落語・講談・浪曲 日本演芸なんでもござれ

自称・演芸ブロガーが語る日本演芸(落語・講談・浪曲)ブログ!

なにもなくてもしあわせ~2021年11月4日 スタジオフォー 四の日寄席~

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幸福なる生活は、心の平和において成り立つ。

キケロ

Ask too much

 晴れているのに涼しい秋の日の朝が、私はたまらなく愛しい。夏と違って、晴れていれば晴れているだけ暑いというわけではなく、晴れていても、場合によってはジャケットを一枚羽織らなければ寒いという秋の、そのなんとも言えない切なさが、私はたまらなく愛しい。

 たまたま4日に休みを取った。特に何かを考えていたわけではなかった。ただなんとなく休みたいと思って休んだら、それが4日だった。4日を迎えてふいに、「ああ、そういえば四の日寄席があるな」と思い、普段なかなか行く機会が無いので行ってみようと思い立ち、スタジオフォーを訪れた。

 

 季節はゆっくりと変わるのに、人の思考はめまぐるしく変わる。そんなことないよ、という人もいるかもしれないが、私にはそうは思えない。つい数年前までは「死ぬこと以外かすり傷」だとか、「革命のファンファーレ」というような、いわば『タフな成長を望む考え』が声高に騒がれていた。だが現在は「1%の努力」、「脱成長主義」という言葉が目立ち、成長する人できない人、成長したい人したくない人と、幅広く声をあげている。それほどに思考の変化は激しい。

 翻って自分はどうか。正直、もうなんでもいいのである。自分が楽しいと思うことを、楽しいと思うがままに、楽しくやれれば。ほかに何を望むというのか。私は働かないために働いているのであり、お金を稼ぐためにお金を使っているのである。結局は食うに困らない金さえあれば、後は野となれ山となれといった感じで、好きなようにやるだけである。

 ところが、そうなってくると世間には「金があるなら金の無い人に与えろ」とか、「君の考えは不幸せだ」と言ってくる人がいる(実際に言われたことはないが)仮にそんなことを言ってくるような人がいたら、私の言うことは決まっている。

 「お気遣いありがとうございます」

 以上だ。

 自分が何を求めているか、そして何を求めていないかがはっきりしていれば、後はそれに沿って行動をするだけだ。

 スタジオフォーに入って、ぼんやりと周囲を見回すと見知った顔の人もいれば、知らない顔の人もいる。自分とは無関係な人々が、高座に上がる落語家を見るために場を共有する。本当に不思議な空間だと思う。名も知らず、年齢もバラバラな老若男女が一つの場に集まって、落語家の語りを聞いて笑う。どうしてこんな空間が成り立つのだろうか。それはさまざまに理由があるだろう。一つだけ言えることは、そのような空間のことを人は平和と呼ぶ。

 

 古今亭文菊 やかん

 最初に高座に上がったのは文菊師匠だった。前日は温泉旅館での落語会があったらしく、そこから帰ってきたばかりだと言う。世間のおこぼれに預かるという落語家の立場を語りながら、落語イントロドンで上位に食い込むであろう「愚者、愚者」のワードから、演目はやかん。

 これが実にくだらない話なのだが、そのくだらなさに客席が物凄いウケていた。私も久しぶりの落語であり、やかんというくだらなさのオンパレードなネタを文菊師匠で体験することになるとは思っておらず、会場の雰囲気に混じって笑っていた。すると、ある場面で文菊師匠も心の底から「くだらないなぁ」と思ったのか、思わず笑って、会場にいた人たちと同じように落語を楽しまれている様子だった。

 それがなんだか強く印象に残った。なんとも言えない嬉しい気持ちになったのだ。舞台で演技をしている人が笑うというのは、なんとも言えない嬉しい気持ちになる。それは聴く側も演じる側も、双方に楽しんでいるということがはっきりと感じられるからであろうか。あるいは、何か互いに共通のものを共有したという喜びであろうか。

 とにかく、文菊師匠の思わぬ笑みが私の記憶に強く残ったことは間違いない。このような偶然の出会いも、落語を体験するうえで貴重な思い出である。

 やかんという落語は本当にくだらないのである。一ミリも役に立たないし、覚えたことを人に話したところで、「だから何?」で終わってしまうような、他愛もない話である。だが、そのような話であるがゆえに、それを笑えるということの、人間のどうしようもなく懐の深い、優しさみたいなものを感じるのである。

 それを、品のある文菊師匠が語るということのおかしみ。上手く言えないが、くだらなすぎて破裂音がするのである。きゅうきゅうに押し込まれて、パンッと破裂する感じと言えばいいだろうか。「本当にくっだらねぇなぁ~」と思うときに弾ける何かがある。それが面白い。真にくだらないこと、どうしようもないことに出会ったり、そのような状況に陥ると、人は理由なく笑うのだろう。それは真理だと思う。そして、私はそれがとても美しいものだと考えている。

 記憶に残るくだらない話だった。

 

 桂やまと 禁酒番屋

 普段あまり会う機会の少ないやまと師匠。愛されオーラ全開で語られた禁酒番屋も、これまたくだらない話である。私は久しく酒を飲んでいないが、飲みたいという気持ちはある。しかし、飲むと人がダメになるから飲まずにいる。それでも、飲みたいという気持ちは多少ある。ダメになるとわかっていても、飲みたいと思うのだから、酒は避けては通れない。

 門番が次第に酔っていく様子が細かく表現されていて面白かった。

 

 古今亭駒治 野球少年の作文・令和狂騒曲

 久しぶりに体験する落語家さんばかりで、改めて感慨深い気持ちになりながら、相変わらずの耳心地の良い語りをする駒治師匠。時事ネタ全開の野球ネタから、これまた時事ネタ全開のネタ。師匠との心温まる(?)エピソードも含めて、怒涛の勢いで語る駒治師匠。会場が笑いに包まれた。

 私はあまり野球に詳しくはないが、ヤクルトスワローズのファンであればたまらなく面白い落語だと思った。

 

 古今亭菊志ん 締め込み

 菊志ん師匠ならではの勢いのある語りが面白かった。女性の演じ方を見ると、その落語家さんがどんな女性像を描いているかが知れるので、色んな人の女性の演じ方を見るのは面白い。

 

 初音家左橋 夢金

 最後は穏やかな表情でまったりと語る左橋師匠。欲にまみれた主人公が登場する夢金という話を丁寧に語られていた。世間がどのような状況になっても、欲の皮が突っ張った人というのは存在する。決してそれが悪いことだとは思わない。人それぞれ、何かを求めていて、それが金であるだけだと思う。

 どんな結果になろうとも、自分の欲に忠実に生きることもまた人なのだと思う。

 

 総括 なにもなくても

 何かを求めて歩むことも、何も求めずぼんやりと歩むことも、結局は歩んでいるから変わりない。周りの人々は「成長だ!成長こそ豊かさだ!」と言う人もいるし、「今の日本は十分豊かだから、成長なんて不要だ」と言う人もいる。そのような意見を聞いて、自分がどう思うかの方がはるかに重要である。そして、それに対して後悔しないことだ。後になって後悔するようでは、まだまだ詰めが甘い。どうせ年を取れば体が言うことをきかなくなって、嫌でも行動範囲は狭められる。それまで、好きなだけやりたい放題パケ放題やるのか、それとも、今のうちから「これぞ我が道」と決めて行動するのか、それは全て個人に委ねられている。

 とやかく世間は、奇抜な発想だとか、やれ技術力だ、やれ成長だ、やれ分配だなどと言うが、それを聞いて行動するのは結局個人である。個人の働きが、個人、そしてその個人の周辺にいる人々を豊かにするのである。言葉であれば、全世界の個人と繋がれるので、その点を私はオススメしたい。

 なにもなくても、言葉さえあれば、どうやら私は生きていけるらしいということが最近になって分かった。日本語だけでは物足りず、この半年英語で文章を書いたり話したりということも増えた。着実に身になっている気がする。

 本当に何もなくなったら、最後には語りがある。落語がある。だから安心して、色んなものを求めて、手にして、そして捨てて、その繰り返しに飽きたら、ただぼんやりと落語家の語りを聞いていればいい。今はそんな風に思う。

 皆さんが素敵な演芸に出会えることを祈って。

 それではまた、いずれどこかで。

 

 

 

 

 

 

走る君の背中にそっと羽をあげよう

その苦しみを代わることは出来なくても
君の手をとって導くくらいは出来るかな

 アントレプレナー
凄い人がいる。
何が凄いかと言われても、「会って話を聞いてみてくれ。そうすれば、その凄さが分かる」としか言いようの無い人がいる。
その人は、名前をMAOという。
今、起業を目指して一所懸命に行動している。
「人の人生に介入して、その人がより良く人生を過ごせるようにしたい」
彼女の言葉を聞いたとき、僕は心の底から驚いた。
彼女の眼は、本気だった。
彼女の言葉も、何もかもが本気だった。
僕と彼女がどう知り合ったかということは、些細なことである。
そんなことよりも、彼女は一度大きな挫折を味わった人だった。
それでも、前に進むことを決意した人なのである。

聞き慣れない言葉かも知れないが、彼女は『コンディショニング・トレーナー』という職に就いている。簡単に言えば、人それぞれが抱える体の不調や歪み、癖といったものを、その人自身と向き合い一緒になって改善し、健康な身体にする役目を担う職業である。
初めてその職業の名を聞いたとき、恥ずかしながら、どんな職業か僕は知らなかった。彼女の話を聞いていくうちに、『健康に生きること』の重要性を僕は深く考えさせられた。

老いとは、人間の宿命である。
どんなに賢い人間でも、どんなに富を持っている人間でも、必ず老いはやってくる。若い頃は当たり前のようにできたことが、老いによって上手くできなくなってくる。そうした身体的な老いによって、果たせなくなった夢や希望を持った人が、世の中には一定数いる。
例えば、あなたの身体が老いたと仮定しよう。
思うように足腰も動かず、肩もあがらず、どこへ行くにしても、気分が億劫になってやる気が出ない。若い頃は、あれほど自由に動いた身体が、まるで錆び付いた機械のように言うことを聞いてくれない。こんな筈ではなかったと思っても、身体は心とは裏腹に痛みを伴って、軋みながら動く。
富も時間もある。しかし、身体は不自由である。
海外旅行に行きたくてもいけない。
大好きなスポーツを楽しみたくても楽しめない。
せっかく出来た孫を産湯に入れたいが、肩が痛くて抱くことができない。
苦楽を共にしたパートナーと、散歩に出かけることができない。
老いや身体の様々な不調によって、人々が抱える悩みは無数にある。

総務省の統計によれば、2020年9月20日時点で、日本における65歳以上の高齢者数は3617万人。総人口に占める割合は28.7%となっている。日本国民の約3割が高齢者なのだ。
今後ますます、高齢者が増加することが予想される社会において、『健康に生きる』ことの重要性は高まっていくと僕は考えている。そして、そのような重要性の高まりの中心に、『コンディショニング・トレーナー』という職業は存在している。
先に書いたように、身体の不調によって生まれる悩みは無数にある。だからこそ、早い段階から『健康な身体づくり』を人々は意識し、行動していかなければならない。
日常生活を送ることで、無意識のうちに身体に染みついた癖、痛み、歪み、不調を見抜き、ひとりひとりにあった改善方法・トレーニングを提供・検査し、実現する。
それがMAOの目指す「人の人生に介入して、その人がより良く人生を過ごせるようにしたい」という思いへと繋がっている。

