落語・講談・浪曲 日本演芸なんでもござれ

自称・演芸評論家が語る日本演芸(落語・講談・浪曲)ブログ!お仕事のご依頼、文章のご依頼はtomutomukun@gmail.comまで!

文藝秋蔵 その気兼ね無き心~10月14日 鈴本演芸場 橘家文蔵~

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私は頼まれて物を云うことに飽いた。

自分で、考えていることを、読者や編集者に気兼なしに、

自由な心持で云ってみたい

     文藝春秋 創業者 菊池寛

向いているか向いていないかは、客が決めること

 

  今朝は不思議な夢を見た。

 十畳ほどはあろうか、畳敷きの広い部屋の中央に四角い大きなテーブルがある。胡坐をかけば丁度いい高さにあるテーブルの上には何もない。私はどこからともなくやってきた髭もじゃの老人二人と語り合っていた。

「じゃあ、春日井梅鶯を生で聞いたことがあるんですね?」

「ああ、聞いたよ。良い声だった」

広沢虎造はどうでしたか?」

「ああ、彼はラジオの方で売れたからねぇ」

 それから急に場面転換。映画『人情紙風船』に出てきそうな長屋の通りを、僧の恰好をして菅笠を被った小三治師匠が、琴のような、三味線のようなものを弾きながら歌っていて、その歌声と音色に心を奪われ、もう一度聞きたい!と思ったところで目が覚めた。

 夢は五臓の疲れ、そんな言葉を思い出す。日中は用事があったのでパパっと済ませる。そもそもこの用事のせいで、昨日はせっかくの伸べえさんの高座レポートを途中で切り上げて眠らなければならなかった。用事というのは、つくづく不憫なものである。

 鈴本演芸場の前に行くと、それほどの行列ではなかった。それでも、私は謝楽祭での熱狂的な文蔵師匠のファンの皆様を目にしているから、きっと満員にはなるだろうと思っていた。

 文蔵師匠の魅力とは、私が思うに親分気質を感じさせるところだと思っている。一見すると強面で近付きづらく、下手なことをすればぶん殴られて蹴飛ばされて、酷い目に合うのではないか、という気が最初に見た時は感じた。何度も高座を見て行くうちに、情に厚く、お茶目で、時に可愛らしく、時に豪快。道灌や夏泥などを実に面白く、おかしくやる落語家さんである。

 ファンが多いのも頷ける。Twitterや謝楽祭でのお姿、対応を見ていると、温かい笑顔とお茶目な顔を見ることができる。きっと、そういう人間らしさにみんな惚れているのだと思う。私は文蔵師匠の親分気質が好きだ。決して威張ったり、恐喝したりというような、いわゆる893ではない。それを何となく感じるまで、随分と時間がかかりました(笑)

 さて、そんな熱狂的なファンに支えられて始まった本日の番組。私が個人的に感じたところをピックアップしつつ、トリまでさらっと紹介。

 

台所おさん『狸の鯉』

 前半のハイライトは何と言っても台所おさん師匠だろう。前回、『極上の闇鍋』記事

で、台所おさん師匠の魅力に気づいてしまってから、久しぶりの高座。一言で言えば『ぬくもり』なんですよ、おさん師匠の落語は。真っすぐで純粋な瞳、温かくて優しい声、貧乏だって心が幸福なら関係ないんだ、というような雰囲気。狸の鯉に出てくる狸にも、それを見守る親方にも、登場人物全員に『ぬくもり』を感じるのだ。この温かいぬくもりは、おさん師匠から滲み出る純粋で温かい心なのだと思う。一見すると派手さはなく、地味で目立たない。だがじっと耳と目を凝らして聴いていると、その一定の声の音色、温かい言葉の数々、そして真っすぐな目。色んな人で狸の話を聞いているが、滑稽さを表現する落語家さんが多い中で、おさん師匠の落語は滑稽さに温かみを足していると私は感じる。まるで包まれるような心の良さと、決して狸を奇異な目で見つめず、平等な存在として扱う親方の懐。言葉と音色が実に気持ちがいい。私はおさん師匠で『妾馬』とか『文七元結』を聞いてみたい。11月の上席では鈴本演芸場でトリが決定している。是非とも大ネタを見てみたいと思った。

 

 柳亭左龍宮戸川・上』

 お馴染み左龍師匠の宮戸川。私としては『顔芸の左龍』という名で通っております。ぐりぐりに開かれた目と、眉と、大きな顔が巧みに動くさま。表情そのまんまに発してくる声。なんでも飲み込んだ!の一言で片づける叔父さんにも磨きがかかっている。確か『シンデレラ伝説』などの新作も寄席でやっていたりする。人情噺というよりは滑稽噺が似合っている印象。声色と表情で見せる芸、素敵です。

 

 宝井琴柳『笹野権三郎 海賊退治』

 前半、良い人ばっかりなんですよ(笑)宝井琴調先生の代演で登場の琴柳先生。独特の高い声と、息を吸うときの間、少し登場人物がか細く見えながらも、笹野権三郎が斬っていく様は気持ちがいい。もっと低い声と張りのある声で聴きたいと欲張りにも思いつつ、琴柳先生の声の調べで聞く。良いですね、修羅場のある講談は聴いた後の気分が爽快です。

 

 春風亭一之輔浮世床 別題:私は貝になりたい

 一之輔師匠はいつ聞いても安定。現代的な感覚を随所に挟み込んだ浮世床はお見事。古典にアレンジを加えて笑いを生み出すスタイルは数多の落語家が挑んでいるが、一之輔師匠ほど現代的なワードを挟むセンス、そして古典の口調を持った人はいないと思う。毎回、改めて思うのだけど、春風亭一朝師匠の門下生は、みんな口調が良いんですよ。声のトーンが一定というか、音階的に高低差が少ない。お経のようとは言わないけれど、そういうものを聞いている心地よさがあるんです。それで、あのフラと間。もはや笑わずにはいられない強烈なワード。一之輔ワールド全開の一席で仲入り。

 

 春風亭百栄『露出さん』

 仲入り後は日本一汚いモモエを自称する百栄師匠。柳家わさびさんで一度聞き、百栄師匠でも数回聞いたことのある露出さん。今回は悲しいテイストを押さえて笑いを増やした演出。このアウトなんだけど、アウトじゃない感を出した演目で、割と女性率の高めな会場を盛り上げていく。あと、台所おさん師匠から裏テーマで「少し下ネタ」が続いていたように思う。普通に考えたら絶対卑猥なんだけど、百栄師匠が落語としてやるとオッケーになる世界。素敵に緩い一席。

 

 橘家文蔵『ねずみ穴』

 素敵な音色を披露してくれた小菊さんの後で、待ってましたの文蔵師匠。大喝采と「待ってました!」、「たっぷり!」の声に迎えられて、堪らないような表情で深々とお辞儀をした文蔵師匠。ネタ出しの『ねずみ穴』を「自分には合わないと思っている」と言いつつも、「ある人に、合う合わないはやってみなきゃ分からないでしょ。合う合わないは客が決めること」と言われたという。

 私の『ねずみ穴』体験は動画で談志師匠、圓生師匠、生で林家たこ蔵師匠。深夜寄席のトリでたこ蔵(当時:たこ平)師匠がやっていて、たこ蔵師匠の底の見えない感じと、若干の狂気みたいなものが見えて印象に残っていた。

 文蔵師匠の『ねずみ穴』を通しで聞いた感想としては、太くて、鈍くて、ずっしりと重い感じがした。たこ蔵師匠の『ねずみ穴』に感じた胸を切り裂くような迫真の高座と比べると、私としては物足りなかった。それでも、文蔵師匠の真剣さと、時々挟まれるお茶目な話がねずみ穴に緩急をもたらしていた。『ねずみ穴』という演目は改めて難しいのだなと思った。というのは、捉え方が難しいし、大ネタだからある程度客の集中力を持続させなければならない話だと思う。文蔵師匠の場合は、古典の空気を壊さずに少しずつ笑えるネタを挟み込んでいくスタイルだった。談志師匠やたこ蔵師匠の場合は、割とシリアス寄りに演じられていると私は思っている。圓生師匠はその点、中間を突いているし、人物描写の描き分けが熟練の音色で表現されていて、やはり名人の芸だと驚嘆してしまう。

 『ねずみ穴』の内容は他に任せるとして、文蔵師匠テイストの『ねずみ穴』は、語り口と相まって、重たく、気が付くとずっしりと来ている感じだった。合っている合っていないで言えば、私は合っていないと思うけれども。

 

 日曜日の夜だというのに大勢の客で埋め尽くされていた。ご常連の皆様は最前列にびっしりと固まっている。良い寄席でございました。

 さて、来週はどこへ行こうかしら。

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あなた、まだ桂伸べえを知らないでいるの?~10月13日 深夜寄席 桂伸べえ 古今亭今いち 春風亭昇吉 三遊亭遊子~

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失敗談を失敗するっていう

 

私の体重が減るかどうか!

