名人、古今亭文菊~2019年8月2日 鈴本演芸場 夜席~
届く
今しかない今日
行く。朝に、そう決めた。今日は、パパっと仕事を終わらせたら、行く。どこへなんて、決まっている。鈴本演芸場、夜席、古今亭文菊師匠がトリを務める、8月上席である。
すぐにでも行きたい気持ちを抑えて、集中するべきときに集中し、それが終われば後は、脱力した蛙のごとく、ゲーコ、ゲーコと口からベロを出しながら、電車に乗って向かった。
うだるように暑いのだが、そんな暑さすらも凌駕するほどの熱が、私の中にはあった。10日間のうち、今日だけ、行こうと思っていたからである。それには幾つか理由があり、他にもたくさん行きたい場所、見たい場所などがあった。また、来週から10日間の休みで、旅行を計画しているため、今日という日は逃せない、と思っていたのだ。
だから、私は暑さを水でしのぎながら、鈴本演芸場の入り口前に出来た列に並び、開演を待っていた。
開場して、中に入ると、外の暑さが嘘のように涼しい。簡易冷蔵庫か、と思いながらも、私は足早に、お気に入りの席へと移動した。
そして、いよいよ開幕である。
全員を紹介すると、長くなるため、注目部分以外はダイジェストでお送りする。
前座は春風亭与いちさん。どことなく俳優に似た顔立ちで、抜群に上手い。一之輔師匠の物真似っぽくないところが、私は好きである。続いて、春風亭ぴっかりさんの可愛らしい新作から、やたらと指を舐めるマギー隆司さん、柔らかくて高い声で、若干スリルもあった古今亭菊生師匠、圓太郎師匠は会場のお子さんを見て、温かい桃太郎が染み入るような絶品の語り。ペペ桜井先生は相変わらずで、百栄師匠も肩の力が抜けまくったコンビニ強盗、菊太楼師匠の立て板に水の語りで仲入り。
仲入り後は、畳み掛けるようなリズムと語りで攻める笑組さん、先代の三遊亭圓歌師匠のエピソードが最高に面白い三遊亭圓歌師匠。
紙切りでは、花火、筋肉マン、紅葉の木を切り上げた林家楽一さん。
そして、古今亭文菊師匠のトリである。
文菊師匠が袖からお姿を表された。
この時の気持ちを、私は以下に記載している。
とどく|「わたし」はなにもかんがえずにいきたかった。|note(ノート) https://note.mu/namonakimonokaki/n/n478c44bf3bf1
合わせてお読みいただければ、幸いであるが、文菊師匠が袖からやってくるまでに、色々と考えていたことがあった。
まずは準備段階で、楽一さんの時に『ブンギクシショー』と言って、文菊師匠を切ってもらおうと思ったのだが、『花火』や『筋肉マン』の前に敗れ、敢えなく撃沈。次はもっと人が少ない時を狙って、文菊師匠を切ってもらおうと思う。
紙切りのタイミングで、声を鳴らした後、文菊師匠が登場。拍手が鳴って、私は叫んだ。
「待ってました!!!」
色んな思いが込み上げており、イントネーションも正しかったのかも分からない。それでも、文菊師匠に届いた、ということが確かめられて、良かった。
本当に、良かった。
それからのことは、もはや、詳細を語ったところで意味が無いと思えるくらいに、素晴らしかった。
前にシブラクで見た『井戸の茶碗』とは、比較にならないほど、たっぷりと、くっきりと、丹念に、丁寧に演じられていた。一切の淀みの無い、清らかな流れの如き語り口。
何よりも、私が「待ってました!」と言った影響かどうかは分からないが、いつにも増して、文菊師匠が嬉しそうに、楽しそうに、満ちて、演じられているように感じられたのである。一つ一つの言葉に実感が籠っていて、私は登場人物の心の機微に、胸を締め付けられ、息を飲むような思いがした。
そのとき、はたと気がついた。
見る側の姿勢は、思わず口をついて出てしまうような「待ってました!」によって、整うのではないだろうか。すなわち、演者と観客の芸は、たった一言を発するだけで、特別な物に変わるのだと、私は思ったのである。
今までずっと、「待ってました!」と言えない自分がいた。周りの人たちが、「待ってました!」と言うのを、羨ましく思っていた。だが、今日は私が「待ってました!」を言う側に立った。これは、とても、大きな一歩だと思った。同時に、それまでの演芸を楽しむ気持ちが、より一層、強く、強固なものになったように思った。
勇気を振り絞って声を出した一夜は、特別な一夜になった。
オチを言い終えた後の、文菊師匠の優しいお辞儀が忘れられない。
全てが、特別な一夜になったのだ。
総括 名人 古今亭文菊
終演後、私の頭にはずっと、『名人だ』という言葉が溢れ続けていた。幕が下がった後も、思わず、「いやぁ~、名人だぁ」と言うほどである。それほどに、名人だった。文菊師匠は今も、そしてこれからも、名人であり続けると思う。名人である。もう、終演後に居酒屋に行ったら、酔っぱらった私は、「名人ですね、名人。もう名人だよ、名人。名人、名人名人名人」と、ウザいくらいに名人を繰り返す迷(?)人になっていただろうと思った。
現に、帰り道もずっと、頭の中でくりかえされる『名人』という言葉が、気持ちいいくらいに響いた。本物の名人である。文菊師匠は、間違いなく名人である。
また、井戸の茶碗は私にとって特別な一席である。その理由はここには記さない。
本当に素晴らしい一夜になった。私自身は、これからも、「待ってました!」を言い続けたいと思った。
今日言えたのだから、次も必ず言える。
ますます、落語を見るのが楽しみになった。
そんなことを噛み締めながら、家に着いた。
幸福な一日。
毎日を笑って過ごせる。
そんな一日が、少しでも多くなるように。
祈りながら、この記事を終える。