 MAO
彼女の強い思い。「人の人生に介入して、その人がより良く人生を過ごせるようにしたい」という言葉に嘘は無い。
本気なのだ。
彼女に出会った人ならだれでも思うだろう。
「この人と一緒にいれば、大丈夫だ」と。
僕は、彼女がどれほど勉強をしたのか知らないし、どれほどの知識があるのかも知らない。それでも、彼女の「人の人生に介入して、その人がより良く人生を過ごせるようにしたい」という言葉、そして普段の行動を見ていれば、コンディショニング・トレーナーとしての彼女の凄さは、知らなくても、見ていなくても分かる。
僕はこれまで大勢の噺家さんや芸術家を見て、その都度言葉にしてきた。そして、僕の直感は間違ったことがない。少しおこがましいと思われるかも知れないが、僕の直感はMAOの凄さを確信している。
彼女は、誰かのためなら身を粉にして全力でぶつかる人だ。
たとえ、自分が傷ついても、ひょっとすると手足をもがれても、肩だけとか、口だけでも、とにかく身体の全てを使って、ひたすらに前に突き進んで、「人の人生に介入して、その人がより良く人生を過ごせるようにしたい」という純粋な思いのままに、身体に不調を抱えた人々に向き合い、完璧なまでに改善してしまう人なのである。
だからこそ、時に過度に行き過ぎて燃え尽きてしまいそうになる。僕はそれが少し心配である。でも、彼女は灰の中から再び復活するくらい生命力が強い。何度やられても立ち上がる。そういう不撓不屈の精神を持った人である。
そんな人だから、当然、大勢の人々が彼女を愛してやまないし、応援したいと望む。僕もそんな一人である。言ってしまえば、彼女はワンピースで言えばルフィみたいな存在で、その存在自体が人々に勇気を与えてくれるのである。

 wallaby stretch
さて、長々と書いたが、そんな彼女は来年、起業し、自分の夢を実現するジムをオープンする。
以下に、彼女が主に投稿しているアカウントを記載する。
https://instagram.com/wallaby_stretch?utm_medium=copy_link
もしも、健康な身体に興味がある人や、彼女の凄さに触れたいという人がいたら、是非、フォローしてほしい。必ず、あなたが驚くほどに、彼女はあなたに真摯に向き合い、あなたの身体の不調を改善し、より良く人生を生きられるようにしてくれる。
僕は今から、彼女の夢が実現することが楽しみでならない。
そして、その思いを読者の皆様にも味わっていただきたい。
そういう思いで書いたし、事実は必ず、そうなっていく。
僕は確信している。MAOのジムは、大勢の人々の人生をより良い人生に変えて行くものになる。

待てば甘露の日和あり~2021年5月15日 古今亭文菊独演会~


過去のことなど考えない。
重要なのは永遠につづく現在。
それのみだ

Waiting is the hardest part of life
今が永遠に続くと信じているから、私は惰性で生きてしまうのだろうか。
来る日も来る日も、無駄に飯を食べて惰眠を貪って時間を無為に過ごす。
それが嫌になって、旅に出れば気分も紛れて新しい思い出が積み重なっていく。

 

思い出。それ自体はちっぽけな言葉だが、拡がりは無限である。

たった一匙でも味わってしまえば、舌上に忘れられない感動を残す料理のように、

思い返す度に、「ああ、もう一度味わいたい」と切望して止まないもの。

それが、私の記憶の中に残る思い出の感覚だ。
今は、誰もが「あの味をもう一度味わいたい」と願っている。
一日でも早く、思い出の味を舌先で感じたいと強く願っている。

だからこそ、心は急いて、苛立ちの中で硬化していく。

水で溶いた片栗粉のように、叩けば固くなる。

叩かれるたびに、固く、反発し、柔らかい本来の姿を保つことができない。

まろやかに、穏やかに生きることの意味を忘れそうになる。

待ち続ける時間の長さに比例して、心が小さく、狭くなっていく。

待つことの大変さは、誰もが知っている。

病院で長く待たされて、いざ医師に診断を受けてみると数分で終わる。

幸福とは短く、苦難とは長きものであろうか。

永遠につづく現在の繰り返しの中で、どれだけの幸福を私は手にするのだろう。

私にとっての幸福。それすなわち良き思い出。だとすれば、やることは一つ。

死ぬまで、幸福な思い出を作り続けること。

ただ、それのみだ。

 

古今亭菊一 子ほめ

記憶の中の菊一さんは、まだたどたどしい語りのリズムと、どこかシャイな一面を持つハンサムな青年だった。ところが、久しぶりに見た菊一さんの姿は、語りのリズムが心地よく、たとえ舌先が上手く動かなくとも、見事にリズムをキープして落語をしていた。張りのある声には、古今亭のDNAが見事に流れていて、師匠である菊太楼師匠の明るさと、カラッとした優しい雰囲気が随所に現れている。

前座という身分で個性などと言うと、途端に腹を立てる人も中にはいるかもしれないが、私はそうは思わない。むしろ、この困難な状況の中にあって、研鑽を続け、落語の世界に留まっているという事実の方が、私は何倍も優れた個性であると考えている。

並みの一般人には出来ることではない。自らのキャリアアップのために転職をしたり、自由を求めて転職をしたりと、中にはコロコロと職を変える者がいる。

それ自体は、確かに決断が難しいことであるし、容易に出来ることではない。だが、それと同じくらい、今の時代の中で一所に留まる、さらには落語界の前座という立場でとどまっているということは、私は賞賛に値すると考えている。

若く、可能性に溢れ、ハンサムで愛嬌もある。落語家でなくともある程度の地位に立つように思われる菊一さんが、それでも落語界に生きている。私はそれを不思議に思うと同時に、それほど落語界が魅力なのであろうと考えている。どれだけの災禍に襲われようと、どれだけ愚鈍な政治に苛まれようとも、落語は一点、存在し続ける。

その事実の中で、めげることなく、静かに座布団の上に立ち、高座に上がり、拙くとも落語の世界を表現する落語家を、誰が馬鹿にできると言うのか。

落語の風は常に、入れ替わり立ち代わり、若き魂によって吹き続けているのだ。

 

古今亭文菊 金明竹

どれだけの時間が過ぎても、どれだけの苦難があろうとも、高座に立てば変わらずに、常に私の記憶の中の文菊を更新してくれる。
それが、永遠につづく現在に生きている古今亭文菊師匠である。

文菊師匠と同時代を生きていることの幸せは計り知れない。この時代、この瞬間に、古今亭文菊と同じ空間にいる。それだけで、何か、とんでもない奇跡を手にしている気になる。もしも、後世に私の名前が残るのだとすれば、それは私自身の功績などではなく、古今亭文菊師匠の功績によって名が残るだろうとさえ思える。何百、何千年も未来に、古今亭文菊に関する私の記事を読んだ誰かが、唇噛んで血を流すほど悔しがるだろうことが私には分かる。未来を生きるあなたよ。あなたは古今亭文菊に出会わなかった。それは、大変な不幸であると断言しよう。

さて、そんなことを未来の人に行っても意味がない。現在を楽しむ私にとって、文菊師匠の落語の体験こそが、何ものにも代えがたい極上の思い出になることなど、このブログの読者であれば言わずもがなの事実である。

いつの時代も、抜けた人間とはいるものである。私なんぞ、常に抜けているから、それを隠すので必死である。偉そうに長文を書いて、ありとあらゆる人から「お前のブログは長すぎる」とお叱りを頂くが、そもそも私は私自身に向かって書いているのだから関係が無い。さらに言えば、わざわざ「文才ないよ」などと匿名でメッセージを送ってくるものまで現れる始末。知ったことではない。私には文才は無いが、文字を書いて発表する意志はあるのだ。読もうが読まなかろうが、そちらの勝手である。

と、文句をつらつら書いても仕方がない。

思い返すのは、いつも良い思い出である。文菊師匠の高座も、お姿も、ありとあらゆる思い出を、私は記録しているし、私自身、読み返す度に思う。「ああ、また文菊師匠の落語が見たい」。

その思い出だけが、私を突き動かしている。

今日は、目が覚めて嫌なものを見てしまって、それが酷く下品に感じられたものであったから、なんとかしてバランスを保ちたいと思い、品のある人を見たくなった。それで、わざわざ電車に乗って独演会にまでやってきたのだった。

そして、文菊師匠の語る間抜けな与太郎は、滑稽で、面白かった。

もう、それに尽きる。どれだけの言葉を重ねようと、今は、ただただ面白かったとだけ言えば良い気がする。

当たり前の日常に、ほんの少しの重圧がかけられたところで、私の心は怯まない。

現在を、ただただ間抜けに、しかし底抜けに明るく生きるだけなのだ。

どれだけの失敗をしようと、話を聞き漏らそうと知ったことではない。

誰もが、何かしら抜けていながらに生きている。

それで良いのだ。

 

古今亭文菊 笠碁

文菊師匠の演目には、必ず『裏メッセージ』があると私は考えている。

演目の裏に、直接言葉にせずとも、今の現代を生きていくためのヒントをくれる。

それが、文菊師匠の凄さであり、時代の空気感を抜群に読んでいる師匠だからこそ成せる技だ。どうにも、私は生粋の文菊好きであるから、言葉にされない文菊師匠の『裏メッセージ』も併せて、楽しんでしまうのである。そして、それには正解不正解などない。それぞれが、それぞれに落語の演目に触れて感じれば良いのだ。私のブログなぞは、その一例に過ぎない。何度も語ってきたことだが、これは私自身の楽しみであり、私自身の考えの発露であり、誰に何かを強制するものでもないのだ。

『笠碁』という演目を久しぶりに文菊師匠で聞いた。二人の大人が喧嘩して仲直りする。それだけの話なのに、なぜこんなにも胸を打つのだろうか。

待つということの尊さを、私はひしひしと感じるのである。

冒頭で述べたように、待てば待つほど心が急いてしまうのだ。

特に、周りで同級生が結婚した話なぞを聞くと、ついつい気持ちが急いて、「俺も早く結婚しなきゃ!」などと焦る人も中にはいるのではなかろうか。

人間は、いつだって自分の手にしたいものを即座に手にしたい生き物なのだ。もっと言えば、手にした速度が早ければ早いほど、飽きやすい生き物でもある。

だからこそ、待って、待って、待ち続けて、本当に来るかどうかさえも分からないところで、ようやっとやってきたという段階になって、初めて喜びを感じ、感動を覚え、そして忘れていくのである。

何度も、その繰り返しである。良い思い出は一瞬であり、それはまるで切り取られた写真のように鮮明に残り続ける。だが、それに至るまでの過程は苦難に満ちており、大概の場合は忘れ去られる。どんな苦難も、たった一瞬の幸福のためにあるのだと考えれば乗り越えられるはずである。心が硬化し、他に文句を言いたくなるのは、その苦難に耐えられなくなった心が出す屁のようなものなのだ。

豪雨が続く海も、いずれ晴れて海路が見える。待てば海路の日和あり。

どれほど辛酸を舐めようと、じっと耐えて、自分にとっての幸福とは何かを見失わなければ、必ずや甘い露を味わうことができる。

待てば甘露の日和あり。

 

総括 輝きのある思い出を作り続ける
もうどれだけ久しぶりであるかも忘れてしまったのだが、

久しぶりに文菊師匠を見ても、やはり文菊師匠は素晴らしかった。

文菊師匠が素晴らしくなかった時など、これまで一度も無かった。

私の、数少ない友人と同じように、文菊師匠は常に素晴らしかった。

それで良かった。それだけで良かった。

去年一年間のドタバタの中で、私は自分でも知らないうちに心を擦り減らしていたのかもしれない。それがどういう理由かも私には分からない。

それでも、改めて文菊師匠の高座に触れ、そこで『笠碁』を聞くことのできる喜び。

笠碁という演目が私は大好きである。誰で聞いても良い。

未だに春風亭一之輔師匠の『笠碁』は私の中でベストで有り続けているが、

それでも、しみじみと待つことの尊さを確かめるのだ。

これは、学びであろうか。否、それはもともと私の中にあるものなのだ。

誰かを待っているときほど、幸せな時間は無い。

待って、待って、そして、ようやく会える。

その喜びを噛み締めて、今日も眠りにつくのだ。

そして、明日も私は喜びを噛み締めて生きて行くだろう。

輝きのある思い出を日々、作り上げていく。

それが、私の生き方なのだ。

あなたが、素敵な演芸に出会いますように。

それでは、また。どこかでお会いしましょう。

窮鼠猫と戯れる~2021年2月27日 渋谷ユーロライブ Suspenders Guide~

あらゆる勝負ごとは全て、追い込まれてからが面白い

最高 サス ペンダーズのライブを見ました。渋谷のユーロライブで。 とても面白かった。 もう一度、言わせてください。 とても面白かった。 旧ネタ2作と、新ネタ3作。どれもめちゃくちゃ面白かった。旧ネタは何度も繰り返し見たネタだったけど、何度見ても面白いネタだった。最高だった。とにかく、最高だった。 会場は愛に溢れていた。サスペンダーズの愛に。コロナの状況の中で、満席になるユーロライブの客席を僕は初めて見た。なんだか、自分のことのように嬉しかった。

