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自称・演芸ブロガーが語る日本演芸(落語・講談・浪曲)ブログ!

ゆく川の流れの道理~ 2019年9月13日 渋谷らくご 18時回~

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前座

 

嘘でもいいから 

  

ガミガミ親父

渋谷にいる若者達はみんな、パンケーキとタピオカミルクティーを求めている。渋谷に来ると、いつも私は、パンケーキを食べたそうにしていて、タピオカミルクティーを飲みたそうにしている若者達の顔を見ることになる。いつか糖尿病になるぞ、と心の中では思うのだが、それを口に出して言うことは無い。言ったところで、好きなものをやめることなど人には出来ない。なぜなら私は、落語を聞きたそうな顔をしていて、落語を求めている人間をたくさん知っているから。

反抗期を終えて、太閤記を読み、抵抗器を弄りながら感動しアンノウンな未来を見つめていた若いころの私とは、生きてきた次元が違う若者達が街を闊歩している様子を脇目に、私はユーロライブへと歩いていた。

すれ違う若者は、虹色に光るブレスレットを付けていたり、黒地に白文字で『ARMY』と書かれた服を着ていたり、追剥にでもあったかのようなジーンズを履いていたりする。幾分涼しくなって、過ごしやすくなったからこそ、心は開放的になって、色んなことへの欲望が花開く。圭子の夢は夜開く。

ユーロライブへ行く道の途中、通りの壁に『新しい価値観が、未来を作る』と書かれたポスターがびっしりと貼られていた。目のやり場に困って道の花壇を眺めれば、片手にトリスハイボールの500ml缶を持ちながら、ニヤニヤと笑って嬉しそうに語り合う中年二人がいる。なぜか親近感が湧く。

月は煌々と輝いている筈なのだが、渋谷のビル群に遮られて何も見えない。ふつふつと私の胸に沸き起こってくるのは、月の輝きを遮るビルや雲のような、横やり、注意、邪魔な思考。頭の中で、幾重にも生まれてくる言葉。それら全てが、渋谷を歩く若者への小言なのだけれど、私にそれを言う資格はない。虹色のブレスレットをしていようが、ARMYを着ていようが、ボロボロのジーンズを履いていようが、全ては許容されている世界。ああ~のんきだねぇ。という気分だが、私は昔を思い出す。

かつて、私の故郷には何かと小言を言う爺さん、通称『ガミガミ親父』がいた。今、そのガミガミ親父が渋谷に来たら、一体どんなことを言うのだろうかと気になって仕方がない。

ガミガミ親父は、人の子だろうと何だろうと、自分にとって気にくわないことは何でも言った。挨拶はきちんとしろ、田んぼで遊ぶな、どこの屋号のもんだ、暗くなると危ねぇから早く帰れ、などなど、色んなことを言われたものである。

私は一度ガミガミ親父に出くわすと、なるべく怒られないように、静かにしている子供だった。絶えず人の眼ばかり気にしていたのがよくなかった。目も悪かったから、時々、父親に背格好の似ている人を自分の父親だと勘違いして、父親が見ているという緊張感で生きることがしばしばあった。

時代の流れは不思議なもので、怒鳴ったり、注意したりする人をあまり見かけなくなった。どこの誰とも分からない人にいきなり怒鳴られる、ということが殆ど無くなった。神社仏閣などに行って手水舎での作法を間違え、蔑むような眼で罵倒された経験が私にはあるが、それもレアなケースだと言えるだろう。

若い頃は、やたらと注意をしてくる煩い高齢者が大嫌いだった。頭でっかちで、頑固で、自分の常識を振りかざしてくる人間が、心の底から嫌いだった。過去の栄光に囚われて、「おれたちの若い頃は・・・」などと口癖のように言う高齢者が嫌でたまらなかった。そんなことよりも、新しいもの、新しい価値観、そして何よりも自分の信念こそが、新しい時代を切り開いて行くのだと私は思っていた。

だが、大人になってみると、次第にそういう大人が減っていることに気づいた。というか、煩い高齢者も煩い高齢者なりに、苦しんでいたのだということが分かった。自分達の積み上げてきたものを、簡単に淘汰されてたまるか!という誇り。何よりも時代の中で必死に働きながら、生きてきたという自負。それが、強固な思想を作り上げていることに気づいたとき、安直に反抗していた自分の愚かさが恥ずかしくなった。

実るほど頭を垂れる稲穂かな』という言葉のように、人は成長していくのだろうと思った。最初はぐんぐんと、重力に逆らって伸びる稲穂。これは人の若さに似ている。何ものにも屈しない力で、時の流れの中で成長し続けて行く。やがて、実りの秋となり稲穂が実ってくると、ゆっくりと風にたなびいて頭を垂れる。歳を重ねた人々も、経験故に若者の気持ちが分かってくる。そんな風景を、私は実社会の中で感じるのである。

