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実感のその先に咲く~2019年12月29日 浅草演芸ホール 円菊一門会~

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大きな夢を汚す人間には近づくな。
たいしたことない人間ほど人の夢にケチをつけたがるものだ。
真に偉大な人間は自分にも成功できると思わせてくれる。

マーク・トウェイン

  実感のマント

生まれたばかりの赤ん坊が「人生は短い。だから後悔の無いように生きなければならない」と言うのと、死を前にした老齢な人物が『人生は短い。だから後悔の無いように生きなければならない』と言うのとでは、どちらの方がより信じる気になるだろうか。

そこらの一般人が『時間より金』と言うのと、大富豪が『時間より金』と言うのとでは、どちらの方がより信じる気になるだろうか。

誰の発言なのかということが言葉の価値を決める。権威ある人間の言葉と、一般人の言葉には差がある。残念ながら差がある。それは言葉を発する者と受け取る者との間に信用という名の壁があるからだ。

しつこいようだが、見ず知らずの男から「あなた、この商品を買うと幸運になれますよ」と言われるのと、とても幸運な人生を送る大親友から「あなた、この商品を買うと幸運になるよ」と言われるのとでは、絶対に後者の方が信じやすい。

なぜならそこに、相手に対する信用があるからである。信用の無い関係に生まれる言葉は、驚くほど冷たく、また、意味を成さないことが多い。

また、赤ん坊と老人のように、『実感』が伴っているか否かということも、言葉の価値を決める。人生経験の少ない赤ん坊と人生経験の多い老人とでは、そもそも言葉に付随する実感が大きく異なるのだ。

実感が伴っているか、伴っていないかという判断は人それぞれであるが、こと、文章に関して言えば、実感は簡単に取り払うことができる。誰が何を書こうとも、そこに人間の見た目の若さは介入してこない。あくまでも『テキスト』が持つ文章の『流れ』が、読む者に書き手の年齢を想像させる。

渋い単語を用い、文体もひと昔前の古典文学のような調べであるから、きっと年配の方だろうと思いきや、意外に若造であったり、反対に、現代的な言葉を用い、随分と最近の単語を用いるから若い方かと思いきや、意外に年配の方であったり、と、文章には文体や用いる単語によって、言葉に伴う実感というものを取り払うことができる。

実感というものは、実に厄介な存在である。私は仕事柄、年配の方々とご一緒することが多いのだが、そんな私がいきなり森繁久彌さんの名言を言ったりすると、年配の方は驚くのだが、「森野、お前は物知りだけど、いつか、その言葉が実感を伴って言える日が来るよ」なんて言われる。心の中では腸が煮えくり返るほど悔しいのだが、「そうですか。楽しみですね」と言ってその場を流す。

他にも、チャップリンの『人生はクローズアップで見れば悲劇だが,ロングショットで見れば喜劇だ』という言葉を、年配の方と人生談義している時に言ったときも、「いつか実感する日が来るでぇ」と言われた。私としては実感を伴わずに言っているつもりは一切無いのだが、私の言い方のせいなのか、どうにも『実感が伴っている』とは思われないのである。それはやはり、年齢を重ねなければ身に付かないものなのだろうか。

何とも悔しいが、寄席に行って落語を見ていると『実感のマント』を強烈に感じさせられる。

噺家に成り立ての前座さんの『子ほめ』と、真打の『子ほめ』。まぁ、ネタは道灌でも饅頭怖いでもなんでも良いのだが、見ていて「実感が伴ってないな」とか、「実感が伴ってるな」ということが、肌感覚で感じるのである。人間の年齢と見た目が及ぼす言葉への影響力の違いを感じるのである。それを理解している前座さんは、自分の実感に上手くフィットさせて語っていたりする。既存の古典落語を、若い前座さんがどのように消化しているのかということを見るのも、落語を聞く上で面白い部分である。