 

[audio mp3="https://www.engeidaisuki.net/wp-content/uploads/2021/02/サスペンダーズ.mp3"][/audio]

去年の3月。サスペンダーズのコントを見て、雷に打たれたように痺れ狂って笑ったあの日から、サスペンダーズは、どんどんどんどん凄まじくなった。色んな人が、サスペンダーズを発見した。色んな人が、サスペンダーズを面白いと言い始めた。 そして、2021年ついにENGEIグランドスラムに出た。僕が知っているパターンだと、神田松之丞がジブリのプロデューサーの鈴木敏夫さんに「凄い!」と言われ、ENGEIグランドスラムに出て以降、あっという間にチケットの取れない講談師となって演芸界を盛り上げたので、サスペンダーズもそうなる。売れる。間違いなく。 とにかく、不思議な気持ちだった。新宿バティオス、グレイモヤでサスペンダーズを見て、そこから沼にハマって、布団に籠り、死ぬほど笑い転げた。今か今かと新ネタがYoutubeに上がることを楽しみにし、いつになったら生のサスペンダーズのコントが見られるのかと、もどかしくて仕方がなかった。 コロナの状況下でも、サスペンダーズの二人はYoutubeの配信を続け、見る者を魅了した。本当に面白かった。この二人の普段のやりとりも、コント同様に面白かったのである。 それは、僕が思うに『生活とネタが地続き』であるからだろう。古川さんの魅力、依藤さんの魅力。それが普段から常に発揮されているからこそ、見る者は魅了されるのだ。 まるで、追い込まれた鼠も、そして追い込んだ猫も、どちらも互いに楽しんでいるような姿が、心の底から微笑ましくて、温かいのだ。   ユーロライブに着くと、サスペンダーズ・ガイドのチラシが壁に貼られていた。その前で、数人が一緒に写真を撮っていた。元気モリモリポーズをしながら「いや、高い高い!!もっと低く!」みたいなことで盛り上がっていた。   あ、やべぇ、乗り遅れた。 もうちょっと早く来てたら、僕もその輪の中に入れたかも知れないのに。 やべぇ。くそっ、なんで遅れちまったんだ。 サスペンダーズの張り紙の前で待機してればよかった。 ああっ、逃したぁ。くそっ、これはデカイぞ。 結構、サスペンダーズの記事書いてるのに、全然、ファンの輪の中に入れてねぇ。 輪から外れちまってるじゃねぇか。なんでだよっ、なんの業だよこれっ、くそー、   と、古川さんみたいなことを思いつつ、静かに会場に入った。 満席だった。コロナの状況下での満席だった。それが、僕は嬉しかった。 何度も見てきた。 僕の好きな人が、他の人にも好きになってもらっていく過程、 そして、好きな人がどんどん凄くなっていく姿、 どんどんどんどん好きが拡がって、大勢の人に好きって言われる光景。 それが、ユーロライブにあった。 愛しいね。サスペンダーズも、そしてサスペンダーズを愛する人も。 僕はただただ、愛しいんだ。    タイムカプセル 知らぬ間に輪から外れてしまった古川さんと、輪の中心でキラッキラの青春を謳歌している依藤さんのコント。古川さんの不憫さが、面白くて仕方がない。 分かるのだ。輪から外れてしまう人の気持ちが。素直になれなくて、距離を取ってしまって、輪の中に入れない人の気持ちが。 ほんの少しのきっかけさえあれば、その輪の中でじっとして、青春の一滴でも口にすることができるのに、それすらもできない、自分に対して過剰な意識を持つ人。そんな、大きくなった自意識で事故ってしまった古川さんが、追い込まれていく姿。そして、追い込まれた挙げ句におかしくなっていく姿は、面白くて笑える。丁度、ファン同士の輪から外れてしまっている僕みたいに。。。 まっすぐに歩いているつもりなのに、いつの間にか曲がって歩いているような人。でも、曲がって歩いたことを肯定して開き直る人。そんな古川さんの強さが、依藤さんの強さとぶつからずに、絶妙な空気感で笑いになる。 追い込まれた鼠が、猫に鼻でつつかれて、遂には「いいよ、食え!食えよ!」みたいに言って開き直る感じが、ここにはある。猫が「食べないよ。大丈夫だよ」と言っても、「いや、食わんのかい!じゃあ、自分からお前の口に飛び込んでやるわ・・・」みたいなあきらめムードもあって、それが何とも言えず面白い。 『開き直りの人間臭い美学』が、このコントにはある。    竹原ピストル 趣味と行動の不一致をコントに仕立て上げた、サスペンダーズならではの着眼点が光る面白いコント。 古川さんの偏見が縦横無尽に振り回される面白さがあって、その偏見に対してどこまでも理解できない態度を示す依藤さんの姿も面白い。依藤さんの行動の辻褄の合わなさを、古川さんがノンストップで喋りまくって責める。 例えば、ヘヴィメタル聴いてる奴はスイーツ食べないとか、黒人はみんなリズム感あるとか、イタリア人はみんなナンパが得意とか、そういう根拠のない偏見を振りかざした挙げ句に、古川さんが言い放つ「俺の期待が強すぎたのかなぁ!!!」みたいな言葉がめちゃくちゃ面白くて、腹が捩れるかと思うほど笑った。最高過ぎる。 古川さんのめちゃくちゃな偏見が、とにかく暴れまくる痛快なコントだった。 猫に苛立ち、暴れ狂う鼠のような姿。「猫ってさぁ、普通鼠を食べるんじゃないの!?なんで食べないのさぁ!?なんで食べてくれないのさぁ!?」みたいな雰囲気があって、面白かった。    回転寿司 冒頭の勘違いから、絶望的状況に追い込まれた古川さんが、何とかして状況を打破するために、辞めたバイト先の店長である依藤さんの力を借りるコント。このコントには、まるでSAWとか、カイジとか、脱出系のゲームのような雰囲気を感じて、見る度にスリルに満ちていて面白くて最高なコントである。 なんとかして、お金を払って店を出たい古川さんが、依藤さんに金を借りる場面が最高である。過去の行いが現在に災いをもたらし、どうしようもない状況が作り上げられてしまう。古川さんの背負う人間の業が、次から次へと古川さん自身に降りかかっていく。その災いの張本人である依藤さんの、有無を言わせぬ正論に叩きのめされながらも、ギリギリ潰れないところで復活する古川さんだが、最後の最後で再び絶望を味わうというどんでん返しに笑うしかない。 この構成の巧みさもさることながら、回転寿司店という舞台で、これだけ面白くできるセンスと力量に脱帽である。    パンダの飼育員 5作のコントの中で、どれが一番面白かったかと問われれば、僕はこれが一番面白かったと答える。 パンダの飼育を任された古川さんの、逃れようのない業がもたらした悲劇と、その悲劇に追い打ちをかけるようにやってきた依藤さんのコント。 冒頭の古川さんのとんでもないミス(?)に笑いつつ、さらに状況説明を一言で言い切ってしまう力強さがめちゃくちゃ面白い。「なんだそりゃ!」というツッコミが入る隙間もなく、「どうしようもないなぁ」という、人間の耐えられないどうしようもなさが、古川さんにはあって、それが最高に面白い。 責任感の強い古川さんが慌てふためいているところに、何も知らない先輩の飼育員である依藤さんがやってくる。なんとかして場をやり過ごし、自分の失敗を隠蔽しようとする古川さんの姿が、めちゃくちゃ面白くて、人間臭くて、最高である。 何か失敗をして、ヤバイ!と思っても、なかなか言い出せないことってある。 咄嗟に、場を取り繕おうとして言葉を放つも、どれも相手には刺さらない。 どれだけ依藤さんの足を止めようともがいても、どうすることもできない。 何とかして隠そうとする古川さんの姿が笑えた。そして、終盤で古川さんが隠しきれずに依藤さんに向かって放つ「すんませんでしたぁ!!!」には、とーんと胸を突かれて、思わずうるっと来てしまった。笑って泣ける良いコントだ。 凄く気持ちが分かるのだ。自分の失敗を隠そうとして、どうしようもできず、バレる直前くらいで、思い切って謝る。その謝りの姿勢の真っすぐさが、僕は人間らしくて好きだ。凄く良かった。じーんと来た。上手く言葉に出来てないかも知れないけど、僕は、古川さんが思い切って謝る場面が、凄い好きだ。 依藤さんがパンダを発見し、ブチ切れるのが今までのパターンだったかも知れない。だが、ここで先輩飼育員である依藤さんが放つ言葉のもたらした安堵感。 緊張と緩和の後で訪れる笑い。 ああ、なんか良い。なんか良いな。と思って、体が熱くなった。 会場にいる人々も、同じように依藤さんの言葉に笑っていて、僕はそれが凄く気持ちが良かった。そこに流れている温かい情が、僕はたまらなく好きだった。 サスペンダーズが好きな人達が、自分が面白いと思うポイントで笑うことの、言いようの無い喜びを、僕は味わった。そうだよ。ここにはサスペンダーズを見に来た人しかいないんだ。それが、この上無く、僕には幸せだった。 僕はこのコントが、たまらなく好きだ。 猫の餌を食べた鼠のところに、猫がやってくる。もう餌は無いので、鼠は必死に猫の気持ちを逸らそうと試行錯誤する。だが、猫は餌の場所まで来てしまい、鼠は思わず「ごめん食べちゃった!」と言う。猫が怒るかと思いきや「ああ、いいよ。お腹減ってないから」と言い返す。そんな光景が見えて、とても微笑ましかった。    けん玉 けん玉の世界記録に挑戦する依藤さんと、依藤さんが働く会社の上司である古川さんが、テレビで依藤さんを発見したことから始まるコント。この着眼点も、本当に素晴らしくて、めちゃくちゃ面白い。 何の変哲もない、普通の日常をここまで面白く出来るのがサスペンダーズである。ネタ的にはにゃんこスターの『縄跳び』ネタに通ずるものを感じるが、そこはサスペンダーズ節である。 このコントの構成で、けん玉をする方が依藤さんという配役に妙味がある。 普通なら、失敗するのは古川さんの役目のように思える。ところが、依藤さんがけん玉に挑戦するのである。 挑戦者が依藤さんであることによって、ツッコミを入れる古川さんの、人間の温かさが見る者に伝わってくるのではないかと僕は思った。 それまでの四つのネタは、どれも古川さんが失敗したり、憤ったり、誤魔化したりする構成になっている。だからこそ、けん玉に挑戦する依藤さんを見て、古川さんが応援したくなったり、次こそやれるぞ!と鼓舞したり、なんだよお前ー!と言ったりすることに、説得力があるのだ。 失敗し続けた男、古川さんだからこそ依藤さんの失敗に突っ込んで笑いにすることができる。配役が逆だったら、全く面白くならないと僕は思う。 真人間である依藤さんの失敗には、古川さんの失敗に抱く感情とは違う感情を抱くのである。それは、依藤さんが持つ真人間さ。完璧さ。出来て当たり前という無意識の思いが、そうさせるのかも知れない。 これは結構、サスペンダーズ的には挑戦のコントなのではないだろうか。 依藤さんの失敗を、ことごとく許して受け入れる古川さん。真っすぐに謝りながらも、何度も失敗する依藤さん。この違いは一体何なのだろうか。上手く言い表すことはできないが、このコントの配役は依藤さんが失敗する役でなければならないのだ。 凄く温かいのである。5本連続という、最高過ぎる流れの中で、このコントを最後に持ってくるサスペンダーズの構成の巧みさ。ラストにふさわしいコントであると同時に、見る者に問いかけてくるのは、不思議な面白さなのである。 それは、思うに、依藤さんも古川さんと通じる部分を持っているからだろう。そして、誰もが古川さんに通ずるものを持っているから、心惹かれ、笑えるのだ。 窮鼠猫を噛むという言葉があるが、最後のネタには、鼠を追い込んでいた猫が「俺も、お前と一緒だぜ」という、気持ちの良いぬくもりがある。 僕は、そのぬくもりに用があるのだ。 鼠も猫も、同じ動物であり、同じ命なのだと。僕はそう言っているように思えた。 新ネタの持つ、人間としての温かさを、僕は最近のサスペンダーズのネタに感じている。人間臭くて良い。全然、背伸びしてなくて、ありのままでコントをやっているサスペンダーズが最高である。 もう一度言おう。 サスペンダーズが最高である。    アフタートーク ずっと続けばいいと思うほど、サスペンダーズ愛に溢れた時間が流れた。あっという間の時間で、出来ることならば永遠に続いて欲しかった。それほどに、主催者であるポテンシャル聡さんの一言一言が愛に満ち溢れていた。ゲストであるラブレターズの塚本さんの言葉や、ザ・マミィの林田さんの言葉も、どれもが愛に満ち溢れていた。   お前ら、最高かよっ!!!!!   出来ることなら加わりたいなぁと思いつつ、ぼんやりと眺めていた。 サスペンダーズの二人が褒められすぎて、湯上りのトーンで「ありがとうぅ」とか「嬉しいなぁ」と言っている姿も面白く、緊張が解けていつものプライドが全開になったワル古川さんが出てきたのも最高だった。ノリノリのサスペンダーズと、じんわりと染み込むように愛を語るポテンシャル聡さんの姿が、最高過ぎて温かかった。炬燵かと思った。サスペンダーズの炬燵かよと思った。 そして、ポテンシャル聡さんがサスペンダーズにハマるきっかけになった、KDさんの編集された動画が会場に映った。僕は、それもめちゃくちゃ嬉しかった。サスペンダーズのファンが、サスペンダーズへの愛を力にして、人を突き動かしている。 これは、本当に凄いことですよKDさん。あなたは本当に凄い。誇ってもいいくらいですよ。 サスペンダーズは、色んな人に支えられて、メキメキと力を付けて凄まじくなっている。 この1年。見てきたから分かる。サスペンダーズは、売れる。 そんなサスペンダーズに触れる、最高のガイドとなった。 最高だった。 もう一度言わせて欲しい。 何もかもが、    最高だった!!!!!

