その胸の奥底から沸き上がる愛を止めるな~2020年1月22日 文菊の時間~
愛とは、ひとりの男なり女なりを大勢の中から選択して、
そのほかの者を絶対に顧みないことです
ドンナニコンナニ
志賀直哉の短編に『イヅク川』という作品がある。簡単にネタバレをしてしまえば、それは「会いたい人に会いたい気持ちがあったけれど、忘れてしまった」という話で、『イヅク川』が一体どんな意味を持っているのか、人それぞれに考えが浮かび上がってくるであろう。
とかく人というのは老若男女問わず、様々なものに目移りしやすい生き物のようで、むしろ目移りしない方が奇妙なのではないかと思えるほどである。パチンコ屋に行っても、台に座る人々は急に動くものに目を奪われたりする。
私とて、様々なことに興味が湧き、触れては離れ、触れては離れを繰り返してきた。塵とも埃とも付かぬものが体にこびりついて、いずれ塵埃そのものが『私』なのではないかと思い始める。何になりたかったかすらも忘れ、はっきりと『何かになりたかった』という気持ちだけを抱えて生きて行くことになるのだろうか。
生きて行くということは愛を振りまくと同時に、愛を振りまかれていくということなのかも知れない。または、愛という名の水を注いだり、注がれたりして満ちて行くのかも知れない。人は、とかく渇いた人は、『愛』と書かれた水瓶が空であると我慢が出来ず、どこかに水は無いか、愛という名の水はどこかに無いか、と探し求めてしまう生き物なのかも知れない。
たとえ、水を注ぐ相手が汚れていようと、または清らかであろうと、『注がれて満ちる』ということに喜びを感じてさえいれば、男女問わず誰でも構わないのかも知れない。この世に愛されない生き物などおらず、また愛さない生き物もいないのだという真実に目を奪われながら、私はぼんやり新宿の街を歩いた。
今宵、たくさんの愛が、一人の噺家に注がれた。
また、たくさんの愛を注ぐ人々も、互いに一人の噺家に注ぐ愛を分け合った。
愛はまるで水のよう。沸き起こってくる泉のよう。
その胸の奥底から沸き上がる愛を止めるな。
柳亭市坊 寄合酒
開口一番は柳亭市馬師匠のお弟子さんの市坊さん。七番弟子。快活とした喋りと、溌溂のリズム。ひょろりとした表情がメリハリ良く動く。表情の緩急が面白い。私は割と『顔の速度が遅い人』が女性では好みで、見ているだけで微笑ましいのだが、それはいらない情報として、市坊さんは三三師匠を彷彿とさせるような語り。
身長もまさかの三遊亭歌武蔵師匠越え。でもバレーボールはやっていないそうで、恵まれた体格がどのように落語に活かされるのか期待大の面白い噺家さんである。
古今亭文菊 長短
物凄いアットホームな空気に包まれて登場の文菊師匠。神戸での落語会のお話から、演目は長短へ。
もはや言わずもがなの、物凄い長短。私が初めて見た長短から、もう、もう、信じられないくらい、凄まじくなっているんですよ。なんですか、この凄さは。どんだけのスピードで凄くなっているんですか、師匠。
気の短い短七さんと、気の長い長さんの掛け合い。今度は長さんののんびりっぽさに拍車がかかっていて、短七さんの愛のあるツッコミの切れ味が抜群。心地よい間が最高で、もはや至福のお噺。
酔っぱらって物凄い饒舌になっているときにはたと気づいたのですが、文菊師匠は顔芸がとても見事。普段はあんなに端正なお顔をされているのに、『茶の湯』だったり、『長短』だったり、『湯屋番』なんかは、もう信じられないほど素敵なお顔になっている。特に『湯屋番』ですよ、奥さん、『湯屋番』です。
文菊師匠の『長短』で温かさを感じたら、『湯屋番』で絶好調の若旦那を堪能していただきたい。一撃必殺で文菊師匠の魅力にハートを射抜かれること間違いなし。
東京の寄席で文菊師匠を見たら、どうか『長短』か『湯屋番』に出会えますように!