私が思う凄い噺家さんは、どんな古典落語でも、そこに自分の実感を極限まで注入できる。実感を伴って言葉を発することができる。極端に言えば、たとえ赤ん坊でも、老齢な人間の発言と同じような実感を注入して言葉を発する噺家がいる。少なくとも、私がそう感じる噺家が一人いる。

古今亭文菊

40歳にして、80代が放つような実感を言葉に込められる人。

古典落語を、唯一無二の実感を込めて現代に物語ることのできる人。

そんな文菊師匠を昼トリに据えて、古今亭圓菊一門の第48回目となる、

圓菊一門会が始まった。

結論から言おう。

凄まじきかな、圓菊一門。

では、個人的に素晴らしいと思った噺家さんをピックアップで記載する。

 

 古今亭菊龍 かぼちゃや

圓菊一門の総領弟子にして、唯一無二の『実感』を古典落語に込める芸を披露される菊龍師匠。菊龍師匠の『ちしゃ医者』は素晴らしい一席なので、どこかで目にする機会があったら、是非見て欲しい。

何と言っても語りが凄いのだ。癖が無くてスタンダードなのに、細部に込められる言葉のイントネーションのニュアンスが絶妙。また、語りのリズムと登場人物の演じ分けが、言葉だけで圧倒的に表現されている。

こんなズブのトーシローが言うのは何だが、菊龍師匠は踊りの先生みたいな感じ。生徒には自らの所作を見せることで伝えていく雰囲気。決して派手では無いけれど、長年培った踊りの基礎が、指先から脳天まで染み渡っている感じがするのだ。

そして、色気。何とも言えない与太郎感と、知恵のあるおじさんが、微妙な差異で見事に表現されていて、そこに漂う何とも言えない雰囲気が堪らないのである。

笑顔も凄い素敵なんですよ。仲良さそうなご常連さんが羨ましいです。輪に入れてくれー!と思いながら、菊龍師匠を見ておりました。

そうそう、圓菊一門会は11時開場12時開演なんですが、早い方は8時には並んでいるそう。前の方に並んで良席をどうしても取りたい方は、会場の1時間30分前がオススメです。10時10分~10時30分の間でドッと増える感じでした。

 

古今亭菊太楼 短命

マクラもノリノリの菊太楼師匠。お弟子さんの菊一さんが一門入りし、古今亭一門の前座さんがまめ菊さんだけでは無くなった!私が知る限りでは、菊之丞師匠と菊太楼師匠にお弟子さんが一人ずついらっしゃる。圓菊師匠に弟子入りした噺家さん達が真打となり、また新しいお弟子さんを取って木の根のように広がって行く古今亭の芸。一体これからどんな風に広がって行くのか。十五年後、二十年後、一体誰が口上に並び、弟子の真打披露口上に立ち会うのか。今から楽しみでならない。

お弟子さんも楽屋入りし、ノリにノッた菊太楼師匠。立て板に水の語りと、溌溂として勢いよく動く体。短命に捻りも加わって会場が爆笑の渦に包まれた。

勢いよく伸びる竹のような高座姿と、キラキラッとした目、何よりも溌溂として力強い江戸っ子の気風を感じさせる菊太楼師匠の高座。他にも『祇園絵』や『井戸の茶碗』などのネタも素晴らしい。

真打になっても、芸の成長は止まらない。素晴らしい一席だった。

 

古今亭文菊 お見立て

結論から言いますね。

 

 凄まじすぎやぁああああああ!!!!!!

