落語・講談・浪曲 日本演芸なんでもござれ

自称・演芸ブロガーが語る日本演芸(落語・講談・浪曲)ブログ!

森野照葉 自己紹介

出会いは億千万の

 2017年4月某日。私は疲れ果てていた。急な辞令、急な転勤、急な引っ越し、急な職場。何もかもが急すぎて窮していた。

 窮地の窮ちゃんだった。

 アツアツのご飯に乗るどころか、アツアツの鉄板に乗せられて土下座する利根川幸雄だった。利根の川風が袂に入らず、全身を凍えさせ、そのまま利根川に流されてドザエモンになるかと思った。結局流されたのはプライドくらいのものだったが、とにかく私は疲れ果てていた。

 そんな私がこの後、自分の人生を変える場所に辿り着くのだが、しばし待たれよ。

 疲れ果てていて、転居先を見ずに決めてしまった。ノールックだった。ノールック投法で転居先に体がストライク、心はボールだった。暴投も良いところだった。住まいから敬遠されたのだ。松井秀喜を越える歴史的敬遠だった。

 転居先にルック・ルックこんにちわを決めた。愕然とした。狭いし、煩いし、寒いし、狭い。とにかく狭かった。猫の額ほども無かった。蚤の心臓ほどのスペースしか無かった。ま、蚤の心臓を持つ私には丁度良かったのかも知れないが。

 「こんなことで、おれはやっていけるんだべか」

 反対から読むと罰が当たりそうな県を飛び出し、魔都・東京にやってきた一人の田舎者は、さっそく都会の洗礼を浴びた。

 当時、私には着る服がジャージしか無かった。それも全部アディダス。しかもセットアップではなく、スポーツショップで安く売られた上下の組み合わせを考えていないやつ。朝はパンツ一丁、昼は着慣れないスーツ、夜はジャージ。一日で自衛隊と会社員と中学生になっていた。

 都会をジャージで歩くと、周囲の目が物凄く刺さってきた。黒ひげ危機一髪の黒ひげ状態で、ジャージという樽に入った黒ひげの私は、周囲の奇異の目というナイフに刺され、いつ飛び出すとも分からないまま数か月を過ごした。

 さすがにヤバイと気づき始めた。心のサイレンが壊れるほど鳴っていた。服を買うためにユニクロに行こうと思い立ち、御徒町のデカイユニクロに行った。

 御徒町の観光ついでに、上野の美術館にでも行こうと思った矢先、とある看板を見つけた。

 そこには、こう書かれてあった。

 『鈴本演芸場

 「あ、落語だ・・・」

 思えば、東京には寄席がある。365日、毎日落語をやっている場所、それが寄席だった。今でも覚えている。2017年4月。上席は昼の部で柳家喬太郎師匠がトリを取られていた。

 そして、このとき、私は夜の部の主任を見ていなかった。柳家喬太郎師匠の名前だけは知っていたから、思わず知らず寄席に入っていた。

 後に、私が出会うことになる名人の名が、その時、鈴本演芸場の表に、幟となってはためいていた。夜の部の主任を務めた噺家、それは

 『古今亭文菊

 この時、私はまだ自分の運命がどうなっていくのか。知る由も無かった。

 ジャージから、ユニクロ・ブランドに身を包んだ私は、それから貪るように寄席に通った。毎週土日は寄席、寄席、寄席。朝から晩まで落語を堪能した。

 いつの間にか、一週間の疲れが癒されていることに気づいた。ぽっとでの田舎者は、どんどんと都会の魅力にハマっていた。

 「東京ってすげぇ!」

 今でも、この感動に突き動かされている。見るもの全てが新しく、光り輝いているのだった。

 やがて、浅草演芸ホールで、私は運命の噺家と出会う。それが先に挙げた古今亭文菊師匠だった。確か5月だったと思うのだが、文菊師匠が高座でやった『長短』が今でも忘れられない。あの『長短』に痺れて以来、私は文菊師匠のファンになった。

 後、深夜寄席で桂伸べえさんを知る。天才だと思った。まごうことなきフラの天才がそこにいたのだった。

 そして、2018年の5月。私はついに演芸ブログを書こうと決意した。というのも、2017年から丸一年、寄席に通い続けていく中で、知らない落語家さんにたくさん触れることが多かった。そんな時に、ネットで落語家さんの名前を検索し、どんな評判なのかと調べる機会が多々あった。

 これは非常に残念なことだが、素人のブログに書かれている記事は、その殆どが批判的だった。好意的なものは見当たらず、プロの方々だけが的を射た、的確な好評文を書かれていた。様々にブログを読んだが「どの目線で言ってるんだろう・・・」と疑問に思ってしまうほど、的を射た文章が一つも無かった。

 自分の大好きな噺家に酷く手厳しく書かれた文章を読んだ時など、酷くがっかりとした。まるでチクりであったり、さも録音行為をしているかのような文章に辟易した。こんな文章が世に出て良いのか?と疑問に思った。

 ならば、自分で書けば良い。そう思った。

 答えは単純だった。ネットに溢れる『悪口雑言』に埋め尽くされた演芸評論とは真逆の、『賞賛』一点絞りの記事を書くこと。そこを自分が担おうと思った。

 当時も今も、『賞賛』だけに絞って書いている人は少ない。まして、『ブログ』には良い印象を持っていない方が多い。やたらと『批判』などがネットに溢れているため、無理も無いだろう。

 地方に住み、なかなか芸に触れることのできない人々が、噺家が会で何を言ったかが分かるという利点がある一方で、その言葉に対する書き手の批判的文章が生み出した功罪は大きい。

 当ブログは、そんな『演芸ブログ』に世間が抱くイメージを刷新する。

  幾つか、このブログ特有のルールがあるので列記しよう。

 ・批判・罵詈雑言・否定・悪い点など、芸人批判の文章は一切書かない。

 ・噺家の喋った内容(マクラ)については、匂わせるだけに留め、詳細に書かない。

 ・良い点・優れた点を記載する。

 ・私の感動した部分を書く。

 ・色んなものに喩える。

 おおよそ、上記五点。私が記事を書く上で守っていることである。

 もしも、これから演芸の記事を書きたいという方は、一つの参考にしてほしいと思う。

 私は記者ではない。何か事件があって、それを発表するスポークスマンではない。だから、あくまでも個人的な話の詳細には触れることはない。

 そして、このブログの明確な行動指針というか、原点を記載しよう。

 ・世に溢れた『芸人批判的な記事』の真逆を行く、『賞賛のみのブログ』であること。

 ・このブログを読んだ人が、明日の朝には数千円を握りしめて寄席に行くようになっていること。

 ・少しでも演芸に興味を持ち、寄席に足を運び、お気に入りの芸人を見つけ、日本の演芸に狂ってもらう読者を作ること。

 以上、三点を私のブログの原点の言葉とする。

 それでは、長々と書くのは止して、この辺りで自己紹介を終わりたいと思う。

 あなたが明日、素敵な演芸に出会えることを祈って、

 装い新たに、このブログを始めたいと思う。

 どうか御贔屓に。

 それではまた、どこかでお会いしましょう。