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自称・演芸ブロガーが語る日本演芸(落語・講談・浪曲)ブログ!

なぜ東京の落語ファンは上方落語が大好きなのか~2020年1月6日 桂紋四郎 上方二つ目最前線~

 

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東も西も分け隔てなく

北も南も分け隔てなく

 

全ての演芸好きたちが

 

ありとあらゆる場所にある

 

笑顔の集まる場所にある

 

素敵な芸に

 

出会えますように

 

上方落語が止まらない 2019年は初めて天満天神繁昌亭に行ったり、一心寺に行ったりと、『生の上方演芸お初イヤー』ではあったのだが、肝心の演目数はそれほど多くなかった。

 それでも、上方落語に息づく情熱の息吹、熱量の芽吹きとも呼ぶべき素晴らしい噺家さんに出会うことができ、改めて落語の素晴らしさ、幅広さ、多様性を感じた一年だった。  

 

一度、上方落語に魅せられてしまうと、隣の芝生は青く見えるではないが、無性に上方落語が恋しくなってしまうのである。読者に経験があるかは分からないが、地方で出会う美人さんとのお話は、異様に記憶に残るのである。一人寂しく入ったバーで、「あら、初めて?」なんて言われて、オススメのお酒を飲み、「どうかしら?」と言われて、「美味しい」と頷く瞬間、酒とともに落ちていく意識。気が付けば財布の中身を全て盗まれ、腹には切り傷。気づけば臓器まで盗まれているという事態。オーマイゴッド!!!

と、まぁ、そこまでの衝撃があるくらい、上方落語はすさまじく魅力的なのである。江戸と上方と区分けするのはどうなのか、と読者は思うかも知れないが、これは区別でも差別でも無い。やはり言語のリズムや雰囲気は如実に異なっているから、それぞれ言葉として独立し、尊重されてしかるべきであるという観点から、江戸と上方と分けている。決してどちらが劣るとか優れているという話ではない。

さて、東京にいながら上方の落語が聞ける。これは何ものにも代えがたい幸せである。わざわざ新幹線のチケットを買ったり、ホテルを予約せずとも見ることが出来る。演者が生身の人間である以上、『生』を体験するには、演者が自らの近くにいなければならず、また観客も演者の近くにいなければならない。どれだけ交通が発達しようとも、東京で仕事を終えて大阪の夜席に行き、終演後にまた東京に戻るというのは、些か無理がある。実際に実行している人もいるのかも知れないが、私の知る限り、そのような人に出会ったことはない。

それらのことを鑑みても、やはり東京都内に上方の演者がやってきて、どこかしらで会を開催してくれるというのは、この上ない幸福である。Thanks Godである。

これはいわば、コンビニで言えば地方の食材が陳列されている感覚に近い。北海道でしか食べられないものが、沖縄で簡単に食べることが出来たらどうだろうか。「あれ、ファミマにニポポ売ってんじゃん」とか「うっそ、セブンにゴーヤチャンプルーあんだけどー!?」みたいな状況に近いのである。今ではコンビニで当たり前のように中華料理やらイタリアン・スパゲッティやらが食べられるが、その恩恵とほぼ同じ感覚を、東京で上方落語を聞く落語ファンは抱いていると思う。(少なくとも私はそう)

 

さて、くどくなりそうなのでこの辺に留めるが、東京において今、上方落語の火付け役になっているのは、間違いなく桂紋四郎さんではないだろうか。自らの芸もさることながら、東京の落語ファンを唸らせる上方落語の最前線を、毎月の第一月曜日に連雀亭で見せてくれる。私は、紋四郎さんを含めて、紋四郎さんのおかげで知ることのできた上方の噺家、講談師、浪曲師が大好きなのである。もっともっと、東西の交流が盛んになって、江戸と上方で思う存分に落語を楽しめる人々が増えたら良いなと思う。また、地方においても、誰もが気軽に落語を楽しめる世の中が来たら、それはそれは幸福な世界になるのではないか。有権者の皆様、私は『落語を全国に』をテーマに『落語全国党』を立ち上げ、『日本落語憲法』を制定しようではありませんか!是非、笑いの一票を!

と、妄想はこの辺にして、上方落語ブームの仕掛人、桂紋四郎さんの素敵な会の記録を、さらりと。

 

 トーク

サービス精神満載の華紋さんと、NHKの裏話を語る紋四郎さん。二人の相性の良さというか、楽しそうな雰囲気。最高です!

