落語・講談・浪曲 日本演芸なんでもござれ

自称・演芸ブロガーが語る日本演芸(落語・講談・浪曲)ブログ!

伝説の年明け 天歌一品~2018年12月31日から2019年1月1日 神田連雀亭~

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 お客様が先細りしていくかと思っていたんですが、

 

おおっー!

 

ここで拍手ですか

 

皆さま、明けましておめでとうございます!

 

 餅の円、縁、宴

実家から逃げるようにして東京に帰る道中、私には何の後悔も無かった。

晴天の朝、久方ぶりに実家に帰り両親の顔を見、兄弟の顔を見、親戚一同の顔を見、亡き祖父の姿をぼんやりと想像しながら、餅と雑煮を食した。

餅つきはもう何十年と続く我が故郷の恒例行事(年寄りの多い行事ではない)で、すりおろした大根に醤油をかけた【カラミ】と呼ばれるものや、【こしあん】、【納豆】、【きなこ】等の具材が大皿に入れられ、出来立ての餅がそこに放り込まれる。年々皺の増えた母の手は痩せ細ってきたが未だ力強く、餅を食べやすいようにちぎっては皿に入れ「さぁ、食え」とばかりに笑みを浮かべる。母の手の僅かな赤みを見ながら食す餅は、味以外の柔らかさがあるように思えてならない。

これを食べなければ、一年が締まらないような気がする。一年が過ぎて、それぞれがそれぞれに逞しくなって一堂に会する。今年は誰それが結婚しただの、誰それが就職しただの、誰それの稼ぎが良い、誰それの職場の誰々が変、などと口の休まる時が無い。それでも、餅を食えば誰もが僅かの間だけ、餅の甘みと、柔らかな歯応えと、優しさに包まれる。

餅という字は食を并せる、と書く。并という字には【合わせる、並ぶ】という意味や【そして】とか【一つにする】という意味が込められている。餅米を合わせたり、色んな味と合わせたりする。また、それを食する人間もその場で出会い、一つの時間を共にする。さらに餅という字は、【望】から来ているとも言われている。【願う】という意味や【満月】を意味する【望】。となれば、餅を食する人間は、餅米と餅米、人と人の【合い】の中にあり、そして未来を望む思いの中にあり、【合い】は【愛】でもあるのではないか、そして【望】は【満月】、すなわち【円】であり【縁】であるのではないかと思った。だからこそ、私は何十年と続く餅つきが大好きだ。これを食さねば一年が締まらないと強く思うのである。

私は家の縁側で餅を食しながら、ぼんやりと一族の姿と話を見たり聞いたりし、そんなことを考えていた。そして、今あるこの光景を忘れまいとした。そこに肉体として存在しない祖父の姿も霞んで見えるような気がする。青々として雲一つ無い空に、眩いばかりの太陽が輝いている。あまりにも綺麗に輝いているので、庭先の犬柘植の葉から透かして太陽を撮ってみた。

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このくらいが太陽の輝きを受け取るには丁度良いと思った。ここにもまた、丸く輝く太陽がある。円形の太陽が人の円と縁と宴を見ている。【えん】という文字から私は一つの短歌を思い出す。

 えーえんとくちから えーえんとくちから 永遠解く力を下さい

笹井宏之氏の短歌だ。私はこの短歌が好きで堪らない。永遠解く力をどうして求めるんだろうとか、なぜ最初は平仮名なんだろうとか、その意味はまたいずれ考えてみたいと思う。

餅を食べ終えると、睡魔に襲われて来たので、京山幸枝若師匠の【竹の水仙】を聴きながら眠りについた。目が覚めて、とろんっと甘い空気に包まれながら、母の運転する車に乗り込む。いっそ餅になってしまえば良かった、と馬鹿なことを考えながら、餅になることが出来なかった私は、電話で「もちもち?もちですが」と言うことも無く、両親の家に帰った。

両親の家に着いても、結局寝るか食うかしていた。地元の親しい友人は一人か二人で、どちらも忙しいから会うことは難しい。小学校と中学校にはあまり良い思い出が誰に対しても無く、未だにそれを引きずっているから別段書くことは無いが、あの頃の自分の『とんがり坊や』具合に比べれば、今は『黄身』である。実るほど頭が下がる稲穂かな、である。

翌朝、目が覚めて家族の用事のついでに最寄り駅に降ろしてもらい、帰京。

 

 神田連雀亭へ

基本的に行き当たりばったりの行動を常としているため、帰京先の我が家に到着しても、ぼんやりと本を読むか、ギターを弾くか、ラジオを聴くかして過ごしていた。Twitterを眺めていると、神田連雀亭で『年末カウントダウン』の文字、そして『クリアファイルがもらえる』とのこと。これは貰いに行かなければならないと思った。正直、クリアファイル目当てで連雀亭に行った。つまらなかったら帰ろうとさえ思っていた。出る演者も分からないというところが、面白そうだと思った。ミステリーツアーみたいで、興味をそそられた。

いそいそと着替えを済ませ、家を出た。時刻は16時を過ぎていただろうか。ぼんやりと散歩がてらに連雀亭のある付近に到着。藪蕎麦の前にかなりの行列が出来ていて驚いた。ゲン担ぎやら風情を大事にする人々が列に並んでいるのだろう。私はなるべく省エネでゲンを担ぎたい性分で、困った時の神頼みがしょっちゅうの人間である。

連雀亭には既に数十名のお客様が入っており、受付には三遊亭天歌さんがいらっしゃった。優しくて小柄な伊藤英明という見た目の落語家さんで、早朝寄席の時に何度か高座を見たことがある。確か『手紙無筆』をやっていた記憶があって、ご出身の宮崎の話をされていた記憶がある。朝は寝ぼけていてあまり覚えていないが、勢いがあって面白かった記憶がある。三遊亭歌之介師匠のお弟子さんで、新作もやられる方だというのは最後に判明した。

これも後で感じたことだが、何と17時30分から年明けの0時まで居続けて、たったの1500円で入場。幾ら何でも安すぎる、と終わってから思った。まさに落語の福袋状態だと思った。

 

着座、会場の雰囲気

落語で年越しをしようというのだから、並大抵の落語好きは集まらないだろうと思った。全国の落語好きのうち、上位3%くらいが来ているような感覚である。それも非常に温かい客。ご常連となると真打の芸やお気に入りの芸人の会へ行く。特に同時開催されていた横浜にぎわい座がそれに当てはまるだろう。二つ目の落語家さんの芸に惚れ、未来を楽しみに待ち望む生粋の落語好きが集まったような雰囲気である。後はそれほど家族の行事に縛られていない方々が集まってきた様子。

天歌さんが諸注意を述べ、若干客席を心配しつつ開幕。開口一番は乙で色気のある声を持つこの方。

 

柳家小もん『湯屋番』

2018年の3月に二つ目昇進の小もんさん。この人は『乙で粋な兄さん』というような落語家さんである。柳家小里ん師匠のお弟子さんで、声がとにかく良い。TOKYO FMの『JET STREAM』のMCをやってもおかしくない美声。高級マッサージ店で耳元で囁かれたら、秒で気持ち良くなれるくらいの美声の持ち主。僅かにあどけなさのある微笑みと、乙な眼差しはご婦人には堪らないと思う。時代が時代なら『吉原荒らし』とあだ名がついてもおかしくないくらいの、色男であることは間違いない。

そんな乙な小もんさんの、低音冴えわたる美声で繰り広げられる『湯屋番』。若旦那の女好き感が小もんさんらしくて、色気が際立っている感じがする。唯一無二の低音ボイスが若旦那の魅力に拍車をかけているように思えた。誰にも真似できない美声の落語。是非一度聞いて、うっとり酔いしれてほしい。出来れば小もんさんの声で癒し系の音声が収録されたCDが欲しい。

そこかしこに小里ん師匠の間、ワードが感じられて、これも痺れる。お弟子さんに師匠の面影が見えると痺れませんか。芸を受け継いで自分の物にしようとしている美しさを感じて、私は好きだ。

 

翔丸『家見舞』

お次は恰幅の良い桂幸丸師匠門下の翔丸さん。お初の高座。

桂幸丸師匠と言えば、去年の新宿末廣亭で神田松之丞さんの後に出て、見事な話芸で客席を盛り上げた落語家さんである。その話芸を見事に受け継いで、満面の笑みと元気いっぱいの姿で『家見舞』。ちょっと汚いお話なのだけれど、明るさが汚らしさよりも滑稽さに寄っていて気持ちが良い。

この話は簡単に言うと『汚い瓶をプレゼントしたが、その汚い瓶で酷い目に合う』話である。滑稽さが面白いし、何よりも食事をする動作が強烈に上手だった。汚い瓶で炊きあがったお米を食べる場面があるのだが、是非見て頂きたい。思わず茶碗に米をよそって食べたくなるくらいの所作。

長丁場の会のため、一度どこかで飯を食べに行こうかという気持ちになるくらいの一席だった。

 

桂紋四郎『三十石』

お初の上方落語家さん。三代目桂春蝶師匠門下で飄々とした佇まい。出だしはさすがの掴みで、ミステリーチックな問いかけから、お客を一気に引き込む。聞き慣れた『前座・二つ目・真打・ご臨終』に見事にオチを付けたマクラから演目へ。

語りのリズムと声のトーンがとても心地が良い。からっとした声と、トントンと進んでいくリズム。随所に挟まれる粋なフレーズ。そして春蝶師匠にも感じられる品。

この話は簡単に言えば『船の上バージョンの浮世床』みたいな感じで、船の上で色々な人々が様々な出来事に出くわす話である。わいわいと陽気な話で、特に美女が乗り込んでくる時の語りが面白かった。すらすらと物語に引き込む語りもさることながら、笑える場面やフレーズが心地よい。一聴して「あ、凄い」と思える落語家さんである。今度は滑稽噺や大ネタも聞いてみたいと思う。上方の落語家さんが東京で聴けるというのも幸福なことだと思う。

 

トーク『将来有望な前座さん』等

内容は書きませんが、最高に笑えるトークでした。もしも客席に尋ねられていたら、高座を見る限りでは『春風亭朝七』さんと答えていた。楽屋風景を見ることが出来ないので、落語家さんから見た前座さんの姿というのは、とても興味深いトークだった。某前座さんの名前を出すときの、翔丸さんの小声と表情が可愛らしくて印象に残った。やっぱり良いですね、こういう楽屋の話が聞けるというのは。これはあの会場にいた人だけの秘密。

 

第一部総括 東西の風

東京と上方の風が吹いた第一部だと私は思った。小もんさんの色気、翔丸さんの明るさ、そして紋四郎さんの上方の空気。最高の出だしと構成だと思った。もはや1500円分は笑った。これからさらに四部まであるというのだから、もう興奮で眠れない。

徐々に高まっていく熱と、会場もぞろぞろと人が入ってきて演者側も驚いている様子。興奮冷めやらぬままに第二部。

 

 立川笑二『棒鱈』

色んな不運を強烈なフラと佇まいで抑え込む笑二さんを私は知っている。立川談笑師匠の独演会で笑二さんの一面を知って以来、大好きな落語家さんである。

沖縄出身で立川談笑師匠門下の二番弟子。一番弟子は立川吉笑さん、三番弟子は立川談洲さん。結婚ホヤホヤの吉笑さんと、イケメンの談洲さんに挟まれて、沖縄の優しさとハイサーとメンソーレを合体させたような笑二さん。自らの心の平静を保つために悪い奴が出てくる『居残り佐平次』をやった笑二さん。

人は見た目によらないが、その優しさ溢れる表情で全てを落語に活かす姿は凄まじいものがある。

余談。どの落語家さんにも共通して言えることだが、落語家さんの新しい一面を知ると、それまで気にもしていなかった落語家さんが、一気に好きになって興味を持つということがある。伸べえさんや文菊師匠は高座から滲み出る良さがあるが、高座以外の姿を知って好きになる落語家さんもたくさんいる。だから、どんな二つ目さんも高座姿だけで判断するのは時期尚早だと私は思う。自分のお財布と時間と相談しながら、色んな落語家さんを様々な角度から見て知る。これはとても大切なことだと思う。これは実生活でも同じことだと思うが、それはまた別の機会に記す。

この話は簡単に言えば『隣の座敷で楽しんでいる田舎侍が気に入らない二人の町人が、田舎侍といざこざを起こす』話である。笑二さんの『棒鱈』は登場人物の性格が言葉の一つ一つに滲み出ていて素晴らしい。特に田舎侍の傲慢なワードには、不細工で面倒臭い男だけれど、遊ぶだけの金はたくさん持っているんだ!という感じが現れているし、取り巻く女中が何とか金づるの田舎侍の機嫌を取ろうとする様子に説得力がある。脇で聞いていた男が怒りだす部分も、非常に人間臭い。どこか人間の情が流れていて、単に憎み合うという感じではなくて、優しさを土台にして喧嘩をするというような感じ。笑二さん独自のものだとしたら、よっぽど人生経験豊富なのかも知れないと思った。あの笑顔の奥底に潜む、高座には表れて来ない人生にも興味を引かれてしまう。そんな奥深い一席だった。

 

柳家吉緑『置き泥』

お次は背が高くて華やかな柳家花緑師匠門下、柳家吉緑さん。花緑師匠のお弟子さんは皆さん品があって華やかなイメージが強い。太い眉毛とパンパンの両頬。何かに似ているんだけど、思い出せない表情。そして張りのある低音ボイス。見た目から明るくて朗らかな雰囲気を醸し出しており、今回は飛び入り参加とのこと。

この話は簡単に言えば『泥棒が家に入るが、家の主にお金を渡して出て行く』話である。会場の雰囲気がとても温かくなっていたし、ちょっと怖い「殺せ!」というワードも入るのだが、泥棒の優しさが滑稽で、緊張と緩和が見事な演目である。とても丁寧で基本に忠実な演じ方で、特に奇を衒ったフレーズも無いが、明るい表情と声が面白い一席だった。見事な飛び入り参加。その心意気にも拍手の一席。

