落語・講談・浪曲 日本演芸なんでもござれ

自称・演芸ブロガーが語る日本演芸(落語・講談・浪曲)ブログ!

立つ腹を寝かせて眠れ~2021年2月14日 渋谷らくご14時回~

  ALL BRIGHT
昨日の夜に大きな地震があった。それで、目が覚めた。
すぐに家族のグループラインで、両親から「大丈夫?」のラインが来た。
眠かったので、竹内力のパワー全開のスタンプで返した。
弟だけ返事が来なかった。まさか死んではいるまい。
朝になって「大丈夫だよ」と弟のライン。
大丈夫だとは思っていたが、少しだけホッとするのはなぜだろう。
目が覚めて、一通りの経済情報をチェック。Fleetをあげて、Spoonでキャストをあげて、服を着替えてジムに行った。背中を鍛えたくて、ずっと懸垂をやっていた。
まるっきり生活が変わったと言えば変わった。使う先の無いお金は全て投資に使い、暇な時間は英語と金融の勉強。もっと暇な時はSpoonでキャストをあげるかFleetをあげるか、チャートを眺めている。お金を稼ぎたいという欲については、散々書いてきているので、今更書かない。

気分屋なので、お洒落をしてシブラクに行こうと思った。

 

お気に入りの香水と、お気に入りのアクセサリーを身に付けて、シブラクへ。
相変わらず、SNSの世界はクサクサしていた。
渋谷の街は、それほどクサクサしているようには見えなかった。
以前、どの駅だったかは忘れたが「コロナは茶番」という看板を掲げた連中を見た。
ああいう連中ほど、すぐに死ぬのだろうなと思った。
世界中で毎日何万人という人が感染し、死んでいたりするのに、それを『茶番』と言えてしまう人の考えが分からなかった。
分からないだけで、攻撃しようという気にはならなかった。
大体において、僕は攻撃をしようとは思わない。
やたらと、匿名を盾にして人を責める人がいる。
みんな、攻撃したくてしたくてたまらないのだ。
そんなに攻撃したいなら、身近な人をぶん殴りでもすればいいのに。
そんなに攻撃したいなら、上司でもなんでも、気に入らないものに、

唾を吐いてしまえばいいのに。誰もそうしない。
ただただ、言葉を吐いて、自分が傷つかない位置で攻撃をして、
それで満足してしまう。なんとも、お暇な人たちだと思う。

まあでも、こういうコロナ禍にあると、何かと誰かを責めたくなるのかも知れない。
それは一体どうしてなのかと思うと、きっと気に入らないからだろう。
なんだか無性に気に入らないから、責めたくなる。
自分の正しさを主張して、相手の間違いを指摘しなければいられない。
それもまた、仕方のないかもしれない。
誰もが自分だけの正義を振りかざして、人を守ったり、人を傷つける。
誰も傷つけずに生きることはできるだろうか。
僕は出来る。そう信じているから。

渋谷の街には、ずっと愛がある。
行き交う男女の愛がある。
くだらなくても愛がある。
どうしようもない愛がある。
なんだか僕は、それが、

どうしようもなく愛しい。

 

 春風亭昇也 壺算

新年一発目の落語は、春風亭昇也さんの『壺算』。少し硬い雰囲気の中で、朗らかな昇也さんの心地よいリズム。語り口の滑らかさ。ちょっと緊張されているのかも知れないと思いつつ、ぼんやり聞く。
勘定を間違えてしまうことって、良くあるよね。
この時期、あんまり古物商とか飲食店とか儲かってないのかも知れないけど、
こうやって、お客と店員が仲良く微笑ましく、値引いたりして、

安く物を買える光景が、日常になるまであとどのくらいだろうかと考える。

 立川談修 夢の酒

お初の談修さん。談吉さんのお師匠さん。素朴な人という印象。
質素な落語の中に、端正な人物の描き分けがされていて軽やか。
 隅田川馬石 金明竹

お久しぶりの馬石師匠は、以前に見たときよりもさらに『不思議な人感』が増している気がした。マクラからとんでもなく「不思議な人だなぁ」という感じがして、会場にいたお客さんも全員、「なんか変な人だぁ」という感じで、めちゃくちゃ笑っていた。
いつ見ても、お餅のようなくちゃくちゃっとした雰囲気と、弾力性のある語り口が馬石師匠の個性な気がして、僕はそれがずっと気持ちが良くて好きだ。ガムを噛んでいたら、色んな味を感じられるような不思議な体験ができる。
金明竹に出てくる登場人物の一つ一つの動作も面白い。頭クルクル。覚えようとしてない。機転。膝を叩く。僕は馬石師匠の独自のリズム感と空気感のある金明竹がたまらなく好きだ。寄席だと短縮バージョンになったりするが、フルで聞く金明竹はいつ聞いても良い。馬石師匠の個性が爆発している。
コロナだとか、地震だとか、そんなの一切関係なく、馬石師匠が馬石師匠であるということの、底抜けの明るさが気持ちいい。世の中でやたらと文句を言い合う人なぞどこ吹く風で、ただただ自分の好きな世界に浸って没頭して笑っている人。そんな馬石師匠の存在の温かさに、僕はただただホッとする。

