思ってもいなかったし、とても幸運なことだと思った。鳴り物が入ると、ぐっと鮮やかに景色が映える。佐ん吉さんの踊りも美しかった。

笑いだけではなく、艶やかで芯の通った芸を見ると、心がキュッと引き締まる。

素晴らしい音曲噺で、東西交流会は幕を閉じた。

 

 総括 最高の東西交流

東京にいても、あまり見ることが出来ない白熱の高座を見ることが出来た。きっと、東西の落語家が、それぞれに、それぞれの場所で圧巻の高座を披露してきたからこそ、今日のように、大盛り上がりの会が行われたのだろうと思う。聞けば、東西交流会が始まって以来、初めての超満員だそうで、約250人ほど、立ち見も出るほどの大盛況だという。

入り口には、大勢の人々が我も我もと先ほどまで高座にいた落語家さん達に話かけていた。中でも、小痴楽さんは物凄い人気で、小痴楽さんを見た女性達が「あっ!小痴楽さんだ!」「えっ!?嘘っ!?本当!?きゃああー」というような感じで、ぴょんぴょんとウサギのように跳ねながら興奮していた。私もそんな風に喜べたらどれだけ良いことだろう。美人を見ると固まってしまう(体が)ので、ぴょんぴょんと跳ねながら近づいて「綺麗ですねー」とか言ってみたい(嘘です。無理です)

沸きに沸いた。特別な、興奮の一夜だった。

もしも機会があれば、次は横浜にぎわい座で東西交流会が行われるそうである。次は西の意地と東の度量を見る機会になるかも知れない。

この夜の朝橘さんの娘を思う熱い思い、小痴楽さんの生粋の江戸落語の意地、そして昇也さんの師匠への熱い愛を短命に込めた姿勢。思い返しても凄まじい熱量があった。

同時に、鉄瓶さんの炎のような燃える高座、二乗さんの端正で真面目だけど奇天烈な話の妙、そして佐ん吉さんの音曲噺の艶やかな所作と語り。懐の深い、度量のある上方落語をたっぷりと味わうことが出来た。

今後も定期的にこの会が続いて欲しいと思う。機会があれば大阪に出向いてでも見たい。熱狂の一夜だった。

ホテルに戻りベッドに入っても、興奮して眠ることが出来なかった。今日は朝からずっと、良い日になるだろうという予感があって、その通り、否、それ以上に幸福な一日になった。

明日はいよいよ最終日。九ノ一さんの高座である。

しばし心を落ち着かせながら、ゆっくりと、幸福を抱えて私は眠った。