落語・講談・浪曲 日本演芸なんでもござれ

自称・演芸ブロガーが語る日本演芸(落語・講談・浪曲)ブログ!

さよならに無い~2019年10月11日 渋谷らくご 20時回~

f:id:tomutomukun:20191012080051j:plain

このへんを

 

言ってやるんだ

 

きらいなたべもの

 

まっつぐに

 

Changing The Rain

もしも一生のうち、他人と出会える数が決まっているとしたら、あなたはどんな人に会って、どんな時間を過ごしたいと思うだろうか。自分の人生の時間を考えると、会いたくない人と過ごす時間よりも、会いたい人と会っている時間の方が大切で尊い。今日もしも残り四人としか会うことができず、それ以降は誰とも会えないのだとしたら、あなたはどんな人と会いたいのだろうか。

私は渋谷らくごのロビーに溢れかえる人々の話声を聞きながら、そんなことを考えていた。地球史上最大級の台風がやってくると言われている12日の前日、渋谷らくごに来場した人々は意気揚々として、20時からの回を楽しみに待っているようだった。

たとえ明日が自分にとって最後の日だとしても、笑って過ごすことができたら幸せだねと言ったのは果たして誰であったか、遠い記憶に思いを馳せても誰の顔も浮かんでは来ない。きっと次の日のことを考えて、その次の日のことも考えて、さらに次の日のことも考えてしまうだろうねと、意地悪に微笑んだ自分の顔を思い出す。

死ぬときがきたら死ぬさ。その時はその時さ、と私は思いながら、そういえば近所の婆さんが「あたしゃもう十分に幸せだから、いつ死んでもいいのよ」と言っていたことを思い出す。とうの昔に亡くなった近所の婆さんは、ふくふくとして豊かな体であったし、近所では評判の豪邸でのんびり猫と息子夫婦と暮らしていた。子供ながらに羨ましいと思う反面、満足したら終わりだという気持ちもあって、妙にモヤモヤしたことを思い出す。

ふつふつとした、渋谷らくごは、たしかにこの場所で開かれるし、台風の知らせを受け、なんとなく家に備えはしたから、憂いは無いので、一人でロビーに落ち着きながら、私は番号を呼ばれるまでぼんやり考えていた。

今日が最後の演芸鑑賞日だろうか。

いやいやそんなの、演芸とのさよならに無い。

 

隅田川馬石 金明竹

タツオさんのアナウンスで急遽出番が変更となり、開口一番を務める馬石師匠が高座に上がった。変更になった理由はよく分からない。

台風に飛ばされるような噺家ではなく、たとえ隅田川が氾濫しようともどっしりと腰を落ち着けて、恬然としている石のような馬石師匠。先月の五日間連続公演が夢かと思うほど、私の中にある『いつもの馬石』が帰ってきた感じがする。

代演や出番の入れ替えというのは寄席では良くあることで、寄席に入ると配られる番組表(出演者の出番順が記されているもの)とは違う名前の噺家が出てくることがある。私が寄席に通い始めた最初の頃は、お目当ての噺家さんが出ず、代演の噺家さんが出た時は損した気分になったが、次第に慣れ、特に腹を立てたり損をした気持ちにはならなくなった。縁が無かったのだと諦めれば、妙に納得する自分がいる。

ひょこひょこと首を動かし、ふんわりとした語りとリズムを保ちながら、もちもちっとした雰囲気の馬石師匠は演目に入った。自分で表記していて不思議なのだが、マクラから演目に『入る』と感じるのは、落語の世界にぬっと入り込むような感覚があるからだろうか。

金明竹に出てくる小僧さんがとんでもなく可愛らしい。愛嬌があって、ちょっと賢くて、どこか抜けていて、憎めない。あんな子供がいたら、おこづかいを多めにあげてしまう。それほどに可愛らしい小僧さんだった。

馬石師匠の金明竹は何度か寄席で短いバージョンを見たことがあったが、今回の金明竹は絶好調でピカイチの出来だったと思う。馬石師匠のノリノリ感が伝わってきて、会場の空気と相まって最高の一席になっていた。後半に登場する女将さんのふわふわっとした雰囲気に、「なにこれ、デザート?」みたいな感覚になり、甘いひとときが流れ始めた。

上方の人がやってきて話を聞くのだが、女将さんが正直に聞いていなかった打ち明ける場面や、ちょっと怪しい勧誘に騙されそうな女将さんが小僧さんに話を思い出すように促す場面も、馬石師匠の独特の雰囲気が不思議な世界を作り上げていた。馬石師匠の金明竹に出てくる女将さんがいたら、私は抱きしめたいと思う(何言ってるんだか)

金明竹という話はかなり難しい噺だということを、とある噺家さんが言っていたことを思い出す。同じパターンの繰り返しをどう飽きさせずに聞かせるかがポイントなのだそうだ。確かに小僧さんが傘や猫や旦那を断るという前半から、全く聞き取れなくて困るという後半まで、外乱によっておかしなことが起こる面白さを飽きさせずに聞かせるのは至難の技かもしれない。それでも、そんな難しさを感じさせないリズムとトーンを持ち、身振り手振りで表現し、一つ一つの言葉に可愛らしいリアクションをする登場人物たちを馬石師匠は見事に描いていた。

 

柳家勧之助 中村仲蔵

真打昇進興行で妾馬を聞いて以来の勧之助師匠。前回のプレビューでとてもハレンチな新作を披露されたとのことで、今回はそのリベンジ?も兼ねての高座。自ら「古典をやらせろ!」と訴えたという並々ならぬ熱意。そして、演目はTwitterでも評判を目にするほど有名な『中村仲蔵』の一席。

思わず、心の中で、

 

 うわぁ!!!かっけぇ!!!!