 

 桂鷹治『身投げ屋』

お次は桂文治師匠門下の鷹治さん。くりくりっとした目と恰幅の良い体。個人的には小三治師匠ばりの長いマクラに定評のある落語家さんだと思っている。

この話は簡単に言えば『死ぬフリをして人から金を騙す』という酷い噺である。けれど、オチが間抜けでシリアスにならない。ここに来てようやく暮れの話。

鷹治さんはアマチュア時代に落語の大会で優勝し、大学卒業前に広告代理店の内定をもらっていたが、それを蹴って落語界に入ったという異色の経歴がある。芸協らくご祭りにて、松鯉先生の見世物小屋で集金係をしている姿を見たことがある。

恐らく師匠から習った『平林』や、深夜寄席で『宿屋の仇討ち』を見たことがある。落ち着いた優しい語り口が魅力の落語家さんである。食べ物の話になると、熱を込めて喋る落語家さんだと私は思っている。

重たくて酷い噺になりがちなお話を、さらっと流れる素麺のような語り口で語った一席。

 

桂竹千代『こじき

お次は桂竹丸師匠門下の竹千代さん。お名前は伺っていたが高座は初めて。これがとにかく面白いのと、衝撃の共通点を発見して驚愕した落語家さんである。

この話は『古事記に纏わる話に挿話を入れて行く』という内容である。これが竹千代さんの溌溂としたリズムと、気持ちの良い張りのある声。歴史を学んだという教養に裏打ちされた見事なお話。落語で言えば『源平盛衰記』や『紀州』の系譜に連なる『古事記』のお話。

客席をグイグイと引き込みながら、随所に挟まれる挿話でドカドカと笑いを巻き起こす姿は圧巻。トップセールスマンのような怒涛の口跡と抑揚の効いた声。笑えてタメになる落語。

竹丸師匠の高座をまだ拝見したことは無いが、お弟子さんの笹丸さんや竹千代さんはいずれも新作派。個性が際立っていて、しかも勉強になるという一石二鳥ならぬ一席三得というような演目。是非とも知的好奇心旺盛な人に聴いていただきたい一席。

 

トーク『モノマネ』

これも最高でしたねぇ。竹千代さんの哀川翔、吉緑さんの玉置浩二、鷹治さんの名前忘れちゃったけどお三味線の人の真似。どれも大笑いでした。

 

第二部総括 古典・新作 実力派揃い

古典のオリジナリティを発揮した笑二さん、基本に忠実な吉緑さんと鷹治さん、歴史ものの新作で客席を爆笑の渦に巻き込んだ竹千代さん。落語の幅を実力派が見せた第二部だと私は思った。東西の風を感じた後で、落語の幅の広さを知る素敵な構成。番頭の三遊亭天歌さんが構成をしているらしく、もう第四部まで見終えて『完璧な構成』としか言いようがない。素晴らしい構成だ。

第三部の開幕前、番頭の天歌さんが出てきて、「お次は刺激的な部門です」というようなことを言ってから第三部が開幕。

 

柳家花飛『ちょう災難』

うおおー、確かに刺激的だ!と思った花飛さんの登場。ダンディな表情とお声で、シュールな落語を展開する落語家さん。柳家花緑師匠門下で前座名が「フラワー」だったという、かなりハピネスな落語家さんである。早朝寄席で同じ演目を見たことがあった。

この話は簡単に言えば『不器用な男がレストランで災難に巻き込まれる』という話で、実はマクラから伏線が仕込まれているというお話。

ちょっとシュールで、独特の間と低音ボイスが癖になる話。オチは体の動きと合わせて見ても圧巻。是非一度体験して、自らの想像力を試してほしい一席。

 

立川三四楼『鮫ラップ―金の斧・銀の斧―』

刺激が強い!と思う二人目は立川談四楼師匠門下の三四楼さん。以前、客席に二人しかいなかった時も、お馴染みのコール&レスポンスのマクラに巻き込まれ、微妙な空気の中、演目を聴いた記憶がある。なぜか笑ってしまう独特の間と佇まいがあり、一体どこまで計算しているのか、素なのか分からない未知の落語家さんで、この人こそ『ワンダーボーイ』という名がふさわしいんじゃないかと思うほどに、ワンダーな落語家さんである。

この話は簡単に言えないので割愛。一度味わったら、もしかしたら羞恥心に体が麻痺し、もしかしたら癖になってしまうかも知れない落語家さんである。こういうワンダーな落語家さんがいるところが、落語界の素晴らしさだと思う。

 

らく兵『親子酒』

第一部・二部と、飛び入り参加が無い限りは三人構成らしく、三部のトリはらく兵さん。亭号が無い理由はお調べ頂くとして、超絶爆笑の『金明竹』を聞いて以来気になっている落語家さん。独特の語り口は談志師匠っぽく、コミカルでありながらも緻密な工夫が発揮された落語が魅力だと私は思っている。

この話は簡単に言えば『禁酒を約束した親子が、互いに約束を破る』という話である。特に親側の酒を飲むまでの描写が丁寧で、酒好きなんだろうなぁ。という感じが如実に伝わってくる。あの手この手で酒を飲む理由を作る父親と、それに仕方なくお酒を出してしまう奥さんの性格が良い。立川流の落語家さんは、話に説得力をもたせる工夫を自分なりに考案しているような印象がある。らく兵さんの『親子酒』は、親の目線で見ると非常に面白くて、約束を破る大人がどういう状態になるのかを見るのも面白い。個人的には禁酒の約束を破ってしまう話をする息子の話は、心意気にうるっと来る部分がある。コミカルで緻密な一席だった。

 

神田松之丞『狼退治』

これで終わりかと思いきや、舞台袖から高座へと置かれる釈台。ん?梅湯さんか?と思いきや、舞台袖からのそっと出てきたのは黒い着物を身に纏い、張り扇を持ち、若干猫背気味で飄々とした表情の男。会場から思わず、

 

 おおっー!

 

っと声が上がって登場したのは、何を隠そう、

 

神田松之丞

 

参上!の瞬間である。会場の温度が二度くらい上がったんじゃないかという熱気。私も正直、『出たぁあああ!』と思った。それくらいに衝撃的なサプライズ登場。人って、やっぱり予想外の出来事に驚く生き物なのだと改めて気づく。

男気溢れる松之丞さんの登場に歓喜していると、当の本人はちょっと残念な様子。それでも番頭として任を果たそうと、推参する辺りは義士伝で忠義を最もとする講談師の在るべき姿のような気がして、つくづくカッコイイなぁ。と思う。地位や名声は上がっても、義理と人情を欠かさない男、神田松之丞。約1年ぶりに連雀亭で松之丞さんを見ることが出来た。恐らく、今年も年末カウントダウンが開かれると思うが、そこで『2019年、二つ目としての神田松之丞』は見納めである。駆け付けるかは分からないが、是非来年は連雀亭で年を越してほしいと思う。あと、手ぬぐいも貰ってほしいと思う。

数多くのプレゼントを持参して登場の松之丞さん。白熱の狼退治は、僅か3分ほどだったけれど、凝縮されていたし、物凄い集中力と熱と迫真の高座だった。これよ、これこれ。私が見たい松之丞はこの勢いだよ!と心の中で思いつつ、かなり胸が熱くなった高座だった。

人と人との心意気、そして連雀亭への思い。全てが言葉にならずとも、高座に現れていた。あの瞬間は、また一つ私の中で記憶に残る一席になった。

この時の驚きは天歌さんも同じだったようで、是非そちらのブログも見てほしい。落語家さん側から見た連雀亭の姿がありありと克明に記されている。

いきなりフェラーリに乗ったかのような、強烈な一席で第三部終了。

 

 第三部総括 刺激的な一夜

落語界のワンダーを揃えた第三部。前半の二人は完全に異世界感はあったけれど、後半の二人で現実により戻されたと同時に、頂点に達したかと思うほどの強烈な構成だった。何よりも飛び入り参加の松之丞さんが全てをかっさらっていくという凄まじさ。このサプライズ感が堪りませんよ。色々なことを考えてしまいましたね。松之丞さんが来ようと思った心意気、それに戸惑いながらも嬉しさをどう表現していいか分からない天歌さん。いいねぇ。なんか言い表せないけど、いいねぇ。と後で思った。この時は、演者が刺激的過ぎて、ただただ「やべぇ、やべぇよ」と思っていたのだが、考えてみれば四部への非常に良い橋渡しだったと思う。

四部開始前に天歌さんが登場「もう逃げられませんからね!」みたいなことを言って、最後の四部が開幕。

 

 立川らく人『厩火事

四部は立川志らく師匠門下のらく人さん。見るからに品と優しさが溢れる美男子。女形は絶品の艶やかさ。語りの色気と相まって、ようこそBLの世界へ。というような、撫でられているかのような柔らかい語り口、絶対美人の女形。出てくる登場人物が全員イケメンで細身というような口跡。

さらには知性が滲み出ていて、山陰合同勉強会(立川らく人、瀧川鯉白、桂伸べえ、立川幸之進、山陰出身メンバーで構成される落語会)でもバランサーとしての能力を発揮している落語家さんだ。

決して力むことなく、扇を持って舞うかのようなしっとりとした間。目の艶やかさと愛おしいほどに優しい声、これは世が世なら男色全盛ですぞ、と盛り上がってくるような風貌。

この話は簡単に言えば『妻が旦那の愛を確かめるために、仲人から助言を貰い、実行する』という内容である。この奥さんの演じ方が絶品、絶品、絶品。誰もいないところで二人きりで、酔っていたら抱きついてしまうかも知れないほど色気がある。何を言っているんでしょう、私は。

オチに関しては、うーん、そこに愛はあるのか!というような感じのオチ。とにかく女性の演じ方が私好みなので、是非男性の方に聴いて欲しい。女性に聴かれると殴られるかも?

 

三遊亭遊かり『女子会ん廻し』

最近、妙に色気が増してきたと思う遊かりさんが飛び入り枠。三遊亭遊雀師匠門下で、『紙入れ』が色っぽくていい。遊雀師匠の芸を受け継いだ明るく面白い落語家さんで、自虐的なマクラから演目へ。古典の『ん廻し』を女子会バージョンにした話で、「んの付くものを言い、んの数だけ饅頭がもらえる」という話を女子がやるお話だ。

ネタ卸しから数回目とのことだったけれど、随所に女子会っぽさが差し込まれていて面白かった。

 

快楽亭ブラ坊『よるのてんやもの』

お次は快楽亭ブラック師匠門下のブラ坊さん。お初の高座で、エロいことだけはTwitterで知っていたが、本当にエロかった人。ただエロいだけではなくて、そこは落語の艶笑いという部分に見事に昇華されている。

風貌は好男子で、器量も良い。いかにもマダムに好かれそうな風貌。ちょっと不幸があったそうだけれども、それすらも笑い飛ばす度量。何もかも未知数のまま演目へ。

この話は、刺激が強いので解説はしない。オチが見事だった。後で調べたところ、瀧川鯉朝師匠の作らしい。短い噺でありながらエロと笑いが混ざっていて面白かった。時間帯的にもそろそろエロが欲しいな、と思っていたので、丁度良かった。

 

 三遊亭楽大『時そば

恰幅の良さと満面の笑顔。楽大と聞いたら伊集院光さんの前座時代の名前を思い出すかも知れないが、現役はこちら。

六代目三遊亭円楽師匠門下。秋葉原での時間つぶしマクラから演目へ。この話は前記事にも書いたかも知れないが、『蕎麦の勘定を騙そうとして失敗する』話である。かなりお腹も減っていたので、蕎麦を啜るシーンでちょっと蕎麦を食べたくなる。絶品の語り口と時間帯も相まって、まさに時そばタイムというくらいの素晴らしいネタ選択。

蕎麦を啜る場面もさることながら、蕎麦屋と繰り広げられる会話のリズム、声の調子も面白くて、お初の高座だったけれど、大笑いしてしまった。恰幅の良い人が演じる時そばは多幸感があって気持ちが良い。

素敵な気分で一席が終わる。お次はいよいよ、トリである。

 

 三遊亭天歌『Who』

『年末カウントダウン』の一番の功労者は、何と言っても天歌さんだ。会場の運営から締めまで、初めての事だから不安もたくさんあっただろうと思う。それでも、「やってよかった」と思える会になったのは、天歌さんの頑張り、そしてあの場に集まったお客様、そして演者、全ての心意気のおかげだと思うのだ。

だから、私は天歌さんに拍手を送りたかった。時そばの後で、何をやっても大丈夫だと私は思ったし、天歌さんがありのままに落語をしてくれたら、それが一つのゴールというか、2018年を締めくくる結果になるだろうと、客席にいた誰もが思っていたに違いない。私は言いたい。

 

良く頑張ったよ!天歌さん!