Youtubeに上がってるサスペンダーズのネタ動画が面白いので全部レビューしてみた

 2014年10月12日『フォークソング部』 https://www.youtube.com/watch?v=5CNoXQn7-go&t=59s

フォークソング部に入部した新人の古川さんと、フォークソング部に所属する依藤さんとのやり取りが行われるネタ。フォークソング部に入部した古川さんが、ことごとくフォークソングのジャンルとはかけ離れた音楽を嗜好していることが明かされ、正反対ともいえるジャンルの違いが面白いネタだ。体を張ったネタでもあり、「一体なぜ、古川さんはフォークソング部に入部したんだ!?」という疑問が生まれるものの、フォークソングという概念すら上塗りしかねない、徹底したデスメタル嗜好が面白い。 背中に書かれたグラフの場面は、古川さんの狂人っぷりが発揮されている。一体、どれだけの過去が彼にあったのか、未知なる恐ろしさを感じさせるクスグリも多い。 古川さんの狂人っぷりもさることながら、依藤さんのツッコミも面白い。特に「お前、15歳だよな!」と言った後のツッコミには、それまでの話の流れからは想像も付かない独自のワードセンスが光っている。 現在のコントのスタイルを知っているからかもしれないが、初期サスペンダーズのネタは、古川さんの演じる狂人と、それに鋭くツッコミを入れる依藤さんのスタイルで構成されたネタが多い印象である。素人意見で恐縮だが、頭で考えているネタが多い。頭で考えているが故に、作為性が見えると言えば良いのか。設定よりもむしろ、一つの奇妙さが生み出す波に乗って、ワードを積み重ねて構築されている印象がある。その着眼点と突き抜け具合が面白い。まだ原石の狂気が垣間見れる素晴らしいネタだ。  

 

   

2014年11月11日『スクープ部』 https://www.youtube.com/watch?v=8cOUYFPZ0uE&t=67s

いかにも大スクープを掴んだと言わんばかりの態度で、依藤さんに迫る古川さん。一体どんなスクープかと思いきや、まさかの結果に。続く様々なスクープも、驚愕のスクープが出てくるかと思いきや。。。というようなネタである。 ここでも、先に記載した『フォークソング部』同様、古川さん演じるキャラクターの狂人っぷりが発揮される。一体、どんな生い立ちをすれば、こんな性格になるのだろうかと不思議に思うほど、自信に満ち溢れているがズレているスクープ記者。呆れながらも鋭いツッコミを入れる依藤さんの姿が面白い。 どれだけツッコまれようとも、意に介さずな古川さんのキャラクターも特徴的である。何一つとして、自分の勘違いっぷりを認めないぶっ飛んだキャラクターが放つ狂気が、このネタでも光っている。先にも記述したように、一つの奇妙さが生み出す波に乗って、ワードを積み重ねて構築されている印象がある。後半、なぜかラッパーになるところには、考えあぐねた末に、捻りだされた苦悩が感じられる。一つの奇妙さからネタが展開されているが故に、着地点を決めかねている印象がある。前作と合わせて、サスペンダーズがネタを作りながら、模索している印象を受けた。  

2014年12月11日『ペットショップ』 https://www.youtube.com/watch?v=KiPMyFG65vY

ペットショップ店員の狂気っぷりが光るネタである。ペットショップ店員である古川さんの演じるキャラクターには、ペットショップで働くことによって、自らの歪んだ信念を肯定していくかのような狂気がある。特に、ペットショップを訪れた依藤さんに対して説明される言葉は、どれもネガティブ・キャンペーンというよりも、むしろ通常の人間とは別次元で思考した者の狂気さが溢れていて、それが生み出す怖さが面白い。徹底して動物に対するネガティブな発言をしながら、さもそれが真っ当なことであるとでも言わんばかりの店員の態度が面白い。ここまで振り切れた人に付き合いながらも、冷静にツッコミを入れる依藤さんも面白い。特に、ペットショップにおよそ似つかわしくない貝類を挿入することによって、犬やインコや猫とは異なる、長寿命である生物の優位性を説くかのような店員の姿が面白い。僕はあまりペットショップに行ったことは無いが、ペットショップにいる店員さんは皆、動物が好きなのだろうと思っている。その思いを逆手に取って、ペットショップ店員でも、動物が嫌いな人もいるという、逆説的なネタになっている。テリーさんへの依藤さんのツッコミも面白かった。 こちらも、前二作と同じ流れにあるように思う。  

2015年1月12日『合コン』 https://www.youtube.com/watch?v=EDb7atAtcOk&t=64s

極限まで振り切れた狂人っぷりが後半で一気に爆発する凄いコントである。前三作の流れから、この時のサスペンダーズが辿り着いた一つの結晶のようなネタに思える。 とてもだらしない恰好を惜しげもなく披露する古川さんと、それに戸惑いつつ、古川さんの狂った勢いに圧倒される依藤さん。どれだけ冷静にツッコミを入れようとも、古川さんの徹底した狂いっぷりは止まることが無い。一体、なぜこれほどまでに自信を持って発言することができるのか不思議に思うほど、古川さん演じるキャラクターは突き抜けて狂っている。 ここで初めて、サスペンダーズは明確に『女性と対峙する男性』という設定をネタに取り込んでいる。女性と合コンする前の男の様子から、実際に女性と対峙した場面まで、一つの道筋が出来上がっている。明確な目標が生まれたことによって、それまで落としどころを決めかねているように思えたサスペンダーズのネタが、ようやく一つの着地点を見つけたのではないか、と思うようなコントだった。 何と言っても、女性が合コンに現れてから、最後の絶叫までの流れが最高である。古川さんの演じるキャラクターの狂気が生み出す爆発力が爽快なネタだ。  

2015年2月11日『囚人』 https://www.youtube.com/watch?v=Xi2futAYkcY&t=38s

どちらも囚人であるという設定で展開されるネタである。古川さん演じるキャラクターの狂気がここでも光っている。後半は、少し下品な展開であり、客席からは悲鳴も上がっている。考えあぐねて生まれたネタのように思う。『合コン』で見せた爆発力は無いが、古川さんの狂人っぷりに下品さが加わっている。見る者を選ぶコントである。  

2015年3月12日『BAR』 https://www.youtube.com/watch?v=Z-WR0UypamY

古川さん演じるバーテンダーと、バーに訪れた依藤さんのコント。ワードの面白さを積み重ねてきたサスペンダーズらしいネタである。ここでも、バーテンダーの奇妙さが際立っている。品のあるバーで展開される会話は、女性との別れという普通の内容である。ところが、それに対するバーテンダーの助言が奇天烈で面白い。ある意味では真っ当なのかも知れないが、なかなか受け入れがたい。バーテンダーの奇妙さがオチに繋がって行く面白いネタだ。  

2015年5月12日『手料理』 https://www.youtube.com/watch?v=idM2BfKpk9g

『睾丸の料理にズバ抜けた才能を持つ男』が登場する傑作のコントである。古川さん演じるイカれた料理を作る男と、その料理にことごとくツッコミを入れる依藤さんの姿が最高に面白いネタだ。 前半から後半に至るまで、『睾丸』を軸に様々な面白さが足されている。『合コン』に明確な目標があったとするならば、『手料理』には明確な設定がある。コントの設定を突き詰めて、そこから考えられるワードを次々と生み出していったように感じるネタであり、古川さんの突き抜けっぷりもさることながら、依藤さんのキレッキレのツッコミも面白い。それまでの作品群の流れをさらに推し進め、ギリギリの下品さと、緻密な面白ワードが差し挟まれることによって、徹頭徹尾面白いネタになっている。特に、後半は見事に一段階面白さがあって、それも最高である。 それまでの着眼点の良さを活かし、突き詰めて加速させた素晴らしいネタだ。  

2015年7月12日『お土産』 https://www.youtube.com/watch?v=Gu87y8wBYrY&t=52s

奇妙なお土産を持ってくる古川さんと、そのお土産に苦悶の表情を浮かべる依藤さんのコント。前作『手料理』の流れもあって、小道具の奇妙さにスポットライトが当たったネタである。お土産のディティールの細かさもさることながら、古川さんの奇妙さが際立つネタである。  

2015年8月12日『公園』 https://www.youtube.com/watch?v=gYNLuKewEJo&t=27s

古川さん演じるとても口の悪いおばあちゃんと、依藤さん演じるフリーターでバンドマンの男の会話で始まるコント。古川さん演じるおばあちゃんの巧妙な罠に嵌められたフリーターの依藤さんのツッコミが面白い。これまでのコントでは、古川さんの奇妙さが突き抜けており、どちらかと言えば依藤さんのツッコミは抑えられていた方だった。バランスからすれば、依藤さんのツッコミの割合はそれまで多くはなかった。ところが、『公園』では依藤さんのツッコミがメインになっているように感じられる。大振りだが勢いのあるハードパンチャーのようなツッコミが面白い。静かなサイコパスであるおばあちゃんに、殴りかかるかの如くツッコミを畳み掛ける依藤さんが、後半で怒りと状況説明をスイッチングする場面も面白い。依藤さんのツッコミが光るネタで、オチもおばあちゃんの底知れない強さが感じられて面白い。  

 2015年9月12日『お巡りさん』 https://www.youtube.com/watch?v=LotesF2jpbE&t=150s

童貞の老人と警察官のコント。米寿になっても童貞である古川さん演じる老人の姿が振り切れていて面白い。悲壮感の極致とも言うべき状況設定の中で、暴走する老人と、それを叩き潰す警察官の会話が面白い。老いても性欲の衰えない老人が巻き起こす波乱と、どこまでも冷たいツッコミを放つ警察官の姿がとても面白い。 『合コン』で見せたパンツ一丁キャラクターの変化版とも言うべきか、『女性』が対象となるコントで抜群の面白さを発揮するサスペンダーズ。ここでは、『合コン』のように老人が実際に女性に会うことはない。だからこそ、行き場の無い性欲をどうにかしたいという老人の暴走でフェードアウトしていく。ひょっとしたら、実際にこんなことが起こっているのではないかと思えるほど、リアリティがあって面白い。  

