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自称・演芸ブロガーが語る日本演芸(落語・講談・浪曲)ブログ!

進化の化身~2020年1月25日 新宿末廣亭 深夜寄席~

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Well my temperature’s rising
And my feet left the floor
Crazy people knocking,
‘Cause they want some more.
Let me in baby,
I don’t know what you got
You better take it easy.
This place is hot.

The Spancer Davis Group『Gimme some lovin'』

 Don't Think, Do It!

「私は気持ちだけで生きてる」と言う人に会った。ちょっと羨ましいと思った。輝いてさえ見えた。その人の言葉はとても活き活きしていた。でもその人は、「自分には語彙力が無い」と言った。言葉を知らないから、酷く傷つく時もあると言った。言葉を知らないから、とても嬉しいと思うのだと言った。0か1で生きてる。二進数で生きてる。感情を止める言葉が無い。言葉が無いから感情が止まらない。感情剥き出しの人生だと、その人は言った。

僕はその人の話を聞きながら、自分は言葉を知りすぎたのだろうかと思って、その人を心の底から羨ましいと思った。僕は、言葉で感情をコントロールできるし、何かを見ても言葉で消化する。そういう方法に慣れてしまったというか、それ以外の方法を取ることができない。何をしても言葉がまず立ち上がってくる。だから、言葉が感情を導く。

けれど、その人は違う。

感情と同時に体が動く。嬉しい時は両手を広げて満面の笑みを浮かべる。悲しい時はがっくりと肩を落として、悲しそうな表情をする。

僕は無いものねだりである。

その人の活き活きとした語りを見ているだけで、心が躍る。こちらまでワクワクする。普段、そんな風に感情を剥き出しにして話すことが無いから、羨ましいと思う。きっと、僕はまだお酒の力を借りなければそうなれないし、お酒の力を借りたところで、どこかで自分を客観的に見つめる視線を感じて、はたと立ち止まるから情けない。

その人は、自分を客観的に見れないのだという。それはどうなのか、と疑問に思うのだが、その疑問をぶっ壊すくらいに熱いのである。情に生きているのである。すげぇな、と思うし、憧れるのだけど、そうなれない自分を知っているし、そうなれない自分が好きなので、結局何も着地しないまま、楽しさだけが爆発している。

そんな経験があって、進化というのは、自分以外の強烈な存在に出会うことによって起こるのかも知れないと思った。特に、言葉を知らずに生きてきた人は、言葉をたくさん知っている人から刺激を受けるし、またその逆も然りである。

その人と会った不思議な感触が今も僕の中には残っていて、「気持ちで生きる」という言葉が、凄く響いている。自分は気持ちで生きているだろうか。どこかで言葉を拠り所にしてしまっているんじゃないか。僕が触れてきた言葉は、果たして僕に正しい効用をもたらしているのだろうか。

時折、ネットを見ていると、自分が触れた事もない言葉に触れてきた人がいる。多分、知らず知らずのうちに言葉がこびりついたのだと思う。僕はそういう人達を見て、仲間だな、と思う反面、自分にこびりついた言葉を大切に思う。汚れていても、大事な言葉なのだ。ちゃんと、僕に染みついてくれた言葉なのだ。

でも、世の中には、言葉がこびりつかないくらい、つるっつるの気持ちで生きてきた人もいる。その強さは計り知れない。凄かったのだ。今もジーンと響いている。

僕もまだ、進化の化身。一体どんな化け物になってやろうか。

 

 瀧川鯉丸 初天神

開口一番は瀧川鯉丸さん。個性派揃いの瀧川鯉昇一門では珍しい本寸法寄り(?)の噺家さん。何度か見たことがあって、三遊亭楽大さんや古今亭志ん陽師匠を彷彿とさせる丸っこくて優しいお体。さらりとした古典の語り口が軽やかな一席だった。

 

 春風亭昇輔 しずか

お次は瀧川鯉朝師匠門下の昇輔さん。マクラが超絶面白い!

以前、たまさんの会で見たときは『犬の目』をやられていたし、末廣亭では『英会話』をやったりと、多才かつ奇才な昇輔さん。

鯉朝師匠譲りの不思議に可愛らしい雰囲気と、客席から心配されるほどの毒っ気を放つマクラもご愛嬌。独特の雰囲気が癖になる素敵な噺家さんである。

演目の「しずか」も、映画「カイジ」を彷彿とさせる設定でありながら、度肝を抜かれる特大ミッションが主人公に与えられる。それを拒絶する主人公のツッコミぶりがとても面白い。随所に仕掛けられた小ネタが爆発していく気持ち良さ。