 

あの時、誰もがそう思っていたに違いない。高座に上がって少し戸惑っている天歌さんを見て声をかけてあげたくなった。でも、きっと天歌さんは拍手から何かを感じ取ってくれるだろうし、お客さんの表情からもそれは伝わると信じた。結果、その思いが一つとなって、最高の演目『Who』が選ばれた。

この話は『人の肩書きが明かされていく』話である。詳しくは書かないけれど、私にはとても記憶に残る一席になった。

しばらく経ってから、あの日どうして私は『Who』という演目に出会ったのだろうかと思った。それは、2018年を含めて、それまでの人生の一つの啓示として出会ったのではないかと思ったのだ。

以下、しばらく思ったことを。

人は生まれてから色んな人に出会う。初めて誰かと出会う時、「あなたのお名前は?あなたは誰?」というような、『Who?』という問いかけが最初にある。今は親しき友人も最初は赤の他人である。人が人と出会う最初の扉、それが「あなたは誰?」という問いかけの扉だと思った。

この扉を開くと、その扉の先に存在するものに出会うことが出来る。その人の性格だったり、癖だったり、肩書きだったり、立場だったり、関係性だったり、色んなものが『Who』という問いかけの先に待ち構えている。

天歌さんの『Who』という物語は、『Who』という扉が次々に開かれていくお話で、その先に待っていたものに驚いたり、怒ったり、笑ったり、戸惑ったりする。本当はお互いのことを良く知っていたつもりでも、実は隠れていた事実がたくさんあったのだと気づく。

人との出会いも同じだ。笑二さんの項で私が書いたように、二つ目の落語家さんに出会う時に限らず、人生で対面する、ありとあらゆる人は、一つの角度から見ただけでは何も分からない。そういうことを『Who』という演目は教えてくれたような気がした。

同時に、『Who』は家族の物語でもある。血のつながった家族。互いにどういう訳か知り合って愛し合い、子宝にも恵まれた家族が、一夜にしてお互いのそれまで知らなかったことを知る。冒頭からそれとなく謎が伏線になっていて、次々とお互いがお互いの隠れていた一面を知っていく様は、面白くて笑えると同時に温かい。

お互いが誰であるかを知ると、また一つ絆が深まっていくように思った。『Who』という扉を開いた先に待っている幸も不幸も、全てが愛に包まれているような、そんな素敵な物語だと私は思った。

現実の社会でも、我々は様々な人に出会う。名刺を見れば、その人の肩書きが書かれている。Twitterのプロフィール欄を見れば、自己紹介が書かれている。そんな小さな扉から、「この人はどんな人なんだろう?」とか「一体誰なんだろう?」という問いが生まれ、その扉を開いた者だけが、扉の先に待っているものと仲良くなったり、喧嘩したり、様々な意志疎通が出来るようになる。そんな幸運、奇跡が怒涛のように日々、起こっているのだと思う。扉を開けるか否かはあなた次第だ。もしかしたら、予期せずあなたの扉も開かれてしまうかも知れない。人生は何が起こるか分からない。最後のオチの言葉も、私はとても良いと思った。常々思っているが、人類の墓を建てるとしよう。もしも数千年後に異星人がやってきて、その墓に刻まれた文字を見るとしよう。その時に刻む文字は何か。以下は森博嗣先生の受け売りだが、私は同感である。

 

『何もわかりませんでした』

 

さてさて、とても素敵で、私にとって伝説の一席になった。多くの人に出会ってほしい。素晴らしい演目である。

改めて、最高の演目に出会った、と私は思った。そして、2018年を最高の演目で納めることができた。と私は思った。

 

 2019年の幕開け そしてささやかな祈り

2019年まで残すところ僅かとなった。カウントダウンが始まり、楽大さんが「明けましておめでとうございます」と言って2019年が幕開き。

大抽選会が開かれ、色んなプレゼントが配られた。その後、ささやなか三本締めで幕。素晴らしく心地が良い中で、会場を後にした。

外は寒かったけれど、心は温かかった。家路に帰る道中。色んなことが頭を駆け巡った。今年は誰か素敵な人と一緒に年末を越せたらいいな、とか。良い記事が書けたらいいな、と思った。

目標を立てると、その目標を立てようと必死になって辛いし、目標が叶わなかったら悲しいから目標は立てない。それよりも、「そうなったらいいなぁ」くらいにいつも留めている。今年は素敵な人に出会えたらいいなぁ、と良い芸に出会って良い記事が書けたらいいなぁ。くらいである。

何もかも順風満帆なので、むしろ不幸になりたいくらいの贅沢な人生なのだが、それでも良いことの後は悪い、悪いことの後は良いなんて、『時そば』みたいなことを言うけれど、これも私の性格、商いなので、飽きずにやろうと、またしても『時そば』みたいなことを記す。

人生は山あり谷あり。それでも、演芸が人生を豊かにしてくれていることに間違いはない。2019年も皆様のご健勝と、自らの成長を祈りながら、日々精進していきたいと思う。

長くなりましたが、お読みいただきありがとう存じます。これからも、どうか御贔屓お願い申し上げます。

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あたたかき糸を手繰り寄せて~2018年12月29日 泣いて笑って踊って年忘れ~

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温かいお客様だね、今日は

 

マーケティングに纏わるお話を

 

あれ、9両?

 

ヨイヤァサァ

 

 演芸の夜明けは近い

暮れは暗いニュースが多い中で、明るいニュースがTwitterのタイムラインを賑わせていた。

『東家一太郎・真山隼人 平成30年度(第73回)文化庁芸術祭大衆芸能部門新人賞』 

柳亭小痴楽 2019年9月真打昇進決定・神田松之丞 2020年2月真打昇進決定』

浪曲界の東西、そして落語、講談。日本の演芸が今、にわかに注目を浴びて活気づいている。いずれ多くの人達が落語・講談・浪曲の世界に飛び込んでいくだろうし、凄まじい芸を見せる芸人に出会うだろう。

今はその一つの兆しを見せている。

落語界では入門者が多く、今年はだいなもさんや、やまびこさんや、まめ菊さんなど、中堅どころの落語家さんの前座さんが寄席で活躍し、講談界では神田松鯉先生の一門に入門者が増え、松麻呂さんや鯉花さん等が高座で軍記物を読み、浪曲界では天中軒すみれさんや京山幸乃さん等、新人の女性浪曲師が誕生している。

私は言いたい。

 

 今、演芸がアツい!!!

 

激アツである。武者小路激アツである。演芸の熱盛状態である。演芸が銭湯だったら入浴者が秒でのぼせるくらい激アツである。これほどまでにアツいを連記するのだから、どれだけアツいかお分かりいただけるかと思う。

その熱さは若手だけではない。現代の最高峰と呼ばれる名人達も未だ健在である。落語界には柳家小三治師匠や柳家さん喬師匠。講談界には神田愛山先生、神田松鯉先生、一龍斎貞水先生、浪曲界には澤孝子師匠、東家浦太郎師匠、沢村豊子師匠と、後世にも語り継がれる実力を持った名人が未だに芸を披露している。

東京に住んでいると、関東の名人に触れる機会が多いためか、なかなか関西の名人の会を伺うことが出来ていない。名と音声だけであれば関西には、浪曲界に三原佐知子師匠や二代目京山幸枝若師匠がいる。そして、今回、初めて関西浪曲界の最高峰で、真山隼人さんに『円山応挙の幽霊図』を継承したという、松浦四郎若師匠を見ることが出来た。さらに、三味線は三原佐知子師匠の浪曲でその凄さに圧倒された、虹友美さんも見ることが出来た。もはやこの二人を体験できただけでも満足なのに、萬橘師匠と浦太郎師匠の一番弟子瑞姫さんと、河内音頭の山中一平さんまで見ることが出来るというのだから、もはや暮れの演芸納めにふさわしい会だと思った。

 

初めての横浜にぎわい座

 

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文菊師匠の会やら、歌丸師匠の会で名前だけは知っていた『横浜にぎわい座』。今回初めてとのことで、早めに会場入り。二階にあるチケット受付で係員のお綺麗な方に電話予約の旨を伝えると、「地下2階にて、13時30分開場ですが、既にチケットをお渡しする準備が出来ておりますので、そちらにお伺いくださいませ」と、非常に丁寧に説明して頂き、「ありがとうございます」と言って一礼した。初めて来たのに緊張のあまり周囲を見ることが出来ず、歌丸師匠の看板やら、三遊亭金馬師匠の写真やらがあったのだが、じっくり見ずに降りた。

ロビーには先述した『東家一太郎・真山隼人 平成30年度(第73回)文化庁芸術祭大衆芸能部門新人賞』の看板が掲げられていた。凄いな、もう看板が出来上がっているんだ!と思って感動した。演芸に対する情熱をひしひしと感じる場所である。

一階に降りたタイミングで、幸運なことに四郎若師匠、山中一平さん、虹友美さんが会場入りされていた。その三人が乗ったエレベータに入るのはさすがに恐れ多かったので、一本見逃して地下2階に降りた。後になって図々しくエレベータに乗っていれば、少しはネタになったかも知れないと思ったが、根が臆病者の私は密室に名人方と乗る勇気は無かった。無念。

地下2階に降りると、先ほどの三名が挨拶をしている。見れば、東家恭太郎さんと天中軒すみれさんの姿。ロビーにはお若い男性が二人。電話予約の旨を伝えると、チケットを出してくれた。3000円を払ってチケットを受け取り、13時30分まで待機。

続々とお客様が入場。若い人はほぼ皆無。50代~60代の浪曲ド直球世代が多い様子。私の夢は観客の層が20代で埋め尽くされた浪曲会に行くことだが、やはりロビーはご年配の方々の物凄い熱気に包まれている。ご常連の方々もさることながら、浪曲愛する人達のパワーが凄い。皆さん優しいお顔をされているし、何より元気である。実家の祖母に比べたらお着物も、お肌も、そして何よりコミュニケーション力が物凄い。あらゆるところで情報交換が行われているし、河内音頭を踊ろうと楽しみにしている人や、浪曲の名人芸に触れようという人の熱意が充満し、サウナだったら秒で水風呂行きの熱気である。

もはやこのまま河内音頭に突入しても些かの問題も無いというほどに盛り上がっているロビー。開場後も熱気は冷めやらず、開演時刻まで活気に満ちた客席。前記事の『この胸いっぱいの浪曲を』にも書いたが、浪曲愛する人は粋で熱くてパワフルである。楽しもう!という情熱が体と口から溢れていて、それはそれはとても楽しい。

そんな中で、司会の恭太郎さんが登場。前座とは思えない芸達者ぶりはもう常連である私には周知の事実。見事な司会で会場を盛り上げていた。

舞台には縦横1m50cmくらいの緋毛氈を敷いた高さ30cmくらいの台があり、その中央にはふっかふかそうな座布団が置かれている。座布団の前にはマイクが置かれている。開口一番は落語だ。

 

三遊亭萬橘『時そば

登場と同時に銀髪と茶色味のあるお着物。強烈なフラと優しそうな眼で、会場を一気に味方に付ける話芸はお見事。名前の話題から「浪曲河内音頭が目当てなんでしょ?本気出すよこっちは」みたいな予告宣言から、物凄く丁寧な蕎麦売りの説明の後で『時そば』へ。

萬橘師匠は物凄い丁寧で緻密な落語をやる人なのだと思った。強烈なフラがある中で、言葉の一つ一つが練られているし、見事な伏線を仕掛けて即座に回収する辺りが、「凄い、時そばの世界を崩さずに、さらに進化させてる!」と驚愕の一席だった。冒頭の蕎麦売りの描写は、初心者にもベテランにも想像を補助するための丁寧な解説になっていたし、その後で仕込まれる言葉の数々。本来は十六文で食べることが出来る蕎麦を、十五文で食べた仕掛けを真似するきっかけ部分も、萬橘師匠の仕掛けが施されていて見事だった。関東では十五文で蕎麦を食った男を見ていた間抜けな男が、その仕掛けに自ら気づく場面がある。関西では蕎麦屋に行くのがもともと兄貴と弟で、兄貴の技を弟が見て失敗する場面があるのだが、萬橘師匠はこの二つを見事に融合させていた。さらには、細かい仕掛けもたっぷりあって、今までの『時そば』の新たな一面を見たような、凄い発見のある『時そば』だった。さらにはリズムと表情が素敵である。目の見開きであったり、ツッコミの入れ方であったり、緻密かつ大胆な萬橘師匠の視点で展開された『時そば』。おそるべし、萬橘師匠。

 

瑞姫/紅坂為右衛門『団十郎と亀甲縞』

登場前の舞台設営では、天中軒すみれさんが手際よく準備されていた。軽やかなステップと、テキパキとした動き、一瞬の迷いもなくテーブル掛けを整える姿を見ていると、ますます高座が見て見たくなる。動きに迷いが無いというか、慌てる感じが一切ないし、悩むような仕草も無い。ただひたすら真っすぐに、せっせと舞台を整える様が素晴らしい。一席やってくれないかな、と思う。

さて、お次は瑞姫さん。チラシには『美人浪曲師』と書かれており、どうせ麗しい声の浪曲なんじゃろう?と思っていたのだが、登場と同時にその考えを覆される。鋭い眼光と勇ましい佇まい、そして大音量かつ硬い石が迫ってくるような力強い節。物語を導く紅坂さんの三味線も漫画ベルセルクのガッツが振る大剣のような凄まじさ。眼光鋭い二人によって畳み掛けられた演目は『団十郎と亀甲縞』。恥ずかしながら最初は『亀甲島』か『吉好島』という島に纏わるお話かと思っていたのだが、ネットで調べていたら全然違う話。数字に纏わる話は聞き漏らすと訳が分からなくなってしまい、団十郎が亀甲島に行く話かと思っていた。どうやら簡単に言うと『品物を宣伝してもらって繁盛する』話である。ジャスティン・ビーバーがピコ太郎の動画をツイートするというような、そういう感じの話である。

前述のように内容を勘違いしていた私は、後半ようやく団十郎が何かを着てるらしいというところまでは分かったのだが、再びお金の話になって頭が混乱。うーむ、初めての話はなかなか筋が掴みづらいなぁ。と無念。最後まで『吉好島』の話だと思っておりました。お恥ずかしい。

 

松浦四郎若/虹友美『西鶴諸国話より、武士気質/大晦日は合はぬ算用』

待ってましたの虹友美さんの三味線に導かれて、四郎若師匠の登場。真山隼人さんに伝授したという『円山応挙の幽霊図』でその名を知った名人。マクラも手短に『リストラ侍が酒の席に呼ばれ~』というような話をしてから演目へ。