 

稲葉さんってご存知でしょうか

 

いい大学出てるんですよ。大阪芸術大学 

  風が少し冷たい。いつものスタイルでは風邪を引くだろうと思い少し着込む。新宿の街の明かりを浴びながら、雑踏を掻き分けて新宿末廣亭へ行く。開演前だというのに、凄い行列である。いよいよ、私の記事によって『桂伸べえ』さんの人気も出てきたか!と思ったのだが、どうやら皆さんのお目当ては三遊亭遊子さんらしい。私の記事がどれくらいの影響力を持っているか知れないが、それは本当に微々たるものだと思う。何せ、反応があるのは松之丞さんの記事くらいで、そのほかはチラホラ読まれる程度である。もっとまだ知られていない、最高の落語家さんを紹介しなければならない!という不思議な使命感を持ちつつ、入場。

 開口一番だというのに木戸銭を受け取ってチケットを配る伸べえさん。私のお目当ては当然、彼である。普段は連雀亭に良く出演されており、本当に働き者でありながら、かなりのシャイボーイという、もう落語をやるためだけに生まれてきたみたいな、そんな凄い雰囲気を持った人なのである。

 入場すると、前列は鉄壁の常連組。それなりに入っている。ざっと7~80人はいる。ヤバイな、伸べえさんの素晴らしさが伝わっちゃうなと思いつつ着座。ご婦人が多い。何人か会場内を撮影している方がいたが、場内は撮影禁止です。

 今いちさんの諸注意のあと、出囃子が鳴って開口一番が出てきた。

 

 桂伸べえ 『新聞記事』

 登場と同時に伸べえさんらしさ全開の間。私が初めて伸べえさんを見たのは、深夜寄席のトリで『宿屋の仇討ち』をやったとき、思えば、あの日から私は桂伸べえさんという稀有なフラを持った落語家にドハマりしている。最初に言っておくが、今回の記事は私の思いっきり伸べえさん贔屓の記事になります。あしからず。

 もはや伸べえさんの私にとってはお馴染みのマクラなのだが、何度聞いても笑える。それは危なっかしく話すからである。だいぶ緊張しているなぁ、という印象。けれど、その緊張すらも落語に活きてくるという素晴らしさ。会場を巻き込んでポンポンと不思議な笑いを起こしていく。これが人間国宝である柳家小三治師匠の言う「笑わせるのではなく、思わず笑ってしまう」ということなのだと思う。とにかく面白いのである。普通の芸人であれば、笑わせようとか、器用に笑いのネタなどを挟んできてウケようとするが、伸べえさんにはそれが無いように感じるのだ。安い芸で笑いを取るのではなく、自らの個性をそのままに、古典演目で昇華させる。その独特の間が癖になってしまうのだ。ポロっと呟く言葉にさえ、噴き出してしまうほどの面白さを感じる。これは決して馬鹿にするとか、舐めているとかいう話ではない。むしろ、唯一無二の誰にも真似出来ない伸べえさんの間が、会場にいた何人ものお客さんの笑いを誘っていたのだ。

 私からすると、緊張でほぼ目が死に、表情が硬くなっていた伸べえさんだが、お馴染みのくすぐりで会場を盛り上げる。これは是非聞いてほしい。独自のくすぐりなのか、誰かから習ったくすぐりなのかは分からないが、今までの古典演目を刷新していく特別なワードをとにかく連発させるのだ。さらに、登場人物が悩む姿も良い。

 簡単に『新聞記事』の内容を説明すると、間抜けな八っつあんが隠居のところに行き、隠居から「天ぷら屋の竹さん、殺されたよ」という話を聞く。興味津々の八っつあんに隠居は事の詳細を語り、最後に「竹さんを殺した泥棒、あげられたよ。入った家が天ぷら屋だからね」というオチを言う。八っつあん、大いに喜んで他の人に話すのだが、失敗する。という話である。

 この会話の中に、様々な独自のくすぐりを挟み込む挑戦の姿勢、さらには伸べえさんの強烈なテンポと間で畳み掛けられる天性の語り。これがとにかく面白いのだ。一度ハマってしまうと癖になる面白さを伸べえさんは既に獲得しているのである。

 声も凄く良い。ナヨナヨっとしていながらも、あのトーンも笑いを誘う。緊張していないときはもっと凄い。威勢が良くて目が活き活きしていて、もうパンパンっと進む新聞記事を知っているだけに、私からすると「本気の伸べえさんはまだまだこんなもんじゃないぜ」と思ってしまった。

 私としては、三遊亭笑遊師匠や桂南なん師匠、もっと言えば瀧川鯉八さんにまで脈々と続く独自の世界観を持った落語家の系譜に、桂伸べえさんは連なる。

 圓生師匠の言葉を借りるとすれば、以下のような感じになる。

 

 道場の試合では十のうち七太刀くらい打ち込む自信はあるが、野天の試合(真剣勝負)だと七太刀くらい斬られる

  まさに伸べえさんは野天の侍なのである。その鉈のような切れ味で迫られたら、観客とて無傷ではいられないのだ。

 まだまだ語りつくせないのだが、熱くなりすぎると寝れなくなるのでやめる。

 

 古今亭今いち『堀ノ内』

 ダイエットを生でみる、という高座。

 

 春風亭昇吉『稲葉さんの大冒険』

 まさかの新作!だったが、既に喬太郎師匠で見ていた私にとっては、新しい発見は無かった。

 

 三遊亭遊子『天狗裁き

 声とリズムが良いので、個人的には『大工調べ』が性に合っていると思う。でも、品と場慣れしている感じがあり、もっと肚に演目が入っているなと感じたら、化けるかも知れない。

 

 ざっと書きましたが、総括すると伸べえさんを見たくて、見に行って、満足。という会でした。伸べえさんの魅力が深夜寄席に来た皆様に伝われば良いなと思います。諸事情があり、短く記事を致しました。それでは、良い寄席をお楽しみくださいませ。

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知的なアウトサイダーズ~10月12日 渋谷らくご 立川吉笑 桂春蝶 笑福亭福笑 林家きく麿~

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ティッシュや、これ絶対ティッシュ

 

これ何の笑い?

 

15対0やぞぉ!

 

だし昆布じゃねぇって言ってんだろぉ! 

 

知的なアウトサイダーズの会、開幕!

  暑い日だ。行き交う人々の顔が少しばかり固く見えるのは、自分の顔が柔らかすぎるからだろうと思う。見てもらう占い師にことごとく「あんたは優しい」と言われてきたせいか、どうやらそういう顔つきらしい。金曜日の夜ということもあって、既に酒の席を整えたらしいご一行が街を歩く姿がちらほら。仕事が半ちくになったので、私は酒も飲まずに渋谷に行って落語を見ようと思い立つ。

 渋谷らくごはユーロライブという場所で行われており、最初に会に行った日はとにかく迷った。グーグルマップ先生もお手上げということで、近い場所をグルグル回った記憶がある。今ではスマートな一本道。セブンイレブンが潰れていて無くなっていたのには驚いた。

 20時スタートの渋谷らくごの会に行ってきた。幸運にも良い席が取れた。ざっと見回すと女性が多い。落語会は結構女性が多い、特にイケメンが出る日は。

 話は変わって、この記事を読む前に最初に記載しておこうと思う。

 

 私は世間の評判だとか、世間を騒がせるニュースだとかにはあまり興味が無く、自分が面白いと感じたものしか信じない人間である。だから、何も憚らずに言うが、桂春蝶が出ようが出まいが、私には関係の無いことである。恐らくこのブログを更新することによって、何かしらアンチがやってくるかも知れないが、そんなことは私にはちっとも関係が無い。私は私が良いと思った芸を見たいし、自分の中で言葉でもって刻み付けたいのだ。だから、私は書く。

 

 立川吉笑『くじ悲喜』

 このネタは二度目。一度目はソーゾーシーのメンバーと新宿末廣亭深夜寄席でやった時に見た。ここぞ、という時にやるネタらしく、二度目に聴いたが面白い。それに芸が細かい。落語は想像の物語であるが、その想像を過大に観客に要求する落語です、という断りを入れてから落語に入ったが、動作や言葉遣い、手ぬぐいの使い方など、見る者すらも惹きつける所作。登場人物が変わる時に、見事に手ぬぐいを折ったり、戻したり、その芸の細かさに驚いた。

