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自称・演芸ブロガーが語る日本演芸(落語・講談・浪曲)ブログ!

上野探訪、秋を間近に~2019年9月28日 上野 不忍池界隈の散策~

 

私にはこんな風に世界が見えた

  

見たくなったら

「もうすぐ、九月も終わりか」

スマートフォンを片手に、私はドラクエウォークのログインボーナスを受け取り、布団から這い出ると、空いている方の手で握力を鍛えるグリッパーを握った。

7月に入ってから、本格的に体を鍛えようと思い(本当はモテたいから)、食事制限、筋トレ、サウナと徹底して体を絞ったおかげで、この二か月で体脂肪率がグンッと下がり、腹筋がうっすら割れているのが見えるようになってきた。

毎年、私は9月ごろになると自らの肉体の『怠慢』を矯正するために体を鍛え始める。今年は少し早い。(ちょっと女性関係でショックがあった)

24歳の頃には『毎日10km走る』と急に思い立ち、最初の三日間は3kmしか走れず、自分の体力と脚力の無さに絶望したが、4日目で5km、5日目でかなりの時間がかかって10kmを走破。その後、12月まで10kmをとにかく走った。が、年末に食べ過ぎて集中力を失い、以降はダブダブの身体になった。

一度体を鍛え始めると、それこそストイックに鍛えようという気持ちが沸き起こってくる。自分の肉体の緩みをネジの閉め込みのように一つ一つ直していく。思考がクリアになっていき、なんだかモテるような気がする(気のせい)

30分ほど、映画『ロッキー』のサウンドトラックを聞きながら筋トレをした後、ドラクウォークを『WALKモード』にして、街へと繰り出した。

自然が見たい、と急に思ったからだ。私には何でも『急に』という思いがやってくる。急に食事をしたくなったり、急にトイレに行きたくなったり、急に映画が見たくなったり、急にモテたくなったりする。

きゅうに十八では無いが、9月も終わりに近づいて、とても過ごしやすくなった。こういう過ごしやすい日ほど、街に繰り出すのが良い。自然に触れるのが良いだろうと思った。

とにかく自然を見ようと思い、近場の上野を散策することにした。都内の自然は上野が良いと思う。特に理由は無いが。

 

 不忍池を泳ぐ愛

 

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上野の不忍池は、落語や講談の舞台になっている。殺生禁断の不忍池で釣りをしようとする不届き者が登場する『唖の釣り』や、左甚五郎が登場する『水呑みの龍』が有名である。

そして、最初の駅伝におけるゴール地点でもあるのだという。

さらには、画家である西田あやめさんが作品として描いた場所でもある。

ぶらりぶらりと不忍池を眺めていると、とにかく蓮が多いなぁ。という印象である。小人が傘にしても余りあるほど蓮が天へと伸びている。蛙の世界に商人がいたら、今頃はゲコゲコ財閥でもできているかも知れない。

ぼんやり歩いていると、小さな少女が両親に手を引かれて、スワンボートの乗船口に入っていくのが見えた。良かった、乗れたんだね、と思う。

私は、スワンボートに乗れなかった幼い一人の画家を知っている。その画家が描いた絵を思い出して、胸が締め付けられた。西田あやめさんの描いたスワンボートに感じた『スワンボートに乗れなかった悲しみによるブレ』が、私の胸にとーんっとやってきたのだった。

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水面を泳ぐスワンボートには、若い男女が乗っていて、足を交互に動かしていた。バシャバシャとスワンボートのお尻にある歯車が水を掻いて回っている。

私も、スワンボートに乗れなかった男である。否、乗ろうと思えばいつでも乗れるのだ。けれど、どうしても、一人では乗りたくなかった。それは、幾らなんでも寂しすぎる。

水面を泳ぐ愛を眺めながら、近場にあったベンチに腰掛けた。ちょうど、私の隣には老夫婦がベンチに腰かけていた。

「少し歩く?」

旦那さんが奥さんに声をかけた。

「足が痛い」

奥さんの言葉に旦那さんは、

「こっちの足が痛い?」

そう言って、奥さんの右足に触れた。

奥さんは首を横に振った。

「じゃあ、こっちの足だね?」

奥さんは首を縦に振った。

「来週の土曜日には、病院の先生に診てもらおうね」

旦那さんの眼差しを受け止めている奥さんの眼差しを、

私は見てみたいと思った。

しばらく不忍池を眺めた後で、

「少し歩こう。立てるかい?」

旦那さんは奥さんの手を取ってベンチから立ち上がると、そのまま奥さんの歩幅に合わせてゆっくりと歩き始めた。

私の周りでは最近、色々と身の回りで訃報を耳にすることが多いのだが、少しでもご夫婦には長生きしてほしいと心から思った。

不忍池では、愛がゆっくり

水面を泳ぐ。

 

