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自称・演芸ブロガーが語る日本演芸(落語・講談・浪曲)ブログ!

我逢人~ザ・スズナリ きょんスズ30 2019年11月2日 14時回~

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My Heart Is Filled With Gold 

   

人と出会うことから全てが始まる

どうして柳家喬太郎師匠を好きになったんだろう。きっかけは、大学生の頃、Youtubeで見た『夜の慣用句』だった。桂枝雀師匠を知り、枝雀師匠が亡くなられたという情報を目にしたとき、私は「じゃあ、生きている噺家で誰が一番面白いんだ?」と思い、インターネットで『落語 最高 一番』みたいな言葉を検索した。すると、広瀬和生氏の記事が出てきて、その時の1位が喬太郎師匠だった。

すぐにYoutubeに上がっている落語を聞いて、すぐにハマった。これは見に行かなければならないと思い、近くのホールでやっている会を探した。そこで、私は喬太郎師匠の『抜け雀』を見た。別のホールで、『禁酒番屋』を聞いた。新作を聞くことができないまま、社会人になり、寄席に通い始め、初めて聞いたのは『午後の保健室』だった。

喬太郎師匠は新作も古典も面白い。昔、ラジオで『ピロウトーク』という番組をやっていて、地方出身の私は毎日録音して聴いていた。それくらい、喬太郎師匠が好きだった。

喬太郎師匠が書いた『落語こてんパン』を読んだり、どこかで枝雀師匠の面影を追いながら聞いていたのが、大学生の頃だった。どこを探しても枝雀師匠の高座を見ることのできない悔しさが、色んな噺家を聞くことで紛れていった。7年前は、一之輔師匠や三三師匠が特に凄かった記憶があって、今や不動の人気を誇っている。

東京に来て、数えきれないほど凄い噺家がいることを知ることになるのは、落語に衝撃を受けてから四年後のことだった。寄席で見た古今亭文菊師匠に痺れ、桂伸べえさんに度肝を抜かれ、小満ん師匠や笑遊師匠など、若手からベテランまで、物凄い人達が大勢いることを知った。もちろん、人気のある噺家も凄いのだけれど、それ以上に『自分の感覚に合う噺家』に出会えたことが嬉しかった。

人気者の喬太郎師匠は、私が大学生の頃に見たときから、輝きを失わずに、むしろさらに輝いているようにさえ思える。

これは本当に幸福なことだと思うのだけれど、大好きな噺家とともに歳を重ねることができるのは、とても素晴らしいことだと思うのだ。特に同世代の噺家がいると、より一層落語への面白さが増していく。

同世代の噺家も、中堅の噺家も、ベテランの噺家も、全ては私自身が出会うべくして出会った人だと思う。

さて、喬太郎師匠は今年で芸歴30周年を迎える。本当に凄いことだ。第一線で活躍し続ける喬太郎師匠の凄まじさを見ていると、勇気が湧いてくる。なんて凄い人なんだろう。どれほど落語に浸かって、落語を愛しているんだろう。

才能なんて安易な言葉では片づけられない。喬太郎師匠の覚悟は相当なものだったと思う。数多くの落語家は存在するが、『名人』と呼ばれる噺家はほんの一握りである。それでも、落語の世界に飛び込み、多くの同期と切磋琢磨し、今もなお輝きを失わずに高座に上がる柳家喬太郎師匠が、一体どんなことを語るのか。

きょんスズ 二日目。私は心を高鳴らせて待っていた。

 

 柳家小んぶ 持参金

小んぶさんを初めて見たのは、今は無くなった上野鈴本演芸場早朝寄席だった。確か『新聞記事』をやっていたと思う。口調と声の張りが素晴らしい。ガタイの良い体から発せられる声を聞いているだけで、心がスッと心地よい。

柳家さん喬師匠のお弟子の中では、力士並みの体格で江戸の風を吹かせる素敵な噺家さんである。もう二~三年すると真打昇進だろうか。声がとても良いので、寄席などで重宝される噺家になると思う。

 

柳家喬太郎 稲葉さんの大冒険~三遊亭圓丈 作~

マクラは書けないことも多々あるけれど、喬太郎師匠が『落語家になった経緯』を語られる姿がとても感慨深かった。大学生の頃に見た喬太郎師匠の人物像が、より身近に感じられた。本やネットの情報等で耳にはしていたけれど、改めて喬太郎師匠の語りで聴くと胸に迫るものがある。ゲストである圓丈師匠の『グリコ少年』を聞いて衝撃を受けたという話。私も喬太郎師匠を知ってすぐに『グリコ少年』を聞いた時は、腹を抱えてゲラゲラ笑った記憶がある。でも、そのとき私はどうして落語家になりたいと思わなかったんだろう。20歳の頃の私は、それよりも成りたいものがあったのだった。それは物を書く人間になること。今は趣味で続けているけれど、いつか本気で本を出版できるような存在になりたいと考えている。

