落語・講談・浪曲 日本演芸なんでもござれ

自称・演芸ブロガーが語る日本演芸(落語・講談・浪曲)ブログ!

どうして頭のいい人は寄席に行くのか~2019年12月26日 新宿末廣亭 夜の部19時~

悩みは消えないマジックペンで

考え込んでも油性ペン

言葉が無い。言葉が無い。

怒りは煮え湯のぶくぶくで

まき散らそうにも熱すぎる

言葉が無い。言葉が無い。

どうしようもない気持ちは

どん詰まりの壁で

突き抜けようにもドリルが無い。

言葉が無い。言葉が無い。

言葉は一体どこにある。

そうだ、寄席にある

  

もしもピアノがハジケタナラバ

昔、何かで『ビジネスエリートは、なぜ落語を聴くのか』という題名の本を見たことがあって、つむじ曲がりだった大学生の時分に、「そうか、俺はビジネスエリートだったのか」と勘違いしたことがある。読むと自分の意志を固めそうだったので結局読まなかった。後に『 一流の人はなぜ落語を聞くのか 』という立川談四楼師匠の本も発見したときも、「ま、さすがに俺は一流では無いわな」と思って読まなかった。

自分のことを『ビジネスエリート』だとか『一流』だと思って落語を聞く人もいるだろうと思う。私は特にそれを否定しない。そうした優越感を抱いて寄席で落語を聞くのも、さぞ楽しいだろうと思う。それは言わば、「この味を知ってる俺って、いいっしょ?」という、単なる見栄だと思うから、「幸せですね」と思うことにしている。

幸せの形は人それぞれであるから、私は特に否定も何もしない。嫌いなものははっきりしているし、それについて口にすることは殆ど無い。たまに嫌いなものについて発言すると、自分の想像以上に広がっていってしまうこともあるので気を付けている。

落語・講談・浪曲に関して言えば、もはや死語とも思える『エリート』という言葉は、確かに、無きにしも非ずの言葉だな、と思う。なぜか落語・講談・浪曲を聴いている人は、『エリート』っぽい。もっと簡単に言えば『頭が良さそう』に思えるから不思議である。

何を基準に『頭がいい』とするかはそれぞれである。テストの点数が高い人を『頭がいい』と言う人もいれば、誰も考えなかったことを考えた人を『頭がいい』と言ったりする。思いもしなかったものを引き合いに出す人は『頭の回転が速い』と言われるし、与えられた情報から類推して考える人は『地頭がいい』なんて言われる。自分の知らないことを知っている人も『頭がいい』と思われている。

演芸を聴く人は総じて『頭がいい』と言って良いのだろうか。私は疑問である。特に浅草演芸ホールなどに行くと、どう考えても『頭がいい』とは思えない人が客席にいたりする。もちろん、それは私の基準に照らし合わせてのことだが。

一つ言えるのは、本当に『頭の悪い人』は寄席では一切笑わないということである。与太郎が何か間抜けなことをやったとしても、「お、おれと一緒だ。うわ、みんなに笑われてるよ。与太郎、可哀想・・・」なんて思う人は、寄席恐怖症になるだろうと思う。要するに、物語の登場人物に過度に感情移入すると、笑えないのである。

女房の尻に敷かれる甚兵衛さんの姿を笑えるのは、それが自分とは無関係に繰り広げられる物語だからである。聞いている張本人が甚兵衛さんと同じ立場を過ごしていたら、これは笑い事ではないだろうと思う。

自分とは無関係である。というのは、些か語弊があるかも知れない。自分の中に部分的に認められる間抜けさに共感するからこそ、笑うのかも知れない。「あなたに敵意はありませんよ。むしろ、あなたの味方ですよ」という気持ちが働いて笑うのかも知れない。うーむ、もっと深く考えてみたい気もするが、この辺りでやめておこう。

さて、寄席の話である。寄席はとにかく緩い。ちょっと男に飢えた女性の着物の帯くらい緩い(良くない喩え)

誰もガッツリと話を聞こうとしていない。「ま、なんか面白いことやるんでしょ?」くらいの緩さ。うっかりジャネット・ジャクソン的なポロリがあるんでしょ?くらいの緩さである(喩えが古い)

そういう緩さの中で始まる落語。くすぐられてるみたいで、とても気持ちがいい。

 

三遊亭圓丈 金さん銀さん

19時入場。一発目は圓丈師匠。

あー緩い。なんとも緩い。ゆるゆる帝国で考え中である。

ゆるゆるで、ゆらゆらである。中原中也も詩にするくらいの緩さ。

笑われちまった喜びに、今日も陽光が射している。

芸歴55年。圧巻の緩さである。圓丈師匠がなんか読んでる。

それだけで面白いのである。落語なのに、なんか読んでる。

なんか読んでまで、言葉を発して、寄席に爆笑を巻き越している。

なんか読んでるのに、面白い。

なんか読んでるから、面白い。

自分も歳を取ったら、なんか読みながら、言葉を発しながら、

誰かと笑っていたいなぁと思う。ゆるゆると。

 

 林家きく麿 おもち

うわー、緩い。とにかく緩い。とろっとろのおしるこみたいに緩い。

おもちが好きっていう会話しかしてないのに、

それがめちゃくちゃ面白い。

おもち中心に話が回っているのに、

それがめちゃくちゃ面白い。

じわじわと、「あれ、なんだこれ。えっ、なんだこれ?」

ってなって、気が付けば、寄席が爆撃にあったみたいに笑いに包まれる。

物凄い普通の会話なのに、めちゃくちゃ面白い。

殆どおもちの話しかしてないのに、面白い。

訳の分かんない面白さが最高。

途中で、圓丈師匠の『パキ』が出てきたのは、超面白かった。

そこで出すかー!っていう面白さだった。

僕も今度、ジャンケンで『パキ』使ってみよう。

おもち食べよう。

 

ジキジキさんと菊之丞師匠も物凄いウケてた。とにかく客席が明るい。良い寄席だなぁと思いながら、トリ。

 

 林家彦いち つばさ

個人的に、めちゃくちゃ思い入れのある話。『つばさ』。

なぜなら、シブラクの『しゃべっちゃいなよ』のネタ卸しに立ち会った一席だから。

本当に嬉しいんだけど、ネタ卸しした一席を繰り返し繰り返し披露してくれて、その都度盛り上がっている寄席を見るのって、本当に、得体の知れない喜びがある。

なんていうか、出産から成長まで全部見ている感じ。分かるかな、この感覚。

ネタ卸しって、言葉が適切か分からないけど『出産』のイメージ。噺家さんが一所懸命に考えながら、ウケるかな、とか考えながら、宇宙初公開する瞬間の、あの得体の知れない緊張感の中で、産声を上げた『つばさ』

そんな『つばさ』が、見るたびに成長していく。そのうち『ボールは友達!』とか言い出すかも知れない。そのうちキャプテンになるかも知れない。

寄席のリレーの中で、見事に翼を広げていく『つばさ』。ああ、なんて凄いんだろう。もはや我が子を見守る母親の気持ちですよ。男だけど。

噺も彦いち師匠も羽ばたいていく。素晴らしい一席でお開き。