2015年11月12日『甥っ子』 https://www.youtube.com/watch?v=YBBdsbaS6gs

性格があらぬ方向へつ歪みきってしまった甥っ子と、その中学生の様子にツッコミを入れるおじさんのコント。古川さん演じるぶっ飛んだ中学生の奇妙さと、その奇妙さに戸惑う依藤さんの姿が面白い。ぼんやりとだが、『公園』からサスペンダーズは『リアリティ』をコントに付加しているように思う。『フォークソング部』~『お土産』までの古川さんのキャラクターは、どちらかと言えば非現実的なぶっ飛びキャラであり、唯一、依藤さんのキャラがリアリティを持っていた。『公園』以降、依藤さんのツッコミ比率が上がると同時に、コントの登場人物にリアリティが増し、より古川さんの奇妙さと、依藤さんの鋭いツッコミの対比が際立っているように思える。特別な舞台設定では無いからこそ、登場人物の個性に比重を置くスタイルに、キャラの説得力が増したことによって、格段に面白くなっている。 実際、古川さんの演じる甥っ子は、世の中にいてもおかしくない存在である。さすがに鞄に卑猥な本を詰め込んでいるかまでは分からないが、男ならだれもが一度は足を踏み入れたであろうクレイジー・ワールドを嬉々として語る甥っ子。甥っ子という立ち位置だからこそ、気がつかなかった変わりように驚くおじさんの姿。 また一つ、サスペンダーズの変化が感じられる面白いネタだ。  

2015年12月14日『持ち物検査』 https://www.youtube.com/watch?v=htzqXeTx1lI&t=60s

古川さん演じるお坊ちゃまくんのようなキャラと、依藤さん演じる持ち物検査をする体育教師のコント。連作物の漫画の一話を切り取ったようなネタで、古川さんの演じるキャラクターの奇妙さが際立っている。前作『甥っ子』から、キャラの奇妙さ、小道具の奇妙さを推し進めたように感じられるネタで、依藤さんのツッコミは控え目になっている。『甥っ子』と『お土産』を組み合わせたようなネタではあるが、『甥っ子』で見せた一点集中のエロさよりも、呪いに焦点当たっている。後半の着地点まで、サスペンダーズの試行錯誤が垣間見れるネタだ。たった数分間の中でも、サスペンダーズがどこに面白さの力点を置こうとしているのかを知ることができる。『公園』から『甥っ子』までの間で、奇妙なキャラの古川さんと、ツッコミを入れる常識人の依藤さんとのバランス感覚を養っている期間であるように思う。  

2016年1月12日『空き巣』 https://www.youtube.com/watch?v=wevO3yOzcWU&t=12s

依藤さん演じる空き巣に入られた男と、古川さん演じる沖縄の方言がある警察官のコント。先ほどの『持ち物検査』同様に、古川さんのキャラクターが漫画チックで、漫画の一話を見ているようなネタである。奇妙な警察官の頓珍漢な推理と、キレ気味に警察官に突っ込む男の対比が面白い。『公園』で見せた依藤さんのツッコミの切れ味と、『甥っ子』で見せた古川さんの奇妙なキャラとの関係に連なるネタで、それまでのネタの流れを見ると、出来るべくして出来上がっているネタであると感じる。『お巡りさん』では依藤さんが警察官の役だったが、ここでは古川さんが警察官を演じ、さらにボケているという設定になっている。何度も繰り返せないネタなのではないかと思うような小道具もありつつ、口癖のような「なんくるないさー」も緊張感が無くて面白い。 後半に向かって盛り上がって行くスピード感は無いものの、サスペンダーズがキャラと設定、そしてボケとツッコミの比率を調整しているような、試行錯誤が垣間見れる作品である。舞台で披露し、お客さんの反応を見て、サスペンダーズは確かめようとしているのかも知れない。  

2016年2月19日『寿司屋』 https://www.youtube.com/watch?v=zsi_zUsCxcw&t=49s

古川さん演じる寿司屋の店主と、依藤さん演じる客のコント。寿司屋とは思えないほど汚い店主が、やたらと『金玉』を押してくる部分が面白い。『手料理』で掴んだ『睾丸一点集中』から派生し、客席ではツボに入ったおじさんの笑い声が力強い。下ネタ系に走りつつ、後半では意外と穏やかに物語が進む。寿司屋を舞台にしたコントと言えば、サンドウィッチマンのネタが真っ先に浮かぶが、サスペンダーズの場合は『睾丸一点集中』からの『ミシュラン』へと繋がって行く。意外と店主の言葉をすんなりと受け入れる客の依藤さんと、ひたすらに下品さと独自の考えで押す古川さんの対比が面白いネタだ。  

2016年3月13日『保護者面談』 https://www.youtube.com/watch?v=2lOfRFcIFVo

古川さん演じる変態教師と、保護者面談をすることになった依藤さん演じる父親のコント。古川さん演じる教師の変態っぷりが序盤から炸裂し、全体を通して変態を加速させている。保護者の依藤さんもキレてはいるのだが、意外と話を聞いてあげるというスタンスが面白い。一歩も引かない変態キャラの古川さんと、それにキレつつもツッコミをする依藤さんのスタイルが確立されている。  

2016年8月14日『保健室』 https://www.youtube.com/watch?v=yD8vGW00D2Q

古川さん演じる保健室の先生と、依藤さん演じる生徒のコント。どこまでも突き抜けた保健室の先生を演じる古川さんの姿に狂気を感じつつも、キレながらツッコミ続ける依藤さんの姿も面白い。治療に絡めた様々な小道具もさることながら、『東洋医学』という言葉がもたらす謎の説得力。保健室の先生の狂気を感じさせる面白いコントだ。しっかりと下ネタも絡めつつ、西洋医学に対する嫌悪を爆発させる場面が最高である。依藤さんのツッコミも冴えわたる面白いネタだ。  

2016年9月16日『生徒の趣味』 https://www.youtube.com/watch?v=wcC5GdX5zLc&t=35s

古川さん演じる女装癖のある学級委員長と、依藤さん演じる先生のコント。真面目だった生徒が、いきなり女装癖があることを暴露し、女装癖に対する理論武装まで完璧であるということの面白さと、女装をしつつも学校のことは真面目に取り組むという姿勢があるのも面白い。ここでは、奇妙さというよりも、女装を論理的に説明しているが故に、真っ当であるように感じられる部分があって面白い。依藤さん演じる先生も戸惑いながらツッコミを入れつつ、古川さん演じる女装した生徒の勢いに押されていく。 古川さんの女装だけでも面白いネタだ。 『保護者面談』から『生徒の趣味』まで、学園モノのコントが三作連なっている。『フォークソング部』から、殆ど学園系のネタはアップされていなかったが、ここに来て三作も増えている。初期サスペンダーズのネタには、古川さんの狂気を持ったキャラと、依藤さんの真っ当な常識を持ったキャラの対比が多く見られる。徐々に、古川さんの狂気キャラにリアリティが増している感じがして面白い。  

 2016年10月16日『募金』 https://www.youtube.com/watch?v=Jfjc3N81uNc

他人の庭で募金をする古川さんと、庭で募金活動される依藤さんのコント。 強烈な理論を武器に依藤さんの庭で募金活動する古川さんの狂いっぷりと、鋭い伊藤さんのツッコミが面白い。一聴すれば真面目に聞こえる古川さんの募金理論だが、チラチラと垣間見せる狂気が絶妙に笑いを誘っている。結局、古川さんの勢いに押されて募金してしまう依藤さんの勝ち組っぷりも面白い。  

 2016年11月15日 『迷子』 https://www.youtube.com/watch?v=XCnP6HNcQfw

善意から迷子の古川さんを助ける依藤さん。そんな依藤さんが厄介ごとに巻き込まれるコント。依藤さんが放つ普通の言葉に対して、ことごとく飛躍した理論に結び付けて発狂する古川さんの姿が面白い。どこまでも狂い咲く古川さんの見事なワードセンスと、切れ味鋭い依藤さんのツッコミが冴え渡る快作。  

2017年2月1日 『先生の謝罪』 https://www.youtube.com/watch?v=KKqjtflRpjw

冒頭は単なる謝罪の一場面かと思いきや、謝罪を要求する依藤さんに対して、謝罪する側の先生である古川さんのパワーワードが炸裂するコント。理論を飛躍させ、徹底的に自分以外に責任をなすりつける古川先生の姿が面白い。畳み掛けられるパワーワードが放たれるたびに笑ってしまう。ひょっとすると、コロナ禍の中でこのコントに登場するような先生が現れてしまうかも知れない。いやいや、今もう既に、あなたもこのコントに出てくる古川先生のパワーワードを放っているかも知れない。 意外に社会的で、先進的な言葉が軸になっている可能性に満ちた爆笑必死のコントだ。  

 2017年2月10日 『僕を入れてください』 https://www.youtube.com/watch?v=5Ixm7LC3FaE

後にも先にも「〇ー〇〇〇〇ーの殺し方じゃねぇか」という歴史的なツッコミが放たれるコント。この一言のためにあると言っても過言ではないコント。  

 2017年3月26日『神社』 https://www.youtube.com/watch?v=pzLRKbRcVtc

古川さん演じるやべぇ神主と、絡まれた依藤さんのコント。神主のトンデモ理論に切れながらも、押し負ける依藤さん。後半で自分の欲望をぶちまける神主さんの必死さが面白い。  

 2017年5月26日『雑誌記者』 https://www.youtube.com/watch?v=NX4D-PmV7Zw

スクープ記者の古川さんと編集長の依藤さんのコント。冒頭は普通の会話劇かと思いきや、ある雑誌の登場から急転直下で爆笑ネタが繰り出される。 雑誌の雰囲気と、スクープ体質な古川さんのミスマッチ感が面白い。  

 2017年6月29日『いじめ』 https://www.youtube.com/watch?v=bYNVnPz2Fkk

いじめを逆手に取る古川さんと、そんな古川さんに戸惑う依藤さんのコント。 いじめられることをスキルアップと答える古川さんのメンタルが面白い。 いじめをテーマに謎理論を展開し、ダークサイドへと落ちて行く古川さんの企みが後半に向かって加速していく様子が面白い。  

2017年7月29日『出待ち』 https://www.youtube.com/watch?v=Ue5MQi7CGfA

変わった趣味を持つ古川さんと、そんな趣味を持つ人間に絡まれる依藤さんのコント。まかり間違えば、古川さんのような人間になってしまっていたかも知れない。今や宇佐美りんさんの『推し、燃ゆ』が芥川賞を取っているが、ここにも、一人の推しに対して強烈に熱狂する古川さんの狂気がある。時代を先取りした着眼点の光るコント。 後々、もっと注目されるかも知れないセンスあるコントだ。  

2017年8月31日『寄付』 https://www.youtube.com/watch?v=834mY-0XJRM

真人間の依藤さんに対して、捻くれまくった古川さんの姿が面白い。ありそうでなかった設定のコント。ボランティア団体から苦情が来るかも知れないが、ある意味で裏面を見事に切り取ったコントと言えるかも知れない。表面上は嬉しさを見せ、それが当たり前かのように思われるが、このコントでは徹底的に善意に対して反抗する。このパンクな面白さが、コントという世界だからこそ輝くのだろう。後半、依藤さんの絶叫がめちゃくちゃ面白い。  

2017年11月27日『おじいちゃんの家』 https://www.youtube.com/watch?v=0g_CjrEjgXo

孫とおじいちゃんの作り上げられた理想の関係性を見事にぶち壊すコント。とある趣味に強烈に熱中するおじいちゃん(古川さん)と、おじいちゃんと遊びたい孫(依藤さん)の対比が、一筋縄ではいかない関係を構築している。 強い理論で徹底的に孫の思いを切り捨てるおじいちゃんの姿が爽快なコントだ。  

