落語・講談・浪曲 日本演芸なんでもござれ

自称・演芸ブロガーが語る日本演芸(落語・講談・浪曲)ブログ!

民謡×ラテン 熱き魂の混合~民謡クルセイダーズ×見砂和照と東京キューバンボーイズ~最速レポート!2018年9月17日

f:id:tomutomukun:20180917230914j:plain

エチオピアの音楽が、民謡にそっくりだったんですよ。

 

僕はね、こんなことを言うとあれですが、最初はラテンに興味無かったんですよ 

 

民謡クルセイダーズの地元、福生市民会館で行われた『民謡クルセイダーズ×見砂和照と東京キューバンボーイズ』のライブを見てきた。

まず驚いたのは福生市民会館の大ホールである。収容人数が1062席という一大パノラマの中心にステージがある。こんな凄いところで見るのかぁ。と思って入場すると、私と同じような年齢層の方々がちらほらと座席に座っている。

中央右には常連さんだろうか、応援団だろうか、明らかに民謡クルセイダーズを見に来たというような恰好の人々が座っていて、そういうライブ会場とは違う空気なのだが、楽しみ方は自由ということで何も言わずに見守る。

開演時刻の16時になって、女性が壇上の左から出てきて挨拶をする。その後に舞台の幕が上がって民謡クルセイダーズのライブが始まった。

 

さて、ライブ解説の前にざっと、民謡クルセイダーズとの出会いについて書いてみたいと思う。

私が民謡クルセイダーズに出会ったのは、たまたまタワーレコードでオススメされていた彼らのアルバム『Echos Of Japan』を視聴した時のことだった。一曲目の『串本節』に度肝を抜かれ、全身を駆け抜けていく電撃、通称『超カックイイドラゴン』が天に向かって飛翔したとき、私は迷わずにCDをレジに持っていった。

兼ねてより落語、講談、浪曲好きを公言している私が、民謡を見逃すはずがない。しかもラテンとの融合というのだから、これはカッコ良くならない筈がない。これをきっかけに未曾有のラテン地獄、民謡地獄へと足を踏み入れてしまった私は、原点回帰的に三橋美智也美空ひばり、もっと古くは藤山一郎まで遡ってCDやレコードを買い漁った。とにかく痺れまくり、その扉を開いてくれた民謡クルセイダーズというバンドにとにかく感謝の気持ちしかなかったのである。

CDを購入と同時に差し込まれたチラシにはリリースパーティーが行われるということで、東京CAYだったかの場所で彼らのライブを見た。のっけから素晴らしく、お酒も相まってとにかく感動したことを覚えている。

そんな民謡クルセイダーズを久しぶりに見ることが出来て、とにかく嬉しかったし、彼らの演奏はかなりパワーアップしていた。

一曲ずつ解説するととんでもない文量になりそうなので、ざっとセットリストを記す。

 

1.真室川音頭

2.串本節

3.おてもやん

4.ホーハイ節

5.牛深ハイヤ節(新曲)

6.会津磐梯山

 

第一部は物足りないくらいの熱気。フルライブを見てしまったものからすると、もっと民謡クルセイダーズの曲が聞きたい!というところで一旦一区切り。それでも、新曲の牛深ハイヤ節がとにかく最高にクールだった。串本節はいわずもがなの名曲だし、会津磐梯山もとにかく痺れる。民謡とラテンの融合を見事に昇華させたバンドの素晴らしい現在地点を見ることが出来た。会場も大盛り上がりで、舞台右では大勢のファンが立って踊っている姿があった。あまり大ホールで見かけない光景だったので、少し笑ってしまったのだが、やはり音楽が好きな者の中には体を動かさずにはいられない人達がいるのである。そして、それは特に若い人ほど顕著で、私のような老人ともなると、じっと椅子に座って鑑賞するのを好む質なので、素直に立って踊ることが出来るのが羨ましい。ただ一つ苦言を呈するとすれば、写真撮影・動画撮影は禁止されているので、いくら盛り上がっているからといって、動画で撮ったりして保存してはいけない。営利目的ではないにしても、演者にはプライバシーというものがあるのだから、その辺は正しくなければいけないだろう。久しぶりに落語以外の観客と場を共有する空間にいたので、余計にマナーの悪さが目立ってしまった。録音・撮影、ダメ、ゼッタイ。

 

