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自称・演芸ブロガーが語る日本演芸(落語・講談・浪曲)ブログ!

何もわからないけれど~2019年11月20日 新宿末廣亭 夜の部~

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But there's one thing I know
The blues they send to meet me
Won't defeat me, it won't be long
Till happiness
Steps up to greet me

でも一つだけ分かったことがある
憂鬱なことに出会ったって
俺は負けたりはしないんだ
幸せが俺のもとにやってくるのも遠くない
大きな幸せが俺を迎えてくれる

 Hal David『Raindrops Keep Fallin' On My Head』

  

誰にも奪えぬこの思い~They Can't Take That Away From Me~

ひどくつかれていた。車に轢かれて死ぬカエルみたいに、グエーともゲエーとも言えずにパンッて感じで、頭のなかは弾けてぐちゃぐちゃだった。

陽気にチロリアン・ダンスを踊りたかったけれど、自分の身体を叩くことは単なる自傷行為になりかねなかった。幸せだから手を叩きたかったし、足も鳴らしたかった。そんな私にとっておきのチロリアン・ダンス。踊るには少し勇気がいるザンス。

肩も少しこっていた。誰かに肩を揉まれたところで、肩のコリはほぐれても心のコリはほぐれない。心のコリは何でほぐれる?

つかれたし、寄席に行こう。

そう思って、ふらふらと歩いていた。

少し寂しかった。心の中を冷たい風がすーっと通り過ぎていくみたいだった。その風が私から何かとてつもなく大きな支えを奪っていくように思えた。

すれちがう男女は暖かそうに肩を寄せ合っていたし、通り過ぎる犬は服を着ていた。寒そうな恰好をしている女性もいたけれど、吐く息の白さに濁りのあるような恰幅の紳士が、じきに温めてくれるだろうから心配はいらなかった。みんな、何かとてつもなく大きな支えをそれぞれ持っていて、それで支え合っていた。

「メリークリスマス、ミスター・ローレンス」と言いそうな人達は私のことを睨みながら通り過ぎて行った。彼らには何の支えも無いように思えた。彼らは揺蕩っていた。支えが無いから自由だった。自由に、風に吹かれて、私に不思議な目を向けていた。哀れみとも、憎しみとも違う眼。支えのない人が持つであろう、空虚な眼。些細な嫌悪を宿した目。それは、私の眼にも宿っていたのかも知れなかった。

別に何もその人に対して悪いことをしたつもりは無いのに、知らない間に嫌われていることってある。でも、それは仕方のないこと。自分でも知らない間に嫌われた誰かに対して思うことは特になかった。

私にも、支えは無いのかもしれなかった。否、私はたった一人でも立てるような人間だった。木に近かった。土から栄養を吸収して、太陽から光を与えられていれば、それだけですくすくと育っていける。殆ど木だった。何をするにも一人だから、何の支えもいらなかった。飛び方を教えられなくても飛ぶ鳥にも似ていた。泳ぎ方を知らなくても泳がざるを得ない魚にも似ていた。

結局、一人でも寂しく無かった。

旅をしても、映画を見ても、美術館に行っても、何をしても、一人では駄目だという理由が一つもなかった。むしろ、一人で良かったのだ。誰かと一緒にどこかへ行こうなんてことは、思ったこともなかった。そして、誰かと一緒でなければ、どこかへ行けない存在でもなかった。一人で、たった一人で、どこへでもいけるし、いけた。

寄席に入って、席に着く。

相も変わらずくだらない話を聞く。

 

南喬師匠は『壺算』をしみじみと。

 

米粒写経さんは、タツオさんが割かし多めに喋って

 

はん治さんは旅に出て

 

鉄平師匠は母子がいたけど、下ネタ混ぜてさんま好きな殿様を

 

楽一さんは不思議な雰囲気で、横綱と火焔太鼓とサッカー選手と初雪

 

それだけがまるで取り柄かのように静かな末広亭のなかで、私は落ち着いて、ぼんやり、ぼんやり、茶の中に立つ茶柱みたいに、ぽーっとしながら、

菊之丞師匠を待っていた。

何をやってもいい。

わたしはひどく、つかれていた。

ただただ、癒されたかった。

 

 古今亭菊之丞 芝浜

すすっと現れて、菊之丞師匠は圓菊師匠のことを語る。文菊師匠のことも語る。圓菊師匠を囲んで、大勢のお弟子さんたちの姿が見える。みんな、黒紋付きを着ているイメージ(よくわかんないけど)。総領弟子の菊龍師匠の顔も見える。その中に、自分も混じったような気がする。

いいなぁ。素敵な一門だなぁ。

そう思っていたら、

 

「お前さん、起きとくれよ」

 

あっ

 

ああ、

 

そう思ってから、終わりまで、なんだか、言葉にならなかった。

 

一言一言が、私の心を突き抜けて行った。

 

さっきまで、何かとてつもなく大きな支えを奪って行くような風に吹かれていた私に、菊之丞師匠の語る『芝浜』の登場人物が語る言葉が、ずんずんと、まるで大きな支えを作っていくかのように、突き抜けて行った。

涙が溢れた。

最後の方で、女将さんが精を出して働く旦那に向かって発した言葉。

それが、私の身体を痺れさせた。

電流だった。

それは、銭湯にある電気マッサージとは訳が違う。

全身がビリビリと震えて、

涙が止まらなかった。

色んな言葉がやってきて、

それが整理できなかった。

急に満員になったエレベーターが、

目的の階に着いたけれど、

みんなが押し合って、

なかなかエレベーターから出られなくなったみたいな感じだった。

ようやくみんながエレベーターから出たら、

また満員になっちゃう感じで、

『芝浜』の旦那さんの言葉が、

私を泣かせたのだった。

そして、旦那さんと女将さんとの間にある、

幸福な出来事。

それにも、

涙が溢れて。

私は、何の支えも無く立つ、茶柱になってしまった自分が

少し悔しいとさえ思った。

もっと誰かの支えを必要とするような人間だったら、

家に帰って心の底から「寂しい」と思うような人間だったら、

一人で生きていくことに耐えられない人間だったら、

きっと、見ることができる世界なのかもしれないって、

『芝浜』に出てくる夫婦を見て思った。

私には『芝浜』の夫婦の関係が、

羨ましくて仕方が無かった。

『芝浜』の夫婦のようになるかもわからないのに、

そんなことを思った。

男女の関係は、温かった。

色んな言葉が抱えきれないほどやってきて、

支えきれなくて、押し潰された。

凄かったし、感動した。

でも、それだけじゃない色んな、言葉にならない思いが、

ただただ私の眼を潤わせていたのだった。

 

帰りの電車で、年配の三人組の男性たちが、

妻を失った後の人生のことを語っていた。

「男は女房を失うと元気を失くすらしいんですが、女房は旦那を失うと活き活きするらしいですよ」

そんなことを聞くと、私の心はグラグラと揺れる。

結局、

何にも分からない。

何も分からないことに、

何も分からないままに、

涙した。

きっと、

そんな

夜だった。

素敵な

演芸に

出会った

夜だった。