終わった後で『鈴木 原田 浪曲』で検索しても引っかからず、Twitterで題名を尋ねると、真山隼人さんから『武士気質』、chaconne0430さんから『大晦日は合はぬ算用』との題だと教えて頂いた。どちらも良い題だと思ったので記載させていただく。

内容は簡単に言えば『男の美学』が凝縮された、『語らぬことが語ること』というような話である。当時の武士の気質が染み込んだ素敵な話である。

この物語の最初の節で、ぴりぴりっと背筋に電流が走った。四郎若師匠の円熟の節。そろそろ意識せずに「名調子!」が出ちゃうんじゃないかと思うほどの名調子。この前の浪曲十八番の五月一郎先生の『誉れの三百石』の時も、家で一人「名調子!」、「たぁっぷりりりぃいい」とか練習してしまうほどに、浪曲好きな人間になった。

そんな『思わず出ちゃう名調子!の掛け声』という『立つ際に出る屁』みたいな、もはや生理現象になりつつある衝動を堪えつつ、四郎若師匠の節と友美さんの三味線に痺れながら話を聞いた。

虹友美さんの三味線が生で聞くと音源で聞いていた以上に素晴らしくて、水色の可愛らしいお着物で、表情からは想像もつかないような、演目と空気感にぴたりと合った迫真の音色を披露されていた。四郎若師匠の中音豊かな節は、今まで聞いてきた名人の音源に感じてきた思い以上の、凄まじく胸を揺さぶる節。

「うわー、ええ声やんけぇー、ええ三味線やなー、ええ話やなぁあ~」と、思わず関西弁になってしまうほどの節。

四郎若師匠の表情も堪らない。節を唸っている時の表情が凄く素敵で、まるで名酒を飲んでいるかのような、人情を噛み締めてじわぁ~っと滲み出しているかのような表情。節をどう表現したらいいか分からないが、白みのあるお着物が神々しく輝いていて、ただただ圧倒されてしまった。

さらには、物語がかなりスッと入ってきた。割と登場人物が多い(七人)なかで、それぞれの表情であったりとか、親しい友人同士の仲睦まじさが感じられて、それほど多く描写が無いのに、ありありと光景が浮かんできたのは、四郎若師匠の節と声、そして虹先生の三味線の導きがあったからだろうと思う。

物語は若干ミステリーチックなのだけれど、そこに集まった者達の色んな心意気が錦繍のようで、最後の場面なんかもじんわりと温かいぬくもりに胸が熱くなった。

熱燗の名酒をとくとくと注がれ、美味しくて飲んでいるうちに、体も心も温まってきたというような、そんな凄さが四郎若師匠と虹友美さんの一席から感じた。節を聞いていると、なぜか頭の中で鼓の音が「ポンポンッ」と聞こえる時がたまにあるのだけれど、四郎若師匠の節の時にそれが何度かあって、そこに存在しない音にも魅力があるなと感じた。

聞き終えた後の『四郎若師匠ロス』が激しすぎて、「ああっ!すぐにでも聞きたい!」と思うほどに、絶品の、中毒性のある節だった。聴いている時は、体がぐぐぐぐっと前かがみになって、腹の奥辺りに力が入ってしまう癖があるらしく、絶品の節が来ると「ぐむむむむぅうう」っと前かがみになり、節が終わると「ふわぁあああ」っと開放されて背もたれに寄りかかって気持ちが良くなるというか、私だけかも知れないが、節を聞いている時に腹に力を込めていないと、何かが吹き飛ばされて行きそうになる感じがある。私はあれを『浪曲圧』と呼んでいて、真山隼人さんの時は浪曲圧が凄まじすぎて、節が終わった後の反動で飛んで行くんじゃないかと思うくらいに、ぐっとお腹に力を込めていたことがある。冒頭でいきなり『浪曲圧』がかかってくると、「名調子!」と「日本一!」とか声が出てしまうのだと思う。

とにかく素晴らしくて、浪情を掻き立てられた一席でした。

 

山中一平『河内音頭 雷電・神崎東下り

四郎若師匠と虹友美さんにたっぷり痺れた後で、最後は『踊り』の河内音頭。ここでもご活躍の虹友美さんは超絶技巧の三味線。会場にいた皆さんも河内音頭を踊られていて、お祭り気分の会場。ああー、お酒飲みたい!と思ったし、ああー、夜空の下で提灯の灯に照らされながら、お酒飲みたい!と思ったり、結局お酒を飲んで酔っ払って踊りたくなるような、素敵な河内音頭。山中一平さんの声や、太鼓、ベース、ギター、三味線。どれも温かくて粋で楽しくて、踊らなきゃ損なくらい、素敵な歌と踊りで会が締めくくられた。大満足の会が大団円を迎え、強烈な名残り惜しさに襲われながらも、心地よい気持ちで横浜にぎわい座を後にした。

 

2018年の締め括りと2019年への思い

総括すると、初めて松浦四郎若師匠と虹友美師匠の浪曲に触れて、関西の浪曲師さんの素晴らしさに驚愕したというか、東西にとんでもない浪曲師と曲師が存在しているのだなぁ。ということが改めて分かった。関東に住んでいるため、触れることの出来る機会は少ないかも知れないけれど、関西の方々が関東にいらっしゃったときは、逃さず見に行きたい。

名人も若手も、分け隔てなく活躍する演芸の時代が到来している。2019年は私にとって浪曲の年になるかも知れない。落語は盤石だし、講談は2018年に大きな基礎を築いたし、2019年は浪曲が脚光を浴びる年になったらいいな、と思う。そして2020年は落語・講談・浪曲の魅力が、世界にも発信されることになるかも知れない。木馬亭が日本の文化に敏感な外国の方(特にインド人)で埋め尽くされ、物凄いことになるかも知れない。そうなったらいいなぁ、と思ったりもする。

様々な演芸の温かいご縁を手繰り寄せて、2019年はもっともっとたくさんの演者さんの魅力をお伝え出来たらいいなぁ、と思う。演者もお客様も着実に素敵な方たちが増えているように私には思える。

どうかあなたも、素敵な演芸の糸を手繰り寄せて、あなただけの素敵な演芸の錦繍を形作って頂けたら幸いである。それでは、また。来年もどうか御贔屓に。

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粋と可憐の花篝~2018年12月28日 新鋭女流花便り寄席~

 

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あ、またいる・・・

 

ぷ、ぷぷっ、ぷぷっぷ

 

会えなくて残念じゃった

  

暮れも押し迫った12月28日。Twitterのタイムラインを眺めてみれば、皆思い思いの場所で楽しんでいる様子。どこでどんなことがあって、誰が何を思っていたか、Twitterを通して知ることが出来るのは嬉しい。情報はあっという間に拡散されて、誰にでも共有できるようになった。

しかし、生の演芸に勝るものは無い。

会場の空気と演者の熱が合わさり、会場がぐっと盛り上がって行く様は、文字や画像からでは感じることが出来ない。五感の全てで体験することで、自分の中に刻み込まれる極上の記憶を、是非読者にも味わって頂きたいと考えている。

自らの人生の時間には限りがある。演芸に費やす時間は人それぞれである。ある人は家庭に、ある人は仕事に、ある人は恋人に自分の人生の時間を費やすだろう。それぞれにそれぞれの時間の使い道があるように、私にも私の時間の使い道がある。

どこで折り合いを付けるかも人それぞれだ。演者の過ごす時間と、それを見る人の時間が、僅かばかりの金銭で重なる。その貴重さを日々噛み締めて私は生きている。金銭で自らの心の琴線が震えるような、そんな演芸を謹選することも一つの楽しみではないだろうか。

寒々とした街の風に吹かれながら、上野広小路の見慣れた十字路に辿り着く。体が冷めていたので、歩を散らしたのが功を奏し、僅かに温まった体を冷めぬようにさすりながら、私は上野広小路亭へと入る人の列に並んだ。齢六十は超えようかという年配の方々が列に並び、静かに会場の時間を待っている。時折、私の横を過ぎていく人が「誰か来てるの?」と尋ねて来るので、「講談師が出ますよ」と返事をすると、「ふーん、そんなに良い男なのかい?」と返されたので、「いやぁ、そうじゃなくて・・・」と言葉に詰まる。

新鋭女流花便り寄席は、月1の開催で女性だけで行われる寄席だ。前回の記事でもお伝えしたように、仲入り前は貞寿先生、トリは阿久鯉先生となっている。

平日の金曜日ということもあって、年配の方が多い。渋谷らくごに行くことを常としている若者が、軽い弾みで行くとちょっと場違い感を抱いてしまうかも知れない。会場の様子は前回の花便り寄席の記事を参考にしていただきたい。

席に着くと、前回同様の顔ぶれに「あ、またいるよ・・・」と若干心配になったのだが、今回は携帯を鳴らすハプニングは無かったが、語りの芸をとある方が見せてきたので、まぁ、そういう会だと諦めて鑑賞した会になった。

さて、それでは、そんな常連の厳しい空気作りに負けずに立ち向かった女性達の感想をば。

 

 一龍斎貞奈『木村又蔵 鎧の着逃げ』

舞台袖から登場した途端に思わず「うわっ、可愛い!」と心を動かされましたよ、私。見た目はお若くて20代!?と思っておりましたが、詳細はプロフィールをご覧くださいませ。佇まいが可愛らしいのと、若干ヤンチャっぽさが感じられるが、優しい語り口はまるでソフトクリームを食べているかのような柔らかさ。出てくる登場人物もどこか可愛らしく感じられ、話の内容よりも貞奈さんの美しさに心動かされるという、聞き手にあるまじき失態。「この続きは~」と丁度言いところで切る場面も、キャバクラで時間が来て、仕方なく店を出ることになったときのような気持ちである(何を言っているんでしょう)

一龍斎貞心先生のお弟子で、まだ平成28年入門という若さ。田辺いちかさんや神田紅純さんなど、色んな美人を取り揃えている講談の世界。魅力的な世界ですよ、本当に。

 

神田こなぎ『水戸黄門 湊川建碑』

ふくよかなこなぎさん、と平仮名10文字で書いてみたが、こなぎさん自身は来年に向けて自虐的ながらも抱負を語りつつ、話題は水戸黄門へ。マクラでの口調は柔らかかったのだが、演目の語りに入った途端、口調はがらっと変わって勇ましい。この話は簡単に言えば『偉い人のお墓が建っていないなら、建てましょう。ついでに大名行列が邪魔だから、立札を立てて置こう』というようなお話。ただ単純に『水戸黄門が墓を建てる』話で、かなり地味というか、盛り上がる所があるわけでもない。うっかり聞き逃すと、「あれ?何で立札立ててるんだっけ?」となりがちな、聞き手としても集中力を試される話だと思う。水戸黄門の徳の深さもさることながら、立派な墓を建てるために大名行列を気にする墓作りの職人の性格も面白い。取り立てて目立った展開が無いからこそ、地味に映えるのが語り口。こなぎさんの淡々とした語り口は、水戸黄門の立派な姿を表現していた。

 

神田真紅『赤塚不二夫の生い立ち』

木馬亭や両国亭で見たことのある真紅さん。疲れがピークに達し、寝てしまったので覚えていない。不覚。

 

スージー 『腹話術』

腹話術という芸は、かなり私個人としてどう書いて良いか難しい。物凄い想像力が必要とされると思うし、絶対に『人形』とか、『スージーさんの口が動いている』というワードを言ってはいけない、という無言の圧力があると考えている。見ていて、非常に不思議な気持ちになるというか、きっと私がもっと純粋だったら、ヤギのアカネちゃんも、94歳?のハルコさんも、『生きてる』と思うのだろうけど、そう思い込むほどの信念が私には無い。ハルコさんの両腕から突き出した黒い二本の棒と、それを操るスージーさんの細い手を見てしまうと、もはや私は正常に人形を人形としか捉えることが出来ない自分を自覚するのである。

 

一龍斎貞寿『次郎長と伯山』

物凄い良い噺。物凄い良い噺なんですけど、今回はハプニングによって、良い噺感は若干薄れ、トホホな感じになった。他の方も書いているので敢えて書かないが、ハプニングは屁プニングでもありました。

もっと真剣な場で聞きたい!と切に願う話である。内容はざっくり言えば『次郎長の生き様を語る講談師の生き様』というようなお話で、次郎長という一人の男を軸に、それを語ろうとした二人の講談師の生き様が見事に折り重なった感動の一席なのだけれど、屁プニングなトイレ立ちによって雰囲気は崩れましたが、何とか踏ん張った貞寿先生の逞しさに拍手!で仲入り。

 

鳳舞衣子/理『八重と藤吉郎』

今回は鳳先生が出るということで、行くことを決意した部分があった。木馬亭で見た『三味線やくざ』がカッコ良くて、あの時はベラばりの鋭い眼光が印象的だったのだが、今回は眼光は控えめでありながらも、絶品の節を披露。物語は端的に言えば『藤吉郎と偉い侍が、八重を取り合う』というような話。

木馬亭の時にも感じたのだが、鳳先生は舞台を左右に幅広く動き、登場人物の性格を表現するような演技も真に迫っていて、かなり上手い。青山理さんの三味線は若干控え気味な導きでありながらも、しっとりと八重と藤吉郎の心模様を描いていて、特に藤吉郎のちょっぴりいじわるでありながらも、可愛らしい性格を見事に表現されていて、鳳先生がますます好きになった。勇ましくて粋な『三味線やくざ』と、藤吉郎の才覚と八重の先見の明が光った『八重と藤吉郎』が見れて満足。節の力強さと語りの真剣さが見事な一席。

 

三遊亭絵馬『紙切り

プログラムでは林家花さんの紙切りだったが、代演で絵馬さん。真っ赤な着物が目に彩な絵馬さん。屁プニングの方の注文も真摯に受け付ける絵馬さん。どこかで見たことがあるような風貌だった。

