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粋と可憐の花篝~2018年12月28日 新鋭女流花便り寄席~

 

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あ、またいる・・・

 

ぷ、ぷぷっ、ぷぷっぷ

 

会えなくて残念じゃった

  

暮れも押し迫った12月28日。Twitterのタイムラインを眺めてみれば、皆思い思いの場所で楽しんでいる様子。どこでどんなことがあって、誰が何を思っていたか、Twitterを通して知ることが出来るのは嬉しい。情報はあっという間に拡散されて、誰にでも共有できるようになった。

しかし、生の演芸に勝るものは無い。

会場の空気と演者の熱が合わさり、会場がぐっと盛り上がって行く様は、文字や画像からでは感じることが出来ない。五感の全てで体験することで、自分の中に刻み込まれる極上の記憶を、是非読者にも味わって頂きたいと考えている。

自らの人生の時間には限りがある。演芸に費やす時間は人それぞれである。ある人は家庭に、ある人は仕事に、ある人は恋人に自分の人生の時間を費やすだろう。それぞれにそれぞれの時間の使い道があるように、私にも私の時間の使い道がある。

どこで折り合いを付けるかも人それぞれだ。演者の過ごす時間と、それを見る人の時間が、僅かばかりの金銭で重なる。その貴重さを日々噛み締めて私は生きている。金銭で自らの心の琴線が震えるような、そんな演芸を謹選することも一つの楽しみではないだろうか。

寒々とした街の風に吹かれながら、上野広小路の見慣れた十字路に辿り着く。体が冷めていたので、歩を散らしたのが功を奏し、僅かに温まった体を冷めぬようにさすりながら、私は上野広小路亭へと入る人の列に並んだ。齢六十は超えようかという年配の方々が列に並び、静かに会場の時間を待っている。時折、私の横を過ぎていく人が「誰か来てるの?」と尋ねて来るので、「講談師が出ますよ」と返事をすると、「ふーん、そんなに良い男なのかい?」と返されたので、「いやぁ、そうじゃなくて・・・」と言葉に詰まる。

新鋭女流花便り寄席は、月1の開催で女性だけで行われる寄席だ。前回の記事でもお伝えしたように、仲入り前は貞寿先生、トリは阿久鯉先生となっている。

平日の金曜日ということもあって、年配の方が多い。渋谷らくごに行くことを常としている若者が、軽い弾みで行くとちょっと場違い感を抱いてしまうかも知れない。会場の様子は前回の花便り寄席の記事を参考にしていただきたい。

席に着くと、前回同様の顔ぶれに「あ、またいるよ・・・」と若干心配になったのだが、今回は携帯を鳴らすハプニングは無かったが、語りの芸をとある方が見せてきたので、まぁ、そういう会だと諦めて鑑賞した会になった。

さて、それでは、そんな常連の厳しい空気作りに負けずに立ち向かった女性達の感想をば。

 

 一龍斎貞奈『木村又蔵 鎧の着逃げ』

舞台袖から登場した途端に思わず「うわっ、可愛い!」と心を動かされましたよ、私。見た目はお若くて20代!?と思っておりましたが、詳細はプロフィールをご覧くださいませ。佇まいが可愛らしいのと、若干ヤンチャっぽさが感じられるが、優しい語り口はまるでソフトクリームを食べているかのような柔らかさ。出てくる登場人物もどこか可愛らしく感じられ、話の内容よりも貞奈さんの美しさに心動かされるという、聞き手にあるまじき失態。「この続きは~」と丁度言いところで切る場面も、キャバクラで時間が来て、仕方なく店を出ることになったときのような気持ちである(何を言っているんでしょう)

一龍斎貞心先生のお弟子で、まだ平成28年入門という若さ。田辺いちかさんや神田紅純さんなど、色んな美人を取り揃えている講談の世界。魅力的な世界ですよ、本当に。

 

神田こなぎ『水戸黄門 湊川建碑』

ふくよかなこなぎさん、と平仮名10文字で書いてみたが、こなぎさん自身は来年に向けて自虐的ながらも抱負を語りつつ、話題は水戸黄門へ。マクラでの口調は柔らかかったのだが、演目の語りに入った途端、口調はがらっと変わって勇ましい。この話は簡単に言えば『偉い人のお墓が建っていないなら、建てましょう。ついでに大名行列が邪魔だから、立札を立てて置こう』というようなお話。ただ単純に『水戸黄門が墓を建てる』話で、かなり地味というか、盛り上がる所があるわけでもない。うっかり聞き逃すと、「あれ?何で立札立ててるんだっけ?」となりがちな、聞き手としても集中力を試される話だと思う。水戸黄門の徳の深さもさることながら、立派な墓を建てるために大名行列を気にする墓作りの職人の性格も面白い。取り立てて目立った展開が無いからこそ、地味に映えるのが語り口。こなぎさんの淡々とした語り口は、水戸黄門の立派な姿を表現していた。