2017年12月29日『転校生』 https://www.youtube.com/watch?v=okOUslsgaIc

このコントの冒頭に放たれる「もーちゃん」という言葉、そして、次の「ハカセ」という言葉で、僕の世代なら間違いなく『ズッコケ三人組』を連想するだろう。「もーちゃん」、「ハカセ」と来たら、次は「ハチベエ」しかない。僕も小学生の頃、『ズッコケ三人組』にハマって、自分をハチベエと呼ばせ、太っている友達をもーちゃんと呼び、頭のいい眼鏡の友人を博士と呼んでいた。懐かしい記憶の蘇るコントだ。 だが、『ズッコケ三人組』を知らない人は何のことか分からないかも知れない。 このコントには、共感する部分が多い。小学生の頃、僕にとって理想の小学校生活は『ズッコケ三人組』だった。雷が来たら車に逃げ込んだり、トイレで読書したり、そういう一つ一つの出来事が、当時の僕にとっては理想だった。 だから、このコントでハチベエになろうとする古川さんの姿はそのまんま僕自身である。なるほど、僕がサスペンダーズを好きになったのは、こういうところにあるのかも知れない。自分と似たようなルーツにシンパシーを感じたのだろう。 もし、幼い頃に『ズッコケ三人組』にハマったことのある人なら、きっと爆笑間違いなしの、素晴らしいコントだ。  

2018年2月28日『跡取り』 https://www.youtube.com/watch?v=KUHghtcUNEQ

とある館の主人である古川さんと、その跡取りにさせられそうになる依藤さんのコント。ちょっと卑猥なので、ノーコメントで。  

2018年3月24日『虚無僧』 https://www.youtube.com/watch?v=JXZksSNNWqE

虚無僧の古川さんと、虚無僧に絡まれる依藤さんのコント。依藤さんの切れ味鋭いコントがキレッキレで、依藤さんのツッコミ特集とも呼ぶべきパワーワードが炸裂する。虚無僧の見た目もさることながら、徹底的にハードパンチャーな依藤さんの魅力が光るコントだ。  

2018年4月1日『料理長』 https://www.youtube.com/watch?v=G_9mIYVWGLg

『虚無僧』のコント辺りから、依藤さんのツッコミにウエイトが乗っているように感じられる。狂った古川さんのキャラクター設定はそのままに、ボケを受けた依藤さんが返すツッコミのパワーと切れ味が凄い。ナチュラル・クレイジー・キラーな依藤さんの真っ当さが火を噴き始めたのかも知れないと感じさせるコントだ。  

2018年4月1日『亡き友人』 https://www.youtube.com/watch?v=XgKVWPeV4Yw

狂ったパワーを爆発させる古川さんと、そんな狂人のパワーを物ともせずにバッサリと斬る依藤さんのコント。互いに一歩も引かない光景は今となっては珍しいように思えるレアなコント。パワーバランスが五分五分の関係性の中で、ボケとツッコミがバチバチにぶつかり合う様子は、まるで白熱したボクシングの試合のようだ。それでも、徹底的に切り捨てる依藤さんに軍配があがる。依藤さんの片鱗が徐々に現れ始めた成長性の見えるコントだ。  

2018年5月6日『おじいちゃん』 https://www.youtube.com/watch?v=9LsifuEocd4

『おじいちゃんの家』で見せた関係性の数年後の話だろうか。酷いトラウマに悩まされるおじいちゃん(古川さん)と、そんなおじいちゃんに振り回される孫(依藤さん)のコント。とある番組を徹底的に批判するおじいちゃんの様子が最高に面白い。依藤さんのツッコミはなりを潜め、徹底的におじいちゃんの狂人っぷりが爆発する。 とある番組を知らなかったら何のことか分からないかもしれないが、もはや知らない人はいないほどの番組なので、安心して笑えるだろう。  

2018年7月18日『放課後』 https://www.youtube.com/watch?v=G6GUfuTlY4s

凄い変態な古川さんと、そんな変態に絡まれる依藤さんのコント。 古川さんの狂人っぷりは相変わらずで、前作『おじいちゃん』同様に、徹底して狂っている古川さんの様子が面白い。そんな古川さんに堪らず絶叫する依藤さんのツッコミも面白い。古川さんの欲望全開な聞く人を選ぶコントだ。  

2018年9月25日『バスケ部顧問』 https://www.youtube.com/watch?v=XPKkcEGPS4w

古川さんの変態性が推し進められたコント。とある映画をきっかけに、凄まじい方向に進んでいく古川先生と、そんな先生に振り回される依藤さんの様子が面白い。 前作でコツを掴んだのか、下ネタに振り切れたサスペンダーズのコント。僕は大好きなのだが、聞く人を選ぶコントだろう。男子が夜中にこっそり聞いて大爆笑するようなコントだ。  

2018年10月5日『校長の挨拶』 https://www.youtube.com/watch?v=ETH6VzNYFTU

知っている人なら知っている『すべらない話』を自らのネタとして披露する校長先生(古川さん)と、それに気づく依藤さんのコント。校長の苦悩が垣間見える。冒頭の爆発力が凄いコント。  

2018年12月15日『サークルの勧誘』 https://www.youtube.com/watch?v=z1CttUgU4M8

サークルに勧誘する依藤さんと、狂人古川さんが出会うコント。不潔なキャラクターが持論を展開し、それに振り回される依藤さんの姿が面白い。  

2018年12月26日『喫煙』 https://www.youtube.com/watch?v=05pWmpghHGc

サスペンダーズのコントの中では珍しい、youtubeを見る限りでは唯一?と言ってもおかしくないほど、小道具が光るコント。小道具の奇妙さにただただ笑ってしまう不思議なコントだ。この小道具が一体何なのか、最後まで明かされないところが最高に面白い。  

2019年2月15日『前澤社長 新企画』 https://www.youtube.com/watch?v=KqiHmKDyrYc

今やTwitterで『お金配りおじさん』として認知された前澤社長に焦点を当てたコント。なぜ前澤社長なのかという着眼点もさることながら、人間らしい前澤社長を切り取った面白いコントだ。特に後半の「月に行く」という話題も「剛力彩芽の件」も、そういえばそうだったな~と思わされるメモリアルなコントだ。今やフォロワー全員にお金を配ると言い出した前澤社長。一体このムーブメントはどこへ行ってしまうのだろうか。  

2019年3月12日『女子だけの特別授業』 https://www.youtube.com/watch?v=jf_gZ__PvBs

ついにサスペンダーズの真価が発揮された記念すべきコント。ここから、とんでもないスピードで進化するサスペンダーズの凄まじさたるや筆舌に尽くしがたい。古川さんのキャラクターと依藤さんのキャラクターが絶妙に混ざり合い、唯一無二とも呼べるサスペンダーズ節の、最初の一歩であるコントだ。 2019年になってから、一体何があってこのスタイルを獲得したのか。この1ヶ月の間に、サスペンダーズに何が起こったのか。とても気になる。 それほどに、このコントは強烈に面白い。何より、古川さんの気持ち悪さがとてつもなくコントの中で効果を発揮しているし、依藤さんの真人間っぷりもブレない。 それまでのコントから、どんなきっかけがあれば、これほどに面白いコントが生み出せるのだろうか。 2019年以降のサスペンダーズのコントは、凄まじい勢いで面白さを増していく。少なくとも、僕はそう思った。  

2019年4月14日『サークルクラッシャーhttps://www.youtube.com/watch?v=6-RRQhemGV4

イケイケの依藤さんと、めちゃくちゃモテない古川さんとのコント。 これがもう、死ぬほど笑える。 古川さんのやるせなさが爆発し、怒り狂う場面は最高である。 コントの設定もさることながら、依藤さんのイケイケっぷりと、古川さんのどうしようもなく行き場の無い怒りのツッコミが爆発している。 どうしてこんな面白いコントを急に生み出せるようになったのか。 それまでは、狂人古川と真人間依藤という設定が多かった中で、ここに来て、どうしようもない劣等感の塊である古川さんと、そんなことを一切考えない勝ち組依藤さんの構図が絶妙に笑いを生み出している。もはや十八番とも言える二人の関係性を、サスペンダーズはこのとき、どう考えていたのだろうか。このスタイルを得るまでに、3年近くが経っている。3年の時を経て、爆笑のスタイルを生み出したサスペンダーズに、僕はただただ笑うしかない。こんなに面白い設定を生み出し、独自のやるせなく、行き場がなく、どうしようもない気持ちを吐き出すツッコミを生み出した二人の奇跡のようなコント。  

2019年5月14日『復讐のバーベキュー』 https://www.youtube.com/watch?v=iCqbXgkIt44

もはや向かうところ敵なしのサスペンダーズのコント。狂人古川の狂人っぷりに、劣等感が加わり、怒りをぶちまけて困惑する古川さんの放つ言葉の面白さが、とんでもなく進化している。まるで答え合わせかのように、古川さんの哀しみの絶叫ツッコミが笑わずにはいられない。こんなに面白い古川さんの姿と、依藤さんのツッコミに笑わない方が無理である。これをどう表現したらいいのか分からない。この面白さにふさわしい言葉が分からない。 とにかく面白いのである。2019年から桁違いに観客の爆笑度合いが増している。一体、サスペンダーズに何が起こったのか。  

2019年6月13日『修学旅行班決め』 https://www.youtube.com/watch?v=UTqkLodRHro

水を得た魚のように、縦横無尽に怒りのツッコミを爆発させる古川さんと、そんな古川さんを完膚なきまでに叩きのめす勝ち組依藤さんの対比が、最高に面白くて、腹が捩れるほど笑ってしまう素晴らしいコント。腹立たしいほどに面白い設定もさることながら、古川さんの放つ自意識が肥大した究極のツッコミに、もはや顎が外れるかと思うほど笑ってしまった。 もはや聞いて、笑ってもらうしかない。サスペンダーズの最強コントである。  

2019年7月16日『サプライズ誕生日パーティーhttps://www.youtube.com/watch?v=y6vbR2F_Spw

もうさぁ、なんでこんなに面白いコントを生み出せるんだよって、嫉妬するくらいに面白いコント。こんな設定のコントはサスペンダーズにしか生み出せないし、これを面白く出来るのはサスペンダーズ以外にありえないのではないだろうか。それまでの誰もやって来なかった部分を、見事に抉り出して観客に差し出して見せるサスペンダーズの二人に、見る者は笑うしかない。古川さんのどうしようもなさと、依藤さんの勝ち組オーラにひれ伏すしか無い。これほどまでに面白いコントは、語るよりも見て笑ってもらった方がいい。2019年からのサスペンダーズに関しては、もう、見て笑い死んでくれとしか言えない。面白すぎる。異常なほどに面白い。  

2019年8月14日『教育実習生』 https://www.youtube.com/watch?v=6oHZmn0iONA

自分で自分にツッコミを入れる古川さんの箍の外れた強烈な面白さと、真人間依藤さんの芯の強さが激突するコント。もう暴れ狂うかのごとく自らにツッコミ続ける古川さんの姿が最高である。2018年までのコントは、狂人古川さんが自分に突っ込むことは無かった。大体のツッコミは依藤さんが担っていた。ところが、2019年以降に、古川さんがボケて、さらにボケたツッコミを自らにすることによって、古川さんの劣等感が加速し、同時に、そんな劣等感の塊に対して、理解できないという態度を示し、それによって圧倒的な優等生感、勝ち組感を放つ依藤さんのキャラが深まり、もはや日常生活と地続きと思えるような二人の関係性が、コントにまで染み込んできた最高の作品である。 細部までこだわりを持ち、配慮しまくる古川さんと、勝ち組故に何をやっても成功してしまう依藤さんのスーパー感の差が、絶妙に面白い。これは、二人のYoutubeチャンネルを見ている人ならお分かりいただけるだろう。依藤さんはとにかく、勝ち組オーラが凄いのだ。  