 

2019年、私的印象に残った高座ベスト10に食い込んできた一席でした。

もうですね、もうですね、どうしちゃったんですかと。

どうしちゃったんですか、文菊師匠と。

いつの間に、そんな凄いところに行ってしまったんですかと。

今まで東京から大阪までを2時間30分で行く新幹線が、急に5分で行くようになったかのような衝撃。乗客の私の身体、ぺしゃんこですわ。文菊師匠の重力に耐え切れず、自動車に轢かれた蛙みたいにぺしゃんこですわ。

光の速さ越えてますわ。一秒で地球20周半してるんじゃないかと。5Gだかなんだか知りませんがね、4Bからの4000Bですわ。黒の濃さが半端じゃないですわ(意味不明)

それくらいに、文菊師匠が凄まじかった。私を含め、あの高座を見れた人は一生分の幸運を使い果たしました。あなたの買った宝くじは絶対に当たりません(そんなことないよ)

間違いなく、今まで見たことない文菊師匠でした。会場が押し寄せる波のように爆笑に飲み込まれ、その波を起こす張本人である文菊師匠が、ノリノリなんですよ。波乗りジョニーどころか、海神ポセイドンですよ。笑いの海を自由自在に操って、笑いの海で溺死させようってんですから、悪い男です。文菊師匠は本当に悪い男ですよ。

絶品の花魁、喜瀬川花魁の態度が凄い。田舎侍の杢兵衛を拒絶する態度が花魁としてあるまじき態度なんだけど、拒絶っぷりが振り切れているから面白い。自分の身に近寄る煩い蚊を払うかのような拒絶っぷり。さらには、自ら蚊を潰そうとせず、使いの牛太郎である喜助に蚊を潰させようとする。蚊である杢兵衛と、蚊を何とか払おうとする喜助の攻防が、とんでもなく面白いのである。

喜助と杢兵衛のやり取りで、あんなに面白くなるのは一体なぜなのだろうか。さらには、蚊を寄せ付けてしまう喜瀬川花魁と、蚊を払えなくて困り果てる喜助とのやり取りも、腹の捩れるほど面白いのである。

そして何より、語りがまるで音楽のようだった。適切なタイミングで、適切なトーンで、適切なメロディが流れる。音の高低と語りの緩急に踊らされて、もはや『笑わずにはいられない』のである。『笑える』とは大違いである。『笑ってしまう』のである。

言葉を交わし合う登場人物の躍動感と、声の大小、惑わされる喜助と杢兵衛の感情の波に飲み込まれて、会場にいた観客が凄いことになっていた。押し寄せる爆笑の波を受けて、完全にゾーンに入った文菊師匠が凄まじかった。

もう一度言おう。否、何度でも言おう。

 

 凄まじいのである!!!

 凄まじいのである!!!

 凄まじいのである!!!

 

笑いの海の神、ポセイドン・文菊師匠。圓菊師匠のお着物がめちゃくちゃ似合っていました。というか、まさに、あの色こそ、文菊師匠のカラーなんじゃないかと思うんですよ。高座に上がった瞬間「あ!文菊師匠のカラーだ!」って驚いたほど似合っておりました。これにて昼の部終了。

高座終わりの文菊師匠に抱き着きたかった。否、抱きしめられたかった。

 

 古今亭菊生 掛け取り

大爆笑の渦によって、何人か飲み込まれたまま寄席の外まで流された後、夜の部の開口一番は圓菊師匠のDNAと芸を受け継ぐ菊生師匠の登場。知らない人も多かったようで「あれ、もしかして息子!?」という声もちらほら。

圓菊師匠に似た声のトーンと、端正なお顔と色気。以前、とある銭湯のサウナで物凄いソックリさんを見かけたので、私はなぜか親近感を勝手に菊生師匠に抱いている。

ようやく年の瀬で『掛け取り』が聞けた。12月に入って菊之丞師匠で『芝浜』、『文七元結』を聞いていたので、もっと楽しい話聞きたい!と思ってところでの『掛け取り』。やっぱり追い払うために様々に趣向を凝らす主人公の姿が堪りませんな。こういう博識で、何にでも造詣が深くて、たとえば落語会の感想を書くような男性がモテる世の中ってやって来ないんですかね。(ちょっと皮肉混じりに)

ハプニングもありつつ、楽しすぎる高座。圓菊師匠の高座も見たかったぁ!

