落語・講談・浪曲 日本演芸なんでもござれ

自称・演芸ブロガーが語る日本演芸(落語・講談・浪曲)ブログ!

あなたと冒険したくて~2020年2月28日 神田連雀亭 新作冒険倶楽部~

うまくいくか いかないか

わからないから

開発するんだよ

トヨタ自動車工業 中村健也 

 

大輪

失敗でも成功でもない状態とはどんな状態であるかと問われれば、それは挑戦した者が「失敗でも成功でもない」と固く信じている状態であると言おう。

信じる者だけが他者に惑わされずに生きることができる。

挑戦を繰り返す者だけが、絶えず失敗と成功の両岸を行き来し、挑戦をしない者はどちらの岸にも上がることなく、人生という名の大河を流され続ける。どちらも良し悪しは分からぬが、少なくとも、失敗と成功を繰り返した者は、どう生きるべきかという知恵と、長く成功の岸辺に留まるには、どうすれば良いかということを考えるであろう。その積み重ねが、英知を生む経験となり、激しく波打つ大河を越える術となる。

人生は冒険である。

一歩、大海へと舟を漕ぎだしてみれば、そこには計り知れないほどの苦労が伴う。食うに困り、寝るに困り、生きるに困る。どうすれば、自らが幸福に生きられるのか。自問自答を繰り返しながら生きる。失敗と成功。不器用が産む傷。浅知恵による不運。日々困難に苛まれようとも、諦めずに生きることができるのは、人が幸福を想像し、また、幸福を享受したいと願うからである。

大地に撒かれた種子が長い年月を経て芽吹き、想像を超えるほど美しい花を咲かせるのを見たとき、人はこう思ったに違いない。

「いつか私も、この花のように咲くんだ!」

種にとって、地上で咲くことは大いなる冒険である。成長は冒険によって養われる。

今宵、三人の噺家が語るのは、まさに芽吹きである。大地の中でひっそりと、咲くことを望んで生まれてきた種の、最初の芽吹きである。立派な大輪の花を咲かせる種の芽吹きやも知れず、一瞬咲いて散る花やも知れない。

果たして、どのような芽吹きであったか。発芽の勢い凄まじき会の記録を語ることとしよう。

 

 三遊亭遊かり あなたにほめられたくて

あみだくしにより、トップバッターを務めることとなった遊かりさん。前回、前職を活かした新作『伝説の販売員』から三か月、新作への静かな情熱をたぎらせた、遊かりさんの次なる新作は、異なる拡がりを見せる素晴らしい一席だった。

ともすれば、藤子・F・不二雄先生のSF短編にもなり得る現代的な展開のお噺で、冒頭の掴みは「おっ!?」と思いきや、中盤で挟み込まれる古典落語のテイスト、そしてラストまでのリアルな展開からの捻ったオチ。古典落語の捉え方に端を発し、一つの欲である「ほめられたい」という気持ちを突き詰めたお噺だった。

一般論は分からないが、一所懸命に生きる人のみならず、人はだれしも自分以外の他者に「ほめられたい」という欲求を持っている。さらには褒め方も重要で、あからさまな褒め言葉には拒絶反応を示したりする。程度の差こそあれ、社会に出て疲弊した心を「きみはなーんにも間違ってないよ」とか、「今日も一日おつかれさま、よくがんばったね」と言って、ほめてほしいと思う人の気持ちに、とても共感する。

深く内容には触れないが、遊かりさんの新作は、近い将来、物語通りのことが起こるのではないかと思えるほどリアリティがあった。落語という形式ではあるのだが、確実に未来の光景を射抜いているように思う。

男性目線で感想を書くのは恥ずかしいのだが、人の良い所を探して褒めるのが好きな私からすれば、世の女性は誰でも褒めたい。が、そんなことばかりしていると、「誰にも言ってるんでしょ」とか、「どうせお世辞でしょ」と言われてしまうのだから、つくづく女性というのはわからない。(誰のせいでもありゃしない)

まるでネコのようだと書くと、乱暴であろうか。女性の心というのは雲のように掴みどころがなく、オセロのように白黒が即座に入れ替わる。「お前に女運が無いだけだ」と言われてしまえばそれまでである。

ああ、私も誰かにほめられたくて、文章を書いているのだろうか。(みんなオイラが悪いのさ)

 

桂伸べえ カレーライス銀行

客席で妙齢なご婦人が「存在が面白いよね」というようなことを仰られていた。心の中で、「まさしく!まさしく!」と、首が折れそうなほど同意した。

伸べえさんは正に存在が面白いのである。

言うなれば、「存在の耐え切れない面白さ」があって、何か伸べえさんがやっていれば、それすなわち面白いのである。

文化放送で「落語家が、何か面白いこと言ってるよ」という番組があるが、「伸べえさんが、何か面白いこと言ってるよ」と書くのは、文法としては正しいが、私からすればこれは「頭痛が痛い」とか、「危険が危ない」と言っているようなものである。