2019年9月12日『留年生』 https://www.youtube.com/watch?v=sD9qtSIpLbg

学校を題材にしたコントで、これほどまでに面白いコントを僕は見たことが無い。ここでも、劣等感の塊となった古川さんと、圧倒的に恵まれた得体の知れない優位性のある依藤さんとの対比があって、めちゃくちゃに面白い。古川さんの背負う業に対して、古川さん自身が自問自答し、憤慨する姿がめちゃくちゃ面白い。 物凄くねじ曲がってしまった古川さんのパンクっぷりと、依藤さんの『努力しなくても友達ができてしまう感』の対比が、もう最高以外の何物でもない。 もはや、この状況にふさわしい言葉が見当たらない。『やるせなさの爆発』としか言いようがない。僕はそれ以外の言葉を見つけることができない。『やるせなさの爆発』こそ、サスペンダーズの面白さの真ん中にある気がしてならない。 もっとふさわしい言葉を見つけるために、僕はサスペンダーズのコントを見続けたいのだ。  

2019年10月12日『タイムカプセル』 https://www.youtube.com/watch?v=s2rr5SuebiU

教室の仲間とタイムカプセルを埋めるというどうしようもないイベントを、これほどまでに面白くできたのは、サスペンダーズの他にいない。断言できる。こんなに面白いコントを生み出せるのはサスペンダーズしかいない。古川さんの『やるせなさの爆発』と、そんな爆発を片手で捻りつぶしてしまう圧倒的なパワーを持った依藤さんの姿が面白い。依藤さんの真人間さと古川さんのひねくれ具合が絶妙な相乗効果を生んでいる。 これももはや見てもらう方が早い。僕がいくら言葉を紡ごうと、サスペンダーズの面白さはその数千倍もあるのだ。百聞は一見に如かず。見て大笑いして呼吸困難になってしまえばいいのだ。  

2019年11月15日『占い』 https://www.youtube.com/watch?v=mEGq9zs6CPg

そこを切り取ってきたのか!!!!という凄まじいまでの着眼点と、その着眼から一つも面白さを取りこぼさず、徹頭徹尾面白いという完璧なコント。 床に転がってしばらく笑い転げ、酸素を求めてしまうほどに大笑いできる作品で、どれだけコント作りで練られたのかは分からないが、ことごとく展開が面白く、サスペンダーズのコント作品の中でも、五本の指には入るであろう屈指の爆笑コント。 路上の占いをコントにし、ここまで面白くできるサスペンダーズの才能に脱帽する。尻の毛まで震えるほど笑ってしまう最高のコントなので、見る人は注意しよう。  

2019年12月12日『バウムクーヘンの試食』 https://www.youtube.com/watch?v=HwhIVNGZnBM

もはや向かうところ敵なし。サスペンダーズの切り取る世界が面白くて面白くて仕方がない。一体、どんな風に生きていたら、この場面をコントにしようと思いつくのか。一体、どんな生活をしたら、こんなに面白い古川さんが生まれるのか。もう、どれだけ頭を働かせても、このコント設定を生み出した発想と、そこから怒涛のごとく展開する爆笑のストーリーに笑うしかない。むしろ、頭を働かせる隙もない。目の前で繰り広げられる光景に、もう笑うしかない。気がつけば笑っているのだ。北斗神拳じゃないけど、「お前はもう、笑っている」という瞬殺のコント。 いやぁ、それにしても、マジでなんでこれをコントに出来るのか。。。 サスペンダーズの見つめる世界は、面白さに満ち溢れている。  

2020年1月15日『チューリップ』 https://www.youtube.com/watch?v=f9f9I4sODG0&t=2s

思わぬアクシデントから、依藤さん演じる生徒にめちゃくちゃ詰められ、精神が崩壊していく古川先生のコント。古川先生の崩壊っぷりもさることながら、古川先生を疑い、ピュアな暴力を炸裂させる依藤さんの姿も面白い。 これも、どんな発想でこれをコントにしようと思ったのか。本当に凄い。こんなの普通、思いつかない。日常の、ほんの些細なアクシデントを、極限にまでブーストさせてしまう古川さんの業。そしてその業に対して徹底的に詰め寄る依藤さんの業。業と業のぶつかり合い。この二人だからこそ、面白く出来る最高のコント。 古川さんの人と成り。性格。クズっぷりを全て把握しているど真ん中人間依藤さんの言葉が、痺れるくらいに面白い。追い込まれ、焦りながらも、必死に言い訳してドツボにハマっていく古川さんの姿も最高に面白い。 最高なんだよ。もう最高なんだサスペンダーズは。  

2020年2月25日『レゴブロック』 https://www.youtube.com/watch?v=gS7Kta-DHPo

前作『チューリップ』同様、思わぬ勘違いから、負のスパイラルに陥って抜け出せなくなる古川さんと、勘違いなのだが突き進んで一歩も引かない依藤さんとの対比が最高のコント。古川さんのどうしようもない勘違いのされっぷりと、もはや勘違いしたまま、疑いの余地もなく古川さんを否定しまくる依藤さんの姿が面白くて仕方がない。 ただ生きているだけで、あらぬ勘違いをされてしまう古川さんの背負う業の深さが見事に発揮されためちゃくちゃ面白いコントだ。  

2020年7月15日『回転寿司』 https://www.youtube.com/watch?v=vyzCsTiMJhI

古川さんの駄目っぷりがエスカレートするとともに、依藤さんの真人間っぷりも磨きのかかった最高のコント。出だしから古川さんの駄目っぷりが発揮され、もはや『ダメ人間古川のジェットコースター』と言っても過言ではないくらいに、ずっとダメダメな古川さんが面白いコントである。ダメさに説得力を生み出す古川さんの様子が最高であるのと同時に、真っ当さに説得力を生み出す依藤さんの様子も最高である。なんなんだこの二人は。最高かよ。こんな最高の二人を僕は他に知らない。まさに、時代が生み出し、神がめぐり合わせた最高の二人。それがサスペンダーズであろう。 2019年まで、ずっと狂人を『演じてきた』古川さんが、2019年以降、逃れようのない自分のダメ人間っぷりに向き合い、それがコントに染み込んで昇華された。そして、ずっと真人間であり、ずっと古川さんに寄り添って古川さんを注意し、正してきた依藤さんの真っ当さがそのまんま成長し、コントに染み込んで昇華された。 生まれるべくして生まれた二人だけの、唯一無二のコント。 こんな面白いコントを作るサスペンダーズに、2020年に出会えた僕は幸運だった。 こんな凄い二人を、僕はもう見逃せないのだ。  

2020年8月19日『お土産』 https://www.youtube.com/watch?v=6z4rSCWTX0Q

全てが裏目に出てしまう古川さんと、裏目に出た行動をすべて叩き潰す依藤さんのコント。自分ツッコミの鋭さが増した古川さんと、どこまでも古川さんを追い詰めてしまう依藤さんの姿がおもしろい。依藤さんの追い詰め具合には悪気がなく、非の打ちどころがないほどド正論であるところも面白い。古川さんのどうしようもない性格が見事に発揮された最高のコントである。  

2020年9月15日『知恵の輪』 https://www.youtube.com/watch?v=q5LuogRLogE

これについては、以前こちらに書いた   なぜサスペンダーズの『知恵の輪』は素晴らしいコントなのか - 落語・講談・浪曲 日本演芸なんでもござれ  

2020年11月16日『お弁当選び』 https://www.youtube.com/watch?v=p4wJvpf_ByY&t=83s

とんでもない機会損失をした古川さんと、栄光を味わい続ける依藤さんとのコント。何の気なしの行動によって、輪から外れてしまった古川さんの言葉の一つ一つがめちゃくちゃ面白い。状況説明と同時に、自分自身に言い聞かせるかの如く放たれる古川さんの自分ツッコミと、そのツッコミをどこまでも素知らぬ顔で過ごす依藤さんとの対比が、古川さんにとって惨すぎるゆえに、めちゃくちゃ面白いコントだ。 この着想もさることながら、ストーリーテラーとなった古川さんの淡々と状況を認識して受け入れていくツッコミが最高に面白い。古川さんの面白さがとんでもない。同時に、そんな古川さんに対して、輝かしい時間を享受した依藤さんの勝ち組感もえげつない。単なる『お弁当選び』の場面なのに、こんなにも格差を感じさせ、面白いコントが他にあるのだろうか。サスペンダーズは最高である。。。  

2021年2月16日『教育実習生』 https://www.youtube.com/watch?v=9xajnAWWZms

現時点で最新作のコント。依藤さんの凄まじいまでの優等生感。そして、その優等生感に信じられない程劣等感を抱く古川さんの姿がめちゃくちゃ面白い。生み出すコントの全てが面白い。古川さんのダメっぷりが最高で、後半、壊れたロボットのようになる古川さんの姿が最高である。 この二人の言いようの無い差も、面白さの秘密なのかも知れない。 一つ、この前に上がっていた動画で、素晴らしいものがあったのだが、見れなくなっていた。およそ全てを網羅できていると思うが、これでサスペンダーズのコント解説は以上である。    サスペンダーズの黄金時代が来る 僕はサスペンダーズがたまらなく好きだ。 2020年の3月にグレイモヤで、サスペンダーズの『ペイチャンネル』のネタを見て以来、もう心の底からサスペンダーズが好きで好きでたまらない。 コロナによって、サスペンダーズの面白さは、サスペンダーズの凄さは、さらに凄まじくなっていった。今はもう伝説?のハクナ配信。相変わらずの力関係で配信されるYoutube。どこをどう切り取っても、こんなに面白い二人組を僕は知らない。 だから、僕は力になりたいと思った。 こんなに素晴らしいサスペンダーズの二人を、世間が知らないのはおかしいと思った。正当に評価されて然るべきだと思った。音楽で言えば、The Smithみたいな二人組なのだ。それまで、誰も切り取って来なかった分野。それまで誰も見て来なかった分野。それまでの誰も、コントに出来なかった分野をコントにし、そして、信じられないほどの面白さで客席を爆笑の渦に巻き込む。 それがサスペンダーズなのだ。 もう一度言う。 それが、サスペンダーズなのだ。 古川彰悟と依藤昂幸の二人が生み出すコントが、 僕は必ず、それまでコントというものに面白さを感じなかった人をも虜にする。 僕は確信している。サスペンダーズの生み出すコントは、それまでのコントでは見たことのない世界だ。テレビを探しても、路地裏を探しても、空を探しても、天国を探しても地獄を探しても、どこにもない。 サスペンダーズの二人が舞台に立ち、コントをする。 その瞬間にしか無い。最高に輝いた世界なのだ。 だから、僕は多くの人に見て欲しいと思っているし、いずれは多くの人が見るだろうと確信している。 優れた才能を持ったサスペンダーズの二人は、絶対に見逃されない。 きっと、お笑いに携わる人ならば、誰でもサスペンダーズの二人の面白さに気づいていると思う。誰も言葉にしないなら、僕が言葉にしようと思った。 面白いのだ。サスペンダーズは、とてつもなく、唯一無二なのだ。 同時に、これからサスペンダーズがどんな進化を遂げるのか。 僕はそれが、たまらなく楽しみでならない。 まだまだこの二人から眼を離すことなんてできない。 この記事を読んで、あなたがサスペンダーズにドハマりして、 明日から劇場に突撃してくれたら嬉しい。 それが、僕の願いである。

立つ腹を寝かせて眠れ~2021年2月14日 渋谷らくご14時回~

  ALL BRIGHT
昨日の夜に大きな地震があった。それで、目が覚めた。
すぐに家族のグループラインで、両親から「大丈夫?」のラインが来た。
眠かったので、竹内力のパワー全開のスタンプで返した。
弟だけ返事が来なかった。まさか死んではいるまい。
朝になって「大丈夫だよ」と弟のライン。
大丈夫だとは思っていたが、少しだけホッとするのはなぜだろう。
目が覚めて、一通りの経済情報をチェック。Fleetをあげて、Spoonでキャストをあげて、服を着替えてジムに行った。背中を鍛えたくて、ずっと懸垂をやっていた。
まるっきり生活が変わったと言えば変わった。使う先の無いお金は全て投資に使い、暇な時間は英語と金融の勉強。もっと暇な時はSpoonでキャストをあげるかFleetをあげるか、チャートを眺めている。お金を稼ぎたいという欲については、散々書いてきているので、今更書かない。

気分屋なので、お洒落をしてシブラクに行こうと思った。

 