 ビルの向こう側

ベンチから立つと、ビルが見えた。西田さんが作品にしたビルである。

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あれ、こんなにビルとビルの間隔、離れていたっけ?と思いながら、自分の書いたブログを読み返した。

https://blog.hatena.ne.jp/tomutomukun/engeidaisuki.hatenablog.com/edit?entry=17680117127211077255

どうやら角度が違うことに気づいた。ビルの下には何があるのだろうと思い、その周辺を歩いてみることにした。

丁度、忍岡小学校があり、そこで運動会が開かれていた。子供達の大歓声が沸き起こっており、物凄い熱気が伝わってくる。そうか、このビルの下に、今まさに芽吹こうとしている大きな可能性があったのか。自分もかつては通った道。その頃の私は、確か応援団をやっていた。応援団長になりたかったのだが、生まれ持っての貧弱さが仇となったのか、応援団には入れたのだが、団長にはなれなかったことを思い出す。

私はスワンボートに乗れなかったし、団長にもなれなかった。

キル・ビルのテーマソング『BATTLE WITHOUT HONOR OR HUMANITY』が流れていた。子供たちはきっと、この英語の意味を知らないと思うのだが、もしも運動会で、このテーマのように、『仁義なき戦い』が行われているのだとしたら、ちょっとどうかと思う。

余談だが、先日カラオケで別室から、とても下手なのだが、その下手さが実に胸に感動を起こさせる歌い方をする少年がいて、その歌を聞いたとき、なぜか私は泣きそうになった。その歌には、恥らいも羞恥心も無い。明らかに誰が聴いても下手なのだが、まっすぐに歌う少年の歌声が、不思議と泣けるのである。上手く歌おうとしている自分が恥ずかしくなって、とても虚しい気分に陥った。一人カラオケは良く無いと思ったし、時に少年の純真さは、大人になった自らの心を完膚なきまでに叩きのめすのだと思った。余談終わり。

 

横山大観記念館

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不思議な巡り合わせもあるもので、長生きだったくらいしか知らなかった横山大観の記念館が、西田さんの描いたビルの周囲にはあった。入場料の800円を支払うときに舌がもつれ、「お、おとな、いちまん、いちま、一枚」と言って、受付の女性に怪しまれたが、偶然にも絵のガイダンスが始まったとのことで、ガイダンスを聞くことが出来た。

横山大観は、下絵を描かないのだという。とにかくじっくりと絵の対象物を眺め、何度も何度も書いては燃やし、書いては燃やし、ようやく納得のいった作品にだけ落款を施すのだと言う。

私も書いては消し、書いては消しを繰り返している。これと言ってテーマも設けない。書いている内に方向が見えるので、その方向に沿って書き直すということはある。だからなんだ、という話だが、横山大観は自らの心の中に風景を取り込み、それを自らの手で絵に表現していた。神がかった思考だと思う。

習作と題された絵は、もともとは大観が「燃やせ」と言ったものを、保存していた作品だと言う。すなわち、落款に至るまでの過程の絵である。

それでも、その凄さは見る者を圧倒する。墨一色であるにも関わらず、様々な色が、見れば見るほど浮かび上がってきて、はっきりと見えるのである。

『墨は五彩を兼ねる』という言葉通りの表現を、横山大観は自らの絵で表現していたのである。そして、その最たるものが『漁火』と題された作品である。これは、ネットなどで画像を調べると出てくるが、そこには無い絵の、生の魅力を是非味わってほしいと思う。

見れば見るほど、まるで絵そのものが一つの灯火の如く、揺れて、絶えず変化しているのである。一時間でも二時間でも眺めていられるほどの果てしない魅力が、『漁火』という絵にあった。

記念館の売店で『大観の言葉』を購入した。家の作りも大観の趣向が凝らされている。敢えて詳しくは書かない。是非、その眼で体感してほしいからだ。

 

 心つるつるに満ちて

横山大観記念館を後にし、再び不忍池を歩いていると、西田さんが捉えたのは恐らくこの角度であろうという場所に辿り着いた。

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ビルとビルの間隔も寄り添っている。ビルの下は若干生い茂ってはいるが、この辺りだろうと思って、ぼんやりと見ていた。

絵で表現できるものと、言葉で表現できるものは異なる。絵には絵にしか表現できないものがあり、言葉には言葉にしか表現できないものがある。それは、スミレがスミレとして咲くように。

西田さんの描き出した絵には、どこか淡い強さがあって、それは赤ん坊が差し出された母親の指をぎゅっと握りしめて離さない強さだ。改めて現実にある風景を見て、そこからあの絵を描き出した西田さんの、想像力と、絵として形作り上げた表現力に驚く。私には風景を見ても、それをどう絵にしていいかわからない。