「面白いが、何か面白いこと言ってるよ」では意味は通じない。

「伸べえ=面白い」という式が出来上がった人にとっては、もはや「どこがどう面白い」なんて説明することはできない。水戸黄門の印籠よろしく、それが出た瞬間、誰もがひれ伏すような存在。それが伸べえさんである。伸べえさんの前では、何人も無力。

内容に触れずとも、『カレーライス銀行』という名前だけで、それがどれだけ面白いものか想像できるであろう。

桂伸べえで『カレーライス銀行』である。

もう一度言う。桂伸べえで『カレーライス銀行』である。

最後にダメ押しで言わせてもらう。桂伸べえで『カレーライス銀行』である。

前回の『滑舌カフェ』もそうだが、伸べえさんは自作を他で掛けることは無いようである。独演会でも新作はやっていない。いわば『かけ捨て』の状態であるようだ。そう考えると、伸べえさんの新作が聞けるのは、伸べえファンにとってじゃ超貴重である。

何をやっても伸べえさんになる古典落語と、伸べえさんが伸べえさん全開で伸べえさんな新作落語、どちらも伸べえさんであることの、堪らなさたるや、凄まじいものがある。

訳の分からない面白さなのである。もやは伸べえさんの前では、言葉すらも無力。

 

 笑福亭羽光 私小説落語 ~青春編Part2~

前回ゲストの昇羊さんから、今回は羽光さん。落語芸術協会噺家さんの中でも、創作落語に長けた方をゲストに呼び、自作を評価してもらおうという三人の姿勢が素晴らしい(伸べえさんが本気かは分からないが)

羽光さんと言えば、落語好きにはお馴染み『ペラペラ王国』や『俳優』のようなメタフィクションで、想像も心地よい作品から、『私小説落語』と銘打たれた下ネタあり、笑いありの作品まで、独自の世界観を作り上げている噺家さんである。

客席も暗くなり、「下ネタ大丈夫ですか?」という羽光さんの問いかけに、拍手で反応する客席。割と40~50代の女性が多いように思われる客席で、私のようなひよっこはドキドキしてしまった。

内容について詳細は避けるが、男なら誰しもが通る(?)道を、事細かに語る羽光さん。性に目覚めた少年の行動力、発想というのは、自らの体験を振り返ってもバカバカしさに溢れていて面白い。それに加えて、羽光さんの家庭環境の特異性もあり、物語の面白さに厚みがあるように思えた。

一席終わったあと、妙齢なご婦人が「もっとドギツイかと思った」というようなことを仰られていた。私自身、まだまだひよっこだな、と頬を赤らめた。

 

三遊亭吉馬 脱獄してみた

トリを飾る吉馬さん。羽光さんのアドバイスを受けて、圓丈一門に伝わる必殺技と、隕石の話で会場がドッと沸く。

芯のある力強い声と、風貌が放つ安定感。心地よく体に響いてくる江戸弁と、溌溂とした語りが実に魅力的な噺家さんである。

前回は、『国技ワールドカップ』と題して、世界中の国技が互いに競い合うお噺から、今度は監獄を脱走するという、どちらも吉馬さんらしいスケールの大きいお噺である。

現代のメディアと、人の欲求を組み合わせながら、あらぬ方向へと進んでいくお噺で、個性的な登場人物が出てくる。

割とカッチリ作っているのであろうか、舞台設定と登場人物の設定がしっかりしていて面白い。単発的に笑えるワードが挟み込まれている。

詳細については避けるが、後の羽光さんの講評が的を得ているように思えた。吉馬さんらしい、もっとダイナミックで、スケールの大きな話が聞いてみたい。

何より、声がとても素敵である。出来れば『任侠物』を聞いてみたい気がする。吉馬さんの好みは分からないが、いわゆる『ヤクザ映画』であったり、義理と人情の物語であったり、骨太で、人の熱い心意気が感じられるお噺が吉馬さんには似合うのではなかろうか。何より、カメラで人を撮影する吉馬さんのセンスから、人の素敵な心を描いたお噺が作れるのではないかと、無責任にも思ってしまう。

とにかく、熱い噺家であることは間違いない。次はどんなスケールの大きい話を作ってくれるのか、はたまた違うお噺になるのか。とても楽しみである。

 

総括 講評を聞いて思うこと

終演後は羽光さんによる講評。噺家さん目線の講評は物凄く的確かつ、ピンポイントで『狙い』が分かったりして面白い。また、新作を作る上で、他の噺家さんとの差別化についても羽光さん自身の体験や考えを踏まえた助言があって、羽光さん自身の新作を鑑みても、実に素晴らしい助言だった。

遊かりさんと吉馬さんのしっかりしたお噺と、伸べえさんのフラ全開のお噺とで、講評の違いも楽しめた。改めて、この三人の個性が見事に発揮された会であるように思った。

前回も、今回も、本当に貴重な会に参加できた。特に、この三人が好きな人にとっては、たまらなく素晴らしい会であることに間違いはない。

次は5月だそうである。是非、足をお運びいただきたい。私もこの三人の冒険に連れ添いたい。この三人の冒険は、実に刺激的で魅力に満ち溢れているのだ。