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自称・演芸ブロガーが語る日本演芸(落語・講談・浪曲)ブログ!

堪忍と進化~2019年11月24日 新宿末廣亭 夜の部 神田松鯉~

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世の中のことはなんでも我慢できるが

幸福な日の連続だけは我慢できない。

ゲーテ『格言と反省』

  

モテア・マーシー

きょんスズを終えて、持て余した時間をどう潰せば良いのか。人は時間を持て余すと潰したくなる生き物であるらしい。顔に出来たにきびを潰したくなるみたいに(にきび出来たこと無いけど)

幸い、一人が好きだから時間の潰し方は心得ている。決まって喫茶店かファミレスに入ってのんびり食事をする。本も読む。音楽も聴く。気分が乗ると詩まで書く。「暇か暇かと問われてみれば、うるせいタコだと日間賀島」と、くだらない戯言も増える。

考えたり、ぼーっとするにはファミレスがうってつけで、意気揚々と入ったのだが、混雑の為か90分で追い出される。限られた時間の中で、酔うことを決める。サラダをツマミに宝石のような白ワインを飲む。ちびちびとケチ臭く飲む。一滴一滴を愛おしく飲む。底の雫が無くなるまで飲む。飲めば都。飲めばミャーコ。猫となる。

猫となった私は、水瓶に入って死ぬこともなくふらふらと末廣亭の前にやってきた。まだ19時まで時間がたっぷりあった。末廣亭の向かいに、新しい店が出来ていた。もつ屋とラーメン屋だった。信じられないくらい繁昌するぞ。と思いつつも、一体いつまで続くかねぇ、とシビアな私がいる。「いつまでもあるとおもうな、客の金」と再び戯言がやってきたが、私は構わずにベローチェへ向かった。

ヴェローチェなのかベローチェなのかとんと分からぬ。どっちでも良いという輩にはvolをボルと読むかヴォルと読むか、Vaccineをワクチンと読むかヴァクシンと読むか、twitterツイッターと読むかトゥウィッターと読むか尋ねてみたい。私がどっちなのかは聞かないでもらいたい。

末廣亭の周辺には、珍しい人がいる。唐突にこんなことを語り出すが、無料相談だか、無料占いだかをやっている年齢不詳の男がいる。深夜寄席の帰りなどに良く見かける。一体どんな職業なのか、とても気になる。話しかけている連中のことも気になる。一体、何の理由があって、あの場所で暗い夜に本を読んでいるのか。誰かの相談に乗っているのか。聞いてみたい気持ちも沸き起こってくるのだが、根が恥ずかしがり屋なので、一生聞くことはないだろう。

ほろ酔い気分でココアフロートを注文。人で埋め尽くされたベローチェでアイスクリームを食す。至福。至福のひとときに私服の私の私腹が満たされる。甘いソフトクリームの優雅な流れに舌を委ねていると、ココアのほんのりとした苦みがちょこちょこと動く。ココアなのにちょこちょこ。そういえば、小さい犬にココアという名前を付ける飼い主に出会ったことがある。変な髪型とマスクが印象的だった。トイ・プードルを飼っている人は、トイ・プードルみたいな恰好をしている。特に根拠は無いが、飼い主は飼い犬に似る。飼い犬が飼い主に似るように。

考えてみれば、自分の周りにあるものは、そのまんまダイレクトに自分の容姿や思考に影響を及ぼしている気がする。ロックが好きな人々は黒い革ジャンにティアドロップのサングラス。シンディ・ローパーが好きな人は、派手な衣装を身に纏っている。きっと、目には見えない細菌が人間を乗っ取っている。そういう想像に駆られたので、私はココアフロートを一気に飲み干してベローチェを出る。ベローチェって聞くと、舌をべーっと出したじゃりん子チエを思い出す。ちぇっ。

ぼんやり、末廣亭の19時を待っているときに写真を撮った。最近はアプリのおかげで、素人でもそれっぽく撮れるからありがたい。ガラケーなんて見れたものではないくらいの画質である。

そんなこんなで前置きが長くなったが、19時からの末廣亭に参加した。

 

立川談幸 片棒

幸丸師匠の途中で入場。ぼんやりしていて聞き逃した。

その後に登場の談幸師匠。声がどこかで聴いたことあるんだよなーと思ったら、昔、みのもんたがやっていた『動物奇想天外!』でナレーションを務めていた小島一慶さんの声だと思い当たった。私には両名の声が似ているように思える。

中音域の張りとぬくもり。にこっと笑って、楽しそうな談幸師匠の語りにほっとする。さらりと夜の部の仲入りトリを務める軽さ。軽い毒を吐きながらも、立て板に水の語りに心がスッとする。

演目の『片棒』も、ケチな旦那の弔いを三人の兄弟達が個性豊かに想像を爆発させる。陽気な談幸師匠の語りと相まって会場は大いに沸いていた。

 