 内容はざっくり『くじとくじの話』なのだが、どこかで同じような体験をしているかも知れない。と思った。というのは、男同士で部活動をサボったりした時に、『くじ悲喜』の登場人物達のような会話をしたような記憶があるのだ。内容は全く違っても、どこか似通っている、いわば『男子学生がふざけあうノリ』が籠っているような気がする。その中で自らの立場や、自らの考えをぶつけたりしながら、時に流されたり、時に誘導したり、心の駆け引きみたいなものが見事に表現されていて笑えるのだ。一見、設定だけで終わりそうなネタを、さらに幾つもの起爆剤を仕込んで爆発させていく吉笑さんの落語は、とてもテクニカルでありながら伝統的だと私は思う。小ゑん師匠の『ぐつぐつ』における『おでんの擬人化』、喬太郎師匠の『母恋くらげ』における『海洋生物の擬人化』など、人間でないものを擬人化するという手法を、吉笑さんは『くじの擬人化』を行い、その悲喜こもごもを見事な話術と展開で見せていく。根本に流れるのは、自分のアイデンティティとか考えを自分以外の考えや個性とぶつけ合わせていく、そうした青年期における人格形成の様、みたいなものを私は『くじ悲喜』から感じた。大いに笑った。最高の開口一番である。

 

 桂春蝶『短命』

 お待ちかねの(笑)春蝶師匠。出てくるなり客席から「待ってました!」、「三代目!」の掛け声。さぞ嬉しいだろうなぁと思って春蝶師匠を見る。座布団に座って話始めたのは『野球の話』。これがもう爆笑である。フリとオチが見事に決まった小噺の後で、最後は春蝶師匠の奥さんが春蝶師匠の仕事を表現した時の一言。これは言い得て妙というわけで、敢えて書きませんが、素晴らしい一言。その流れからの『短命』。

 もう知的なオーラが全開、そして語り口がお見事としか言いようがない。身振りと美しい声と間。ああ、素敵だなぁ。なんだか美しいクラシックでも聞いているような調べにただうっとり。

 短命という話は、美人と結婚した旦那が次々と死んでいき、それを不思議に思った男が、甚兵衛さんのところに行き、事の真実を知って家に帰って自分の妻と会って一言言う話である。この話をあれほど見事に広げ、かつ魅力的な言葉で彩れる春蝶師匠には脱帽である。前回書いたと思うが、林家しん平師匠のような『一歩間違えたら詐欺師』感は十分に醸し出されていたが、声と間と言葉のセンス。どれも面白くて最高だった。

 私は芸人の日々のスキャンダルはあまり気にしない人間である。それは裁くべきところが裁けば良いのであって、あの桂三枝師匠でさえ不倫問題で音声が出ながらも、舞台に上がって落語をやっている。きっとあの会場にいた誰も「ふざけんな!」とか「DV野郎!」なんて思わずに見ていた。そういう幸福な人間が多いのだ。それを「馬鹿な野郎どもだ、頭がお花畑になりやがって」と思ってもらっても結構である。私は自分が素晴らしいと感じるからこそ見に行くのであって、それ以上でも以下でも何でもない。

 そんなことをなぜ強く思ったかと言うと、次の笑福亭福笑師匠に繋がっていく。

 

 笑福亭福笑『憧れの甲子園』

 お初の福笑師匠。吉笑さんがマクラで「楽屋であれだけ笑かす人初めてですよ。モンスターですよ」と言っていたので楽しみだった。その前評判を大きく上回るモンスターっぷり。もう落語じゃなかったら炎上騒ぎになる問題発言連発の落語、『憧れの甲子園』、内容は酔った野球部の監督が色々と言う話なのだが、これが抱腹絶倒。次から次へと吐き出される言葉が面白すぎて半端ではない。もう笑いすぎて腹と頬骨が痛くなり、正常な状態でいられないほど笑った。

 痛快なのである。とにかく痛快なのである。色々な品格だとか、表向きの体裁を整えていた監督の、腹に溜め込んだ鬱憤を全て吐き出していく爽快感。誰一人として「それは問題発言だ!」とか「最低の教師だ!」なんて野次を飛ばすものはいない。ただただ笑うのである。それは、前記事で書いた『道徳性と不道徳性のぶつかりあい』があったからだと思う。

 こんなに面白い落語家がいたのかという驚きと、滲み出るフラ。そしてあの耳に心地よく響いてくる声。全てが最高のおっちゃん感の中で花開いていた。客席などは爆笑に次ぐ爆笑で、今まで味わったことが無いくらいに笑い続けた。人生で一番笑い続けた落語である。もっといろんなネタを見てみたい。それくらいに素晴らしい落語家さんである。

 福笑師匠の落語を聞き終わった時に、私の心には「なんでもいいんだ」という気持ちが湧いた。たとえ世間でどれだけ非道な人間と罵られようとも、どれだけ貶されようとも、人間は道徳と不道徳の両方を内心に秘めている。不道徳な面ばかりが取り上げられ、いろいろと叩かれる。随分と息苦しい世の中になったものだと思う。でも、どんだけ綺麗なアイドルでも便所で用を足すように、綺麗なものは全てが綺麗なものではない。反対に、汚いものは全てが汚いわけではないのだ。兎角、人は汚いものを嫌い綺麗なものを好む。道徳を敬い、不道徳を嫌う。質実剛健な生徒と建前では言いながら、実際はヤンキーだったり、良妻賢母な女性と建前では言いながら、実際はずべただったり、そういうものを全て内包して全て肯定する。それでいいんです、あなたは!と認めること。福笑師匠を見て改めて思った。そして、最後のオチが最高でした。

 

 林家きく麿 『だし昆布』

 福笑師匠で笑い続けた後で、さらにきく麿師匠が待っているという、まさに『笑いの過剰摂取によるオーバードーズ』の危険性を感じた。でも、きく麿師匠のプレッシャーは半端じゃなかったと思う。前の福笑師匠というモンスターが阿保みたいにウケていたのだから、かなり内心は緊張されていたのではないかと思う。そんな中で、会場の様子を探りながら、見事に後半で爆笑をかっさらったきく麿師匠の『だし昆布』。途中から「あれ?なんでそんな動作するんだ?」という疑問を一気に解消するパワーワードの後で、もう笑ったが最後、逃がさないぞ!とばかりに畳み掛けるような笑いの連発。もはや狂気すら感じさせる人物が登場する中で、見事に一つのファンタジーを作り上げたきく麿師匠。福笑師匠のようにゆっくりとした大振りのスイングで爆笑をかっさらうスタイルとは対照的に、来てもいない空想の球を何度も何度もスイングしてかっ飛ばすスタイルのきく麿師匠。今回の会を通して通底していた野球のテーマをこじつけるとすれば、きく麿師匠はホームラン率は高くないが、ヒット率は高い印象。とにかくホームランしか打たなかったのは福笑師匠という感じで、吉笑師匠は部室でふざけあっている野球部員。春蝶師匠は野球を分析し野球そのものについて考えていた感じ。そしてホームランをバカスカ打った福笑師匠。きっちり鮮やかなヒットを連発したきく麿師匠。一言で表すならば『知的なアウトサイダーズ』という感じだった。

 最後は歌謡ショー、『昔の名前で出ています』をきく麿師匠が熱唱。握手もしていただく。意外に手が冷たかった(笑)

 

 総括すると、人生で一番笑い続けた日になった。腹と頬骨の痛みが心地よい。あの気分から少し気持ちは落ち着いたが、とにかく笑っていたので冷静に分析するスタイルは成りを潜め、ただただ感動だけをお伝えする記事になった。でも、いいんです。なんでもいいんです。とにかく笑えたら、それだけでも幸せってことでいいんです。そういうもんです、落語ってのは。

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教育勅語と落語の世界~気の長短における疑問から考える、人間の道徳性と笑い~


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早くおせぇろ!こりゃ事に寄らなくてもおせぇた方がいいんだ!馬鹿野郎!