でも、言葉にはできる。

曇り空の下で、物言わずにのんびりと葉を広げる蓮。無機質に見えるビルの中にも、住まい生活をする人々がいる。

私の見た風景には、飛び立っていく鳥の姿は無かった。生い茂る蓮が水面から伸び、けたたましい歓声の響く小学校の周囲に、ビルが建っている風景があった。

様々なものが、大地から生えるようにして立っていた。池には泳ぐ愛があった。池の周りには歩き連れ添う愛があった。一人孤独な男が歩き、考え、思いを馳せていた。

全てが、とてつもなく愛おしい。

生暖かい風に吹かれて、私は不忍池を後にした。

 

 寿湯へ

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散歩の疲れを癒すには、銭湯とサウナと相場が決まっている。旅行に行けば疲れを癒すのは風呂であり、山に行けば頂上の景色であり、海で言えばビキニのチャンネーであったりするように、散歩の疲れと言えば銭湯&サウナである。

寿湯は、サウナー(サウナ好きな人のこと)には有名で、塩サウナ、洞窟水風呂、大露天風呂がある。特に塩サウナと洞窟風呂の組み合わせは最高だった。

さらに、ラグビーW杯で、日本VSアイルランド戦が行われており、サウナ室は大盛り上がりであった。五彩に彩られた方から、異国の人々まで、夢中になってラグビーを見ていた。私も、そんな偶然に巻き込まれて、すっかりラグビーが好きになった。

思えば、不思議な巡り合わせばかりである。

西田あやめさんの絵を思い出した不忍池、そして横山大観の『見る度に変化する絵』と『墨は五彩を兼ねる』という言葉。そして銭湯では五彩で肌を彩った人と、『大番狂わせの一戦』を見る。これだけでもはや、十分すぎるほど刺激的である。

にも関わらず、私はこの後、新宿の深夜寄席に行くのである。

 

深夜寄席

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橋蔵さんは相変わらず橋蔵さんだったし、鯉白さんはさらに磨きのかかった変態だった。サイコパスと変態の後で、至って真面目なくま八さんの登場である。

くま八さんが、亡くなられた師匠を語る時に「うーん」とか「えーと、なんて言えばいいんでしょうねー」みたいなことを言っているときの、言葉が出て来なくて、必死に捻りだそうとしている感じが、凄く胸に響いた。

本当に大切な人との思い出を語るとき、言葉は見つからない。

それほど、くま八さんにとって金太郎師匠の存在が大きかったのだろう。エロと暴力の人だと言うけれど、それを語るくま八さんの語りには愛があって、それでいて、まだ全然実感の湧いていない感じが、リアルで、師弟の関係の凄味を改めて感じた。

色んなものを継いで、くま八さんは素敵な噺家さんになる。戸惑いながらも、もがきながらも、金太郎師匠の分というか、金太郎師匠と過ごした時間を思い返しながら、生きて行くんだろう。

くま八さんの『金太郎』と題された演目を見たとき、ハッとしてうるっときた。色々と苦しそうに、言葉を一つ一つ捻りだして語ってる全てが『金太郎』師匠そのものだったのだと思った。あの語りをしたくま八さん、そしてそれを聞いたお客さんの心の中に、金太郎師匠は生きている。

トリで上がった蝠よしさん。初めての噺家さんだったけれど、語りに蝠丸師匠のリズムとトーンが見えて、独特ののっぺりした感じが素敵な『引っ越しの夢』だった。

蝠丸師匠はお怪我をされて入院中だと言う。お体が一日でも早く健やかに治ることを祈るばかりである。

色んなものを継いで、魂と魂のリレーをしながら、芸は現代に生き続けている。きっと、落語を初めて話した人の魂や思いは、今もなお、形を変えながらも、その根底にははっきりと、確かに、生き続けているのだろう。

そんなことを考える一夜で、この日は締め括られた。

 

総括 秋はすぐそこ

秋の温度がやってきて、季節は穏やかに草木を染めて行く。紅葉の季節もやってきて、目にも彩な風景を見ることになるだろう。

ぶらぶらと歩いた記録を、随分と気の抜けた文章で書いてきたが、それもまた良しと思えるほど、穏やかで緩やかな一日だった。

考え過ぎても良くない。言葉を費やし過ぎても良くない。

秋はすぐそこにある。

秋を受け入れて、生きることに飽きないように、

毎日を楽しく過ごして生きたい。

そんな『散歩の秋』を思う。

記録。

ふと、ドラクエウォークを見ると、全員が瀕死の状態になっていた。

うーむ。