無論、全てが全てとは言わない。中には不条理な者もいるし、ずっと実らない者もいる。一概に全てを言うことは出来ないのだが、少なくとも、私はそういうことを考えられるほどには、社会を見てきたように思う。若い頃のように、煩い高齢者を即決で否定できない自分を認めるのである。

今宵は、そんなことを考える一夜になった。

 

 入船亭扇辰 化け物使い

人使いが荒く、誰も近寄りたがらない隠居の元に一人の田舎者がやってきて奉公をするのだが、隠居の引っ越し先に化け物が出るという話を聞き、田舎者は化け物が大嫌いだと言って隠居の元を去っていく。奉公人を失った隠居は化け物に出会い、化け物をこきつかっていくのだが、最後は化け物も隠居のもとを去ってしまう。

そんな『化け物使い』という一席に、私は扇辰師匠の、小痴楽さんへの強いエールを感じた。

それは、扇辰師匠が『化け物使い』のような日々を越えてきたのではないかと、思ったことがきっかけである。

どんな場所に行っても、奉公をするからには奉公先の主の言うことを聞かなければならない。滅私奉公という言葉もあるように、誰かに仕えるということは自分を滅しなければならないこともある。自分を滅することの出来ない人は、奉公先を変えたり、別の仕事に付いたり、或いは自分で会社を起こしたりする。今は、時代の多様化に伴って、ありとあらゆる職業に就くことができる時代である。10年先には、新しい職業がたくさん出現しているという話も耳にする。生き方は自由だ。でも、会社に入って自分勝手に仕事をしていたら周りが迷惑をする。会社はチームで動いている。どんな社会も、自分で会社を起こさない限り、誰の指図も受けずに自分の裁量で動くということは容易には出来ないだろう。

これは想像だが、落語の世界も師弟の関係はそれと同じなのではないか。前座になると、とにかく寄席で皆の為に働かなければならない。自分勝手に生きていると、師匠から仕事を貰えない。周りと良い人間関係が築けない。前座の苦労は想像を絶するのであろうと思う。同じような経験を、人生でしたことのある人間だけが分かる苦しみであろう。

そんな時代を扇辰師匠は逃げずに乗り越えてきた。そんな風に私は思うのである。

『化け物使い』の中には、小言ばかり言う隠居と、化け物が嫌いな杢さんが登場する。私は扇辰師匠の眼差しは、両者の気持ちを兼ねているように思うのだ。

はたから見れば絶対に逃げ出したくなるような、文句ばかり言う隠居のもとで杢さんは黙々と働く。入船亭扇橋師匠に弟子入りした頃の、扇辰師匠の姿が見えてくる。どんなに周りが恐れるような苦労の中にあっても、自分の信じた道を突き進んで諦めず、自らの才能を磨き上げてきた扇辰師匠の姿が、そこにはある気がした。

同時に、扇辰師匠は隠居の目線でも杢さんや化け物について小言を言い放つ。時を経て歳を重ね、小言の一つや二つを言う立場になった扇辰師匠の気持ちが目に見える。口は悪くとも、心は広くて大きい隠居の言葉が、不思議と嫌味に聞こえない。むしろ、積み上げてきたものに絶対の自信があるからこその、常人には理解が難しい細部への気配り。要領が悪いと杢さんに言われようとも、自らのスタイルを変えない姿勢。それだけの頑固さと実行力があるからこそ、人を使う立場になったのだろうと思わせる説得力が語りから感じられた。

扇辰師匠の、隠居の言葉を借りた小言は、そのまま小痴楽さんに向けられていると私は思う。誰よりも相手のことを思っているからこそ、小言を言うのだ。相手が憎くって言っているのではなく、相手により良くなって欲しいと望んでいるからこそ小言を言うのだ。

思えば、私の出会ったガミガミ親父だって、きっと私のことを思っていたから注意をしたのだ。時々、これは絶対に間違っているだろうと思うようなこともあったけれど、それでも、本当に相手のことが嫌いだったら無関心で何も言わないだろう。これは私の感覚だが、他人に対して無関心な人が増えたように思う。

寂しいから、落語を聞こう。

 

 柳亭小痴楽 大工調べ

年寄りの小言を突っぱねるような男でないことは、既に周知の事実である小痴楽さん。一見、傍若無人で乱雑なように見えて、実は年配からの信頼が厚そうな小痴楽さん。もうまもなく真打昇進という時期を迎えて、小痴楽さんほど現代の若者らしくありながら、同時に古き良き伝統の流れを汲んでいる落語家はそうそういない。