 

それ見ねぇ、そんなに怒るじゃねぇか。だからおせぇねぇ方が良かった。

 

 

 【考えの発端~古書との出会い~】

 古書店でたまたま見かけた『文藝春秋デラックス 古典落語と古川柳 日本の笑い』に目を惹かれ購入。電車に乗って家までの帰路の途中、ペラペラとページを捲っていると、山田洋次監督が書かれた『あっぱれな親不孝 『山崎屋』』の文字。丁度、タイムリーな話題となっている『教育勅語』について書かれていたので、「なんとも、時代というのは回るものだぁ』と中島みゆきばりに感心しながら文章を読んだ。

 本書では、映画監督や慶應義塾大学の教授、哲学者や演劇評論家まで、様々な職業の方々が落語の演目を取り上げて、それぞれの愛する落語の読み方について述べていた。これが大変に面白く、そんな読み方、感じ方があったのか!と興奮した。落語というものは自らの環境や職種によって、種々様々な角度から読むことが出来るのだなと思い、その幅の広さに驚いた。

 では、私もそんなことを書いてみようではないかと思い立ち、それでは、私は『気の長短』という落語における登場人物二人の関係性を述べてみたいと思った。というのは、文菊師匠の長短が脳裏にこびりついて記憶を反芻していた際に、とある疑問が浮かんだからだ。その疑問を語る前に、まずは『気の長短』という落語のあらすじを記述してからにする。

 

 【気の長短】

 気の短い短七さんの家に、気の長い長さんがやってくる。短七さんは戸口で顔を出したり引っ込めたりする長さんに「中に入っておいで」と言う。ゆっくりのんびり中に入って挨拶をする気の長い長さん。

 短七さんが用を尋ねると、長さん、ゆっくりと「昨日小便に行こうと思って、雨戸を開けたら、その、あのー、早い話が」と言って短七さん「ちっとも早くねぇじゃねぇか」とご立腹。結局、昨日雨が降るかなと思ったら、今日とうとう雨が降った。ということを言う。短七さん「てめぇは昨日の小便からそんなことを言わなきゃならねぇのかい!」とさらにご立腹。けれども二人は昔からの幼馴染、短七さんは長さんの気の長い気性を心得ているからと言って落ち着く。

 丁度残り物の餅菓子があると言って短七さんが長さんに餅菓子を差し出す。長さん、再びゆっくりと餅菓子を取って二つに割る。まだ食べないうちから短七さん「どうだ、美味いか!」、長さんがにっこり笑って「まだ、食べてないよ」。ようやく長さんが割った片方の餅菓子を食べたかと思えば、くちゃくちゃもちゃもちゃ、なかなか感想を言わないので焦れた短七さん、「ちょっとよこして見ろ」と言って長さんから餅菓子を取ってパッと口に入れ、トンッと食べてしまう。「こうやって食っちまえばいいんだ」と言うと、長さん煙草を吸おうとしながら、「短七さんは気が短いから、あたしのような気の長いのがいるとまどろっこしくて仕方が無いだろう。短七さんは気が短い、あたしは気が長い。子供の頃から幼馴染で、これまで一度も喧嘩したことが無いってんだから、これでどっか気が合うんだね」と言って煙草を吸うが、短七さん、長さんが煙草を吸う仕草に焦れて「合りゃしないよ。そんなんじゃ火が付かねぇじゃねぇか。煙草ってのはこう吸うんだ!」と言って長さんの前で煙草の吸い方を教える。

 それに倣って長さんも煙草を吸うがやはり動作は遅い。ようやく火がついて煙草を吸うが、どうにも気に入らない短七さん。長さんがにこやかに「短七さんは気が短いから、人から何か教わるのは嫌いだろうね」と聞くと、短七さん「嫌いだ、大嫌いだ」。すると長さん「あたしから言われてもかい?」と聞く。短七さん「お前は別だよ。餓鬼の時分から友達じゃねぇか。なんだ、どうかしたのか?」と聞く。「言っても怒らねぇか?」とゆっくり聞く長さん。「ああ、怒らねぇよ」と返す短七さん。「本当に?本当に怒らない?」と長さん、「だから怒らないって言ってるじゃねぇか!」と焦れる短七さん。ようやく長さんが「煙草を吸って火玉を威勢よく叩いたやつが、煙草盆に入らずに袖口から入って、おや大丈夫かなと思っていると、煙が出てきて、おやおやおやと思って見ていると、今だいぶ煙が出てきた。ことによるとそれは消した方がいいんじゃ」と言うと、慌てて袖を叩きながら短七さん「こういうことはことによらなくても早くおせぇた方がいいんだ。馬鹿野郎!」と声を荒げる。長さん「ほら、やっぱり怒るじゃねぇか。だからおせぇねぇ方が良かった」

 

 【とある疑問について】

 上記の気の短い短七と気の長い長さんの会話は、多少の誇張はあれど日常生活でも十分に起こりうる会話である。程度の差こそあれ、十人寄れば気は十色なんて言葉にもあるように、どうもこの人はせっかちだ、とか、どうもこの人はのんびりしている、と他者に対して、または自分に対して感じることが良くある。自らの性分と他者の性分を理解して、お互いに接している中で生まれてくる微妙な差に可笑しみが感じられるお話だ。特に観客は長さんのゆっくりさに短七さんと同じようにイライラするのか、逆に短七さんのせっかちさにイライラするのか、自分は今どちらに苛立つのかということを考えるのも楽しい。

 この落語において、私は長さんのゆっくりの間に笑うことが多い。この笑いを自分なりに分析すると「長さんの気の長さに僅かに苛立ちながらも、仕方の無い人だなぁ、お待ちいたしましょう」という心の安堵を保つための笑いだという気がする。なぜなら、本当に短七さんのように気が短かったら、全く笑えず「なんだこのノロマ野郎は!」とキレてしまうからだ。この僅かに苛立つという緊張の後で、まぁ仕方が無いから待とうという緩和が笑いを起こすのではないか、と思うのである。ちょっと粗相をした人に対して「仕方の無い人だねぇ」という笑いである。

 同時に、苛立つ短七さんに笑うのは「共感と許しの笑い」だと思う。「そう苛立つ気持ちも分かるよ。でもまぁ、許してやろうじゃないか」という感じ。同じように私も苛立ったという緊張と、でもまぁ許そうと落ち着く気持ちの緩和。これが短七さんにも笑える部分だと私は思っている。

 そうやって自己分析をしていると、とある疑問が浮かんだ。それは、『なぜ短七さんの袖口に火玉が入ったのに、長さんはすぐに教えなかったのか?』ということである。

 この疑問が考えても考えても、どうにも納得できない。というのは、昔ながらの幼馴染であるのだから、普通は友達の袖口に火玉が入ったら、すぐに「あ、火玉が入った!」と言うはずである。これは幼馴染というのはお互いに心を許しあい、助け合うという私の前提条件に基づくのだが、そう考えると、長さんが火玉をすぐに指摘せず、煙が出て穴が開くまで放置したことは、幼馴染という関係性からは逸脱した非道徳な行為なのではないか、と思うに至ったのである。日頃、そこまで真剣に考えていなかったのだが、考えてみると答えの見えない疑問だった。

 

 【一応の解釈、意地悪な長さん?】

 結局、長さんが短七さんの袖口に火玉が入っても、すぐに教えなかったのは『長さんの意地悪』だったのではないか、という一応の解釈に至った。家に入るなりパーパー短七さんに言われ、餅菓子も半分取られ、挙げ句は煙草の吸い方まで教えられ、長さんの中で苛立ちが募り、その仕返しに短七さんの袖口に火玉が入ってもすぐには教えず、心のどこかで「火傷でもしやがれ」という気持ちがあったのかも知れない。と私は思ったのである。だから、オチの長さんの「おせぇねぇ方が良かった」というのは強烈な皮肉になる。

 美しい二人の関係性で解釈できたら良かったし、その方が美談として気持ちがいいとは思ったのだが、どうにも長さんに良心がある解釈が出来なかった。長さんが教えなかったのは火玉だけれども、例えば、仲良しの夫婦の家に行って、その夫婦の子供が口に小さな玩具を入れたのを見たが、「怒るかも知れないけど…」なんて言って、「さっきそちらのお子さんが口に玩具を入れて飲み込んだのが見えたんですけど、どうなるかなぁと思って見てたら、今、なんか、苦しんでいるようで…」なんて言ったら、これは怒るだろうし、怒った後で「教えないほうが良かったですね」なんて言われたら、これはもう激高の類になるのではないか。そうなると、笑えない。なぜ笑えないのかというと、やはりそれは不道徳な気がするからだ。

 ただ矛盾があるのは、オチできっちり笑いが起こるところである。長さんの最後のセリフで感じる笑いは、一体何の笑いなのだろう。

 

 【人間の抱える矛盾、健全な道徳と不健全な道徳の混合による笑い】

 普通の生活をしていると、親を大事にし、兄弟仲良く、汝、隣人を愛せよ。勤勉に暮らせ、などなど。様々に自分の心を律することが求められる。規則正しく生きることが、人間の美徳であるという類のことが、最近話題の『教育勅語』に書かれている。現代語訳や口語訳は他に任せるとして、そういう『教育勅語』とは全く正反対な生き方をする者達が落語にはたくさん出てくる。泥棒をする者、親の金を使って遊び呆けるもの、変な物を売ろうとする道具屋などなど、清く正しく美しい人間は殆ど出て来ない。山田洋次監督は、冒頭に紹介した本の中で以下のように述べている。

 

親には孝行しなければいけない、夫婦は仲良くしなければならないというきまり事は、本来民衆が持っている健康な道徳意識である。それでいながら、時としてその道徳からひたすらはみ出して生きたいという願望を同時に民衆はかかえているのである。 