日本の民謡の素晴らしさは、各地に様々な民謡が伝わっており、そのどれもが生活の中から沸き起こってきたものだということだ。

今よりも娯楽が圧倒的に少なかった時代に、どうやって気持ちを沸き起こして奮い立たせ、日々の生活に潤いを足して行こうかと考えた時に、人々は声と節と太鼓を頼りに民謡を作った。その想像力のすばらしさ、現実をどうやって打破してきたか、その力強さに私は惹かれている。奇抜な音もなく、作為的な詩もなく、ただ人々が集まって声を出し合って踊り合って日々を暮らす。そんな生活の匂いが民謡にはあるように思えるのだ。

そして、その魂がラテンと共鳴した。遠く日本の裏側にある国と不思議な共通点があったというだけでも、この地球上で類を見ない奇跡と呼んでも良いだろう。そんな、ラテンの魂を継いで現代に鳴らしているビッグバンドがいる。

 

その名を、東京キューバンボーイズ

 

指揮者の見砂和照さんは二代目で、父の見砂直照さんが戦後のラテン音楽を日本で演奏してきた指揮者である。この和照さん、見た目は映画ゴッド・ファーザーのアル・パチーノ橋本龍太郎を雑に混ぜて作られた感じの人である。けれど、いざ指揮をするととびっきりの笑顔で指揮をしていた。

東京キューバンボーイズの詳細は他に任せるとして、ボンゴの老齢のおじ様が飛び抜けて異才を放っていた。人間国宝と呼ばれているらしく、その腕前は天下一品。他の演者もそれなりに素晴らしく、トランペットの石井アキラさんと言ったか、ソロの演奏などは痺れるくらいにかっこよかった。

全体を赤のジャケットと黒のスラックスで決める東京キューバンボーイズ。残念ながら曲順は覚えられなかったのだが、全体のまとまりと迫力のある演奏はとにかく闘牛のような勢いで、拍手喝采。思わず叫びだしたくなるほど熱かった。

何よりも、演奏中の演奏者達の笑顔が素敵だった。誰もが互いに笑いあって演奏する姿には、こちらも思わず嬉しくなってしまったくらいだ。客席も静かに盛り上がっていたし、ラテンを愛してきた人々の思いを一心に受け止めて東京キューバンボーイズは演奏をしていたと思う。

テレビやコマーシャルの至る所で、ラテン音楽は流れている。ふっと聞き流してしまえば、それほど耳に止めないかもしれないが、じっと耳を澄ませていると、まるで日本の演歌に通ずるような、魂のメロディがそこにはある。

どんなに国が違えど、肌の色が違えど、そんなことは音楽にとって何も関係ないのだと思う。

すべてが受け継がれて、現代へと紡がれていく。種々様々な音楽が生まれては去っていく中で、変わらずにありつづけるもの。それが民謡であり、ラテンの魂なのだ。

そして、最後に再び民謡クルセイダーズがやってきて、東京キューバンボーイズとの合同演奏。一曲目はご存知、『炭坑節』だった。

 

人々の耳に馴染み、誰の心にもすっと溶け込むように、日本人の魂の根底に存在する民謡。炭坑節を力強く歌い上げるフレディ塚本さんのお姿はいつ見ても凛々しい。脇を固める演奏陣もいつも以上に豪華だ。途中、小節を回して演奏していく場面で若干のハプニングがあった様子だが、それも安定の演奏で乗り越える東京キューバンボーイズ。ビッグバンドは何よりも息を合わせるというか、一つの音をかっちりと揃えてこそであるから、そこは民謡クルセイダーズとの経験の差が出た部分だったかも知れない。それでも、民謡クルセイダーズの面々は楽しく演奏していたし、懐の深い東京キューバンボーイズのメンバーも一所懸命に演奏していた。

二曲目は南京豆売り。このコンサートはとにかく東京キューバンボーイズのすばらしさを知る会だったのだなと改めて思う。敬老の日に、とびきりアクティブで熱いおじ様方を見ることが出来て満足である。あんなクールなジジイに私もなりたいものである。

 

総括すると、東京キューバンボーイズが戦後から続けてきたラテン音楽を中心に、民謡クルセイダーズが花を添えたライブだったと思う。民謡クルセイダーズをメインで見に来ていた人達にとってはちょっと物足りなかったかも知れない。それでも、東京キューバンボーイズ、何より見砂直照、見砂和照と受け継がれた現代の姿を見ることが出来ただけでも、十分に価値があっただろうと思う。

帰りには雨が降っていた。この興奮を冷ますには少し量が足りない。私は急いで家路へと向かった。

にほんブログ村ランキングに登録しています。

にほんブログ村 音楽ブログへ
にほんブログ村