大体、マクラで聴いているだけで演目が分かってくるんです。
そうなんです。落語好きになってくるとですね、
マクラを聞いただけで「あ、あの話だ!」ってなるんですよ。
それでですね、そのマクラの段階で、謎ときが始まりまして、その謎がいよいよ確信に変わってくるときがあるじゃないですか。
ミステリーで言えば、「こいつが犯人だな、犯人だな、犯人で間違いない!」っていう瞬間があるじゃないですか。
その瞬間って、超気持ちいいと思いませんか。
あ、あの話だ!!!っていう衝撃を私は何度も味わってきてるんですけどね、
今回はですね、今まで以上の衝撃ですよ。
文菊師匠のマクラを聞き、演目が分かった瞬間、
ああああっ!!!!
文七元結だぁあああああ!!!!
うわああぁあああああっ!!!!
全身から沸き起こってくる、得体の知れない興奮。
一秒一秒、一言一言を耳に脳に目に焼き付けていくわけですよ。
もうね、たまんないわけですよ。
奥さん、たまんないわけですよ。
特にね、佐野槌の女将さんが凄くいいの。とってもいいの。
これも酔っぱらって饒舌になったときに語ったんですけどね、
一言、一言にね、女将さんの優しさが、もうそれこそ、愛をたくさん吸ったスポンジのようにね、溢れ出しちゃってるわけですよ。
厳しくもありながら、優しくもあるの。
凄いの。なんの。南野陽子。
これは聞いた人だけのお楽しみポイントにしたいので書かないんですけどね、
佐野槌の女将さんが、ものすごくいいのよ。
それでね、その後にね、吉原に身を売った娘さんがね、本当に短いんだけれど、両親を思いやる言葉を言うわけですよ。
もうね、うるうるしちゃいますわ。
うるうるん滞在記ですわ。エイエイヤイヤイオー、ウイェエエですわ。
隣の人が号泣でしてね、私ももう、うるうるうるうるですよ。チワワの瞳の潤いを越えましたわ。
でね、やっぱり文菊師匠は言葉にこだわってらっしゃる。
私には分かる。言葉、言葉、言葉。言葉に敏感な人ほど、一言一言が如何に練られているか、そして、人と成りを形作っているかが分かると思うのね。
これも酔っぱらって饒舌になってベラベラと喋ってしまいましたが、文菊師匠は齢を重ねた人達、年を取った人の語りが凄いの。滅多にやらないけど『百年目』なんてね、大旦那ですよ。もうね、凄いのよ。もうこれしか言えませんわ。
なんか酔っぱらったときに全部吐き出しちゃったので、詳細な感動はあの場だけのものにして、文章ではなんとか、興奮の様子をお伝えできればと思う。
そりゃ、文菊師匠で文七元結と来た日にはですよ、江戸の風に吹かれてブラジルまで飛んでいきますわ。リオのカーニバルどころかリオのかっぽれですわ。
そんな最高の余韻を堪能しながら、懇親会。
懇親会
これがもう!!!
楽しいの
なんの!!!
なんのぉ!!!!
なんのぉおおお!!!
最近、すっかり落語後の懇親会にハマってしまいまして、酔っぱらってとめどなく落語愛を語り合う楽しさって、悪魔的な楽しさがありますよね。みんなで、素晴らしさを共有してくと、もう入れ食いかよっ!つーくらい、溢れ出る溢れ出る愛。
これもいい、あれもいい、もっといい、もっともっといい。っていうのが、どんどん溢れ出していくわけですよ。落語好きだからこそ分かる部分とか、共通して好きな噺家さんとか、めちゃくちゃ合うわけですよ。
なんて言ったらいいんですかね、両替する気持ち良さって言うんですかね。ずっと一万円を持っていた人が、急に全部100円玉にするような気持ち良さって言うんですかね。財布パンパンで重たくなるんだけど、その重さが心地よいみたいな(ちょっと意味不明かな)
もう酔いにまかせて、文菊師匠や市坊さん、お話していただいたフォロワーさんや初めての方々。もうすっごく楽しくてですね、放心状態で朝を迎えましたよ。
twitterを見ると、同じように文菊師匠の『長短』と『文七元結』にノックアウトされた人たちがいて、「だよねー、マジで、だよねー」という気持ちで楽しみました。
落語後のお酒がめちゃくちゃ楽しいので、今年はそういう機会をもっともっと増やして、オーバードーズして行こうかなと思うほどである。ハメを外しそうになるので気を付けなければならない。この記事もとても感情に溢れた記事になった。
たまにはこんな記事もいいよね。理屈じゃないんだ、愛は。
溢れちまったら仕方がない。
最高の夜でした!!!