 

神田阿久鯉赤穂義士銘々伝より赤垣源蔵 徳利の別れ』

黒紋付きの着物に身を包み、ド迫力の声量ととっぷりとした語り口。一発一発ボディブローを食らっているんじゃなかろうか、というような口跡に痺れる。「ああ、カッコイイ」と思っているうちに、話題は義士伝へ。赤垣源蔵の話題になった瞬間、心の中で歓喜。ノリにノッた絶好調の極太の語り口で、源蔵の姿がくっきりと描写される。端的に言えばこの話は『兄に会えなかった弟が、兄の着ていた羽織の前で酒を飲んで別れを告げ、吉良邸へと討ち入る。それを兄が知って涙する』というような内容である。

源蔵の姿もさることながら、決して臭くやらず、あくまでも講談の語りで持って客席を引き付ける語りは圧巻。今、一番円熟味を増しているのは阿久鯉先生ではないだろうか。

前回の天保六花撰でのド迫力さは成りを潜めているように感じられたが、それでも豪腕のような口跡で、ズシン、ズシンと一語一語が胸に迫ってくる。きっちりと笑いを取りながらも、源蔵の討ち入りを知った兄の姿が切ない。さらりと語りながらも、心にぐっと重たく迫ってくる語りは、まさに阿久鯉先生の講談の語りの真骨頂だと思った。

この時ばかりは屁プニング氏も圧倒されていた様子。前回もそうだったが、阿久鯉先生の時だけ、会場がぐっと真剣に話に集中している感じがする。それだけ惹きつける力量が、阿久鯉先生の語り口から感じられた。

 

総括すると、色々と名物の方やらハプニングはあるけれども、総じて素晴らしい会です。特に貞寿先生と阿久鯉先生は外れない。

是非とも機会があれば足を運んで頂きたい。女流落語、講談、浪曲と名は付いているけれど、そんな女流の名さへ無視しても構わないくらい、凄い会です。

それでは、またの機会に。

 

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この胸いっぱいの浪曲を~2018年12月23日 木馬亭大忘年会~


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Whole Lotta Rokyoku

 

草葉の陰から

 

遠路はるばる福岡の地から

 

 シャンシャンシャン ソンソンソン 

 

浪花節だよ人生は

  

文菊師匠への愛と琴調師匠の志を記事にしていたら、気づけば朝練講談会の時間を過ぎており、しまった!と思って後悔するも、本日の目当ては浪曲だから、しばらく力を蓄えようと思い立ち、身支度を整えて飯を食う。腹が減っては戦は出来ぬ。戦はしないけど。

今日はあちこちで様々な会があるようで、大成金であったり、円丈師匠の会であったり、志らく師匠の会、太福さんの会と様々である。昨日、文菊→貞橘→琴調と連続して演芸に触れたため、財布が冬空になってしまった。今日は大人しく浪曲だけにしようと決めこみ、僅かばかりの野口を引き連れて、いざ、木馬亭

私はTwitterフォロワーの勇姿を積極的に見に行くタイプの男である。前回はえっぐたると教授、そして今日はかおりさんを見たいと思ってやってきた。

小雨降る浅草の街へとたどり着き、木馬亭の前まで来ると既にちらほらと列が出来ていた。受付で券を購入して列に並ぶ。私以外、かなりお年を召した方々ばかりで、一瞬、「このアウェイ感は、初心者なら私以上に感じるよな・・・」と思う。かろうじて天中軒すみれさんが木戸の前に立っていてくれたおかげで、「あ、大丈夫だ。私だけじゃないんだ、若い人」という気持ちになる。お声だけだったが、すみれさんの声は芯があって良く通る声だと思い、是非とも浪曲を聞いてみたいと思った。

木戸の中はかなり豪華で、豊子師匠や花渡家ちとせさんや、三楽師匠までいらっしゃる。畏怖の念が強すぎて話しかけることが出来ず、緊張したまま入場。そして着座。ベストポジションでは無かったが好位置に着座することが出来た。

会場入りした途端に、溢れんばかりの浪曲愛がそこかしこで噴出していて、「うわぁ、こりゃ絶対良い会になるぞ」とワクワクしてきた。というのも、天狗連の皆様が舞台にかける思いが強い様子。顔馴染みやらご常連がたくさんいて、私のような新参者も「いいなぁ、混じりたいなぁ」と羨望の眼差しで見てしまうほど、活気があって賑々しい。

そうそう、この天狗連に登場する『かおりさん』こそ、今回のレポにしようと思っていた素敵な方である。

普段は、ツイッターで力士の高安関が好きであると呟いており、浪曲と高安を愛する女性だと何となく見受けられた。その方が、天狗連として舞台で一席唸るというので、これはえっぐたると教授に引き続き、舞台を見なければ!と思っていたのである。

まぁ、素人の浪曲だし、良い風に思わなかったら記事に書かなきゃ良いだけだ、と思っていたのだが、これが嬉しい大誤算。天狗連と侮ることなかれ、全員プロ級の実力者ばかり。いやー、驚きました。

それは後に語ることにして、浪曲愛に溢れた大忘年会。開口一番は最年少浪曲師のこの方。

 

国本はる乃/豊子『将軍の母』

蒼天を照らす太陽の如く、真っ赤に燃えた炎のような輝きを持つ浪曲師、国本はる乃。初めて見たのは木馬亭で、確か力士の話だったと思うのだが、とにかく力強さと目にも眩い赤いオーラが見える女性だ。今日は桃色に近いお着物で、演目は『将軍の母』。簡単に言うと、『不器量なお伝という女性が、ふとしたきっかけで出世する』というような話である。これがはる乃さんの節と、豊子師匠の三味線に導かれて、笑っていたと思ったら泣いているというような、素敵な演目である。

お伝という不器用な女性が子を授かった後までは、笑える個所も多く「コミカルな話かな?」と思うのだが、そこは浪曲、最後はきちんと涙を誘ってくる。

お伝の父親に右京という使いが「あんたのところの娘が身持ちだよ」というようなことを言うくだりからの、父親がお伝を見て「お前の心が清いからだよ」みたいなことを言う場面があって、その辺りで涙腺の緩い私はじんわり涙が出てしまう。不器量でも心が清ければ出世するのだということが、実に感動的な節で語られる。前半はお伝が可哀そうなくらい、周りの連中が「ブサイク」、「器量が悪い」、「変な畑に種を撒いた」みたいなことを言って腐すからこそ、お伝の父親の言葉が痛切に響いてきて、物語というのは良い奴ばかりが出てきても面白くなるもんじゃない。周りでブツブツ言う人もいて物語なんだなぁ。と思う。じんわり熱い涙で幕を閉じた一席。

 

浜乃一舟/ノリ子『煙草の吸殻』

前回、一舟師匠のことを『綺麗なE.T』に見えたと書いたことを全力で後悔するくらい、最高の師匠でした。出てくるなり「いっしゅうううう!」とか「たっぷりぃ!」とか会場からバンバン声が飛び、一節唸れば「名調子!」と声がかかる。前回は私の耳が未熟だったがために聞き取れなかった言葉が、今度はかなりはっきりと聞き取れるようになった。さらには一舟師匠の節と声。この凄みを今度ははっきりと認識することが出来た。もはや達人の中の達人の風格。浜乃一舟師匠の渾身の節で演目へ。

内容は簡単に言うと『煙草の吸殻を拾っていた子供を、樋口政五郎?という人が助け、その恩が二十年後に樋口に返ってくる』というような話で、さらに端的に言えば『情けは人の為ならず』の物語だ。

冒頭からグイグイ泣かせる展開で、子供が煙草の吸殻を拾っていた理由や、二十年後に樋口がとある事に巻き込まれ、とある人物に助けられたり、という展開なのだが、物語が進むにつれて節が胸に染みてきて、後半、「草葉の陰から~」の辺りで、堪えきれずに涙の堤防が決壊。ぶわぁあああっと目から涙が零れてしまった。ええ話や、ええ話やでぇ。とただただ感動していたら一席が終わった。

浜乃一舟師匠のお声が、凄く優しくて柔らかいのだ。その佇まいと風貌も相まって、全身から柔らかくて温かい印象を受ける。クリームに包み込まれてじんわり温まって行くような、とても心地の良い節と声。馬越ノリ子師匠の三味線も、その柔らかさを絶妙に導いていて、気持ちの良い涙が流れた。浪曲師と曲師には泣かされっぱなしである。良い節と物語を聞くと、胸が鐘になって棒で突かれたかのように、ジーン、ジーンと響いて涙が零れる。これは言葉ではっきりと説明できるものじゃない。間違いなく浪曲の情緒。浪情が私の胸を震わせていた。

 

港家小柳丸/貴美江『梶川屏風廻し』

やはり赤穂義士伝はかかせない。切腹の場で介錯人をしている人のような衣装で、舞台袖から登場してきた小柳丸師匠。NHKのアナウンサーのような折り目正しい佇まいとお声。衝立で隠れて見えないが、お美しい佐藤貴美江師匠の三味線に導かれて演目が始まった。

この話の内容を簡単に言えば『松の廊下で浅野内匠頭を取り押さえた梶川与惣兵衛が、曽我物語を引き合いに三人のお偉いさんに説教されて出家する」というような話で、旭堂南湖先生のTwitterを見ると、この時の屏風は『頼朝公富士の巻狩りの絵屏風』であるらしい。詳しくは下記URL

展示案内 鑑賞・学習型展示 かいじあむ おすすめの展示資料: 山梨県立博物館 -Yamanashi Prefectural Museum-

 

曾我兄弟の仇討ち - Wikipedia

どうやら日本三大仇討ちの一つであるらしい。あやふやな情報で恐縮なのだが、コデンタとコデンジ?という兄弟が、父の仇を討つために工藤様を討つという話で、これを引き合いに出されて梶川が、「浅野様を取り押さえた時、少しでも手を放しとけばよかった」という感じで後悔し、坊主になって出家し浅野内匠頭に詫びる。というようなところで物語が終わる。

小柳丸師匠の声と節は綺麗で整っていて、最初に抱いたアナウンサー感から抜け出さない、良い感じの聞き取りやすさと優しい感じだった。何と言っても切れ味鋭い三味線の音と、スパッと切り込むかのような発声で物語を導く貴美江師匠。姿は見えなくとも、その勇ましさは私の眼に焼き付いております。好きです。

 

大迫力の三席で仲入り。日本酒を頂きほろよい気分。次はいよいよお待ちかねの浪曲天狗道場。お待ちかねのかおりさんの登場。

 

かおり/豊子『寛永馬術:曲垣と度々平(関東節)』

幕が開くと舞台には左に国本晴美師匠(審査員)、右には沢村豊子師匠、そして中央には浪曲の台とテーブル掛け、そして港家小柳丸師匠。一曲唸るのかな!?と思いきや、そんなサプライズはなく、かおりさんの紹介。

遠路はるばる福岡の地から、東京は浅草木馬亭の舞台に上がるまで、かおりさんがどんな思いでここまでやってきたか。名人と呼ばれる豊子師匠の三味線に導かれ、浪曲を愛する大勢の観客に見守られて、少し緊張された様子でかおりさんが舞台袖から出てくる姿を見た時、色んなことが頭を駆け巡ってしまって、一人で感動してしまった。

人生に浪曲があるとき、人は心の拠り所を見つけるのだと私は思う。浪花節を愛し、浪曲を愛し、また、浪曲に救われ、浪曲に彩られた人生を持つ人は、たとえ地元から遠く離れた場所に来たとしても、自分と同じように浪曲愛する人達に迎え入れてもらうことが出来る。浪曲が繋いだ人との縁に、私はただただ微笑みとともに感動していた。

舞台袖から現れて、素敵な黒のお着物を身に纏い、キリリとした眼を持つ美しいお顔立ちで登場。かおりさんの目の前に広がっていたのは、浪曲を愛する者達の温かい表情だったに違いない。名は知れねども浪曲で一つになった会場で、かおりさんはどんなことを思ったのだろう。私がかおりさんの立場だったら、嬉しくて堪らないだろうと思った。

自分の好きな浪曲のネタを、自分の好きな曲師の三味線に導かれて、自分の声で、自分の節で、浪曲を愛する会場の人達に届けた。

私は言いたい。

 

 届いたよ!かおりさんの浪曲

 

恥ずかしながら声を出すことは出来なかったが、とても素晴らしい一席だった。晴美師匠の驚きの表情と、豊子師匠の嬉しそうな顔も忘れられない。「あの子、一回しか合わせてないのに、大したもんだよ!」というようなことを一席終わった後で仰られていて、物凄い温かい雰囲気が充満していて、私は「いいなぁ、あったけぇな」と湯船に入っているかのような心持ちになった。

僅か10分間だったけれど、全身全霊で声を出していたかおりさん。私だったら多分、舞台に上がっただけで泣いてしまうかも知れないが、それでも圧巻の節だった。かおりさんが、かおりさんの全てで、唸っていた。上手下手など関係無い。かおりさんがかおりさんらしく歌っていたことに意味があるのだ。後半は、ああ、もう終わっちゃうの!?ととても残念だった。

終わった後で会場からは「日本一!」というような掛け声が上がり、花束を渡す人もいた。遠く福岡からやってきたかおりさんは、舞台に立っていたあの瞬間、紛れもなく浪曲師だった。渾身の一席、感動致しました。ありがとうございます。

 

その後の方々も実に素晴らしいし、会場もとても温かくて、これまで体験した中では断トツで素晴らしいお客様の集まりだった。私のようなピヨピヨのピヨっ子でも、十分に楽しめるくらい素敵な天狗連道場だった。本当は全員紹介したいのだけれど、今回はかおりさん目当てだったので、かおりさんだけに触れておくことにする。