 

と唸った。これは一演芸ブロガーの邪推だが、おそらくは会場に多く存在しているであろう松之丞ファンに向かって、落語の『中村仲蔵』を披露する気概に惚れた。決して勝負をしているわけではないことだけは確かなのだが、それでも私は勧之助師匠の力強い熱意を感じた。まさに十八番の中村仲蔵

思えば昨年の10月に見て以来、一年ぶりの勧之助師匠である。当時はそれほど大きな魅力を感じなかったのだが、この一年で凄まじい進化を遂げている気がする。何よりも、纏っている雰囲気が紫だとはっきり感じられるほど、不思議な色気を身に纏っている。そして、何よりも地語り(会話ではなく、説明的な語り)と、会話(上下を切って登場人物を変えながらの語り)を、交互に切り替えながら進む物語が、物凄く心地よくて気持ちが良いのである。思わず「いいなぁ~」と思ってしまうほど、軽やかなリズム。美しいフェンシングの試合で、エペの切っ先が交差し合う様を見ているかのような、美しく気高い語りだった。時折、冗談を差し挟みながらも、仲蔵を支える周りの人々を鮮やかに描いている。特に女将さんの献身的な姿や、仲蔵の芝居を見たおじさんの言葉、そして仲蔵の師匠の言葉が、どれも仲蔵を通り越して客席にいる私の胸にも響いてくる。客席にいる人達の気持ちを代弁するかのように「ありがてぇ」と漏らす仲蔵の姿に、思わず涙が零れた。

たった一人にでも、芯に響く芝居が出来たら幸せである。そこから波紋のように広がって、誰もが一人前になっていくのだろう。

オチに至るまで見事な極上の語り口。全てを見終えた今となって改めて思う。勧之助師匠の圧巻の十八番だった。

 

雷門小助六 お見立て

絶好の三番手は小助六師匠。軽やかに流れに花を添える陽光の紳士。先輩後輩との関係を縦横無尽に行き来しながら、どちらも傷つけることなく、むしろ盛り上げて場の空気を良くするという魅力溢れる高座でのお話。まさに気配りの人という感じで、軽妙洒脱な語り口が乙で粋な噺家さんである。

ともに修業時代を過ごしたという鯉栄さんの話や、真打昇進した小痴楽師匠の話、大先輩の遊三師匠から、信楽さんまで、老若男女を分け隔てなく語る様が心地よい、まさに紳士の気風を感じさせる。

そんな小助六師匠が演じる『お見立て』は、花魁の喜瀬川や客人の杢兵衛に振り回される喜助がまさに重なっているようにも思える。色んな我儘な人々に振り回されながらも、鮮やかに繋いで見せる。可愛らしく、振り回されている環境すらも楽しんでしまうような朗らかさで生きる喜助の、類稀なる処世術に見ている人々はすっかり虜にされてしまったのではないだろうか。

インターバル前で絶好調に盛り上がった流れに、まるでお風呂上がりの風のような心地よさで去っていく小助六師匠。鮮やかで粋な噺家の姿がそこにあった。

 

 神田松之丞 赤穂義士銘々伝 神崎の詫び証文

ひさしぶりに四人が出演する回に出たのではないだろうか。「待ってました!」コールももはやお馴染み。ご常連の人々の姿が見えると「あ、松之丞さんの・・・」となるほどに、鉄壁のファンに支えられて高座に上がる神田松之丞さん。

マクラでは支離滅裂(?)感を醸し出しながらも、それも全部作戦なんだろうなという邪推が走るが、腕は一級品であることに間違いはなく、来年の真打に向けて着々と演目を磨き上げている松之丞さん。すっかりチケットも取れなくなって、2017年に見て以来、破格の勢いでスターに上り詰めた講談師の姿がそこにはあった。

あれから二年。より松鯉先生の型に近づいているような語りの中に、松之丞さん独自の台詞の編集がなされているように思う。あくまでも私個人の感想だが、最初に見た頃は随分と丑五郎が残忍な奴に思えた。神崎に土下座をしている場面を見ても、あまりにも横柄で、改心することなど無いような人間に見えた。また、ラジオで「命(いのち)」をやっていた頃の神崎の詫び証文は、心身ともに疲れ果て、精彩を欠いた印象を受けたが、今日見た神崎の詫び証文は、抑揚が抑えられ、かつより平坦で地味に見えながらも、松鯉先生が高座でかけられている熟練の一席へと進化しているように思えた。まさしく、生きている芸なのだということを如実に感じる。