  親孝行は子の勤め、夫婦円満は男女の掟。聞こえは良いし、そうしなければならないという道徳的観念はあるのだが、落語の登場人物達は殆どが親不孝だし、しょっちゅう夫婦喧嘩をして助けを求める。この理想通りにいかない矛盾。頭では理想が分かっていても、心が理想通りにいかない。なんてことは日常茶飯事である。つまりこの矛盾を抱えた状態を、それでも大丈夫だ!それで良いんだ!というのが、落語だと私は思う。立川談志の言葉にもあるように『落語とは人間の業の肯定』とは、まさしくこの相反する矛盾、すなわち業を肯定するところにあるのだと思う。

 だから、長さんと短七さんの二人の関係性には、そういう人間の心の矛盾があるのだと思う。怒らないと言っても怒る短七さん、教えた方がいいと思いつつも意地悪で言うのを躊躇ってしまう長さん。今書いていて思ったのだが、意地悪ではなく、長さんは長さんの性分がそうさせたのか、教えたくても教えられなかったのではないかと思って、また一つ解釈を発見した。だが今はそっと温めて、落語を聞いて検証していきたい。

 私としては、最後の長さんのセリフで起こる笑いは「おいおい、のんびり屋さんだなぁ」という感じである。早く教えてあげなよ!という苛立ちの緊張から、なんだそりゃ、教えてあげなきゃ駄目だよ、という諭すことの緩和。これが笑いを生んでいるのではないかと思った。

 何というか、一線を超えた快感というのだろうか。火玉が入ったら教えるのが当たり前という健全な道徳性と、教えなかった挙げ句、教えなかったことを肯定する長さんの不道徳性が聞く者の中でぶつかる。普通は教えるものだけど、という健全な道徳性が不道徳性に立ち入る瞬間、心の中で長さんの最後のセリフに心が誘導されるのである。

 さんざん怒らないと言ったのに怒ったのだから、教えないほうが良かった。これは長さんの正しい理屈である。一方で火玉によって服に穴が開いた短七さんの「ことによらなくても早く教えるんだ!」というのも正しい理屈である。この長さんの不健全な道徳と、短七さんの健全な道徳の混じり合いに笑いがあるのだと思う。

 『気の長短』における私の笑いに、一応の決着があったように思う。

 

 教育勅語VS落語?】

  山田洋次監督は、冒頭の本の中で、さらに次のように述べている。

 

教育勅語は大変良いものであるから復活してはどうかという考えをもっておられるそうだが、こういう考え方をする人は民衆というものを良く理解していないだけでなく、民衆を心から信頼していないのではないかと思う。もしどうしてもそのようなものを復活するなら(中略)落語などという反道徳的芸術、およびその他一切の笑いの芸術を日本から追放せねばならないだろう。

  この意見に対する私の考えは、政治的な意味を一切排除して聞いて頂きたい。私は自分に色が付くのを嫌うし、左だ右だなどとは一切思わず、あらゆる余計な考えを持ち込まずに聞いて頂きたい。そもそもこんなブログにそういう考えの人が来るかは分からないが(笑)

 以上を踏まえて、では、述べる。

 私は教育勅語も落語も一緒に存在して良いと思うし、お互いにぶつかり合うのではなく、認め合ってほしいと思う。どちらか片一方に心酔しても良いと思う。だが、どちらか一方だけを信じ、本当に徹頭徹尾『教育勅語が歩いている人間』、反対に『落語が歩いているような人間』がいるのだろうか。きっと『ある時は教育勅語的、ある時は落語的な人間』の方が圧倒的に多いような気がする。

 『気の長短』という落語から、まさか『教育勅語』まで考えるとは私自身も思わなかったのだが、たまたま買った古書に載っていた山田洋次監督の言葉が、あまりにも現代にタイムリーだったのだ。因みに『文藝春秋デラックス 古典落語と古川柳 日本の笑い』の発刊は昭和49年11月1日である。44年前に既に、今日と変わらない状況と、それに対する意見があったというのも、奇妙な偶然。つくづく時代は回っているのだなぁと思った。

 

 電車を降りて、家に帰りひと眠りする。落語鑑賞の無い日でも落語について考えていると、また落語が好きな方の意見を聞いていると、新しい発見がある。嬉しい限りである。さて、明日はどんなことを私は考えるのだろう。

 忌憚のないご意見、頂戴致しますと泣いて喜びます。松之丞さんやオーストラ・マコンドーさんの記事が大変たくさん読まれているのですが、お言葉を頂戴できなくて少し寂しいです(笑)なんでもいいからイイネと言葉をください(涙)

 それでは皆様、良い一日を。

 

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馬改造の古典と肝心要の勧之助~10月8日 新宿末廣亭 鈴々舎馬るこ 柳家勧之助~

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こんちわぁ ご隠居さんいますかぁ

 

小便、飲んだことある?

 

チーズバーガーを鷲掴みにした鷹が

 

こんなグルグル回るうち、いらねぇや

 

私の毛の伸びしろは無いんですがねぇ

 

ニワトリを生んだってんでね

  曇天の空の中、新宿末廣亭は行列を成している。空模様を気にしながら列に並んでいると、大きな看板で『鈴々舎馬るこ』の文字。

 去年、馬るこ師匠は真打昇進の際に末廣亭で『宮戸川』でトリを取っていた。魔改造ならぬ馬改造された落語で、BL(ボーイズラブ)要素がふんだんに含まれており、私の前の席にいたご婦人集団はバカ受けだったのが印象に残っている。まさか『宮戸川』でトリを取るとは思っていなかった。大体の新真打は大ネタでトリを飾るのだが、15分ネタでトリを飾るのは柳家小三治師匠くらいだと思っていて驚いた記憶がある。

 それから浅草で『平林』と『金明竹』を聞いた。これもとてつもない馬改造が施されており、現代的なアレンジとひたすら汗を掻きまくるスタイル。また、実況関係の仕事で培ったと思われる語り口。そして、登場人物の中に鹿賀丈史を彷彿とさせる紳士風の声のキャラが出てきたりと、とにかく古典をアレンジする落語家さんというイメージである。言ってしまえば、コテコテの古典を求める年配層にはとっつきずらく、あまり落語に固定観念の無い若い人にはウケるというような芸風だと私は思っている。

 席に着いて辺りを見回す。年配層が多い。休日で昼の部ともなれば、久しぶりに寄席に行って若い頃を思い出そうか、というような年配の方々が多いのだろう。最前列には常連の方がいて、桟敷席の前の方にも常連の方々がいた。比較的男性の割合が多いというような印象である。ざっと見回すと二階席が開くほどではないが、60パーセントくらいは入っていただろうか。

 開口一番は春風亭百栄師匠門下で春風亭だいなもさん。百栄師匠のお弟子さんは一人だけ破門になった人を知っている。その人も随分個性的だったが、今回のだいなもさんも凄かった。とにかく声量がデカイ。第一声の「こんちわぁ!」が大きく、それに応えるご隠居の声もデカイ。この人たちは漁師なのかと思うほどに地声がデカイ。私の勝手な分類だが、やまびこさんや小ごとさんのようなモンスター系前座である。

 新作をやる師匠のお弟子ということもあって、演目の『浮世根問』もオチに工夫がなされている。もしかすると二つ目になって新作にも挑戦するのだろうか、と期待が高まる。声がでかくて威勢がいいのは嫌いではない。最近二つ目に昇進した三遊亭吉馬さんなんかも、声がでかくて気風が良い。どんな個性を発揮してくれるのか楽しみな前座さんである。

 さて、お馴染み、全部語っていると膨大なレポートになるので、印象的だった部分だけを書きます。

 全体的に昼の部はお客様が温かい。子供の姿もちらほら。やはり前列の常連に対して後列の初心者といった布陣で、ドカドカと笑いが後方で起こる。唯一、滑ってたなぁ。と思う落語家さんは、、、内緒である。

 前半のハイライトは林家しん平師匠だろう。もう詐欺師みたいな語り口(褒めています)で、客席を爆笑の渦に巻き込む。下品な話でありながらもちょっとタメになるお話をされて颯爽と楽屋へ戻っていく。面構えも良く、声も良い。落語家じゃなかったら詐欺師という風貌。その後の今松師匠で一気に渋くなり、ロケット団の爆笑の後で渋い顔ぶれが続く。権太楼師匠の『町内の若い衆』も、女将さんが絶妙にブスそうで、何度聞いても面白い。私の中の権太楼さんの女将イメージはちょっと太った器用の悪い女性というようなイメージである。仲入りに入った。