 

仲入り後は、浪曲師や曲師による余興。

 

港家小そめ/カンジ『ちんどん』

ちんどん屋さんを営む小そめさんと、サックスのカンジさん?の素敵なちんどん芸。見た目も艶やかで陽気なちんどん。サックスの音色も素敵で、民謡クルセイダーズが好きな私にとってはとても楽しいパフォーマンスだった。小そめさんはお綺麗。サックスのカンジさんはカッコ良かった。

 

東家恭太郎『かっぽれ/地球の上に朝が来た』

太福さんの会で、芸達者であることを存じあげていた恭太郎さん。会場もとにかく温かくて、素敵なかっぽれと歌が聞けた。恭太郎師匠には素敵な愛嬌がある。

 

澤雪絵さんの踊り、孝太郎さんのホーミー、片倉ゆきじさんの三味線、こう福さんのドジョウ掬い踊り、澤順子さんの歌。どれも素敵で温かくて面白い。私的に最高だったのはお次の師匠

 

佐藤貴美江師匠『シャンソン

真っ黒な衣装でボヘミアンな感じの貴美江師匠。大きな可愛らしい眼鏡。お姿を拝見させて頂いた瞬間、

 

胸がきゅきゅきゅきゅうぅうううう

 

っと苦しくなった。カワイイ。高座でのお姿のギャップに完全にノックアウトされた男が一人。色々な落語家さんや講談師、浪曲師を語るだけの語彙力が全て霧散し、ただ『カワイイ』という言葉しか残らなくなる。笑いを誘う小噺とか、会場を巻き込んでシャンソンを歌う姿とか、カワイイ、ただただカワイイ。

あのカワイイを表現できない。もどかしい。カワイイ。もどかしい。カワイイ。

なんなんですかね、貴美江師匠。カワイイんですよ。もう何もかもカワイイんですよ。こう書いている自分がめちゃくちゃ気持ち悪いことだけは自覚してるんですけどね。Barで二人っきりで「このシングルモルトはね・・・君のために」みたいな、めちゃくちゃキザな言葉で口説き落としたいくらいにカワイイ。ああ、駄目だ。記事を書いていて今まで一番気持ち悪い状態になっているかも知れない。直視できないカワイさ。ちょっと卑猥なギャグでさえ、ドキがムネムネしてしまうくらいの、ありったけの、渾身のカワイイを頂いて、感無量。これがアイドルにときめくという気持ちなのかと初めて思った。

 

伊丹秀敏師匠の歌も良かったんですが、貴美江師匠のカワイさに打ちひしがれ、放心状態だったがために、あまり覚えていない。

トリは澤孝子師匠で『桂春団治と踊り』。歌を聞いて「あれ?この声は京山幸枝若師匠!?」と思って後で調べたところ、そうだった。

改めて歌で聞くと、本当に良い声をしているなぁ。と思う。孝子師匠も素敵な踊りで見事に決まった。

最後に再び、浪曲協会の皆様が舞台に登場。貴美江師匠を直視することが出来ず、隣にいたどじょう掬い姿のこう福さんを見ながら、視界に貴美江師匠を入れるという形で、三本締めで終幕。

 

終わりに

総括すると、浪曲愛に溢れた人たちの素敵な会だった。浪曲プールみたいなもんだと思う。最高の浪曲を披露した師匠方、浪曲愛を全身で表現した天狗連の皆様、そして浪曲協会の方々の別の一面が見れて、ますます浪曲が好きになったし、貴美江師匠が好きになったし、かおりさんはお綺麗で力強かったし、大満足の忘年会だった。身を明かしていないので、特に話しかけられることもなく、足早に退散。どうにも恥ずかしくて話しかけたり、話しかけられたりすることが苦手である。出来ることならもっと立派になって顔写真が乗るくらいには有名になりたい、と思う。それも一体、いつになるやら(笑)

とにもかくにも、浪曲に色んな思いを乗せて、三味線の音色に導かれて、色んな人々の人生が、浪曲で一つになった素晴らしい会だった。いずれは、この会場から浪曲師や曲師も出てくるだろう。私は物書きとして、そこに寄り添えたらいいなぁ。と思う次第である(怒られたらすぐに引退するけど(笑))

素敵な三連休の中日。さてさて、明日はどうなることやら。

 

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志だけもらっておきな~2018年12月22日 暮れの鈴本琴調六夜~

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つーーーーーーるーーーーー

 

おいら、清水の次郎長の子分になるんだ!

 

スッテンテンテンテレツクテンテン

 

よっ!日本一! 

  

貞橘会を終えて行くわ鈴本演芸場。もっと行列になっているのかな、と思いきやそれほど多くは無い。幾ら神田松之丞さんが人気と言えど、まだまだ講談界全体の人気とはいかない様子。それでも、松之丞さんによって講談の世界に招き入れられた大勢の人々が集まっている様子。みな一様に顔はキリリとして強くて美しい。

券を買って会場に入る。着座してざっと会場を見渡すとまずまずの入り。私としては「こりゃ今日は超満員だな」と覚悟していたのだが、それは昼席までだった様子。鈴本演芸場はとにかくお上品な方々がたくさんいて、設備も綺麗で舞台も風情がある、格調高く気品溢れる寄席、上野鈴本演芸場。久しぶりに入った。

お目当てはもちろん、宝井琴調先生の『中村仲蔵』。松之丞さんとの比較のためにも、これは聴いておかなければ!と思い楽しみにしていた。嬉しい出会いもあって、琴柳先生がとにかく素晴らしかったので、前半はざっと流して、琴柳先生に言葉を費やしたい。

 

前座 春風亭きいち『芋俵』

桃月庵ひしもちさんに続き、こちらも来年五月に二つ目が決まったきいちさん。どこで化けるやら。

 

宝井琴柑塚原卜伝 無手勝流』

貞橘会に引き続き、お綺麗な琴柑先生。張り扇を叩く所作が勇ましくて、かなり大振りで好感触。あれが鞭だったら(自重)。

お話は落語だったら『岸柳島』のようなお話。張りがあって勇ましく、タメになるお話が多い琴柑先生。知的な方には好感触かも。

 

桃月庵白酒『つる』

もうね、凄いことは分かり切っているので、敢えて書かない(笑)

 

柳家はん治『背なで老いてる唐獅子牡丹』

はん治ちゃん、おっと、はん治師匠には色々思うところがあるんだけど、寄席に通い続けて数十年、ようやく『妻の旅行』以外を聴くことが出来て感無量。さすが47,おっと、ベテラン師匠である。柵の中で、おっと、舞台の上で、独特のハスキーボイスで紡がれる物語。いぶし銀だねぇ。

 

宝井琴柳『清水次郎長外伝 小政の生い立ち』

舞台袖から座布団へと歩くまでの間、勇ましく伸びた背筋と、鋭い眼光で釈台を見据える琴柳師匠。座して張り扇で釈台を叩き、一礼をした後、顔を上げた時の表情が超カッコイイ。超カッコイイ。大事なことだから二回言う。

文菊師匠に感じるカッコ良さとは異なる、歴戦の兵どもの雄姿を語り継いで来た者だけが持つ眼。きりっと前を見据える慧眼たるや、琴柳先生の背後に宮本武蔵清水次郎長など、様々な英雄達の姿が見えてくるほどに鈍い青銅のような輝きを放っている。

一度言葉を発すれば物事は眼前にあるが如く、清水次郎長の子分となる小政の生い立ちが語られる。齢十四にして博打の手練を身に付け、不幸な身の上ながらも持ち前の知恵で立身出世を目指す小政の姿たるや、実に可愛らしくあり、また勇ましくもある(おや、語りが変わっているぞ)

会場はかなり冷めていたが、前方の常連集団はやはり聴きどころを逃さない。高い集中力で琴柳先生の言葉に耳を傾けていると、実に丁寧かつクスグリもあって面白いのだ。決してあからさまに「ここが笑いどころですよ」とやらずに、さらっとクスグリを入れてくるところが、琴柳先生の姿勢が感じられて超カッコイイ。

次郎長や石松、小政の表情の変化も見事。次郎長親分の勇ましい眼から、ちょっと間抜けな石松の眼、野心に溢れる小政の眼。どれも絶品。これは見て頂いて感じてほしい部分だ。

後半で、小政が両親のことを語る場面は胸に来る。父を亡くし、病気の母を思う小政の健気さ。決して苦労を人に見せず、明るく振る舞い、博打以外に金を稼ぐ方法を知らない小政。それが十四歳という年齢と相まって、胸に迫ってくる。石松はその辺りを汲み取らず、親分の次郎長が小政の志を汲み取る。何とも粋な物語で、琴柳先生のハスキーな高音で聴いていると、実に美しく清廉で、冬の寒空のぴんっと張り詰めた空気を感じさせる。

小政の個性が滲み出た珠玉の一席。大満足で仲入り。

 

古今亭菊之丞『片棒』

この人も言わずもがなの人ですから、敢えて書かない。ま、皆さん言わずもがなの人なんですが(笑)

 

林家二楽『シャンシャン』、『大晦日

会場から「おおっー」と声が上がるのを聴くだけでも楽しい。

 

宝井琴調中村仲蔵

恰幅の良いお姿と、紫色の布に入れた張り扇と扇子を携えて舞台袖から登場の琴調先生。座して釈台の前でくるくると布から張り扇と扇子を出し、すっと釈台を見据えてから張り扇を一つ。万感の拍手に迎えられて一礼の後、第一声を発する。

からっとしていながらも、温かみのある耳馴染み良いお声と、茶目っ気のある小噺の後で演目へ。

奥さんとの会話から始まる『中村仲蔵』。私の脳内にはまだ松之丞さんの演出しか残っておらず、どうしてもそれとの比較となる。どこに物語の視点を置くかという点で言えば、松之丞さんは中村仲蔵の視点から物事を見ていると思う。対して、琴調先生は仲蔵もさることながら、脇を固める人々の描写でさらりと物語を引き立てているように私には感じられた。

「自由に思い切りやってみたらどうだい」みたいなことを奥さんが仲蔵に言う。『芝浜』と共通して、奥さんの甲斐甲斐しさが美しい。夫婦の強い関係性があるからこそ、仲蔵は新しいこと、工夫に集中することが出来るのだと、さらりと言葉少なに説明している。

終演後にちらっと聞こえた声を聴くと、『中村仲蔵』は『お洒落な人に出会った』物語でもあるらしい。考えてみれば、五段目の工夫に大きな影響を及ぼす武士との出会いが、仲蔵を名題へと伸し上げていくきっかけとなる。今までチェック柄しか着たことが無かった工学部の学生が、MBやコシノ・ジュンコに出会い、お洒落に目覚めてカッコ良くなり、白Tに黒スキニーを履くようになり、女の子にモテモテになるというような、進研ゼミ顔負けのサクセス・ストーリーでもあるのだ(ちょっと違うかも)

琴調先生の『中村仲蔵』は、この出会いに重点が置かれているように思った。詳細な説明は無いが、仲蔵と武士の会話はどこか出来過ぎてもいる。妙見様への願掛けとも相まって、どこか幻想的な雰囲気を私は感じてしまう。武士の姿を見て驚きとともに、「これだ!この姿だ!」と感じる仲蔵の姿が良い。

出会いからすぐに実行に移す迅速さもさることながら、舞台で披露した時に観客の反応が得られず、「しくじった!」と思う仲蔵の姿も、聞いている客人は、「凄い芸を見ると、声も出ない」と説明されるから、仲蔵に対して「そうじゃないよ。観客にウケてるよ」という思いになる。仲蔵と観客の意思疎通が互いにズレる部分のもどかしさが、何とも仲蔵に心が寄り添いたくなる気持ちにさせるのだろう。

すっかり意気消沈して江戸を出ようとする仲蔵に、五段目の芝居を見ていた観客の話が聞こえてくる。松之丞さんはこの点にかなりの力を入れているように感じられたが、琴調先生は言葉少なに「飽きちまった」、とか「日本一!」というような言葉で表現する。松之丞さんの『中村仲蔵』を聞いているから、勝手に脳内で補正されているのだけれど、観客の言葉を聞いて涙する中村仲蔵の姿が、いつ何度聞いてもグッと来て泣きそうになる。

それから、歌舞伎のお偉方に呼ばれるシーンも、仲蔵は「しくじったかぁ」と思っているのだが、お偉い方たちは「やりやがったなぁ。良い工夫だ!」みたいなことを声にかける。その言葉で持って、ようやく自分の工夫が認められたことに歓喜する仲蔵の姿が微笑ましい。最後は支えてくれた妻への感謝を述べ、「虎は死して~」の言葉で締めくくられた。あっさりとしていながらも、聞かせどころの多い素晴らしい一席だった。

 

総括すると、私としては琴柳先生がとても素晴らしかった。終始心の中で「うわぁ、かっけぇえ~」と痺れていた。本当は貞橘会での貞橘先生や南湖先生のことも語りたいのだけれども、それはまた別の会で見かけた時に書きたいと思う。

素晴らしい落語に始まり、午後は講談で締めくくられた一日。あと足りない扇と言えば、皆さまならご存知でしょう。それでは、またいずれどこかで。

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神は細部に宿り、意志の解れを繕う~2018年12月22日 古今亭文菊独演会~

あたしは金魚を眺めたいんだよ。

 

みゃおうっ!!!! ???