 

古今亭菊之丞 抜け雀

これまた圓菊師匠のお着物で登場の菊之丞師匠。これもまさに『菊之丞カラー』と言えば!な色のお着物。凄いですよ。圓菊師匠のお着物を着ているからなのか何なのかわかりませんが、普段の高座ももちろん凄まじいんですが、100倍くらい凄くなっている菊之丞師匠。スピリチュアルなことを言うつもりは無いけど、圓菊師匠の見えない力が働いたのではないでしょうか。

とても楽しみにしていた演目。菊之丞師匠の丁寧な語りと、勇ましい若い狩野派の絵師、そして絵師に振り回される旅館の旦那。その旦那を呆れて見つめる女房。前半はドタバタ感に包まれながらも、雀の絵をきっかけに繁盛する宿屋。

そこから一転、老齢なる人物が登場するところから、一気に物語は人情の流れる素敵な一席へ。

最後に立派になって宿屋に戻ってくる絵師が、自らが書いた雀の絵に書き足されたものを見て、漏らす言葉に胸が熱くなる。左甚五郎の登場する物語の清々しさとは対照的に、自らの至らなさや未熟さを認めて反省する絵師の姿が胸を打つ。

細やかに、そして潤いのある菊之丞師匠の語り。絶品の一席で夜の部、仲入り。

 

 楽屋一同 手話高座

仲入りの後は、菊千代師匠を手動とする手話高座、菊龍師匠、志ん彌師匠、菊之丞師匠、菊春師匠、文菊師匠、マギー隆司さんという豪華メンバー。途中、車椅子にて菊輔師匠がご登場。みんなで『しあわせなら手を叩こう』を手話で披露。文菊師匠、めっちゃ可愛くて、ちらちら見てしまいました(乙女か)

 

古今亭菊志ん 兵庫船

お次に登場は菊志ん師匠。マクラがすげぇ!書けない!(笑)

演目の兵庫船は『鮫講釈&落語チャンチャカチャン』な内容。色んな講談から、落語からごちゃ混ぜになって船の上で繰り広げられる講釈。

マクラの毒っ気から最後のオチまで、物凄い勢いで語り倒す。圧倒的な一席だった。

 

 古今亭菊千代 芝浜

いつも通りのペペ先生の後に登場の菊千代師匠。高座を見るのは初(?)かな。お名前は存じ上げていたのですが、恐らく見るのは初。

結論から言うと、凄かった。女将さんの気持ちが凄い伝わってきて、「あ、ヤバイヤバイ」と思っているうちに、目からは涙が零れていた。

上手く言えないんだけど、駒子さんにも言えることなんだけど、言葉のトーンが凄い繊細。優しくて、心の琴線を揺らすような声のトーンに、聴いているこっちの気持ちが物凄い揺さぶられる。

浪曲とかだと、大利根勝子師匠とか富士琴子師匠のような、『憑依してる』感じに近い。芝浜に登場する女将さんの気持ちが、痛いほど伝わってくる演目だった。

『芝浜』でとても重要な役割を果たす女将さんの行動や、立派な腕を持つ旦那を信頼する気持ち、そして、最後に隠していたことを口にする女将さんの気持ち。全てが、驚くほど胸に染み入ってくる。感情の籠った朗読が人の胸を打つように、極限まで女将さんの気持ちに寄り添った菊千代師匠の『芝浜』は凄かった。

会場にいたお客様もすすり泣く声が聞こえたので泣いてたのだろう。

最後は、楽屋にいた古今亭圓菊一門のメンバーが舞台に登場し、三本締めで終演。

本当に、本当に、素晴らしい会だった。

来年も必ず行きます。

というか、圓菊一門の誰か一人でも好きな噺家さんがいるのならば、

絶対に行かなきゃいけない会だと思う。

それほど、出てくる噺家さんが本気ですし、熱いですし、ノリノリです。

温かいお客様に囲まれた、素晴らしい会でした。

え?なんですって

森野はまだ落語を納めないのかって?

私の辞書に『演芸納め』という文字はありません。

それでは、次の記事をご期待ください。