 古今亭文菊 天災

震えるほどのネタ選びのセンス。

天災をやると分かった時に、

僕の全身に何かが走って、血が滾って、体が沸騰するのが分かった。
ああ、凄い。

ああ、すげぇなぁ。
本当にすげぇわ。

と、ただただ頭の中に言葉が響いた。
去年からのコロナも、昨夜の地震も、全てを『天災』という落語に込めて、
とーんと会場にいる皆さんに受け渡して、染み込ませてしまうのが、
古今亭文菊師匠だと僕は思う。
僕は感じたのだ。文菊師匠が『天災』を選んだ意味を。
本当は意味なんてないのかもしれない。
意味を求めることさえ、意味のないことかもしれない。
でもさ、やっぱり僕は言いたいんだよ。
この世の中でさ。色んな人がコロナ禍で言い合いをしてる。
誰それは不謹慎だ。誰それは間違っている。誰それが正しい。即刻行動しろ。
ありとあらゆる心無い言葉が飛び回って、心がささくれだって、
何かがあればすぐに腹が立って、乱暴に誰かを傷つけてしまう。
でも、ふと立ち止まって考えてみたら、自分ではどうすることもできない。
地震は予測できても、完全に止めることはできない。
コロナだって、予測はできても、完全に対策を打つことはできない。
どうすることもできないものに対して、どうしても怒りたくなる。
もっと早くできないのか。なんて無能なんだ。日本は終わりだ。日本人はダメだ。
そんな言葉に埋め尽くされて、誰かを傷つける。
貧しさでどうしようもなく、人を傷つける人だっている。
文句、文句、文句で埋め尽くされる。
でも、結局、そんなことをしても世間は変わらない。
文句だけじゃ、世間は変わらない。
するべきことはただ一つ。自分の意志をきちんと示して行動することだけ。
否定をするのではなくて、より良い方向に進むために話し合わなければならない。
自分の正しさをぶつけ合うのではなく、相手と話し合って何が正しいかを決めなければならない。だからこそ、大勢の人々が意志を示して話さなければならない。
岩も集まれば、川の流れを変えられる。
葉も生い茂れば、風の流れを変えられる。
どんなことも、自分の意志をきちんと示せば、必ず流れは変わるのだ。
良い方向とは何かを、今一度僕たちは考えなければならない。
その上で、日本に留まるのか、それとも海外に出るのか。
それは全てあなた次第だ。

『天災』に出てくる八五郎は、ベニラボウ・ナマルの言葉によって心を入れ替える。
今の時代に求められるベニラボウ・ナマルを、僕は自分の心に持ちたい。
そして、あなたのこころにもベニラボウ・ナマルが生まれることを願う。
全ては天の災いと思って、諦めるしかない。
そして、必ず時が来たら自分の意志を示す。僕はそう心に決めている。
八五郎が「てんせぇ」というと、『転生』に聞こえる。
どうしようもない災いの中で、多くの人が心の転生を体験したんじゃないだろうか。

なんだか、僕には生まれ変わった自分というものを、文菊師匠が語りかけてくれているように思った。
仕方がないじゃない。だったら、それを受け入れましょう。
腹を立てたって仕方がないじゃない、と。
僕もそう思う。
それが、僕が文菊師匠から感じたメッセージだった。
あくまでも僕個人が、そう思っただけだ。

 

ただただ眠ろう

シブラクを終えて、寿司を食べた。シブラクの後は、大体寿司を食べたくなる。
なぜだか無性に、寿司を食べたくなるのだ。
自分は、何かに腹を立てていた気がした。

何かを変えなくちゃいけない、と思った。

で、自分にできることはなんだろうかと思った。
それは、発信し続けることだった。

毎日、きちんと生きて、発信し続けることだった。

それがどれだけ小さくても、結局僕は何かを生み出したい人だった。

好きな仕事をやって、お金も貰って、好きなことを楽しんで、好きなように生きて、

それで、十分満足だった。でも、よりよくしたいという気持ちが常だった。

だから僕は進むのだ。

腹が減ったら飯を食って満たし、

腹が立ったら寝かせて眠るのだ。

それでぐうたら、生きて行けばいいんじゃないかな。

でも、僕はより良い社会にするために頑張るけどね!笑