 仲入り中、客席では長崎から来たという人と新潟から来たという人の会話があって、それを聴いていた隣の客が「私も長崎です」という偶然があった。凄いな、そんな遠くから来ているんだと感心して聴いていた。寄席は日本全国津々浦々、ほうぼうからやってくる客がいるのだなぁと思った。昔の新宿のお話を聞けて満足。

 仲入り後は柳亭こみち師匠。いいですねぇ。登場人物が全員可愛らしい子供のように想像できる可愛らしさ。柳亭燕路師匠直系の可愛らしさを感じる。間が燕路師匠にそっくり、そこに独自のくすぐりを入れていくこみち師匠。冒頭の似ている芸能人でがっちり客席を掴んで、演目は『附子』。珍しいお話である。

 お待ちかねの文菊師匠は名人芸の『気の長短』。どうやら原因は鼻では無く喉だったようで、昨日と同様、声に少しの濁りがある。一瞬、戻ったのかなと思ったが、声を聞いて喉が悪いのだと思った。文菊師匠の体調確認のために今日来た部分もあったので、少し心配である。

 寄席の15分間の文菊師匠はとにかく凄い。出てきた瞬間に客席の空気がピリッと変わったのが分かる。そして、見事にその空気を和ませる文菊師匠の『気取ったお坊さんマクラ』からの『気の長短』。表情とたっぷりの間。今までは一言一句違わなかった『気の長短』がさらに進化していた。時間の都合なのか、序盤の天気の話を省き、長さんと短七さんの掛け合いが絶妙。思わず唸りたくなるほどに痺れる名人芸。煙草を吸う仕草に私の客席のお客が「死んだじいさんそっくり・・・」と呟いていたのが印象的。特に素晴らしいのは二人の関係性を感じさせる一つ一つの言葉、短七の「俺とお前は昔っからの馴染みじゃねぇか」とか、「怒らねぇよ、お前が言うことだったら、俺は怒らねぇ」という部分に、思わずうるっとしてしまうのだ。何でしょうね、そういう男気っていうか、二人の固い関係って、素敵じゃござんせんか。文菊師匠の落語は総じて、人と人との関係性が言葉とトーンで胸に迫ってくる。『甲府ぃ』なんか特に良いんですよ。もう冒頭から泣きそうになっちゃう。

 極上の15分の後で老練の柳家小せん師匠。品格のある落語家が続く。演目は『目薬』。馬鹿馬鹿しいお話なのだが、小せん師匠が演じると少し色っぽい。文蔵師匠の『目薬』を聞いたことがあるが、こちらはスケベという感じ。オチで笑いを誘って楽屋に下がる。

 太神楽の後で、鈴々舎馬るこ師匠。男梅に海苔を乗せたような赤い顔。羽織を脱ぐと青に魚?のロゴのある着物。CDの宣伝をした後で電化小噺からの士農工商の話。おやっ、妾馬!?と思いきや目黒のワードが出てきて驚嘆。なんと!『目黒の秋刀魚』でトリを取るのか!とびっくり。普通であれば15分間ネタにチョイスされる『目黒の秋刀魚』をトリネタに持ってきたということは、随所にアレンジがあるなと思っていると、予想通り子猫の話とチーズバーガーの話を挟み込んでくる。恐らく私の想像では春風亭一朝師匠の型を受け継ぎつつ、魔改造ならぬ馬改造をしたんだろうな、という印象。殿様の可愛らしくも横暴な感じ、それに振り回される家来。秋刀魚を焼く町人の描写。うおお、アレンジが絶妙だなぁ。と思って聞いていると、オチはあっさり古典通り。随所に挟まれるアレンジが爆笑を誘いつつも、しっかりと古典の土台に乗って展開された『目黒の秋刀魚』、私的には『馬改造・目黒の秋刀魚』としたいところである。

 私の隣にいたバリバリのご老人は嬉しそうにニヤニヤとしていたし、爆笑が多かった。もっと古典をぶっ壊して新作にしてしまうのは柳家喬太郎さんだったりもする。馬るこさんの落語の登場人物は個性が際立っているし、紳士声の鹿賀丈史風のキャラは少し癖になりそうな魅力を持っている。表情も豊かでエンターテイナー感がある落語家さんだなぁと思った。馬風師匠もそういうところあるもんなぁ。と妙に納得。

 

 昼の部だけでがっつり語りました。続いては夜の部。

 

 前半のハイライトは柳家花緑師匠。花緑師匠が大好きなファンの方が前の席を確保しようとしているお姿が見える。しかし、どうやら席を確保できず少し後ろで楽しむことにしたご様子。前列はガッチリ常連と恐らく勧之助師匠ファンが固めていた様子。

 昼の部と打って変わって、女性率が増す。つくづく思うが、面構えが良い落語家には器用の素敵なご婦人方が多い。羨ましい限り。特に舞台右の桟敷席は殆ど女性。前列も女性。後列も女性。男性の行き場が少なくありませんか。それだけ柳家花緑一門には品と色気があると思う。弟子の面を見て頂ければわかる。みんな色気があって男前なのだ。昇太一門の初々しい若手俳優イケメン感とは違って、花緑一門は歌舞伎役者のようなイケメン感と言えばお分かりいただけるだろうか。

 そんな歌舞伎役者のイケメンを束ねる花緑師匠、演目は『親子酒』。いいですねぇ。特に深い意味は無いと思うけど、約束をして親と子、それぞれ約束を破って酒に酔う。これ、酒を芸に変えてもいいな、と思った。花緑師匠と勧之助師匠。共に親子の関係を結んで芸の道に進み、芸の世界に身を浸す。たとえ共倒れになったって、笑いあっていようじゃねぇか。というような意味があったりするのでは無いか。そんなことを思って花緑師匠の『親子酒』を聞いた。目の焦点の合わない感じ、呂律の回らない感じ。ああ、やっぱり師匠はこうやって弟子に自らの姿を示すことで、弟子を励ましているのだなぁと思った。自らの芸で持って弟子に語る。素晴らしい花緑師匠の魂のようなものを見た一席だった。

 そこから特に期待せずに聞いていたのだが、かなりレアなことに鈴々舎馬風師匠が『紙入れ』をやっていた。スキャンダル関係をやらせたら独自の味を出してくる馬風師匠。お決まりの時事ネタをいじったり、真打について色々語ったり、漫談で過ぎるかと思っていたところで、まさかまさかの古典演目だったので、かなり驚いた。心の中の第一声は「古典、やれるんだぁ・・・」だった。大変に失礼な話であるが、それくらい寄席で馬風師匠が古典をやるのは珍しいのだ。

 そんな衝撃の後で仲入り。仲入り後は新真打の口上。幕が上がって舞台は左から順に、

 

三遊亭吉窓 鈴々舎馬風 柳家勧之助 柳家花緑 柳亭市馬

 

 吉窓師匠は「私の毛の伸びしろは無いけど、彼には伸びしろがたくさん」、馬風師匠は「この色白ですから、乙な年増に騙されないように」、市馬師匠は「ともにのぼらん~」のお決まりで、花緑師匠は「あまり記憶に残ってないんですけどね」と笑いを誘う。どこか師弟の関係性が見えてきて涙腺が緩む。真打口上の雰囲気はいつ味わっても素敵なものだ。何せ14~15年も修行するのだから。その感慨は深い。

 はん治師匠はお決まり『妻の旅行』。ネタ帖にどんだけ『妻の旅行』って書かれるんだろう、と想像する。何十年後かに昔のネタ帖を見た前座が「この柳家はん治って人、どんな人か知らないけど、妻の旅行ってネタばっかりやってるね」と言われないか心配である。五街道雲助師匠はお祝いの席ではお馴染み『ざるや』。

 太神楽の後で、お待ちかねの柳家勧之助師匠。パッと見は尾上松也を彷彿とさせる歌舞伎役者顔。色白の甘いマスクにキリリとした眉と柔らかな目。笑った時の表情がご婦人方には堪らないのかも、と想像する。全体的に紫っぽいオーラが出ているという個人的な印象、色男だねぇ。声も甘い感じである。

 本日二回目の士農工商の話、お!今度こそ妾馬か!と思って聞くと、予想通り演目は『妾馬』。きっちりトリで大ネタを持ってくるところにまず感謝。

 私としては色気の達人、古今亭文菊師匠を見てしまっているので、どうしても柳家勧之助師匠に目立った個性を感じることは出来なかった。額から汗を流して語り、私には少し駆け足なテンポに感じられた。登場人物の描写も薄い感じで、新真打成り立てなんだぁという印象から外れない。