これも私の邪推に過ぎないのだが、恐らくは講談師として認知されるために、松之丞さんは敢えて講談をデフォルメして表現してきたのではないか。旧来の講談ファンには留まらない、より多くの人々に届く講談を目指したが故に、人物の個性は強調され、噺のダイナミズムは際立ち、自ら「チンピラ芸」と評するような形をせざるを得なかったのではないか。もちろん、そうした芸風は旧来の講談ファン、すなわち「講談とは・・・」と語り始める人々から反発を食らったが、その結果、多くの人々に認知されることになり、数えきれないほどのファンを確立した。誰かがいつか成し遂げなければ滅びゆく芸能だと、松之丞さん自身が語ることによって、より多くの人々が松之丞さんに触れ、そして講談の世界へと誘われ、講談界は盛り上がりを見せた。

現実が物語るのは、そんな神田松之丞という一人の講談師の偉業である。どれだけ旧来の講談ファンから蔑まれようとも、また、「お前のは講談じゃねぇ」と言われようとも、自分の信じた講談を貫いてきたが故に今がある。それが松之丞さんの『工夫』だったのだということを、今日、改めて感じた。

そして再び、松之丞さんは自分が拡げ、推し進めてきた芸を、より本来というか、旧来の講談ファンが掲げていた「講談とは・・・」を塗り替えようとしているように思える。それは『古典の更新』と呼んで良いかも知れない。

師匠である松鯉先生、そしてそのさらに師匠である二代目神田山陽先生が受け継いできた、伝統の講談を一度大きく演出を入れて変えながら、再び削ぎ落して核を上書きして戻っていくような姿勢を今日、私は感じたのである。本当のところはわからないけれど、今もまさに古くからの講談の基礎を保って高座に上がる偉人たち(松鯉先生、愛山先生、貞水先生etc・・・)に、新しい古典の型で挑もうとする姿勢が、松之丞さんにはあるように思えるのだ。もしかしたら、伯山になったら、よりその方向性を強めるのではないかと思うのだが、本当のところは分からない。

本当の素晴らしさがどこにあるのかということは、見る者が決めればよい。そして、芸は生きているから、見た者にしか真実は分からない。今は時代が進み多くの人々がテレビやネットで松之丞さんを見ることが出来る。生活水準が高まれば、より生の演芸からは遠ざかってしまうだろう。東京という場所に生活拠点があることも、生の演芸鑑賞には影響を及ぼす。それはまるで、舗装されたコンクリートを歩くことと、舗装されていない土を歩くことの違いに過ぎないのかも知れない。私はどちらも同じくらいに愛する。

より丑五郎という人間にフォーカスした『神崎の詫び証文』。30分を越える熱演の中に光ったのは、父の思いを噛み締めるように語る丑五郎の姿だ。松之丞さん自身の工夫が垣間見える台詞。そして、より実感の籠った語りに見え隠れする松鯉先生の語り口。全てが真打に向け、大きな転換点にあるように私には思えた。それまではパンパンに肥えていた肉体も程よく締まり、削ぎ落されて鋭さを増した芸の潤いが如実に感じられる。圧巻の一席で大団円を迎えたのだった。

 

 総括 演芸との別れは来ない

ユーロスペースを出ると、ぱらぱらと小雨が降っていた。嵐の前の静けさがあって、街ゆく人々は意気揚々としていたが、心なしかいつもより人の数も少ないように見えた。

思い思いの備えをして、人々は台風が去っていくのを待つのだろう。私としてはラグビーの日本対スコットランド戦がどうか開催されてくれと願うばかりである。

家に戻る道中、明日はどうなってしまうのだろうと考えていた。流されたら、そのときはそのときで、そういう運命だったと諦めよう、という自分と、いやいや、なんとか泳ぎきって、なんとか生き延びてやろう、という自分が頭の中でせめぎ合う。だが、最終的には、死ぬときは死ぬし、生きるときは生きるのだろうと思う。

演芸も同じだ。見れるときは見れるし、見れないときは見れない。そういう運命だと思えば、いくらか気も休まるというものだ。

大丈夫。必ずあなたにとっての最高の一席はやってくる。

一日一日、別れと出会いの連続だけれど、出会った人との間に生まれた

感謝の気持ちや、感動や、涙や、笑顔は、

流されずに、あなたの心に残り続ける。

明日も、明後日も、ずっと私は演芸に触れて行くだろう。

そして、言葉にするだろう。

今日が演芸の最後の日だなんて、そんなことは考えられない。

演芸に出会った人に、演芸との別れは来ない。

この記事を読んでくれたあなたが、明日も明後日も、生きている限り

演芸に触れ続けることを願って、

素敵な芸に出会えることを願って、

この記事を終わりたいと思う。

どうか、お気をつけて。

またいずれどこかで、素敵な時間を過ごしましょう。

それでは、また。