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ハード・パンチな熱量に燃えて~2019年7月30日 王子落語会~

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へぇー、こんな会があったんだー

 知らない扉はすぐ開ける

きっかけはTwitterである。

とある方から『桂米紫さんを見てほしい』というようなメッセージを頂いた。早速、これはチェックせねば、と思っていた矢先に、たまたま『王子落語会』なるものが開かていることを知り、米紫さんが出演されている。他に鯉昇師匠もいることから、間違いないだろうと思い、行くことを決めた。

昔から好奇心は旺盛であるし、あらゆる穴という穴に顔を突っ込み、顔中傷だらけになるなんてことは日常茶飯事小三治であるから、ワクワクする気持ちが勝っていた。

いつだってそうだが、初めての人を見るのはワクワクする。モハと書かれた電車に乗って向かったが、気持ちはウハ、ウハウハである(東海林さだお先生オマージュ)

知らない扉、まだ入ったことの無い部屋には、割とすぐに入ってしまう性質があり、そのおかげで随分と見識も傷も増えたが、それはそれで良いだろうと思うのである。若いせいもあるが、立ち直りが早い。起こり上がり小法師よりも早い。

王子という街には、伸べえさんの独演会でしか来たことが無かった。駅前が何となく亀戸に近い雰囲気を感じる。ちょっとゴミゴミしているけれど、ぽつぽつと整理されている感じ。

だらだらっと歩いて会場へ向かうと、「えっ!?ここっ!?」みたいな場所で、会が開かれていることに驚いた。

まず入って驚いたのは、スタッフがとても親切で優しいこと。そして、地下の階段に降りて行く途中で、上から舞台が眺められる窓があること。まるで、プーク人形劇場を彷彿とさせるような、こぢんまりとした会場ながら、確かな歴史と雰囲気を醸し出す佇まい。おまけに、殆ど他の会で見たことのないお客様も多く、地域密着型の会なのだろうな、という感じ。

聞けば、年二回の開催だそうで、貴重な会に参加することが出来て良かった。

中に入って開演を待つ。スタッフさんの素晴らしい呼び掛けに、心が和む。良い会場だなぁと思っていると、お客様もゾロゾロと入ってきて、あっという間に満席になった。

さらに驚いたのは、開演前のお囃子。二番太鼓がめちゃくちゃ上手い。笛も太鼓も物凄く上手で、それを聞いただけでも「うわぁ~、良い会だなぁ~」という感じになる。残念ながら笛を吹いていた方と、太鼓を叩いていた方を見ることが出来なかった。結構、心残りである。それにしても上手な演奏だった。

そんな上手な演奏の後で、開口一番は、この方である。

 

三遊亭金かん 狸札

様々な会でお目にする確率が多い金かんさん。独特のスタイリッシュな風貌と語り口、そして何より、三遊亭金遊師匠の魂を受け継ぐ、正統派の落語家だ。下手に奇を衒うこともなく、シュッとした佇まいと、シンプルな語りが耳に心地いい。これからどんな風に金かんさんの色が突いてゆくのだろう。三遊亭笑遊師匠の門下に移っても、そのスタイリッシュさは失わずに、笑遊師匠の熱量を受け継いで、落語を演じ続けて欲しいなぁ。と思う。

素晴らしく爽やかな一席だった。

 

瀧川鯉昇 鰻屋

出囃子が鳴り、座布団に座るまでの所作から、全てが『鯉昇ワールド』に包まれていた。マクラの扇風機の噺から、会場のこと、徹頭徹尾、面白い。語りの間、そして紡がれる言葉。何も特別なことはないのに、日常のほんの些細な『ズレ』を思いっきり見せつけて、爆笑を巻き起こす。何も考えずに聞くことができるけれど、終わった後で、色々と考えたくなる性分なので、こうやって書いている次第である。

鯉昇師匠の、肩の力が抜けているのに、決して真剣には見えないのに、笑ってしまう不思議な魅力。一体自分でも、なんで笑ってしまうのか分からないくらいに、とにかく面白いのである。気がついたら笑っているのである。

何よりも、情景描写が的確で、物凄く想像しやすい。きっと緻密に言葉を調べれば謎が解けるのかも知れないが、不思議と聞き終えた後は、殆ど何も覚えていないのである。何か心をくすぐるような、面白い言葉があったと思うのだが、それが記憶に残るほど定着しないまま、霧の中へと消えて行き、面白かったという気持ちしか、聞く者に残さない。

あの凄まじさは、まだまだ見なければ分からない部分だろうと思う。

それにしても、素晴らしい鰻屋だった。ちょうど旬な話だった。

 

 桂米紫 法華坊主

お初の米紫師匠、そして今回のお目当て。舞台袖から登場した時は、思わず「サッカー選手!?ボクサー!?エグザイルの人!?」と思うくらいに、シュッとしているように見えた。Twitterで画像を見た印象では、もっとお坊ちゃま系の『ぼくちゃん、ぼくちゃん」とした不思議な雰囲気を醸し出す人かと思っていたのだが、まるっきり、その予想を180℃反転させた、激しく強そうな雰囲気。

第一声を聞いて、そのハスキーボイスに驚く。おお、結構ハスキー系なのね、と思っていたら、どうやら舞台で声を出して喉を傷めてしまったそうだ。

それでも、目には炎が灯っている。ああ、どこかに同じような熱量を持った落語家がいたことを、私は思い出した。

そう、そうだ。桂九ノ一さんとはまた異なる、激しい熱量。右へ左へ、デンプシー・ロールでもするかのように、畳み掛けられる言葉。そして何よりも、眼の眩しさ。

 

うおお!!!熱ちぃいいい!!!

 

と、思わず心が滾った。京都からはるばる王子まで来るほどの熱量である。熱くないわけが無いではないか。どこからどうみても減量中のボクサーのような雰囲気でありながら、しっかりと笑いをかっさらっていく。まさにマイク・タイソン並みのハードーパンチャーだと思った。

喉を傷めていても、珍しい噺ということで、三つの小噺からなる『法華坊主』を演じられた。面白い話で、私も宴会などで使おうと思うのだが、オチしか覚えていない。

次は、喉が完全に回復したときに、一席聞いてみたい。

Twitterでの情報で知ることが出来て良かった。熱い熱い落語家さんというのが、私の今の印象である。

会場もドッカンドッカンと受けて、素晴らしい熱量の一席だった。

 

 神田京子 番町皿屋敷

 書く言葉が見つからないので、書かない。

 

 総括 熱量に燃える

結果、素晴らしい会であったことには間違いない。金かんさんのシュッとした佇まい、鯉昇師匠の安定の爆笑スタイル。そして、お初の米紫さんの熱量に惚れた。

本当に、上方落語を見ることが出来る人達が羨ましいと思うのは、一つ、この熱量にあると私は思っている。今回は彦八まつりにも行こうと思っているから、上方の落語ファンの皆様が、どんな思いで落語家さんに接しているか、どんな笑顔がそこにあるのか、この目で見たいと思っている。

本当に素晴らしい、心燃える会だった。次もまた、米紫さんを聞く機会があったら、見に行きたい。そうそう、米朝師匠の一門のお弟子さん達は、品があって、力強くて、芯があって、素敵だなあと思う。心惜しいのは、米朝師匠の高座を見ることが出来なかったことであろう。

それもまた一つ運命。肉体は消えども、魂は繋がれている。私はそう思うのである。

では、またの機会に。