 言い忘れていたが、舞台の左には愛媛大学落語研究会OB一同からの羽織と『羽織』と書かれた色紙。右には日本酒で『魔王』ともう一本瓶で置いてあったが名を忘れた。

 肝心のお鶴と再会のシーンも、私としてはあまり涙を誘う感じでは無かった。いきなり涙を堪える入船亭扇辰師匠バージョンや流麗ながらも涙を誘う立川左談次師匠バージョンが好きなので、これは好みの問題だと思って割り切る。

 

 総括すると、昼の部は落語の幅の広さと可能性を見た番組のように思え、夜の部は新真打としてのスタートを切った番組という印象だった。私としてはどんどん素晴らしくなっていく文菊師匠、馬改造で爆笑を巻き起こす馬るこ師匠、馬風師匠の『紙入れ』が非常に印象に残った。お尻が痛いけど、素敵な痛みだと思える一日だった。

 いよいよTENのメンバーも寄席に顔を連ねるようになってきた。次の波は成金メンバーで起こってくるだろう。想像すると楽しみで仕方がない。

 末廣亭を去りながら、夜の街の明かりの中に溶け込むようにして、私は帰路についた。

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美しき心が宿る名調子~10月7日 浅草木馬亭 月例 玉川太福独演会第12回~

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今日はお子さんも多いので、侠客ものをやります。

 

あ、あれか、金井君、今日は「ちょっと!」の日か

 

武士なら碌より名を残せ

  晴れである。とにかく晴れである。一点の曇りなく晴れである。空が暗くなろうと、街の明かりは燦燦と輝き、ドン・キホーテのペンギンは照らされている。ここは浅草、下町人情溢れる街よ。行き交う人の流れの中で、漂う匂いはおでんぐつぐつ。いきなりプーンと匂ったかと思えばボロ布纏った髭モジャ親父、やたらイチャイチャ男女のカップル、喚きたてる中国人、ここは浅草、下町人情溢れる街よ。

 人ごみを掻き分け参らん木馬亭、唸る浪曲、響く三味線楽しみに、2000円を払って入場。客層判断。やはり前列は常連の布陣。と思いきや家族連れ。右側に常連の一帯が固まっており、何やらテレビカメラまである。意外や意外、客層が若い!でも文菊師匠のような美人な方々は少なく、私も含めて唸りに飢えた野犬のようなお客様方(失礼!)が大勢着座。おおっ、やっと来たぜラストの浪曲

 講談、落語と来て、本日のフィナーレは浪曲。日本演芸フルコース。ざっと6000円。交通費込みで内緒。浪曲界の若きスター、玉川太福さんの独演会だ。

 太福さんには痺れっぱなしである。特に『笹川の花会』やら『紺屋高尾』やら、『石松三十石』やら、侠客ものでの粋な男気全開が個人的には大好きである。爆笑系の『地べたの二人シリーズ』ももちろん名刺代わりに良いが、やはり神髄は次郎長伝や天保水滸伝のような連続物だと私は思っている。

 愛する人が敵に傷つけられ、その復讐のために仇討ちをするという伝統のパターンの中に、いくつもの男気、蒸せるような熱い魂がある。最高のフィナーレを飾れるぞ、と期待。

 さて、今回は新潟テレビの取材ということで、私の後姿ももしかすると、テレビに映るかも知れない。つるっぱげの60代の後頭部をご覧になりたい方は、是非、新潟テレビをご覧くださいませ。

 そんなテレビを知ってか知らずか、前の方は若いお嬢様方。歳の頃ならまだ七~八歳といったところか。やたらとテレビカメラを気にして振り向くのが可愛らしい。飽きずに浪曲が聞けるのか心配になる。案の定、母の肩に首を置くように倒れ込んでいるのが見えた。やはり演芸鑑賞にはある程度の集中力、そして語彙力が求められると思う。理解できない宇宙語を二時間も聞くのは苦痛である。

 幕が開くと「待ってました!」の声。まだ誰も出ていないのに(笑)と思いつつも、舞台セットは浪曲スタイルで、テーブル掛けには紅葉の絵に鬼怒川温泉の文字。鮮やかな秋の佇まい。左から出てきた玉川太福さん。度の強い眼鏡、虎造ばり。

 T京かわら版に載ること、新潟テレビの取材があることが伝えられ、若い子供たちの為に次郎長伝を一席、ワンピースと一緒という語りを入れてから『石松と見受山鎌太郎』。準備運動のような節、「次郎長怖い人」に始まり、石松の「馬鹿はしななきゃ治らない」まで、唸りが良い。石松と鎌太郎の掛け合いもテンポが良くて粋。袱紗を取ってからの節も絶妙。ああ~粋だなぁ~というところでお時間。

 二席目は『地べたの二人 木馬亭』。お馴染みの金井君と齋藤さんの掛け合いから、世にも奇妙な物語風の展開。まるで金井君と齋藤さんが木馬亭にいるような気分になる。金井君と齋藤さんは間で笑わせられる。少しドラマチック。

 一旦、仲入りを挟んで、三席目。これが実に素晴らしかった。

 三席目は『西村権四郎』。舞台上は講談スタイル。客席から「えっ、講談やるの?嘘ぉ」というような声が聞こえる。三席目、これがとにかく痺れた。前の席のお嬢ちゃんはすっかり疲れ果てていた様子だったが、浪曲好きはここぞとばかりに前のめり。じっと話に耳を澄ませて聞き入っている。

 別題『松坂城の月』とも言うらしく、お初の話。蒲生氏郷と西村権四郎の掛け合いが実に男気にあふれていて、特に権四郎が氏郷を相撲で張り飛ばして床柱にぶつけた後、逐電した後に改まった氏郷の節が絶品。心の中で「うおお、来た、来た、来た、来たぁ」と叫ぶ。何でしょうね、ヒラリとマントを靡かせたスーパーマンが颯爽と飛び立つ様を見るような感情、あの「ああ、これから怪獣を倒してくれるんだ!」みたいな期待感。あの瞬間は滅多に訪れなくて、三原佐知子先生の『三味線やくざ』でも感じた感情。何かが颯爽と舞い降りて飛び去っていく感覚なんですよ、わかりますかね(笑)

 節の流麗さ、紡がれる言葉の美しさ、太福さんの音色、みね子師匠の鮮やかな三味線。三位一体どころか、会場の空気が渾然一体となって上空に飛んでいく感じ。振り落とされないようにぐっと歯を噛み締めていると、あらゆる音が体に染み込んできて、気持ちよくなってくる。良い節だ、素晴らしい。ああ、もっと続け。と願いながらも物語は進む。そして、再び出会った両名が相撲を取り、再び権四郎が氏郷を投げ飛ばす場面、それから紡がれる言葉に思わず目頭が熱くなる。良き主と良き家臣の、その美しき魂の関係性に胸が震え、胸が熱くなり、目頭が緩み目から涙が零れる。温かいなぁ、いいなぁ。と思っているところに押し寄せてくる節、節、節。もう快感以外の何物でもない。素晴らしい調べを聞きながら放心状態で幕が閉じる。拍手喝采。太福さんもやりきった!というように見えた。

 美しい心を持つ二人の関係性が素晴らしい『西村権四郎』。侠客物とはまた違った、人情の輝きに、しばらく席を立つことが出来ず、帰り道も腑抜けのようになって帰った。

 

 講談、落語、そして浪曲で幕を閉じた一日。今後の日本演芸を担う者達の未来を見たように思えた。こんな幸福に出会えたことに感謝である。

 今回ばかりは少し一所懸命に場所を移動しすぎたかも知れないが、その価値があると思えるほどに今日は良かった。松之丞さんはたっぷりだったし、文菊師匠は安定だったし、太福さんはまた一段素晴らしくなっていた。こんな日は滅多にやって来ないだろうと思う。

 いい演芸に浸った後は、言葉がどんどん生まれてくるものだ。なんて幸福なのだろう。そして、こんな幸福を与えてくれる演芸が日本にはあるのだ。そのすばらしさをこれからも発信し続けて行く。

 さて、明日は、というか既に今日だが、どんな素晴らしい演芸に出会えるやら。楽しみで仕方がない。

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品格と粋、僅かばかりの野良を添えて~10月7日 なかの芸能小劇場 古今亭文菊お宝三席~

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夜這い、皆さんご存知でしょ?今更、知らないとは言わせませんよ?