小痴楽さんを何も知らない人が外見と言動だけで見たら、年寄りを足蹴にしそうな雰囲気(ごめんなさい)なのだが、実はそうではない。人は見た目によらない。きちんと、『何が正しいか』を理解している人だということが、『大工調べ』という一席、そしてそれに纏わるエピソードから伝わってくる。

詳細については広瀬和夫さんが以下の記事で書いている。

 https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190814-00000016-pseven-ent&p=1

この記事を読む以前に、私は大阪の天満天神繁昌亭で小痴楽さんの『大工調べ』を聞いていた。特に、オチに捻りがあって、そのようなオチにした経緯が気になっていた。上記の記事を読んで、全てが腑に落ちたのである。

小痴楽さんは自分の筋というものをとても大切にしている。もしも、『大工調べ』のオチが当初のままだったとしたら、小痴楽さんという人間の奥行きが狭くなっていたと思う。それだけに、小痴楽さん自ら、小遊三師匠の言葉に突き動かされ、左談次師匠に筋を通してオチを変えたという話は非常に興味深い。

『大工調べ』という話は、店賃を溜めた与太郎が大家に大工道具を奪われ、それを取り返すために棟梁が力を貸したがために、大家と騒動になる話である。古今亭志ん朝師匠の録音を聴いてもらえば分かると思うが、オチがどうも道理に合わないのである。

思えば、私には『自分が間違っているけれど、押し通したいこと』が人生の中で多々あったし、もしかしたらこれからもあるかも知れない。自分ではっきりと「ああ、ヤバイ、今、俺は完全に間違ったことを言っている・・・」と自覚しつつも、引っ込みがつかなくて突っ走り、大恥をかいた経験がある。恥ずかしすぎて詳細なエピソードを書くことが出来ない。道理に合わないと分かっていながら、押し通してしまった自分を恥じた経験が私にはあった。

そんな経験のおかげか、扇辰師匠の『化け物使い』は、小痴楽さんの『大工調べ』を別の観点から考えさせてくれた一席になった。ガミガミ言うが筋の通っている隠居の一席の後で、威勢と勢いが良くて、ついつい肩を持ちたくなるが筋が違っている棟梁を、最後にバッサリと斬る大家の痛快な一言で終わる一席。

小痴楽さんが意識しているかは分からないが、見事に扇辰師匠の気持ちを受けとめていると私は思った。

これも想像であるが、扇辰師匠は一つの問いを小痴楽さんに投げかけたのだと思う。「小言ばかり言う隠居とその周辺に対して、お前はどう思う?」という問いに、小痴楽さんは「道理に合ってねぇことは、合ってねぇんだから仕方がねぇ」というような感じで、きちんと返している。自分に非があるときは、きちんと自分の非を詫びる姿勢。その潔さが、小痴楽さんの落語の爽快感に繋がっていると私は思う。

この美しい二席の中に、扇辰師匠のエールと、それを受けて真打に昇進する小痴楽さんの気概を私は見た。

二年前の9月、開演時刻をとっくに過ぎているのに、私の目の前を通り過ぎて行った小痴楽さんはもういない。今、しっかりとチケットを手売りし、道理を携えた一人の真打が、座布団の上で、無限に広がる落語の世界へと誘っていた。そして、あの日、圧巻の三井の大黒を見せた扇辰師匠は、渋く、ささやかに、ひっそりと、新真打に花を添えていたのである。多分、添えたのだと思う。いや、もしかしたら内心イライラしてるかも知れないけど。まぁ、洒落でしょう。

 

 総括 ゆく川の流れは絶えずして

同じように見える川の流れであっても、一つとして同じものはない。時代、時代で、人々の趣味趣向は移ろいゆくものである。こと、渋谷においては、明日にはパンケーキも、タピオカミルクティーも流行から外れて、豆大福と抹茶が女子高生の流行になるかも知れない。世の中の流行りも、正しいさも、その時々で変わるのかも知れない。

それでも、ここに、変わらないものがある。

渋谷の奥地にある、ユーロライブの、小さな会場の中で、落語は語られている。齢を重ねた噺家と、これから羽ばたこうとする噺家が、落語の世界を通じて語り合っている。それを、あなたは見過ごしてしまうのだろうか。

あなたにとってのガミガミ親父は、いつまでもガミガミ親父だろうか。道理には合わないことを無理に押し通すような、生き方もあるだろうし、道理の通りに生きる生き方もある。

相手のことを知らず、ただ嫌悪感のみで相手を真っ向から否定するのはよろしくないようである。若者だからと言って馬鹿だとは限らず、高齢者だからと言って頑固とは限らない。思い込みと単純化を捨て去って、相手のことを思いやってみたいと思ったのなら、落語を聞けば良い。そこにはあなたが必ず気づくことの出来る、川の流れの道理がある。

私はそっとゆく川の流れの道理を見つめ、ぼんやりと考えながら、次の回の開演を待つのだった。