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君の高座は10000ボルト~2020年1月12日 梶原いろは亭 桂紋四郎 『伊勢参宮神乃賑』に挑戦~

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君の高座は10000ボルト

地上に降りた最高の噺

ベーヤン

読者になら分かって頂けると思うのだが、客席にいて噺家の一言に痺れる瞬間がある。川平慈英ばりの『くうう~~』が飛び出すほど、痺れるような言葉を聞く瞬間があって、それが止められなくて落語を聞きに行ってしまうことが多々ある。

自分が電気クラゲかと勘違いするほど痺れる高座は、生涯忘れることは出来ないであろう。今回は、何よりも熱く、分厚く、大迫力の高座を見せてくれる、今、上方落語界では、この噺家の成長が最も望まれているのではないかと思うほどの逸材がいる。

それが、桂九ノ一さんである。

もう、この人が高座に上がると、私は一席が終わるまで川平慈英なのである。ずっと『くうう』、きみと『くうう』、I will give you all my coooなのである。

さて、そんなわけで、初めて訪れた『梶原いろは亭』。実に趣のある場所であった。さらりと最高の会の記録を。

 

 桂九ノ一 東の旅 発端

桂米朝師匠の弟子の桂枝雀師匠の弟子の桂九雀師匠の弟子の、桂九ノ一さん。開口一番、米朝門下の前座が最初に習うという由緒正しい一席を披露。

これが、

これがまた、

これがもう、

 

 すげぇの!!!!

 なんの!!!!

ミナトノ

 ヨーコ

 ヤベェノ

 ヨコスカ!!!!

 

恐らくは、東京の落語ファンの皆様方の多くが、桂九ノ一さんを未体験だとは思われるのだが、東に春風亭朝七さんがいれば、西には桂九ノ一さんがいる。これぞ、次世代を担う青と赤のコントラスト。

もうね、たまらんのですよ。

内容がどうのこうのとか、関係無いの。

気迫と熱量。これだけで、もうとんでもなく最高なんですわ。

もはや、言葉はいらないですわ。

きっと高座を見た人は口を揃えて言うでしょう。

「凄まじいね、桂九ノ一さん!!!」

圧巻でした。もう、ずっと痺れっぱなしでしたわ。

本当に、紋四郎さん。九ノ一さんを呼んでくれてありがとうございます。

最高の一席。未来へと突き抜けた圧巻の高座。頼む!江戸に移住してくれ!!!(笑)

 

 桂紋四郎 軽業

上方落語の真髄の芸に挑む紋四郎さん。東京の落語ファンを唸らせる芸もさることながら、東京にお呼びする上方の噺家さんのセンスも抜群だと思う。「そうよ!こういう人が見たいのよ!」という東京落語ファンのニーズにバチッとハマってくる人選。

昨年、5月と7月に大阪遠征と題して私の琴線に触れる噺家さんを調査した結果、笑福亭鉄瓶さん、笑福亭呂好さん、桂佐ん吉さん、桂二乗さん、桂しん吉さん、桂吉の丞さん、桂文五郎さん等々、若手かつ東京でも十分に活躍できそうな、というか、なかなか東京にもいないであろう才能を持った噺家さんがたくさんいた。

さらに上の世代では、桂米紫師匠や桂かい枝師匠など、何となく米朝一門と文枝一門が私の好みであるような気がする。その魂を受け継いだ噺家さんたちが、今、大勢上方にいらっしゃるのかと思うと、どうにか江戸に移住してくれないかと望むばかりである。

さて、そんな上方落語界において、これは何度も重複するが火つけ役であり、先陣を切って自らの芸を磨いていく紋四郎さん。師匠譲りの色気のある間と、温かいサービス精神。聞いているだけで安心して笑うことのできる安定感。