 

なんですか、この引いていく感じは

 

あたくしは10時担当ですから

 

いちがーっち!いちがーっちはてんてーこてん 

  朝練講談会の後、物販でサインをして書籍、CDを売る松之丞さんを横目に次の会場へと向かう。その前にさくっとレポートを書いて中野へ。この仕事の速さ、藤岡まことばり。

 天候は相変わらずの快晴である。至る所ででんでこ、でんでこのお祭り騒ぎ。中野に着くと太鼓の音が響く。おや、まさか今日の文菊師匠は『火焔太鼓』をやるんじゃないかと思いつつも、中野ブロードウェイを突っ切って、文菊お宝三席。階段を上って二階にある。受付にはお馴染みのマスク姿の主催者。カジさん?というお名前だったと思う。脇を固めるお孫さん?は美人。ここは高級スナックですか。

 まずは客層。ご常連のご婦人方はさることながら、文菊師匠の独演会は美人揃いである。乙な年増から見目麗しい女性まで、幅広い美人を揃える『スナック文菊』。行く、私だったら絶対行く。頭を丸刈りにして睫毛伸ばしてでも行く。

 そんな美人揃いのお客様が揃った会は良い匂いもプンプンするし、色気もあって心無しか客の男性もちょっと色めきだっている。私も変な気を起こして美人に声を掛け、「いいですよね、文菊。でもね、私は白鳥と天どんも・・・」なんてボロが出る口説きを言いそうになる。来たれ、落語好きなチャラ男!

さて、そんな美人達の視線と笑顔を独り占めする罪な男、それが古今亭文菊師匠である。落語界の市川海老蔵と言っても過言ではないと思う。

 そんな古今亭文菊師匠。寄席では生まれ持っての品の良さと、顔立ちの良さをマクラにして笑いを誘う。下手をすれば「気取りやがって!」と嫌われがちだが、そういう嫌味も一切ない。ただ高貴なお姿に男である私も惚れ惚れとする。何とも絵になる師匠である。

 古今亭文菊師匠を語るのは非常に難しい。大好きだからこその苦しみがある。それは追々語って行くとして、ちらっと会場前に見えた林家やまびこさんのお姿に驚く。ちょっと太っているし、何より、あの、その、文菊師匠と違って、その、あの、お顔が

 さ、この続きはご想像にお任せするとして、幕が上がって開口一番は林家やまびこさん。14時45分という時刻を完全に無視した「おはようございます!」という挨拶に、客席が完全に戸惑う。知っている私のような人間でも「お、おはよう・・・」と声にならない声で返答する。会場の美人の顔が強烈に印象的だった。私が感じるに、美人の全員が「お前じゃない、早く文さんを出せ」だったと思う。あちゃーっと思いつつも、お構いなしに、彦いち師匠の弟子らしい元気印と独特の間で演目は『転失気』。去年前座デビューの割には上手い。以前の春風亭朝七さんのような江戸の風派とは違って、オリジナリティを既に獲得した間と言葉のチョイス。ただ残念ながら客席が思いっきり「望んでいるのはお前じゃない感」が出ていて可哀そうだった。客席中央、特に最前列のご常連はびくともせず、むしろ「早く時間よ過ぎろ」というムードを醸し出していたように思う。若干右の席の方々の笑いが多く、左は薄いという印象。これぞ、後列を陣取る私の客層判断である。

 実に面白かったし、『三つ重ねの転失気』というワードには笑った。あれがやまびこさんのオリジナルだとしたら凄い。桂伸べえさんの『饅頭怖い』における『逆水責め』ばりのパワーワードだったと思う。こういうパワーワードは演目が終わった後でも残り続けるから素敵だ。それに間が面白い。珍念の演じ方がクサ過ぎて辟易する落語家もいる中で、やまびこさんの珍念にはそれが無い。珍念のちょっぴりいたずらチックなところも、らしく聞こえていた。

 これまでの前座は大体『元犬』、『道灌』が多かった。やまびこさんで初めて『転失気』だった。言ってしまえばアウェイの会場の中で、凄い健闘だったと思う。

 軽く私が知っている林家やまびこさん情報。うろ覚えですが林家彦いち師匠が小ゑん師匠との二人会で、「モンスターみたいな弟子が出来ましてね、新作もやるんですよ。冷蔵庫に入った肉を取りだしてね、ミノ、モモ、ハツ、レバー、タン、カルビ。みんなそろって部位6!ってのを、この前見せてもらいましてね」と言っていた記憶がある。

 そのくらいしか情報が無くて申し訳ないのですが、高座は『寿限無』を聞いたことがある。とにかくパワフル。寄席だと今日の独演会の何倍もの声量で「こんにちわ!」と叫ぶ。14時過ぎだったので「こんにちわ!」を期待していたけれど、もしかしたら緊張されていたのかも知れない。

 文菊師匠のファン揃いの完全アウェーに紛れ込んだ野良猪(失礼!)の大奮闘を見終え、出てきたのは主役、古今亭文菊。少し前に出た小里ん師匠のお話をされてから一席目は『干物箱』。第一声からお声が鼻声で、あれ?と違和感。と同時にちょっとした恐ろしさを感じる。

 文菊師匠と言えば、その溌溂とした声と江戸の風をビュービュー吹かせる粋なスタイル。その声の魅力は計り知れない。その声が鼻声になっただけで、それまでの落語が微妙に濁っているように感じられ、それを感じてちょっと残念に思っている自分に驚く。と同時に、私自身が文菊師匠の唯一無二の美しい声の調子に惹かれていたのだと気づき、もしもその声が失われて枯れたら?と思い、少しゾッとしたのである。まるで美しいクラシックの音色にノイズが乗ったような違和感を私は抱いてしまった。もしかすると私だけがそう思っていただけかも知れないが、明らかにいつもの声の感じとは違っていたので少し戸惑った。

 最近、特に文菊師匠はオチの語り方が変わったように思う。話によって文菊師匠なりにストンッと来る語り方、間、になったと思う。以前見た干物箱はもっとゆったりしていたし、オチの語りもさらりとしていた。多分模索しているのだと思う。幸太郎は少しオトボケ感が増し、善公は陽気になった。その分、若干親父の演出が薄くなった。これはあくまでも私の個人的な感想である。今日に限ってそうだったのかは分からない。それでも、善公の明るさによって笑いが増した一席だった。

 二席目は『猫の皿』。これが実に丁寧に、たっぷりの間で語られる。特に猫のついでに皿を求める男の表情、皿を売らない店主の表情の機微。文菊師匠は登場人物の心の機微、表情の機微に注目して演じられている。皿の正体を説明されて激高する男の反応に対しても、特に笑いを取ることはせず、あっさりと「俺は猫は嫌いだよ、ちくしょう」っと言った感じでオチまで続ける。オチも店主のねっとりとした感じを表現されていて、今まで見たどんな『猫の皿』とも違って、間がたっぷりだった。文菊師匠は『長短』や『権助提灯』のような短い話をたっぷりの間と表情で演じられている。これは笑いを感じさせる間と同時に『凄み』を感じさせる間だと私は思っている。『長短』における長さんの煙草の吸い方、『権助提灯』における権助の旦那への野次の言い方、『あくび指南』のあくびの先生に至っては、『ゆれるともなく、ゆれる』の動き方。こうした所作と間に凄みを感じさせる。寄席の文菊師匠も実に凄いのだ。

 二席目が終わって、仲入り。一つ苦言を呈するとすれば、二席目の最中にグミ?か何かのお菓子を食べ始めた客がいた。カサカサパキンパキンッと音が鳴って、非常に気が散った。勘弁して頂きたい。独演会でも集中して聴けなくなったら、私はどこに行けばいいのだろう。呼べばいいのだろうか。。。

 三席目は『棒鱈』。これも冒頭の演出を微妙に変えてきている。どう変えてきたかは録音していないので、私がただそう思うだけで、実は変わっていないのかも知れない(無責任)

 惜しむらくは鼻声だったことくらいで、田舎侍の歌は相変わらずぶっ飛んでいたし、それを気に入らない熊五郎の姿も良い。野暮な感じでありながらも、笑えるのはさすがの演出である。田舎侍と言えば文菊師匠は他に『百川』がある。

 棒鱈が出てくるくだりから、オチまで畳み掛けるような演出になっていた。以前はもう少しオチまでの速度が遅かったし、言葉も費やされていたようにも思ったのだが、そのスピード感が実に気持ちいい。終演時間を見て調整したのかは分からないが、畳み掛けるようなオチの語りの爽快感があった。

 

 総括すると久しぶりの文菊師匠のエネルギーを体感し、大満足。風邪気味だったので早くお体を治して、また透き通るようなお声を聞かせて頂きたいと思う。半面、私が気に入っている声に陰りが出てきたら、その時私はどう思うのだろうと少し思ったのも新しい発見だった。同じことで、現在の林家正蔵にも声に関して惜しいところがあると思っている。林家こぶ平時代は明るくハリのある声だったが、今はガサガサとしている。非常に残念に思っている。こぶ平時代の突き抜けて明るい声が今も保たれていたらなぁ。と叶わぬことを夢見る。つくづく落語は怖い商売だな、と思った。

 足早に中野を飛び出し、お次は木馬亭玉川太福さんの月例独演会。これも素晴らしかったぁ。続きは次のレポートで!

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