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カイダン・カイ?/ダンダン・カイダン・ダイ~2019年8月9日 渋谷らくご 18時回~

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怖い話を聞かせろよ

 

役者 

 ムリヤリ・ヤスミ

暑い日は仕事をしたくない。ならば、しなければよい。自分がしたいことを、したいと思ったときに、する。これが精神衛生上、最も効果がある。何も、無理をして仕事なぞしなくても、自分の人生が一度きりであることと、宇宙の寿命と太陽の寿命とを比較すれば、仕事をする時間よりも優先すべき時間の使い方というものが、見えてくるのではないだろうか。

なので、無理やり休んだ。暴挙に出たのではない。人間として、当然の『自由』の獲得のために、休んだのである。無論、やるべきことは終わらせているので、誰に文句を言われる筋合いも無い。文句を言えるのは、私だけである。

早々に渋谷に着くと、見慣れたラブホテルの門前で高齢なオバチャン清掃員が談笑している。若い人達が繰り広げた夜のスポーツの後始末は、優しい眼差しを持ったオバチャン清掃員によって行われているのだと考えると、『高齢者を支える社会』という言葉に対して、若干の疑問を抱かざるを得ない。とかく、高齢者と呼ばれる年齢層の人々は元気である。落語を見ていると特にそう思う。私もそんな元気なジジイになりたい。スーパーなジジイになりたいと思っている。

さて、渋谷らくごの会場があるユーロライブに到着すると、普段は見れないような大行列である。よくぞこの蒸し暑いなか、これほどの人が並べるな、と思うくらいの長蛇の列である。並ぶ人々も一様に「ここは当日券に並ばれてますか?」というようなことを言って、列に並んでいる。凄まじい列である。

なんとかチケットを購入したが、ロビーには溢れんばかりの人、人、人。黒山の人だかりとは正にこのことで、いつ『粗忽長屋』が始まってもおかしくない状態である。

入場時刻となって、吸い込まれるように人々が会場へと入って行く。ダイソンも敵わない吸引力。生粋の蕎麦喰いも敵わない吸引力。是非、見習って頂きたいと思うほどに、ぞろぞろと人が入って行く。私は豚汁にされる山芋の気分を味わいながら、会場に入り、席に着いた。

 

 林家きく麿 二つ上の先輩

出てきて、第一声を発しただけで謎の笑いが起こるきく麿師匠。令和の爆笑王。冒頭のマクラから、どういう流れで演目に入ったか忘れてしまったが、三人の男が登場する訳の分からない話が始まる。

この『訳の分からない』感じが最高に面白いのである。段々と日常の中におかしな部分が混じり込んできて、最終的におかしくなって終わるという、きく麿師匠の注入したおかしみが、どんどん体に広がっていって、元の体に戻れなくなる感覚。これがたまらなく面白いのだ。

例えば、美味しいお菓子があったとする。最初は「食べると太っちゃうな」と思いつつ食べるのだが、食べているうちに「やべっ、止まらないぞ」と思って、どんどん食べて続けてしまう。そのうち、胃が破裂するまで食べてしまうという、そんな『恐怖のかっぱえびせん』みたいな落語をするのが、林家きく麿師匠だと思っている。

やめられない、止まらない笑いの連続。なんであんなに面白いのか、自分でもさっぱり分からないのだが、きく麿師匠の物語の登場人物の狂気に触れる感じが面白いのかも知れない。詳細は書かないけれど、様々な部分で『?』が浮かんでくるのだが、その『?』を受け入れて、納得してしまうほどの感情の爆発があって、その強引さが最高に面白かった。最後はまさに、止まらなくなってしまったかっぱえびせんを頬張り続けて行くような、笑いの畳み掛けがあって、会場はじゃぶじゃぶと笑って、とても心地の良い一席だった。怪談話かい?と問われると、何とも言えないが、恐らく会場に集まった観客の思いを感じ取った一席だったのではないか、と思う。

みんな、怪談話を聞きに来てる感は確かにあった。

納涼の夏。怪談の夏ですものね。

 

 神田松之丞 小幡小平次

1月のシブラクで見た『鉄誠道人』以来であるから、実に7か月ぶりの松之丞さんである。もはや客席も含めてお馴染みとも呼ぶべき方々から、猫背の松之丞さん登場まで、全てが何だか懐かしい。私は特に『松之丞さんの追っかけ』的なファンではなく、今年の連続公演で十分に味わったので、ポイントを絞って見れたら良いかな、くらいの立場であるが、やはりその人気と実力は凄まじいものがある。

まず驚いたのは、物凄く痩せているように見えたことである。この7か月で色々と越えて来たものを感じさせる風格と佇まい。着物の色合いも相まって、実に渋くなっているように見えた。

そんな松之丞さんは、大きく感情を高ぶらせて話すことはなく、淡々としみじみと枕を語りながら、演目に入って行く。

Twitterでも多くの人が感想を述べているように、『おちか』という女性の、悪知恵の働く妖艶な声色、間、表情にゾクゾクとした。私のような美人好きには、一度は騙されたいと思ってしまうほどの魅力的な女性の姿が想像された。悪い女って、ああいう喋り方をするよねって、無意識に思ってしまうほどの、色気と艶。松之丞さんのトーンの合わせ方が気持ち良い。

後半に従っていくにつれて、話は盛り上がっていき、それに合わせて松之丞さんの語りは高まって行く。しっとりと、静かに、ひたひたと満ちて行く水が、満たされる直前で一気に溢れでていくような、緩急の語り。特に後半の場面は、恐らくいずれ、寄席のトリで怪談話をされるときには、完全に真っ暗となった照明の中で、伯山の顔が浮かび上がることになるのであろう。そういう意味では、とても貴重な場面を見ていることには違いない。一体いつになるかは分からない。今は寄席で神田松鯉先生が怪談話をされているが、神田伯山先生が怪談話をやるとき、私は今日という日を思い出すだろう。

人間の心の交差、男が女を求め、女が男を翻弄する。そして、一人の男はその間で死に、亡霊となって復讐する。暗い話ではあるが、そこに人間の本性を垣間見たような気がして、背筋がしっとりと汗ばむ。凄まじい一席だった。

 

 総括 ユメノマタユメ

会場を出ると、次の会の行列であろうか、大勢の人々がロビーに集まっている。チケットを求める列も長蛇であり、どうやら二公演とも大入りであったようである。

私は、どがちゃがを見つめながら、「載りたい」と思った。いつか、そんな日が来るのだろうか。それとも、永遠に来ないのだろうか。

答えはいずれ出る。

その日まで、待ち続けよう。

そんなことを思いながら、私は家へと急いだ。