さて、圓丈師匠、そしてさん喬師匠との思い出を語りながら、喬太郎師匠は演目に入った。簡単な内容は『真面目な稲葉さんが災難に巻き込まれる』という話だ。

ザ・スズナリという会場の影響もあって、物凄く楽しそうに演じられている喬太郎師匠が印象深かった。あんなに楽しそうな喬太郎師匠は見た事が無い。色んな思い出が喬太郎師匠の中で駆け巡っていたのだろう。そして、この演目で一番、私が気に入っているのが桂枝雀師匠の所作。三遊亭圓丈師匠、柳家さん喬師匠、そして桂枝雀師匠。様々な方々の魂が喬太郎師匠の中で息づいている気がした。

ただただ稲葉さんがひどい目に合うだけの噺なのだけれど、なんだか笑っちゃう。稲葉さんの真面目さや、長谷川さんの過剰な気遣いが面白い。ぼんやり、ぼんやり、楽しんで聞いた。

 

 三遊亭圓丈 ランボー怒りの脱出

もはやお馴染みの衝立が置かれ、圓丈師匠が登場。あんまり喬太郎師匠のことを語らない感じが、圓丈師匠らしくて好きだ。圓丈師匠の生き様は、高座を見る度に感動するほどカッコいい。全く話の内容を覚えられなくなっても、語ろうとする意志、そして、無邪気に話の世界に浸って語る圓丈師匠。落語に何を求めるかは人それぞれだけれど、全盛を誇った時代から、衰退の時代まで、全てを余すところなく高座で見せて行く圓丈師匠の姿は、私が言うのもおこがましいくらい、凄まじい執念がある。

名人と呼ばれた三遊亭圓生師匠のもとで修業し、圓生直伝の所作を見せたり、ランボー怒りの脱出という映画をそのまんまやりながら、落語の所作で置き換えて行ったりと、アクロバティックな語りを大熱演する圓丈師匠。

やっぱりこの、闘争心というか、面白いことを語りたいんだ!っていう飽くなき執念が、本当に凄いと思う。この圓丈師匠の姿を見るだけでも、大きな価値があると私は思う。

どれだけ年をとっても、飽きずに、探求心や、知的好奇心を忘れずに生きていたい。そんなことを思う、素晴らしい高座だった。

 

柳家喬太郎 ぺたりこん~三遊亭圓丈 作~

再び登場の喬太郎師匠。以前、両国亭で見た『ぺたりこん』より、若干、陰湿な印象は薄まった感じがする。それでも、どこで笑っていいか客席も試されるような、不思議なお話だ。なんていうか、不条理さをどう笑えば良いか戸惑う。

簡単な内容は『机に手がくっついた男と周囲の末路』という感じの噺である。今回は、机に手がくっついてしまう男にも、それなりの理由があって手がくっついたんだろうなぁ、という感じがした。

どんなところで、人生に不条理がやってくるかわからない。もしも不条理に苛まれたら、私は一体どうしたら良いんだろう。

 

総括 人と出会った、その先で

唐突に、私の苦い経験を語ることにする。人との出会いから全てが始まることは間違いないが、出会ったことで良いこともあれば、悪いこともあるし、謎を残したまま別れることもしばしばある。

初めて出会った人と、しばし素敵な時間を過ごした後で連絡先を交換し、再度お礼の連絡を送ったところ、そのまま音信不通になるということがあって、その時のショックたるや計り知れないものがあった。

自分にどんな悪いところがあったんだろう、とか。あの時間は何だったんだろう、という深い喪失感に襲われるのだが、根が起き上がりコボシの私は、それほど気にはせずに立ち上がりが早い。最近、のSSDを越える速さで起動する。

人と出会って、それが良い方向に進むか、悪い方向に進むか、そもそも良し悪しなんてあるのか。そんなことは、誰にも分からない。ただ自分で「良かった」とか「悪かった」とか言って、腑に落ちるところを探すことになるだけだ。

でも、私はこれからも誰かと出会うだろう。永遠に変わらないのだ。人と出会うことから全ては始まる。誰一人として他人と会わずに生きていける人間なんていない。であれば、少なくとも、私と出会った人だけは幸せであってほしいと思う。

そうそう、これも悔しい言葉なのだが、とある方に「森野さんは、相手のレベルに合わせて会話する人ですね」と言われたことがあった。「う、うん・・・」としか言えなかった。それが良いか悪いか自分でも良く分からない。少なくとも、ブログに関しては、特定の誰かにレベルを合わせて書いていない。自分のレベルで書いている。

反対に、渋谷らくごのレビューは、もっと別のレベルに合わせている。それは『初心者』のレベルである。これは決して低いとか高いという話ではない。そういう尺度のレベルではなく、次元の異なるレベルという話になる。が、ややこしいのでやめる。

いずれにせよ、あと二度ほど、喬太郎師匠をスズナリで見る機会がある。その感想も、簡単ではあるが記していく予定である。

喬太郎師匠の、様々な由来の見えた、素晴らしい会だった。