 

長年連れ添う女房だよ

 

また、夢になるといけねぇ

  

目が覚めて時計を見れば午前四時。書きかけの記事を書きながら、今日はどこへ行こうかと考える。三連休は特にどこへ行くという計画も立てていない。人生は行き当たりばったりで、流れる川の如し。一人ぼっちの寂しさを紛らわせるために本を読んでいるが、心で泣いてるぜ。と、思うことはなく、行くわ文菊小劇場。

短歌と池袋演芸場の記事をアップしてから、身支度を整えて家を出、ぶらりぶらりと街を歩く。しんと静まり返った街がようやく目覚めようとしている。まるで深海の魚から浅瀬の魚に進化するみたいに、私自身も仄暗い水の底から地上へと顔を出す。ま、深海魚が急に浅瀬に浮上したら大気圧でパンパンに体が膨れるらしいけれど。

冷たい風を体に受けていると、私はビル・エヴァンスのピアノの音みたいな寒さだな、と思った。スコット・ラファロという天才ベーシストを不慮の事故で失った後、『Moon Beams』を発表した頃の、寂しさを紛らわせようと決意し、再び鍵盤に指を置いたエヴァンスのような冷たさ。耐えきれずカフェに入って温かい珈琲を飲んだ。

身に染みる寒さは、どうやら色んなことを私に考えさせるらしい。きっと心の奥底で『何かが終わるんだ』という感覚があって、感傷的になるのはそれが原因らしい。これまでの人生を振り返って、来年はどんな年になるのだろうかと考えていると、期待もあれば不安も生まれてきて、結局何も考えないことの方が幸福なのかも知れないと思い始める。苦味のある珈琲を飲み、短歌の本をぺらぺらと捲りながら、私は言葉を探した。考える時間はたくさんあって、言いたいことを全部頭の中でまとめて、何となく着地点が分かったら、ぼんやりと記憶して、後で書き出す。なるべく自分の言葉で語れるように、言葉を選ぶ。

 

定刻になって、なかの小劇場に向かう。ぞろぞろと人が集まっている。見慣れた常連から新しい客人まで、美人でお洒落でお綺麗で麗しい女性達が大勢いて、私のような田舎小僧は粥でも食って国へ帰ろうかな、と思う(嘘)のだが、文菊師匠に縋りつきたい一心で入場し、着座する。

今日は『芝浜』をやるということで、一席目は何を選択してくるんだろうと思った。会場が『芝浜』を待ち望んでいる空気の中で、どんなふうに文菊師匠は応えてくれるんだろう、と私は想像してしまう。

ただ座布団へ向かって歩く姿でさえカッコイイ文菊師匠。出囃子の『関三奴』の艶やかで狂おしい音色を纏いながら、ちょっと中腰でゆっくりと舞台袖から現れ、両腕を綺麗にみぞおち辺りの高さに上げてくの字に曲げ、低空飛行で離陸するかのようにして高座へと歩いていく。座布団に座る時も、若干、左半身を後ろに逸らしてから、扇子で両膝の着物が座布団との間で綺麗に挟み込まれるように払ってから着座し、扇子を目の前に置いて結界を作ってから、「はい」と一言小さく呟いてお辞儀をする。青々とした坊主頭を見ると、なぜか心が清らかになるのは、心の奥底にある情緒のせいだろうか。顔を上げれば太筆で描いたような眉毛と、真っすぐ曇りなく光る眼と長い睫毛。くっきりとした鼻と、きりっと結ばれた口元は王 羲之が書いた『一』かと思うが如くに力強い。ふとした瞬間ににっこりと笑う時の口元などは、男である私にとっても魅惑のバミューダトライアングル。たまにミッキーマウスが連想されるほどの愛らしさ。と、書くと褒め過ぎだろうか(笑)

というわけで、文菊師匠の登場シーンを先に書いたが、開口一番はこちら。

 

桃月庵ひしもち『狸札』

以前にも書いたかも知れないが、芸人の『おさる(モンチッチー)』を思わせる顔つきと、着物が茶色のせいか『太いゴボウ』感も否めなかったが、確実に逞しくなっているひしもちさん。見た目は病弱かつ幸薄そうだが、しっかりとしたテンポでの『狸札』。これからどう化けて行くか。タヌキだけに。

 

古今亭文菊『猫と金魚』

 

猫と金魚 演目と演者 蜜のあわれ

先に書いたような動作で登場の文菊師匠。これからは着物の色とかも記憶しようと、記事を書いていて思い始めた。意外と高座姿に興味をお持ちの方々が多いようなので、今後はそちらも記していければ、と思う。残念ながら『猫と金魚』での文菊師匠の着物の色は覚えていない。うっすら「緑、だったかな?」くらいの記憶しかない。(※のち、シルバーのお着物と判明)

この『猫と金魚』、私の記憶に残っている落語家さんでは、別の師匠で同じ演目を見たことがある。どちらも寄席で見たことがあり、両者は互いに番頭が旦那の言葉を上手く理解しない滑稽さに重点が置かれているように私には思えた。文菊師匠の『猫と金魚』は以前にもどこかで聞いたことがあったのだが、完全にパワーアップされていた。

それまで考えもしなかったのだけれど、文菊師匠の演じる旦那の『金魚を愛している気持ち』が言葉からぐっと伝わってきて、番頭に「私は金魚を眺めたいんだよ」みたいなことを言った時に、湯殿の棚に両腕を重ねておいて顎を乗せ、目の前の金魚鉢の中で泳ぐ金魚を眺める可愛らしい旦那の姿が浮かんできて、「ああ、この人は本当に金魚を愛してるんだ」とふと思ったのである。室生犀星の『蜜のあわれ』に出てくるオジサンと金魚のような、そんな関係まで想像してしまった。今まではそんなことを考えたことが無かっただけに、文菊師匠の言葉とトーンは、私にとって発見の『猫と金魚』だった。

旦那のはっきりとした『金魚への愛』が、番頭の勘違いの面白さを際立たせることにに役立っているように私には思えた。きっと番頭は『金魚に対する愛の無い』人なのかも知れないな、と思ったのである。

 

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なぜ人は苛立ち、ミスが起こるのか。

演目に触れる前に少し私の話をする。私は他者に物を依頼することがある。他者にやって欲しいことを説明して実際にやってもらうのだが、言葉の認識のズレや説明不足によって様々なミスが起こる。世の中のミスは全て『互いの意思疎通が正しく行われなかった』ことで起きていると私は思っている。

もしも、自分の思った通りに動いてくれない番頭のような人間が周りにいたら、腹立たしくて苛々して、怒鳴ってしまう人間がいるだろう。なんでこんな奴のために時間を使わなくちゃいけないんだ!とか、こいつに物を教えてやっているが、俺はこいつから給料をもらってないぞ!よこせ!とか、常識知らず!と言う方もいるかも知れない。それは、相手の性格を理解していないから苛立つのではないか、と私は思うのである。自分の思う通りに行かなかったり、自分の考えと異なる考えを持つ他者に苛立ったり、文句を言わずにはいられない性分の人もいる。でも、それは相手に期待し過ぎなのではないか。もともと期待などせず、気長に待つか、その人の性格を理解した上で言葉を選ばなければ、怒鳴ったところで相手は委縮して、最後は「もう辞めます」というような状態になってしまいかねない。『猫と金魚』には、実社会で起こりうる上司と部下、互いの認識の不一致によって、冒頭から様々なハプニングが起こるのだが、なぜか番頭に苛立つこともなければ、旦那に理不尽さを感じることはない。この不思議に迫ろう。

 

『猫と金魚』の難しさ、文菊師匠の緻密さ 

実は『猫と金魚』という演目は番頭と旦那、どちらの言い分も正しいと私は考えている。正しく説明をしない旦那に戸惑う番頭は、現代で言えば『指示待ち人間』みたいなものだ(もはや死語かも知れないが)。言われたことしかやらず、言われていないことはやらない。それが悪いという訳ではない。番頭は金魚に対して感心が無いから、金魚が床で跳ねていようが、水の入っていない金魚鉢に金魚を入れようが、旦那の言葉通りに実行しているのだから、問題無いだろう。と思うのである。さらには取扱説明書もなく、口頭だけの説明であるから、ますます番頭は旦那の言葉の意味をそのまま受け取ってしまう。

反対に、旦那は金魚に愛を持っているから、金魚鉢に入った水の中で泳ぐ金魚が旦那の中で1セットになっている。それは旦那にとって常識だから、番頭に「金魚鉢を湯殿の棚の上に置いておくれ」と言う言葉には、金魚鉢に水が入っており、その中で金魚が泳いでいることが前提条件になっている。この話を聞く者の多くは金魚に対して愛を持っているから、旦那の側に共感するだろう。故にどちらの言い分も正しい。では、何が面白さを生んでいるかと言うと、番頭が金魚鉢と水と金魚を個別に考えている部分ではないか。

この話には、番頭が『金魚と金魚鉢と水を別々に考える人間』だということを聴く人に理解させなければならないという難しさがある。旦那との掛け合いの中でそれを上手く表現できないと、先に書いた『指示待ち人間感』が番頭に感じられて、ダメな番頭に白けてしまいかねない。その点が文菊師匠は実に緻密だと思った。真打の芸をアマが評論して大変恐縮なのだが、先に挙げた某師匠は、番頭の性格を勢いで表現し、リズムも早く、どこかトボけた印象が強いのだが、文菊師匠は旦那の金魚愛を示す言葉を発した後で、番頭に「猫が容易に触れないような高い場所に金魚鉢を置いて欲しい」と要求するのである。ここで、番頭は悩んだ末「じゃあ銭湯の煙突の上に」みたいなことを言う。この僅かな言葉と間で、旦那と番頭、互いの金魚に対する思いの違いを表現し、さらには番頭の発想の方向性が旦那とは違うということを対比させる。二段構えで番頭が『金魚と金魚鉢と水を別々に考える人間』だと観客に納得させているのである。だから、番頭に勢いを付けなくとも、滑稽さが際立って話が白けないのであると私は考える。

「金魚は?」、「金魚鉢は?」、「水は?」と畳み掛けるように聞く番頭も、既に聞く者にとって『金魚と金魚鉢と水を別々に考える人間』と理解されているから、聞いていて腹が立たず、苛々もせず、むしろ「ま、そうなるよね~」と滑稽さに面白くて笑ってしまうのである。あるいは「もーう、何この人、勘違いしちゃってぇ、可愛いんだからぁー」みたいな、愛らしさすら感じさせてしまうのが、文菊師匠の『猫と金魚』である。それは番頭も番頭で、真面目に旦那の言葉を実行しようとする姿勢が感じられるからでもある。金魚に対して愛が無いからこその真面目さを持つ番頭が、金魚に対して愛を持つ旦那とぶつかるから、この話は面白いのだと私は思う。ところが、このぶつかり方に気を付けなければ、次の展開に大きな影響を与えることになる、と私は思う。

 

寅さんを爆発させる仕掛け

『猫と金魚』のさらなる難しさは、番頭の性格を勢いで押し切ってしまうと、後に登場する寅さんが引き立たなくなると私は考えている。その点、文菊師匠は凄い。金魚に一切の愛を持たない真面目な番頭を表現したことによって、今度は無鉄砲で勢い任せの寅さんの性格がくっきりと浮かび上がるようになっている。番頭と寅さんの性格が勢いで重複することが無いからこそ、観客は「また変な人来ちゃった」と思って話に惹き込まれていく仕掛けがある。

寅さんは旦那と同じように金魚を愛しているが、今度は猫に対してとにかく勢い任せで対峙する。見栄っ張りで抜けているけれど、頼まれ事とあれば必ず引き受ける人情味ある寅さん。ところがどっこい、猫に返り討ちにされてしまう。この無鉄砲な寅さんの姿こそ、勢いと明るさで表現するべきところだと私は考えている。

某師匠の『猫と金魚』では、私が感じた限りでは、番頭は若干キレ気味に「水はどうすりゃいいんですか!」みたいな、旦那への怒りと戸惑いを勢いで表現する感じだったと記憶しているが、それは後々の寅さんの無鉄砲さを霞ませるというか、番頭の滑稽さを上回るほどの勢いを持って話が進むことは無く、むしろ同じレベルの奴が再びやってきたという感じだった。ところが、文菊師匠は、寅さんに気合が入っていたし、勢いで乗り切ろうとする寅さんと、それに期待する旦那との対比が面白くて、最後のオチまで気持ちが良いくらいのリズムで進んでいく。徐々に加速していくようなリズムがあって、話の盛り上がりのピークに番頭との会話で敢えて達しないという、実に緻密かつ巧妙な仕掛けがなされていて、文菊師匠の落語は本当に奥が深い。ただぼけっと聞いているだけでは気づかないくらいに、実にさらりと重要なことをやってのけるのだから、ただただ驚くしかない。ま、私が勝手に思っているだけかも知れないが。

実生活では番頭のように自分が思ったことと認識がズレてしまう人や、寅さんのように期待以上を望まれても期待に応えられない人もいる。頼んだこと以上のことをしてくれたけれど、実は余計なことだったとか、実は虚栄で内実は全く実力が伴っていなかったとか、それでも、相手の真面目さや性格を理解していると、不思議と腹の立つこともない。人間万事塞翁が馬、なんて教訓を考えてしまうほどに、案外『猫と金魚』という演目は深いのかもしれない。

上記に書いたようなことから、『猫と金魚』という演目に対して、私は目から出た鱗が再び眼球に戻って化石になるくらい、驚いたし発見した。そういう部分にアンテナを張っていたからこそ分かったのかも知れないが、他の演者の演目を脳内にインプットすることによって、また、様々な演者で同じ演目を聞くからこそ発見できる落語家の素晴らしさというものがある。もっともっと文菊師匠の魅力に近づいていきたい。

最後に、少し余談を。(違法かも知れないのでご注意)

 【バナナマン設楽】「すぐ怒る人間は自分の経験値がないから」いつも怒っているひとはカッコ悪い… - YouTube

この動画を見た時に、旦那が番頭に対して怒らないのは、番頭を理解することの出来る経験が、旦那にあったからかも知れないと思った。もしも因業な人間だったら、番頭は金魚を床でピチピチ跳ねさせた時点で、即刻クビである。だが、旦那はクビにしない。長い目で見ることの重要性を知っているからなのかも知れない。想像するのも野暮かも知れないが、文菊師匠の演じる旦那には、そんな苦労の末に立派な資産を築き上げた、一人の偉大なる経営者の姿を見てしまうのだ。