 神田松之丞 鮫講釈

ネタ卸しから話題になっていた鮫講釈。兼好師匠直伝の鮫講釈。船頭の訛り方がおもいっきり兼好師匠の訛りを継承している気がする。相当耳が良いのだろう。声色が巧みな人は、類稀なる耳、すなわち音感を持っている。松之丞さんにも、鍛え上げられたのか、天性のものか、音を捉え、形にする絶品の耳があるのだと思う。

鮫講釈という話自体、初めて聞いた。思わぬ初体験。船頭の語りや、兼好師匠らしい技も光る。そして何より鮫の構え。素晴らしい噺家さんにネタを伝授されている。一流は一流を嗅ぎつけるのかも知れない。この演目を松之丞さんに授けた兼好師匠の凄まじさも感じる素晴らしい一席だ。

演目は『鮫に囲まれ死を覚悟した講談師の最後のハチャメチャ講談』な内容。仲間を餌にしようとする人間のズルさ。追い込まれた講談師の奇想天外なごちゃ混ぜ講談がとにかく面白い。冒頭に残した伏線も見事に回収して、会場も大盛り上がり。

この一席の後に退出する人も続出し、相変わらずの人気ぶりである。

 

 三遊亭圓雀 読書の時間

去年とは異なり、ベテラン桂幸丸先生が登場するという奇跡の並びは無かったが、圓雀師匠も「まっちゃん、まっちゃん」言っていて、それを聞いているだけで面白い。圓雀師匠がグチを放とうとも、微妙に沸かない客席。松之丞さんにはたっぷりやって頂きたいという気持ちが、会場に充満していたと思う。

松之丞さんの後に出演というのは、きっとやりにくいだろうと思う。誰だって、AKB48の後で温水洋一さんが出てきたら、よほど温水洋一さんファンでない限り、沸かないと思いませんか。いや、これは語弊があるな。佐々木希さんが出た後で、ランウェイを金さん銀さんが杖を付きながら歩いて来たら「ん?え?何何?」ってなりませんか。いや、うん、これも語弊があるな。やめよう。敵を増やしそうだ。

相変わらずの鉄板ネタでほんわかな空気を作った圓雀師匠。真っ白な着物が印象に残った。

 

 三笑亭 夢太朗 置泥

通好みもバシッと抑える強烈な布陣。勢いある講談師から襲名したばかりの真打の流れを受けて、職人技が光る夢太朗師匠。本格の古典派で、絶品の語り口。

恐らくは19時台の見事なスイッチャーを担っている夢太朗師匠。がらりと空気を古典に変えて、渋みのある語り口と明るく流暢な江戸前の落語に心がスッとする。

落語芸術協会が誇る古典派の重鎮。久しぶりに聞いたが、とても素晴らしかった。

 

 ボンボンブラザース

この人達はこの歳になるまで、一体どうやって生きてきたんだろう。きっとお金持ちだったに違いない。だからボンボンブラザースなのだ!と思ってしまうほど、誰にでもできそうで、誰にも真似できない技を見せるボンボンブラザース。

会場のお客を巻き込んで、白熱の高座。トリ前のボンボンブラザースは最強。地味にスに濁点が付かない名前も乙である。

 

 神田松鯉 神崎詫証文

万雷の拍手と「待ってました!」に迎えられて登場の人間国宝・松鯉先生。去年は厳しい寒さだったが、今日は幾分温かい。そんな温かさによるものなのか、それとも松鯉先生自身にも何か変化があったのか、去年の『神崎詫証文』よりも、どことなく明るさ、柔らかさが増したように思えた。

これはもしかすると、私の感覚が鋭敏になったのだろうか。良く分からないが、今年の一席は、随分と松鯉先生の『張り』が増したように思えた。気のせいかも知れないが、固さが抜けたような気がしたのだ。これは一介の素人の妄言だと思って読んでいただきたい。

討ち入り前に酒乱に絡まれた神崎与五郎の様子。そして、与五郎に絡む悪漢、丑五郎。松鯉先生の温かさがそうさせるのか、丑五郎の間抜けゆえの暴走が憎めない。神崎も神崎で、討ち入り前に大事があってはいけないと、堪え忍ぶ。堪え忍ぶ様子や、丑五郎の悪漢ぶりが、より活き活きと、鮮明に、映えて見えるような語りだった。

自分の過ちに気がつき、後悔と反省をする丑五郎の姿も、赤穂義士伝を語る講談師の姿も、去年に聞いたときの、ぼんやりしたイメージを書き換える、凄まじいまでに張りと漲りを感じる一席だった。こんなことを素人が言うのも何だが、松鯉先生の凄味が増しているように感じられた。

厳しい寒さの中にあって、自らの芸を磨き続ける松鯉先生の姿に驚く。弟子の育成もさることながら、松鯉先生も、今まさに高みへと上ろうとしているのだと思うと、身が震える思いだった。

人間、どこまで芸を磨き続けても、決して至ることはないのだという境地。

その凄みに鳥肌がたった。圧巻の一席だった。