奇しくも、同日に桂米團治師匠が同じ『軽業』を高座で披露されている。12日は各所で上方落語の良い会があって、出来ることならば体が幾つか欲しいほどであった。

私は初めて『軽業』という演目を聞いたのだが、これが物凄い賑やかで面白いのである。特に綱渡りでの所作は最高である。宴会があったら絶対に真似をしようと思った。

賑やかな往路。鳴り物も入って大変に賑やかである。

上方落語の特徴と言えば、この鳴り物も一つの特徴であると言えよう。江戸の落語会では殆ど鳴り物が鳴らされることは無いが、上方落語では積極的に鳴り者がなる。『七段目』や『紙屑屋』の演目でも鳴り物がなるのだから、とても賑やかである。

昨年は、雲助師匠の『替り目』で終盤に鳴り物が入ったり、文菊師匠の『稽古屋』で鳴り物が鳴ったくらいで、それ以外に鳴り物入りの演目を東京で聞かなかった。

賑やかな旅が想像され、東京にいながら各地を旅するような心持ちになる、素晴らしい一席だった。

 

 桂文三 堪忍袋

「待ってましたぁ!」の声と共に、にっこりと笑って登場の文三師匠。お初の噺家さんだったが、驚くほど聞きやすい。ところどころで短く差し挟まれる一言一言が実に面白くて、くすぐられているような心持ちになる。五代目の桂文枝師匠を彷彿とされるハイトーンボイス。これは以前、桂坊枝師匠を聞いた時にも思ったのだが、五代目から受け継がれたリズムとトーンが見事に落語に活きていて、品があってとても気持ちが良い。

演目は夫婦喧嘩の話であるが、声色を変幻自在に操って笑いを誘うというよりも、間で笑ってしまう。心地の良いトーンに耳を澄ませていると、急にスピードが増したり、そうかと思うとピタリと止まったり、夫婦が互いに感情を爆発させる場面や、お互いの言い分を言い合う場面は、最高に面白くてくだらない。真剣なくだらなさが最高に面白かった。

そして、柳家喬太郎師匠の手拭いを使いながら、堪忍袋を拵える場面も勢いが凄まじい。主に遊雀師匠で良く聞く『堪忍袋』であるが、上方バージョンはそれほど大きな違いは無くとも、文三師匠の人柄と生き様が垣間見れる抱腹絶倒の一席だった。

 

 桂紋四郎 七度狐

お賑やかな軽業の後で、往路の最後は狐に化かされるお話。

こちらも鳴り物が入って賑やかに、人間に酷い目にあった狐の仕返しが見事に活きた面白いお話である。

どことなく、狐や狸が出てくるお話には、昔ながらのファンタジー感と言えば良いだろうか、民族的な、童話的な印象を抱く。私は犬が人間になる『元犬』や、狐が嫁入りする『安兵衛狐』、狸がサイコロになる『狸賽』など、化ける動物が出てくるお話が好きである。どこか可愛らしくて、『化ける』という行為そのものが何だか面白い。

七度狐に出てくる狐も、川に化けたり、人を騙すために幻想を見せたりと、様々な手で人を騙す。騙される人間の滑稽さもさることながら、「ああー、それは狐の仕業だね」と、狐が化けて人を騙すことを知っている人物が出てくるのも面白い。物語の構造として、とても良く出来ていると思うのだ。話として聞くと、狐が化けるということに違和感が無いから不思議である。「嘘だよ~、狸は化けないよ~」という感覚が不思議とやってこないのだから、私のDNAのどこかに、それを納得する何かがあるのだろう。

紋四郎さんの語りも、鳴り物の勢いに乗って絶好調である。特に棺桶から老婆が出てくる場面は圧巻で、師匠譲りとも呼ぶべき『憑依』した雰囲気を感じて面白い。

これからさらに東京で、江戸で、どのように舞を見せてくれるのか。

上方落語界の花咲き爺さん。否、花咲き噺家と呼ぶべきか。桂紋四郎さんの活躍に目が離せない。