 

古今亭文菊『芝浜』

茶色の羽織を着て低空飛行で座布団に着陸の文菊師匠。渋谷らくごのラジオで聴いたお馴染みの枕から演目へ。初っ端、とんでもないハプニングが客席で起こったが、まぁ、良し。途中、外部からのハプニングもあったが、まぁ、良し。文菊師匠の演目に一点の曇りなし。起こることは起こるのだと思っていれば、起こったところで怒らない。

渋谷らくごのラジオで聞いた『芝浜』を録音しており、それをテープだったら擦り切れるくらい聞いた私にとって、結論から言えば『生が最高』とビールみたいなことを言ってしまうが、それくらいに『生が最高』。

私は『芝浜』は旦那よりも女将さんの甲斐甲斐しさに共感してしまう。好きでくっついた二人。旦那の為に尽くす女。決して都合の良い女という存在ではない女将さんの姿。家計を案じ、夫を案じ、二人の未来を案じる女将さんの健気さ。私が女だったらこんな気持ちを持って男に接したい、とか、男と生まれたからにはこんな素敵な女性と連れ添ってみたいとか、まぁ、邪念は湧く訳なんですが、とにかく女将さんが物語の立役者になっていると私は思っている。

 

『猫と金魚』→『芝浜』への妙技

さて、『芝浜』に登場する旦那は、前半は大酒飲みで働かず、楽して暮らしたいと女将さんを心配させるが、後半では立派に改心して仕事に精を出し、「楽するためには働かなくちゃいけねぇ」とまで言うようになる。それは、旦那自身の経験によって発せられる言葉であるからこそ、胸に響いてくる。

『芝浜』の後半辺りで、私は文菊師匠がなぜ最初に『猫と金魚』を選んだかが何となくわかった。意思疎通の交差が共通点だったのだと私は思った。

『猫と金魚』では、旦那と番頭の互いの心が、水平にならず微妙にズレていた。例えるなら、片目を閉じて左右の人指し指の先を合わせようとすると、上手く合わせられないみたいに。あるいは、釦の掛け違いみたいに、互いの意思疎通が微妙にズレたからこそ、交差してしまった。その差異が面白かった。

一転、『芝浜』は夫婦の関係性によって成り立っている。互いが互いの性分を理解しているからこそ、旦那は女将さんに皮肉を言っても嫌味っぽく聞こえないのである。また、女将さんも旦那の良さを認めているからこそ、甲斐甲斐しさに嫌らしさが無い。『猫と金魚』ではまだ未熟だった二人の関係性から、『芝浜』では緊密な二人の関係性へと移行する。この対比の妙。意図しているかいないかは分からないが、演目選びでさえ文菊師匠は抜かりないと私は勝手に思っている。

 

夫婦の関係の強さ

前半は旦那の傍若無人っぷりが炸裂して、寒い魚河岸で震えているところなどは「奥さんに酷いこと言うからだ、ざまあみろ」というくらいに私は思う。冒頭で、女将さんが河岸に行く旦那に向かって火打ち石を打つ場面があるのだが、細かい所作に、女将さんが旦那を思う気持ちが現れている。ラジオでは見ることが出来ない所作もまた、物語に重要な効果を発揮している。

財布を拾って遊んで暮らせるぞ!と喜ぶ場面を見ると、大丈夫かなぁ、と思うのだが、ぐっと女将さんが旦那の暴走を押しとどめる。再び目を覚ました旦那が、財布を拾ってきたのは夢だったと納得する場面は、実に二人の夫婦の関係性の力強さが表現されていて、私は一瞬「あ、結婚したい」とか邪念を覚えるくらいに、魅力的な関係性なのだ。

互いが互いを愛している関係だからこそ、旦那は女将さんの言葉を受けて、情けなくなり自暴自棄になって「もう駄目だ、一緒に死のう」となる。この時の文菊師匠の表情が、何とも言えない素晴らしさなのである。言葉以上のものを語っているので敢えて言葉にはしないが、是非生で見た時に表情を見逃さないでほしい。

旦那の言葉を受けて、女将さんはしばしの間の後、旦那の頬を叩き「いい加減におしよ!」と怒鳴る。これは女将さんが旦那の力を信じているからこその行動だと思った。この時の女将さんの表情も凄く良くて、「あたしの惚れた男は、そんなことで根をあげる男じゃないはずよ!もっと力がある人じゃないか!」みたいな、旦那を信じる気持ちにぐっと来る。私は女将さんの行動は一世一代の勝負だったんじゃないかと思うのだ。本気で相手を思っていなければ、こんなことは出来ない。吉原の遊女だったら「ふーん、あっそ。勝手に死ねばー?じゃあ、ばいばーい」くらいの軽い気持ちで去っていくだろう。それではこの話は台無しである。死を決意するほどに女房を信じる旦那と、頬を叩くくらいに旦那を信じている女将さんとの対比が、実に美しくて、私の目からは鼻水が流れ始め、鼻からは目が飛び出始めた。

 

短い挿話と文菊落語の魅力

がらっと人が変わったように仕事に精を出す旦那。ここで差し込まれる短い場面が、個人的には「ああ、さすが緻密な文菊師匠だ」と驚嘆と感動のスペクタクル映画だったわけだが(意味不明)

内容は敢えて書かない。ラジオでは無かった演出で、これが旦那の力を客人に最適な形で理解させていると私は思った。良い場面である。是非、出会って感じてほしい。

後半の盛り上がりは、何と言っても女将さんが旦那に嘘を打ち明けるシーンだろう。ずっと三年間後ろめたさを隠し通し、ひたすらに夫の成長を望んだ女将さん。なかなか出来ることじゃないよ、と思う。その思いに対して夫は一瞬苛立つのだが、そこは夫婦の関係性の強さで、考えを改める。この辺りは、夫婦の経験が無い私でも感動してしまう。特に女将さんの言葉が良いし、女将さんを認める旦那の言葉も良い。互いの心が見事にきちんと揃っている感じ。そこに清らかな秩序が見えて、女将さんの強さと同時に、旦那の温かさが感じられて、なんだか心がくすぐったい。

最後のお決まりの言葉まで、夫婦の関係性が時に解れそうになりながらも繕われていく文菊師匠の落語。文菊師匠の落語は、実に登場人物の性格が豊かで、奥深くて、温かくて、清らかであると私は思う。実に緻密だけれども、人間の深みや個性を表現する言葉、そして互いが互いの呼吸に合わせて進んでいくテンポと間。どれをとっても格別の時間を過ごすことが出来て、演技が臭くなくて丁度良い温度で演じられている。今日は文菊成分、大注入の二席だった。

 

最後に

総括すると、今日の独演会の文菊師匠はかなり気合いが入っていたように思う。ご新規の方も多く、会場も実に温かくて、『猫と金魚』の時はかなりノっているように私には見えた。会場入りする姿もスマートで、狐色のコートとマスク姿は、一瞬「アル・パチーノ?マフィア?」くらいに思ったのだが、寄席で見る文菊師匠も十分凄いが、独演会でしか見ることの出来ない文菊師匠は確実にある。独演会って本当にファンにとっては重要な会だと思う。寄席ではある程度、商用化された感が演目に感じられるのだが、独演会は伸び伸びと演者が思うがままに演じられているから、演者としても楽しいだろうと思う。伸べえさんの独演会なんかは特にそうで、伸べえさんが物凄く伸び伸び(伸べえだけに)やっているからこそ、聞いているこっちも楽しくなってくる。互いが互いを信じている、認めているからこそ、演目はより引き立ってくるのだ。芸は演者と客が作る。当たり前のことだが、この素晴らしさを改めて感じる会だった。

さて、この後私は貞橘会に行き、最後は夜席 鈴本演芸場に行った。これも実に素晴らしかった。それは、次の記事で。

 

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地下帝国の三段打ち~正月初席 池袋演芸場編~2018年12月22日

Should I stay or Should  I go

 

魔窟

 

三段打ち

 

正月初席の池袋演芸場を一言で表すとすれば、『長篠の戦い』ということになる。前記事の『新宿末廣亭編』では、一部が春風亭昇太師匠、二部が桂竹丸師匠、そして三部が桂文治師匠という、信長・秀吉・家康という三英傑が揃った布陣で、ホトトギスである客人達がもみくちゃにされて、「落語って面白い!」と笑う寄席であるのに対して、池袋演芸場は10日間昼夜入れ替えなしで破格の3000円。そして、第一部が三遊亭遊三師匠、二部が三遊亭小遊三師匠、三部が三笑亭茶楽師匠という、武田の軍勢もびっくりの『三段打ち』の構えで、客人達を「どうだ!これが落語の面白さじゃい!」と打ち続ける寄席であると私は思っている。

顔ぶれは新宿末廣亭と似通っているが、やはり順番の妙がある。

前半は若手二つ目交替枠で、オススメは一部トリの遊三師匠の五番弟子、三遊亭遊子さん。俳優のような整った顔立ちと、絶品の低音ボイス。明るく溌溂としていて、ご婦人ウケ抜群の落語家さんである。新宿末廣亭の瀧川鯉斗さんがイケメン特攻隊長だとすれば、ヤンチャな街のバイク好き感のある三遊亭遊子さん。オススメ演目は美しい声に冴え渡るメロディが絶品の『孝行糖』だ。聴けたらラッキーだろう。

お次は渋め枠だが、オススメは春風亭柳好師匠。特に他意は無いが、遊子さんから柳好師匠は、風邪を引くくらいの温度差が表情にあると勝手に思っている。元気溌溂な遊子さんから、優しい凪のような柳好師匠の落語へと移ると、ハワイの気分が味わえると思う(無責任)

次々と打ち込まれる弾丸の中で、やはり第一部は客を呼ぼうという構えなのか、ナイツや春風亭昇太師匠が配置されている。新宿末廣亭一部とは仲入りを境に逆の出演者が配列されている池袋演芸場は、昇太師匠やナイツ好きの方は比較的早い時間に楽しむことが出来る。この辺りの弾丸に撃ち抜かれて、どこまで居残りをするかは分からないが、二部の小遊三師匠まで笑点メンバーを集めたいのだとしたら、些か体力を消費してしまうだろう。昇太師匠やナイツを基準として、自分の体力と相談しながら寄席から離脱する時間を定めるのも一興である。

少し池袋演芸場の様子を記しておこう。新宿末廣亭に比べると趣や風情といったものは少なく(昔はあったようであるが)、地上で券を買ったら地下に降りて行かなければならない。この階段はご高齢な方には難所となるだろう。謎のトイレフロアを一度挟んでから、舞台のある地下へとたどり着くという構造になっている。

券を渡して右にある入り口から入ると、収容人数約90席の会場が待っている。椅子はそれほどフカフカではない。人が多い場合はパイプ椅子も出るが限りがあり、人気の興行では立ち見になってしまうことが多い。また、全体的に会場が明るいため高座の様子がはっきりと分かる。雰囲気としては公民館で落語を聞いているような、そんな気分になるのではないかと思う。

要するに、風情を味わいたい、古き良き日本家屋で演芸を楽しみたいという方には池袋演芸場よりも新宿末廣亭や上野鈴本演芸場を推す。単純に話題の落語家が見たくて、風情は気にしていないという方には池袋演芸場は最適な場所であるだろう。もしも時間とお金に余裕があり、各寄席の雰囲気を比較したいという方がいるのであれば、池袋演芸場新宿末廣亭のどちらにも足を運んで、両方の趣や風情を体感してもらえると、より私の言っていることが分かって頂けるのではないかと思う。もっとも、どこに風情を感じるかはその人次第である。自分の住まいと相談をして、最適な場所に足を運んで頂けたら幸いである。

仮に私の熱心なブログ購読者にオススメの落語家と言えば、桂伸べえさんである。百栄師匠ではないが、飼えるなら飼いたい(半分冗談)。第二部の仲入り後、クイツキという腕の良い演者が出演する位置で、交代出演枠に伸べえさんの名がある。私として面白いのは仲入り前の昔昔亭桃太郎師匠の後で、伸べえさんが出てくるという、奇跡のような順番であるということ。桃太郎師匠は寄席ではお馴染み『ルイジアナ・ママ』を歌って、舞台に大勢の落語家が登場してツイストを踊るということが多々ある。伸べえさんがツイストする姿も見てみたいなと思うが、仲入り後でどんな風に空気を作っていくのか、あの強烈なフラにたくさんの人が魅了されてくれたらいいな、と思うのである。

第三部では、新宿末廣亭と同様に『成金ロード』が用意されている。と言っても二人だけの出演であるが、松之丞さんの出番が終わった直後も見どころの一つかも知れない。正直、成金ロード以降は初心者には若干渋めの感は否めない。自分自身の演芸への熱意を考えながら、寄席を楽しんでいただきたいと思う。

 

総括すると、池袋演芸場はあまりオススメしない。入退場時の階段は足腰に自信の無いご高齢な紳士・婦人には辛いし、何だか魔窟に入っていくような感覚に襲われると思う。演者は申し分ないのだが、会場の構造的な問題をどこまで許容できるかが客人には求められてくると思う。翻って考えてみれば、足腰に自信の無い方々はあまり入ってこれない状態であるので、比較的、空いているのかも知れないが、そこは正月初席。混雑が予想される。舞台との距離はそれほど遠くはなく、二階席も無いのでどの位置に座っても、見えにくいということはあまり無いと思われる。あまり風情や座席位置にこだわりの無い方には、良いのかも知れない。

そんなわけで、池袋演芸場。私は行きませんが、是非是非皆様、お楽しみいただけると幸いでございます。