お気に入りの香水と、お気に入りのアクセサリーを身に付けて、シブラクへ。
相変わらず、SNSの世界はクサクサしていた。
渋谷の街は、それほどクサクサしているようには見えなかった。
以前、どの駅だったかは忘れたが「コロナは茶番」という看板を掲げた連中を見た。
ああいう連中ほど、すぐに死ぬのだろうなと思った。
世界中で毎日何万人という人が感染し、死んでいたりするのに、それを『茶番』と言えてしまう人の考えが分からなかった。
分からないだけで、攻撃しようという気にはならなかった。
大体において、僕は攻撃をしようとは思わない。
やたらと、匿名を盾にして人を責める人がいる。
みんな、攻撃したくてしたくてたまらないのだ。
そんなに攻撃したいなら、身近な人をぶん殴りでもすればいいのに。
そんなに攻撃したいなら、上司でもなんでも、気に入らないものに、

唾を吐いてしまえばいいのに。誰もそうしない。
ただただ、言葉を吐いて、自分が傷つかない位置で攻撃をして、
それで満足してしまう。なんとも、お暇な人たちだと思う。

まあでも、こういうコロナ禍にあると、何かと誰かを責めたくなるのかも知れない。
それは一体どうしてなのかと思うと、きっと気に入らないからだろう。
なんだか無性に気に入らないから、責めたくなる。
自分の正しさを主張して、相手の間違いを指摘しなければいられない。
それもまた、仕方のないかもしれない。
誰もが自分だけの正義を振りかざして、人を守ったり、人を傷つける。
誰も傷つけずに生きることはできるだろうか。
僕は出来る。そう信じているから。

渋谷の街には、ずっと愛がある。
行き交う男女の愛がある。
くだらなくても愛がある。
どうしようもない愛がある。
なんだか僕は、それが、

どうしようもなく愛しい。

 

 春風亭昇也 壺算

新年一発目の落語は、春風亭昇也さんの『壺算』。少し硬い雰囲気の中で、朗らかな昇也さんの心地よいリズム。語り口の滑らかさ。ちょっと緊張されているのかも知れないと思いつつ、ぼんやり聞く。
勘定を間違えてしまうことって、良くあるよね。
この時期、あんまり古物商とか飲食店とか儲かってないのかも知れないけど、
こうやって、お客と店員が仲良く微笑ましく、値引いたりして、

安く物を買える光景が、日常になるまであとどのくらいだろうかと考える。

 立川談修 夢の酒

お初の談修さん。談吉さんのお師匠さん。素朴な人という印象。
質素な落語の中に、端正な人物の描き分けがされていて軽やか。
 隅田川馬石 金明竹

お久しぶりの馬石師匠は、以前に見たときよりもさらに『不思議な人感』が増している気がした。マクラからとんでもなく「不思議な人だなぁ」という感じがして、会場にいたお客さんも全員、「なんか変な人だぁ」という感じで、めちゃくちゃ笑っていた。
いつ見ても、お餅のようなくちゃくちゃっとした雰囲気と、弾力性のある語り口が馬石師匠の個性な気がして、僕はそれがずっと気持ちが良くて好きだ。ガムを噛んでいたら、色んな味を感じられるような不思議な体験ができる。
金明竹に出てくる登場人物の一つ一つの動作も面白い。頭クルクル。覚えようとしてない。機転。膝を叩く。僕は馬石師匠の独自のリズム感と空気感のある金明竹がたまらなく好きだ。寄席だと短縮バージョンになったりするが、フルで聞く金明竹はいつ聞いても良い。馬石師匠の個性が爆発している。
コロナだとか、地震だとか、そんなの一切関係なく、馬石師匠が馬石師匠であるということの、底抜けの明るさが気持ちいい。世の中でやたらと文句を言い合う人なぞどこ吹く風で、ただただ自分の好きな世界に浸って没頭して笑っている人。そんな馬石師匠の存在の温かさに、僕はただただホッとする。

 古今亭文菊 天災

震えるほどのネタ選びのセンス。

天災をやると分かった時に、

僕の全身に何かが走って、血が滾って、体が沸騰するのが分かった。
ああ、凄い。

ああ、すげぇなぁ。
本当にすげぇわ。

と、ただただ頭の中に言葉が響いた。
去年からのコロナも、昨夜の地震も、全てを『天災』という落語に込めて、
とーんと会場にいる皆さんに受け渡して、染み込ませてしまうのが、
古今亭文菊師匠だと僕は思う。
僕は感じたのだ。文菊師匠が『天災』を選んだ意味を。
本当は意味なんてないのかもしれない。
意味を求めることさえ、意味のないことかもしれない。
でもさ、やっぱり僕は言いたいんだよ。
この世の中でさ。色んな人がコロナ禍で言い合いをしてる。
誰それは不謹慎だ。誰それは間違っている。誰それが正しい。即刻行動しろ。
ありとあらゆる心無い言葉が飛び回って、心がささくれだって、
何かがあればすぐに腹が立って、乱暴に誰かを傷つけてしまう。
でも、ふと立ち止まって考えてみたら、自分ではどうすることもできない。
地震は予測できても、完全に止めることはできない。
コロナだって、予測はできても、完全に対策を打つことはできない。
どうすることもできないものに対して、どうしても怒りたくなる。
もっと早くできないのか。なんて無能なんだ。日本は終わりだ。日本人はダメだ。
そんな言葉に埋め尽くされて、誰かを傷つける。
貧しさでどうしようもなく、人を傷つける人だっている。
文句、文句、文句で埋め尽くされる。
でも、結局、そんなことをしても世間は変わらない。
文句だけじゃ、世間は変わらない。
するべきことはただ一つ。自分の意志をきちんと示して行動することだけ。
否定をするのではなくて、より良い方向に進むために話し合わなければならない。
自分の正しさをぶつけ合うのではなく、相手と話し合って何が正しいかを決めなければならない。だからこそ、大勢の人々が意志を示して話さなければならない。
岩も集まれば、川の流れを変えられる。
葉も生い茂れば、風の流れを変えられる。
どんなことも、自分の意志をきちんと示せば、必ず流れは変わるのだ。
良い方向とは何かを、今一度僕たちは考えなければならない。
その上で、日本に留まるのか、それとも海外に出るのか。
それは全てあなた次第だ。

『天災』に出てくる八五郎は、ベニラボウ・ナマルの言葉によって心を入れ替える。
今の時代に求められるベニラボウ・ナマルを、僕は自分の心に持ちたい。
そして、あなたのこころにもベニラボウ・ナマルが生まれることを願う。
全ては天の災いと思って、諦めるしかない。
そして、必ず時が来たら自分の意志を示す。僕はそう心に決めている。
八五郎が「てんせぇ」というと、『転生』に聞こえる。
どうしようもない災いの中で、多くの人が心の転生を体験したんじゃないだろうか。

なんだか、僕には生まれ変わった自分というものを、文菊師匠が語りかけてくれているように思った。
仕方がないじゃない。だったら、それを受け入れましょう。
腹を立てたって仕方がないじゃない、と。
僕もそう思う。
それが、僕が文菊師匠から感じたメッセージだった。
あくまでも僕個人が、そう思っただけだ。

 

ただただ眠ろう

シブラクを終えて、寿司を食べた。シブラクの後は、大体寿司を食べたくなる。
なぜだか無性に、寿司を食べたくなるのだ。
自分は、何かに腹を立てていた気がした。

何かを変えなくちゃいけない、と思った。

で、自分にできることはなんだろうかと思った。
それは、発信し続けることだった。

毎日、きちんと生きて、発信し続けることだった。

それがどれだけ小さくても、結局僕は何かを生み出したい人だった。

好きな仕事をやって、お金も貰って、好きなことを楽しんで、好きなように生きて、

それで、十分満足だった。でも、よりよくしたいという気持ちが常だった。

だから僕は進むのだ。

腹が減ったら飯を食って満たし、

腹が立ったら寝かせて眠るのだ。

それでぐうたら、生きて行けばいいんじゃないかな。

でも、僕はより良い社会にするために頑張るけどね!笑

フィボナッチしようよ

  METAL

とにかく世間は、めまぐるしく変わる世間とやらは、家に帰れば石鹸で手を洗い、下手をすれば折檻なんてことにもなりかねない状況の中で、我慢の3連休の初日を迎えた。全く、どうしようもなく人と接触することが嫌になり、しつこい飲みの誘いも「会社から止められてるんで」と言って断る。或いは「親から外出するなって言われてるの」と断られる。あらゆることをシャットアウトして、ひたすらに自己研鑽に励むのだから、僕も周りからはつまらない奴だと思われていることであろう。

もちろん、外に出て遊びたいという気持ちはもちろんある。だが、海へ行くのに山登りの恰好で行くことが無いように、コロナ感染が叫ばれている最中、素知らぬ顔で街を闊歩するということは、僕にはできない。というか、そんなことをするくらいだったら、もっと有意義なことに時間を使いたい。

まるで、フィボナッチ数列みたいに、一昨日と昨日の自分を足すと今日の自分になっている。それが、はっきりと感じられる。着実に、着実に何かが増えて行く感覚があって、僕はそれを楽しんでいる。

美しい数学の式のように、規則性の中に輝きを見出すことができたら、それはとても幸福なことではないだろうか。日に日に成長する子供を見ているような心持ちにさえなってくる。一周回って、また元の位置に戻って来ても、見えている景色が少しだけ異なっているなんてことが、人生には起こりうるのである。

だからこそ、僕は今年、あまり落語を見ていない。エンタメを見ていない。話芸に触れていない。ブログもそれほど多く書いていないし、交流も殆どない。それは、別に悲しいことではなく、自然の流れとしてそうなっていることだから、何も悲観していない。来る時が来れば、そのときになって、書きたいという気持ちが沸き起こってくる。丁度、今こうして僕が文字を書いていることと同じだ。

元来が無責任な男で、気まぐれだから、書きたい時もあれば、書きたくないときもある。去年に比べれば、明らかに書きたい気持ちは減った。反対に、書かない時間こそ蓄えの時期であって、田植えで言えば苗を植えている時期であって、そういうときはジタバタせずに、稲穂になるまで待つしかないのである。

僕自身の趣向が、がらりと変わってしまったことは、もう何度も前から書いている。金融・英語のスキルを身に付けようと、せっせと、体たらくな自分に鞭打っている。日進月歩とは良く言ったもので、亀の歩みのように遅い自分ではあるが、着実にフィボナッチしているのである。

フィボナッチしながら、オイラーは学んでエルデシュ

文章の美しさは、数学の美しさと等しい気がする。

文章の美しさとは何か。それは、短歌や詩のような、短いながらも奥行きのあるものを意味する。もちろん、短歌や詩を文章と言って良いかは分からないが。

五十音から広がって行く日本語の、あまりにも繊細で不確かな言語感覚を、僕は他のどの言語よりも好んでいる。正直、日本語で思考できて良かったとさえ思っているくらいである。日本人は、どこまでも曖昧で、はっきりとせず、ぼんやりしたものを好む。言語が思考に与える曖昧さは、そのまま悩みに直結するかも知れないし、もしくはこの上ない幸せを呼ぶかもしれない。ただ、僕が感じるのは、どのような言葉を用いるかによって、その人の品性であるとか、生き方のようなものが、ある程度分かってしまうということだ。たまに語彙の少ない人たちを目にすると、少し心配になってしまう。

何を見ても「ヤバイ」、何を食べても「ヤバイ」、何か聞いても「ヤバイ」

そのうち「ヤ」とか、[y]みたいに、どんどん短くなっていくのではないかと思う。数百年後には、ヤ、マヤ、マーヤ(ヤバイ、マジヤバイ、マージでヤマイ)みたいな文章が出てきてしまうかも知れない。そうなったら、それはそれで凄いと思うけど。

ヤバイは、シソーラスではどこに属するんだろう。とても美味しいという意味はヤバイに集約されるだろうし、お腹が空いたらヤバペコとか言うんだろうか。素晴らしい音楽を聴いて、感想がヤバイだったら、なんかよく分からなくてヤバイ。

とりとめのないことを、つらつらと書いておしまい。