 

桂紋四郎 つる

艶やかなる美声と、並々ならぬ野心があるのかなと勝手に思いつつも、それを感じさせない品と知性に溢れた高座。常連さんも多い中で、米朝師匠が良く高座に掛けられていたという『つる』という演目へ。不思議と、らく兵さんの時は談志師匠が良く掛けていたという『勘定板』、米朝師匠が良く掛けていたという『つる』など、年の初めにかつての大名人の軽くて短い噺を聞くことが出来ている。これは何かの予兆であろうか。

さっぱりと軽やかに上方落語の世界に導いてくれる紋四郎さん。声の滑らかな切れ味は、スッと心の豆腐を切るかのよう。水を掬って手のぬくもりで温めてくれるかのような、優しいリズムと語り口。絶品の一席。

 

 桂華紋 茶の湯

NHK新人落語大賞を受賞し、上方落語ビッグウェーブに先陣を切って波乗りジョニーな華紋さん。東京でもかけられる『茶の湯』の一席。

これが爆笑必死。華紋さんの唯一無二の『間』と『声』がとにかく最高なのだが、恐らくは華紋さん独自のアイデアと思える個所が幾つかあって、それが斬新かつめちゃくちゃ面白い。江戸バージョンが頭に入っているせいか、華紋さんのバージョンで聞くと『そう来たか!うっはっはっはっはー』というような感じで、とにかく面白いのである。

私は落語友達とNHK新人落語大賞をテレビ観戦したのだが、その時に華紋さんが掛けた『ふぐ鍋』は、テレビからでもその素晴らしさが伝わってきた。やはり誰もが口をそろえて言うと思うのだが、『間』が絶妙なのである。言葉と言葉の間と、声の高低に思わず心がくすぐられる。さらには『表情』まで加わって、全身で語りに魂を注いでいる感じが、たまらなく面白いのである。

江戸と上方で聴き比べも楽しい素晴らしい一席だった。

 

桂華紋 たいこ腹

お次は幇間太鼓持ちが登場するお話。これも上方、華紋さんのアイデアが光る面白い一席だった。とにかくリズムが良いので、とんとんと聞くことができる。一度そのリズムに乗ってしまうと、小刻みに揺れる心地よい船に乗っているかのように、随所で笑ってしまうのである。

太鼓持ちの可愛らしさもさることながら、若旦那の傍若無人っぷりも面白い。江戸だとどことなく若旦那は冷徹なイメージがあるが、上方だともっとウェットというか、温かみがあるように感じられる。華紋さんの語りには、温かみがある気がする。

何よりも、高座に上がるまでの笑顔。これも体感だが、上方の噺家さんの多くは笑顔で高座に上がられている。江戸だと、ニヤニヤしている人はそれほどいないというのが、私個人の体感である。

何というか、「一緒に面白いこと、楽しみましょう」という雰囲気があるのである。どの噺家さんもそうかも知れないのだが、上方の噺家さんにはそれを強く感じる瞬間が良くあるのである。ああー、楽しいなーと思うのも、きっとそのおかげかも知れない。

オチもさらりと、素敵な一席だった。

 

 桂紋四郎 崇徳院

トリネタは『崇徳院』。声が艶やかな人は品があって、登場人物も皆さん端正なお顔立ちだから、紋四郎さんを含む『声の良い噺家さん』はとても得だと思う。羨ましささへ感じるくらいである。色気があって、声色を七色に操って、変幻自在に人物を描き分けてみたい、という思いも無きにしも非ず。

恋患いの男と、その病を治すために奮闘する男の姿が面白い。声で元気さを表現していて、段々とやつれていく男の姿を見ているだけで面白い。

いつの時代も、男女の色恋に口を挟むとろくなことがないことは重々承知はしているのだが、返って口を挟まずにいると、それはそれで面白いことが起こらないからどうしようもない。男女の間に挟まれた男の悲しくも可笑しい物語。綺麗にオチて終演。

 

総括 上方落語Uber Eats

先日実家に帰った時に「ウーバーイーツ」の話題になったのだが、母親から「そんなの田舎に無い」と言われた。ウーバーイーツとは、自宅にいながらお店の料理が食べられるという宅配サービスである。ピザや寿司だけでなく、マクドナルドから中華料理まで、ウーバーイーツと提携しているお店の料理ならば、何でも注文して食べることができる。

まだまだ都内だけに特化したサービスであるのかも知れず、地方進出はどうなるのかは分からない。改めて思うのだが、都内には様々なサービスが集中していて、地方には地方のサービスが生まれている気がする。受けたいサービスが必ずしも全国で受けられるかと言うと、そうではないという現状がある。島根県でホーミーを習おうとしても、すぐにモンゴル人が教えにやってきてはくれない。青森で闘牛士を目指しても、すぐにスペインのマタドールはやってきてはくれないのだ。一人の寂しさを紛らわそうとして、秋葉原に行けば、いや、止そう。

そうした状況は読者も認識していると思う。読者には地方在住の方もいれば、都内在住の方もいる。そんな読者のために、このブログが少しでもお役に立てれば良いと思う。

今回、改めて上方落語の次世代を担う噺家さんの力強さを感じた。同時に、上方落語の最前線を東京にお届けしてくれる。まさに上方落語Uber Eatsと言っても過言ではない紋四郎さんに感謝したい。あなたのおかげで、私は『今』を生きる上方の噺家さんに、とてつもない魅力を感じているのです。そして、上方落語の情報を頂ける読者の皆様にも、とても感謝しています。

これからも、東京の一落語ファンとして、大好きな上方落語を追うでしょう。いや、追います。今年はもっともっと上方落語を聞く!そんな年に絶対する!!

なぜなら!上方落語ブームが!東京で吹き荒れているのだから!