 

神田真紅『赤塚不二夫の生い立ち』

木馬亭や両国亭で見たことのある真紅さん。疲れがピークに達し、寝てしまったので覚えていない。不覚。

 

スージー 『腹話術』

腹話術という芸は、かなり私個人としてどう書いて良いか難しい。物凄い想像力が必要とされると思うし、絶対に『人形』とか、『スージーさんの口が動いている』というワードを言ってはいけない、という無言の圧力があると考えている。見ていて、非常に不思議な気持ちになるというか、きっと私がもっと純粋だったら、ヤギのアカネちゃんも、94歳?のハルコさんも、『生きてる』と思うのだろうけど、そう思い込むほどの信念が私には無い。ハルコさんの両腕から突き出した黒い二本の棒と、それを操るスージーさんの細い手を見てしまうと、もはや私は正常に人形を人形としか捉えることが出来ない自分を自覚するのである。

 

一龍斎貞寿『次郎長と伯山』

物凄い良い噺。物凄い良い噺なんですけど、今回はハプニングによって、良い噺感は若干薄れ、トホホな感じになった。他の方も書いているので敢えて書かないが、ハプニングは屁プニングでもありました。

もっと真剣な場で聞きたい!と切に願う話である。内容はざっくり言えば『次郎長の生き様を語る講談師の生き様』というようなお話で、次郎長という一人の男を軸に、それを語ろうとした二人の講談師の生き様が見事に折り重なった感動の一席なのだけれど、屁プニングなトイレ立ちによって雰囲気は崩れましたが、何とか踏ん張った貞寿先生の逞しさに拍手!で仲入り。

 

鳳舞衣子/理『八重と藤吉郎』

今回は鳳先生が出るということで、行くことを決意した部分があった。木馬亭で見た『三味線やくざ』がカッコ良くて、あの時はベラばりの鋭い眼光が印象的だったのだが、今回は眼光は控えめでありながらも、絶品の節を披露。物語は端的に言えば『藤吉郎と偉い侍が、八重を取り合う』というような話。

木馬亭の時にも感じたのだが、鳳先生は舞台を左右に幅広く動き、登場人物の性格を表現するような演技も真に迫っていて、かなり上手い。青山理さんの三味線は若干控え気味な導きでありながらも、しっとりと八重と藤吉郎の心模様を描いていて、特に藤吉郎のちょっぴりいじわるでありながらも、可愛らしい性格を見事に表現されていて、鳳先生がますます好きになった。勇ましくて粋な『三味線やくざ』と、藤吉郎の才覚と八重の先見の明が光った『八重と藤吉郎』が見れて満足。節の力強さと語りの真剣さが見事な一席。

 

三遊亭絵馬『紙切り

プログラムでは林家花さんの紙切りだったが、代演で絵馬さん。真っ赤な着物が目に彩な絵馬さん。屁プニングの方の注文も真摯に受け付ける絵馬さん。どこかで見たことがあるような風貌だった。

 

神田阿久鯉赤穂義士銘々伝より赤垣源蔵 徳利の別れ』

黒紋付きの着物に身を包み、ド迫力の声量ととっぷりとした語り口。一発一発ボディブローを食らっているんじゃなかろうか、というような口跡に痺れる。「ああ、カッコイイ」と思っているうちに、話題は義士伝へ。赤垣源蔵の話題になった瞬間、心の中で歓喜。ノリにノッた絶好調の極太の語り口で、源蔵の姿がくっきりと描写される。端的に言えばこの話は『兄に会えなかった弟が、兄の着ていた羽織の前で酒を飲んで別れを告げ、吉良邸へと討ち入る。それを兄が知って涙する』というような内容である。

源蔵の姿もさることながら、決して臭くやらず、あくまでも講談の語りで持って客席を引き付ける語りは圧巻。今、一番円熟味を増しているのは阿久鯉先生ではないだろうか。

前回の天保六花撰でのド迫力さは成りを潜めているように感じられたが、それでも豪腕のような口跡で、ズシン、ズシンと一語一語が胸に迫ってくる。きっちりと笑いを取りながらも、源蔵の討ち入りを知った兄の姿が切ない。さらりと語りながらも、心にぐっと重たく迫ってくる語りは、まさに阿久鯉先生の講談の語りの真骨頂だと思った。

この時ばかりは屁プニング氏も圧倒されていた様子。前回もそうだったが、阿久鯉先生の時だけ、会場がぐっと真剣に話に集中している感じがする。それだけ惹きつける力量が、阿久鯉先生の語り口から感じられた。

 

総括すると、色々と名物の方やらハプニングはあるけれども、総じて素晴らしい会です。特に貞寿先生と阿久鯉先生は外れない。

是非とも機会があれば足を運んで頂きたい。女流落語、講談、浪曲と名は付いているけれど、そんな女流の名さへ無視しても構わないくらい、凄い会です。

それでは、またの機会に。

 

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