真打になる頃には、特定のコアなファンに絶大なる人気を得ているのではないかと思うほど、緻密かつ大胆なネタの光る素晴らしい一席だった。

 

 三遊亭小笑 くっしゃみ講釈

三番手は小笑さん。いやー、凄いっす。

 

桂伸べえ 片棒

2017年の深夜寄席以来のトリを務める伸べえさん。森野照葉 激推し!の噺家さんである。

このブログの読者であれば、僕が何度か伸べえさんの記事で2017年深夜寄席、伝説の『宿屋の仇討ち』について語っていることはご存知だと思う。その時に受けた衝撃以上の衝撃を私はまだ受けたことがない。それほどに衝撃の『宿屋の仇討ち』だった。

今も常に私の心にあるのは、これである。

 

 伸べえさんが

 落語をやったら

 あの演目は

 どうなっちゃうんだろう!!!???

 

この強烈な思いに、私は突き動かされている。

それほどに、伸べえさんの落語は、どれも伸べえさん印なのだ。

そして、その伸べえさん印の付いた落語が、私はたまらなく好きなのである。

というか、あの『宿屋の仇討ち』を見て以来、ずっと伸べえさんを追いかけているのだが、一度として「つまらなかった」ということが無い。

100回中100回、全部面白い噺家さんなのである。そんな人いる?と読者は疑問に思うかも知れないが、いるのである。それが私にとって伸べえさんなのである。

そして、2020年、久しぶりに深夜寄席でトリを取った伸べえさんは、とてもとてもたくましくなっていた。

たくましくなっていたのだ。

力強くなっていて、芯がガチッと固まってきて、2017年の頃から、さらにさらに自分を磨き上げてきて、面白さが突き抜けている。

なんていうか、活き活きしてる。

凄く、活き活きしているのだ。

伸べえさんを含めて、深夜寄席に出ている噺家さんはみんな、

進化の化身なのだと思った。

進化の速度は、それぞれ違うけれど、

それぞれに、自分らしさを見つけて、そこをとことんまで伸ばし続けている。

高座に上がって絶句する人もいれば、圧巻の人情噺をする人もいたり、大爆笑を巻き起こして去っていく人もいれば、出世譚を語って拍手喝采で幕の締まる光景を眺める人もいる。

新宿末廣亭深夜寄席には、人知れず進化を続ける噺家さんたちがいるのだ。

そして、末廣亭に入るお客様というのは、そんな進化の過程にある若き才能を見て笑ったり、泣いたりする。

なんて素晴らしい場所なんだろう。

人それぞれ、応援したい噺家さんや、自分の胸を打つ噺家さんは異なるだろう。

私にとっては、桂伸べえさんの姿が胸を打つのである。

面白いし、振り切れているし、力強くなって、自分らしさを一つも欠かすことなく、むしろ自分らしさを全開に押し出している。

涙が出てくるくらいに、全力でぶつかっていく伸べえさん。

カッコイイなぁ。

片棒に出てくる主人が、自分の息子に弔いの様子を聞く場面。

本当なら、父親が死んで葬儀をどうするかなんて、縁起でも無い話なんだけれど、

息子たちの振り切れっぷりもさることながら、伸べえさんが畳み掛けるように言葉を放って、時折、自分を突っ込みながらも、一所懸命に語り姿が面白いし、胸を打つ。

あんなに腹を抱えて笑えるのは、桂伸べえさんだけだ。

凄いのだ。

本当に、凄いのだ。

伸べえさんを見ていると、いつも面白くて面白くて、誇らしいのである。

自分らしくあることの素晴らしさを知るのである。

伸べえさんは、自分らしくあることの意味をとても良く分かっている気がする。

詳しく書くのもどうかと思うので止めておくけど、本当に凄い噺家さんである。

大笑いして、腹が捩れて、寄席を出ると不思議と心が癒されている。

伸べえさんの高座を見る度に、なんだか勇気というわけではないんだけど、

生きる力っていうか、なんて言えばいいんだろう、

良くわかないけど、「生きてるっていいなぁ!」って思える。

生きているから、死んだときのことも話せるのだ。

で、自分の死んだときの葬儀を語られる主人が、とても嬉しそうなのだ。

優しいのだ。

伸べえさんの落語は、見ている人が優しくなれる落語だ。

高座で今まさに起きていることに、リアルタイムで突っ込んでいく伸べえさん。

思わず身を乗り出して、お客が話に引き込まれてしまう天性のフラ。

絶対に、凄い噺家になるよ、伸べえさんは。

もう既に、気づいてる人たちもたくさんいる。

これからも、見続けますよ!伸べえさん。

進化の化身の凄まじい進化を見た一夜でした。

いやー、本当に凄いぜ、深夜寄席